さよならテンコレ先生
なんかマンガのタイトルのようになってしまった。 中山典之六段が亡くなられました。 僕にとって、特別な人でした。 気分的に、一人称は「僕」です。 僕が小学校五年の初夏、その頃は二段くらいだったか。 長野県の片田舎に住む僕は、初めて「プロ棋士」と呼ばれる人と打つことになったのでした。 長野県出身のプロ棋士、中山典之六段です。 五子置いて、けちょんけちょん。 僕は僕で「強い人がいるもんだなぁ」と思っていましたが 中山先生も「序盤はまだまだだけど、力が強い」と思ったとか。 ヒカルの碁が始まる前でもあり、囲碁を打つ子供が少ない頃だったこともあるのか、目にかけてもらえるようになりました。 数ヶ月に一度、長野に来るときには打ってもらうようになり、連敗を続け。 約一年後に、初めて五子で勝った時には、ちょっとうれしかったな。 紆余曲折あって、僕が趙先生のところに内弟子となったときにも、中山先生の口添えがあってのこと。 少年期の僕にとって、欠くことのできない人でした。 中学以降、ほとんどお会いすることはありませんでしたが、中山先生の著書、雑誌のコラムを見るたびに思い出していたのです。 最後にお会いしたのは、ちょうど2年前の阿含・桐山杯での試合会場で。 その頃から、少しお体を悪くされていたのか、海外普及やイベントなどの活動を少なくされていたようでしたが、作務衣姿で飄々とした佇まいを見て、安心したのを覚えています。 いろいろとお世話になっておきながら、改めてお礼もできず、残念です。 中山先生、本当にありがとうございました。