七ヶ宿街道
江戸期は、「山中通」「山中七ヶ宿通」という。
道筋は奥州街道を桑折で分岐し、小阪(以上福島県)-上戸沢-下戸沢-渡瀬-関-滑津
-峠田-湯原(以上宮城県七ヶ宿)-楢下(ならげ)-上山宿-(以上山形)に至る。
途中、福島県堺に小阪峠、山形県境に金山峠の難所がある。
江戸期出羽十三大名の参勤交代の通路。
江戸期秋田藩勘定奉行「梅津政景日記」元和8年6月15日の条に、桑折~山形間の測量を行ったこと、寛永元年5月23日に秋田藩主佐竹義宣が通ったことが記されている。
(大日本古記録)参勤交代の通路として整備されたのは、明暦期以後で、「川西村々差出帳」に、「正保2年已後新道、明暦2年馬足行違いが可能なように道幅を拡張」(上山市史編集資料)と記されている。
享保16年9月7日の大地震で、材木岩が崩れ通行止めとなったため、一時笹谷街道が利用されたが、渡瀬村岩本橋から材木岩対岸の虎岩を登り、頂上を迂回する新道が開発され、已後、幕末に至るまで、この道が利用された。
参勤交代大名のほか、出羽三山詣、置賜地方の城米輸送や商人荷などでにぎわった。
|