|
カテゴリ:愉快なサラリーマン時代(20代)
先日サラリーマン時代の懐かしの先輩から、30年ぶりくらいに連絡(メール)がありました。
FPジャーナルの私の記事を知り合いのFPから紹介されて、見て驚いてメールを下さったようです。 サラリーマンの4年間は、今の「社会人の基礎」を築かせていただいたという事で非常に感謝しています。 上司に非常に恵まれ、新人の私を完全に信頼していただき、イケイケドンドンの滅茶苦茶な営業を陰で支えていただき、今でも感謝しております。 あれは、山陰地方の建材ルートの営業をしていた時でした。 同じエリアですが、「担当外(別ルート)」だったホームセンターに自社の商品がありましたので、いつもの様に挨拶を兼ねて状況視察とヒアリングしていた時です。 たまたまそこに本部(当時日本有数のチェーン店)の商品部長がおられましたので挨拶をすると、「○○さん、丁度いいところに来てくれた。あんたとこの商品、売れないから、全店すべて引き揚げてくれ」と。 これには正直、「責任」とこの場で「即断」しなければならないというプレッシャーに全身の血が逆流しました(笑)。 たまたま気楽な気持ちで立ち寄っただけなのに、なんでこんな大事な決断を下さねばならない立場に追い込まれるのかと、一瞬後悔しました。 しかし店の現状を見ると、確かに売れ行きが悪いですが、分析すると売れ行きがアイテムによりバラツキがありましたし、今この部長の前で責任回避の返事をすると「男としてバカにされる」という変な意識があったものですから、2,3秒置いて「わかりました。私の責任において全店引き揚げます。ただ売れ筋アイテムを残し、返品分(死に筋)を売れ筋アイテムと交換してください。」と、自社スペースを死守する条件を提示すると、何とかこの条件で部長も承諾してくれ、最後に私は「部長と私の約束です。必ず守ってください。」と帰社してからの「紛争」を想像しながら部長の眼を「凝視」しながら念を押したのを思い出します(笑)。 案の定帰社してから、先輩の営業担当や担当問屋から非難轟々の嵐でした。(上司は、人前で私を叱り飛ばし、裏では褒めてくれましたが)特に担当の問屋の社長への謝罪にも、部長命令で行かされました。 しかし、その問屋のある重役に「ようやってくれた。お前はオモロイやっちゃ。」と褒められ、逆に仲良くなってしまいました(笑)。 結果、瞬間的に赤字も出しましたが(社内的には始末書を書かされ個人査定がマイナス)、ロングスパンでプラス(会社が)となりましたので、メデタシメデタシかな。 何よりこの経験で、「待ったなしの決断」の重要性を感じました。 誰でも唐突に決断(もちろん責任を伴う)を迫られる事があり、日々の「小さい決断」の積み重ねこそが、大きな決断を誤らせないと思うのです。 そんな思い出の一杯詰まったサラリーマン時代でしたが、今その先輩に「同窓会」企画を頼んでいます。 これも楽しみにしています。ネット時代になると、このような思いもよらない「再会」が可能になるんですね。面白い世の中になりました。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.10 17:47:20
コメント(0) | コメントを書く
[愉快なサラリーマン時代(20代)] カテゴリの最新記事
|