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横浜は燃えている!

横浜は燃えている!

医者と自分の命

    急展開のきっかけとなったのは担当医から旦那への電話だった。
   前日夜に腎臓内科の医長と研修医のいる中で担当医が私に骨髄検査の必要性を説明した。
   入院してから二週間近くの検査で腎臓のみが悪いのではなく、膠原病の中の一つである
   「全身性エリテマトーデス(SLE)」というのが浮上してしまった為である。





    入院生活が始まって「糖尿病と膠原病の可能性もあるので検査してから治療を開始
   します」と説明を受けた。実際糖尿病の血液検査や眼科の診察も受けた。けれども
   実際には糖尿病の検査しかしておらず、膠原病の為の血液検査、MRI、眼科検診等の
   検査はしていなかったのだ。





    糖尿病の判定結果が出る迄五日間かかり、シロと判ってから翌日ステロイド治療を
   開始と言われた。しかしステロイド治療開始の当日朝に行った血液検査の結果を待って
   投与だったのだが、午後になってもただ私は待つだけ。15時位になって担当医が来て
   「今朝の血液検査で膠原病の可能性が出て来てしまったので治療は延期です」と言う。
   この時点で膠原病の検査を実施していなかった事が判る。

    膠原病の検査としては今飲んでいる胃薬を変更して、血液検査(白血球の正確な
   数値を計るためらしいかった)。胸のCT、頭のMRI(偏頭痛がある為)、もう一度
   眼科検診。そして今回のキーとなる骨髄検査をすると言われた。



    入院前に腎生検の結果を聞きに行った時、膠原病はともかくSLEなんてまるで
   聞かなかった。先生は説明したつもりであったようだったが、私も旦那も絶対に聞いて
   ない。実際聞いていれば心配性の私は入院前に膠原病やSLEについてある程度調べて
   心の準備をしていたはずである。入院手続きの時、通りがかった担当医が「腎生検の
   結果は膠原病って言われてもいい結果だったんですよ」と、それ程深刻でもない感じで
   言われたのは覚えている。心の整理もつかないままSLEなんぞと言わて私はこの日
   最低の誕生日を迎える事になった。

    担当医の「前に言ったのに忘れたの?」的な言い方に少なからずショックを覚える。
   誕生日だったので夜に旦那が来てくれたが、半ベソの為に話す事もできない。
   偏頭痛が起こってしまうが、看護師は来るわ、先生も来るわで偏頭痛の薬を飲む
   タイミングを失い大変な目にあう。担当医が旦那を別の場所へ連れ出して今回の
   件を説明してその夜は終わり。

    昨夜までは糖尿病の疑いも晴れ、ようやく治療開始になるとホッとしていたのに
   せっかく希望の光が見えかけていた所なのに真っ暗闇に戻されてしまった。
   担当医の「誕生日だったんですね」と言うセリフに大いに腹が立った。

  




    二日近く何も食べられなかったので体重も一気に落ちる。担当医は朝晩心配して
   顔を見に来るが、相手にする気にもなれない。ちょうど週末に当たったので外泊許可
   を出してくれたので家に帰った。でも不思議なもんだ、入院したての頃は「今の状態
   で普通の生活などとても心配でさせられない」なんて言ってたのに。この日から外泊
   どころか外出も自由に出来る様になった...ワケ判らん。



    家に帰り、映画を観に行ったり買い物に出かけた。食事制限はしなくて良いと
   言われたのでケンタッキーや寿司などを食べるが、食べたくてもあまり食べられない。
   家にいる間は高速通信を駆使して膠原病及び骨髄検査の事を調べ上げる。久しぶりに
   ワンを触ったり、気持ちの整理に努める。友人達にも連絡して勇気をもらったりした。





    週が明けて病院に戻る。病院に入ったとたんトイレの不潔っぽい臭いが不快だった。
   午後に担当医が顔を見せたので骨髄検査のネックである「痛み」について問いただす。
   骨髄検査が必要だとあれば受けるしか無い、けれど「痛み」については事前に知って、
   可能であるなら回避もしたかった。

    病院に戻っても検査はあるのかないのか、相変わらずダラダラと時間ばかり
   経っていった。そして翌日火曜日の夜、改めてSLEの可能性があるので骨髄検査を
   したいと言われた。私は再度「痛み」についてある程度の回避は可能なのかを
   追求した。その姿に医長がイライラしだして足をバタバタさせて音を出し
   「痛いのが嫌なら検査はしないで治療!!」と言って部屋を出て行った。
   

   
     なんだ~?その態度は!!!



