2014/09/25(木)05:38
貝塚市「千石壮病院」跡地11万坪の計画は・・・?
先日、町内選出の「川岸さだとし」市議会議員の活動報告書の中で、千石壮病院跡地の活用計画の記事が載っていました・・・
それによると、37ha(約11.2万坪)の広大な敷地面積の千石荘病院等の跡地を、昨年大阪市から貝塚市が購入したようです・・・
その広大な跡地利用をどうするか・・・?
未だ、一部しか決まっているだけで、あとは何も決まっていないようです・・・
今一生懸命、市がイロイロと考えているのだと思います・・・
しかし、市だけでは自ずと限界があると思いますので、普段チョロチョロ市内の物件の賃貸や売買の仲介をしている我々零細の地元不動産業者も、介在の余地があると思います・・・
これだけ大きな物件だと殆ど不可能かもしれませんが、可能性はゼロではないのです・・・
大学やテーマパーク、リゾートホテル、国際会議場、研究所、総合病院・・・
何か?日本や関西に足りないもの、無いもの、欲しいもの・・・
何も日本企業に限らず、日本との合弁や海外企業でも可能だと思います・・・
関空や日本第2の大都市「大阪」からも近く、海も山も近い貝塚でしかできないもの・・・
一体、何でしょう・・・?
それを考えた人や企業が成功者です・・・
もしここに素晴らしい施設が出来れば、隣接している我が町(名越)だけでなく、地元建築土木業者や、その施設で働く従業員や来場者の為の宿泊施設やショッピング関連(衣食住)の波及効果を考えれば、地元貝塚市に及ぼすその経済効果は計り知れません・・・
泉佐野や岸和田の陰に隠れて目立たない存在だった貝塚市も、これで少しは浮上出来るかもしれません・・・
そういう意味で、絶対誘致に成功させたいところです・・・
という事で、このブログを見られて「是非事業化したい!」という企業さんがおられれば、弊社が窓口になって貝塚市と交渉いたしますので、宜しくお願いします・・・
しかし、この千石荘病院周辺・・・近かったもので、子供の頃によく遊んだものです・・・
町内の子供らでソフトボールチームを作って、野球グラウンドや広場で遊んだものです・・・
背番号が、また面白い・・・みんな自分の家の「屋号」をつけるのです・・・
五左衛門は5番、八平は8番、中左衛門は23番、与平は4番、六左衛門は6番・・・私も含め、本家筋でない屋号のない分家筋の家は好きな背番号をつけていました・・・
私は仁左衛門の分家でしたので(本当は惣治郎という屋号があった)、子供ながら本家に遠慮して2番をつけず、当時好きだった巨人の王にちなんで1番をつけました・・・(笑)
夏は蝉取りの宝庫で、耳が痛いくらいアブラゼミやクマゼミが沢山いました・・・
家が織物業でしたので、親父に物干し竿に自分ちで織った布を1メートルくらいの長さにして網を取り付け、重いのでフーフー言いながら蝉取りをした思い出があります・・・
とにかく千石荘病院には患者さんや医師や職員、見舞客、看護学校と沢山の人がいましたので、とても賑やかで病院に遊びに行くのが楽しみだったのです・・・
だんじり祭の時も、毎年病院2か所の玄関まで慰問に行き、名越町恒例の屋根で「三々七拍子」をヤッテいたのです・・・
木島小学校の校区でもありましたので、町別対抗リレーで「千石荘チーム」や「大良チーム(橋本寄り)」が組めるほど周辺に沢山住んでいたのです・・・
そんな賑やかな時代を知っているのも、もう50歳以上の地元の人だけになってしまいました・・・
千石荘病院等跡地利活用構想計画
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