|
テーマ:本のある暮らし(4595)
カテゴリ:Novel
・山本幸久の『マイ・ダディ』は、父親であることの意味を真正面から問いかけるヒューマンドラマである。2021年公開の映画『マイ・ダディ』の原作小説として執筆され、主人公・御堂一男が、娘の命を救いたいという一心で「父とは何か」という根源的な問いに向き合っていく姿を描く。 ・主人公の御堂一男は、小さな教会で牧師を務める、ごく平凡で誠実な男である。 派手な成功とは無縁だが、妻と幼い娘・ひかりと慎ましく暮らし、信仰を支えに日々を積み重ねている。しかし、その穏やかな生活は、娘が重い心臓病を患っていることを知った瞬間から一変する。移植という希望はあるものの、その過程でさらに衝撃的な事実が明らかになる。ひかりは、一男と血縁上の親子ではなかったのである。父親として生きてきた時間と、生物学的な父親という事実。その二つが激しく衝突し、一男は深い葛藤へと追い込まれる。それでも彼は、「父親とは血なのか、それとも共に過ごした時間なのか」という問いを抱えながら、娘を救うために奔走する。 ・物語は、親子の絆、夫婦の秘密、赦し、そして愛の本質を静かに積み重ねながら、一人の父親の決断へと収束していく。本作が描くのは、出生の秘密ではない。中心にあるのは、父親とは、生まれつき与えられる資格ではなく、自ら引き受け続ける役割であるというテーマである。血縁という事実は動かせない。しかし、夜泣きに付き添い、病気を心配し、成長を見守り、未来を願ってきた時間もまた消えない。一男は、その二つの現実の間で苦しみながら、「父とは何か」という問いに自分自身の答えを見つけようとする。その姿は劇的というより静謐であり、だからこそ胸を打つ。 ・山本幸久の文章には、大げさな感情表現が少ない。日常の会話や生活の細部を丁寧に積み重ねることで、読者は一男の戸惑いや痛みを自然に共有していく。だからこそ、物語は「秘密が暴かれるサスペンス」としてではなく、一人の父親が自分自身を見つめ直す内面的な旅として響く。娘を思う気持ちは、血液型やDNAでは測れない。本書は、その当たり前でありながら忘れがちな真実を、静かな筆致で描き切っている。 ・『マイ・ダディ』の価値は、「血縁か育ての親か」という二項対立を煽ることにない。むしろ、その対立そのものを乗り越えようとする点にある。生物学は事実を示す。しかし、人間関係を完成させるのは事実だけではない。家族とは、共に過ごした時間、交わした言葉、支え合った記憶によって形づくられる。一男は真実を知ったから父親ではなくなるのではない。真実を知ったあとも父親であり続けようと決意するからこそ、本当の父親になっていく。 ・一方で、本作は感情を大切にする作品であるため、医学的・法的な問題について詳細に掘り下げる物語ではない。リアリズムよりも、人間の選択と愛情の普遍性に重きを置いている。その点を理解して読むことで、本作の魅力はより深く伝わる。 ・『マイ・ダディ』は、家族小説であると同時に、人間の覚悟を描いた物語でもある。30代から40代のビジネスパーソンにとっては、仕事の責任と家庭の責任の両方を抱える時期だからこそ、一男の選択は他人事ではなく映るだろう。本書が最後に読者へ残すメッセージは明快である。親子を結ぶ最も強いものは、血ではない。今日まで積み重ねてきた愛情と、明日もなお支え続けようとする意志なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026.08.16 00:00:10
[Novel] カテゴリの最新記事
|