    猛烈に腹が立ったが、残った担当医に更に「検査の痛みの回避」を追求した。
   担当医の主張としては安定剤のような眠くなる薬を使う所もあるが、それによって
   アレルギーなどのリスクを避けたいので局部麻酔のみで行うという。考える時間を
   くれると言うが、またそんな事をしていてズルズルされては気持ちも金ももたない
   ので、やる事にした。ただし、今度の土曜日は入浴日でないので金曜日に風呂に
   入れるよう計画を立てて下さいとお願いした。すると明日か明後日に検査をすると
   いう。ベッドに戻り、患者として医長に対する態度はいけなかっただろうかと少し
   反省しかかったが、やはり医長の方もいけないと思った。






    翌日相変わらず検査をするのかどうか判らない。逆に看護師に「検査するの?」と
   聞かれるざまだ。すでに昼ご飯も終わりかかった頃、旦那からメ-ルが来た。担当医から
   「患者の信頼が得られないので検査が出来ない」という内容の電話がかかって来たと言う。



    なんだそりゃ...。何で本人が知らされないの?




    軽~く怒りに火が点いた私は昼食もそこそこに電話をかけて真相を聞いてみた。
   昨日からの顛末を旦那に話すと私より旦那が怒り、内容はよく知らないが、折り返し
   担当医に電話で怒ったそうだ。30分近く言い合ったそうで、途中から担当医はすっかり
   タメ口調になってしまい旦那に「~って言ってるだろう」というような勢いになって
   しまったそうだ。改めて夜に話し合うとしたようだ。私も友人達に電話をして客観的な
   意見をもらった、やはり私が怒るのは当然で、怒る権利は医長には全く無いという結論
   に至った。



    夜になり、19時の面会時間も終わってしまった。「まだ来ないのかなぁ」と思って
   いたら既に担当医とサシで十分話をしたようであった。後日聞いた話だと二人だけで
   話をした時に旦那は担当医に「自分たちの人生や将来は先生にかかっているんです」と
   言うと、担当医は笑ったそうで旦那はヒドく傷ついたそうだ。どんな笑い方だったかは
   聞いてないが旦那にしてみればショックだったろう。間もなくして担当医が来てもう一度
   医長抜きで三人で話をした。



    まぁ話した所で担当医だって自分の上司をフォローするし、検査の手順だって変更
   してくれる訳ではない。この入院中のダラダラとした内容もこの病院では当たり前の
   事だと言う。明確な計画など立てられないのだそうだ。今までこういうクレームがついた
   事が無いと言われる。

   


    ??? でも担当医は今回入院するにあたって、病状は進行性があるけど早期発見
   できたから早期治療できて被害も早く食い止められるのが幸いだったと言ってたけど?




    しかしサシで旦那が話した時、旦那がかなり強硬に出たようで検査は一旦おあずけ
   となった。その代わりセカンドオピニオンという事で週一で東邦大学から来ている
   膠原病専門医が明日木曜日に来るので診て貰って、検査をするしない、場合によっては
   転院もすると言う。今の病院では膠原病の治療は出来ないのだと言う。


    えぇっ!?確か半ベソの日に「膠原病だとしても治療自体は変わりませんよ」って
   言ってたじゃん!


