2013/09/17(火)14:17
寿命が縮んだ織物時代・・・
今でもよく、織物時代の夢を見てうなされます・・・(笑)
何なんでしょう、織物時代の後遺症か・・・
まァ、特に織物時代の後半10年間が大変だったという事でしょう・・・
多品種小ロットが極端に進むだけでなく、織工賃も下がり、言われのないマーケットクレームに悩まされたり・・・気の休まる時がありませんでした・・・
少品種大量生産は輸入品に替わってしまい、残ったパイを国内業者の奪い合いになり、消費者の目が厳しくなりました・・・
日本のグローバル化の洗礼を、織物業界が一番先に受けていたという事かもしれません・・・
工場は土日関係なく24時間フル稼働で、月産20万mも生産していましたから、ちょっと「欠点」を見逃すと、それだけで何十万円の「被害」です・・・
自分が寝ないで24時間工場で泊まり込みをしたい心情でしたが、そういう訳にもいかず、残念ながらある程度従業員に任せなくてはなりませんでした・・・
実際毎日15,6時間仕事するのは当たり前で、心理的には夢でも本当に「仕事の計算」もしていましたので、24時間働いていた事になります・・・(笑)
まァ、中小企業の経営者は誰でもそうだと思いますが・・・
従業員は、注文を取ってくる営業の苦労や、製品を出荷した後のクレーム処理の苦労は知りませんし、けっして分りません・・・
サラリーマンは、気楽な稼業というのを羨ましく思ったりもしました・・・
しかしよく、夜中にパッと目が覚めるほど、自分独りで悩みましたねェ・・・
新しい機械(エアージェット織機)を導入してからのほぼ20年間は、前半は社長である父親がいましたが身体が弱かったので、私が営業も現場も全て掌握していました・・・
20年間、肉体的には限界ギリギリまで働きました・・・30代前半から40代後半でしたから、若く耐えれたのでしょう・・・
お金儲けという事を考えれば、けっして効率的とは言い難いですが、自分の能力の「限界」を知っただけでも儲けモノです・・・
しかし、身体的には重いモノを小学生の頃から持ったりしてヘルニアで腰痛が悪化し、工場の機械音が100デシベルでしたので、医者から「一生治らない」と言われていた難聴でした・・・
心理的には、いつも受注の苦労や新規織物を織った時の気の遣いようで、精神疾患になる一歩手前だったかもしれません・・・
正に、織物業に幕を下ろした7年前は、心身ともボロボロの状態だったのです・・・
もし1年廃業が遅れていたら、自分が「壊れて」取り返しのつかない事になっていたでしょう・・・
その「後遺症」が、未だに夢となって現れるのでしょう・・・
しかしこの後遺症も、死ぬまで私を追ってくるのでしょうか・・・
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