    っていうか、半ベソの翌日って木曜だったよ!何で先週に診て貰える様にして
   くれなかったの??今更ながらやるせない気分になった。このグズグズの二週間は
   一体何だったの? 膠原病の疑いが出た時点でお手上げだったら私の手を離して
   欲しかった。現在は膠原病の全身性エリテマトーデス(SLE)として治療を
   受けている訳だがあの以前の薄汚い病院ではあくまで「慢性腎炎の中の
   膜性増殖性腎炎」としてしか診断が付けられない医者についていた。要するに
   自分達の専門外の病気を抱えている患者を自分の経験を積みたいが為に
   専門医に渡したくなかった無知医者どもだった訳だ。


    今から思えば、おかしいと思った事はあった。腎臓内科の医者のくせに食品
   成分表の「塩分使用量とナトリウムの違い」が説明できなかったり、腎生検だって
   情報とは違い、腎生検後の安静より腎生検そのものが不慣れみたいでスゴく痛かった。
   転院のキッカケとなった骨髄検査だって痛さはどれ位なんですか?」と聞いても
   「骨髄を抜く時に痛いって聞きますねぇ」なんて、聞いた話の様で本人はやった事が
   無い様子であった。


    まぁつまり、以前の薄汚い病院の腎臓内科という所は今年でようやく3年目を
   迎える出来立ての無知無知科なワケで「患者の命よりいかに自分達の経験を積む」
   と言う事に重きを置いている。だから腎臓自体が問題ならともかく今回の私の様な
   腎臓は二次的症状の場合は二人の無知医者が教科書片手に頭を寄せ合って患者ではなく
   自分達の今後の為の事をカンファレンスするって構図だ。それでもって患者や
   その家族が疑問を持つと簡単に逆ギレする。大切なのは患者の体や人生ではなく
   自分達の今後だ。





    大体、現在の病院に転院して「骨髄検査の必要性など一言も言われていない。
   血液検査で大方判ってしまうそうだ。そして症状によってMRIだのCTだのエコーだのと
   人それぞれ検査はある。あのまま薄汚い病院にいたら不必要な骨髄検査はやられるわ
   治療を始めたとしてもステロイドの副作用は出るわで人生終わってただろうな。
   SLEが難病である以上、患者としてもある程度の実験体である事はしかたが無いとは
   思っている。しかしながら単に無知な医者や病院の経験を積ませる協力はお断りだ。

   





    翌日膠原病専門医の女医さんの診察を受けた。開口一番「治療は嫌なんですか?」
   と言われた。私は唖然としながらも「治療を一刻も早くする必要があると言われて
   入院して、私自身早くして欲しくて待っている」と言った。今の私は例えるなら火事が燃え
   盛って いて一刻も早く消さなければならない状態なのに、二週間も放ったらかしだったので
   私が治療を嫌がっていると受け取ったらしかった。
    
    先生は担当医の手紙に「専門の所への転院を勧めるように」と書いてあると言った。
   何てこった、私がすっかり悪者やん。女医さんは専門医のいる所へ早く転院した方が
   良いと進言してくれた。東京出身の私は横浜などにはこだわらないと伝えると、東京の
   大学病院へ即座に連絡を取り、あっさり明日転院が決まった。女医さんが傍にいた
   看護師に「この病院は車で送ってあげないの?」と言うとバツの悪そうな顔を
   したのを私は見逃さなかった。もちろん転院の際、最寄り駅にさえ送迎などしてくれは
   しなかった。まぁこんな病院に期待もしてない。


    旦那を始め、心配をかけた友人達にも連絡を取る。当分横浜には帰って来れない
   ので友人の一人はその日に会いに来てくれた。夕食を済ませても転院の詳しい事が
   判らない。しかたないので自分で転院先のHPを見て必要な情報を集める。




    いくら先生と合ってもその上の人間や組織の誠意が無ければ私としても先生を取る
   ワケにはいかない。先生だって組織の一員となれば受け持ちの患者も単なる金儲けの
   手段となってしまうのだろう。先生もまだ若手だからこれからの事だってあるから患者
   より組織が大切になるのも残念ではあるが理解できる。




    後日旦那に聞いた話だと担当医とサシでやり合った時に医長が様子を伺ってずっと
   周りにいたそうだ。旦那は「もしや」と思い医長の悪口は控えたそうだった。話が一段落
   してから「○○です」などと名乗り、「奥さんインターネットやってるそうですから何か
   情報がありましたら教えて下さい」などと笑えない事を抜かしたそうだ。小物野郎め!!




    


    



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