2017/03/29(水)06:42
ヤッテみないと分らない・・・これまでの新規事業参入
最近、年取ったのか、昔の事ばっかり考えます・・・(笑)。
過去は変えられませんし、その反省をしているのか・・・(笑)。
私の過去30年の仕事遍歴を振り返ると、
1.織物工場の設備一新(工場の新設とシャットル織機から最新式エアージェット織機へ更新)→ 30歳
2.トランクルームへ転業 → 49歳
3.不動産仲介業の兼業 → 51歳
4.リハーサル音楽スタジオに新規参入 → 59歳
この4つをやってきた訳ですが、いずれもヤル前は「どうなるか(右に転ぶか、左に転ぶか)、全く分からない?」というのが正直なところでした・・・
もちろん事前の準備や計画には万全を期し、100%自信満々で臨む訳ですが、コトはそう簡単に進むはずもありません・・・
20年前に社長だった父親が急死しましたが、まだ織物業の景気がマシだったことも幸いしました。
当時から営業も現場も私主導で会社をコントロールしていましたが、いざ亡くなってみると、これほど心細いものかと・・・(涙)。
しかし家族と従業員を守るために、気力を振り絞り目の前のやるべき事を一つ一つ片づけていくしかなかったのでした・・・
しかし、ヤッテみてイロンナ事が徐々にワカッテきて、毎日カイゼンカイゼンの連続で、日々を乗り切ってきたというが実感でした・・・
振り返ってみて、新しい分野に飛び込むには勇気が要りますが、「思い切って、ヤッテ良かった・・・」と思います・・・
しかし、先ず30歳で決断した1の織物機械(織機)の更新で失敗すれば、2も3も4も無かったのは言うまでもありません。
これらは1という土台があったからこそ出来たのであって、先ずエアージェット織機の経験ありきだったのです・・・
その1は、私の人生の中で1番の「大勝負」でした・・・文字通り何億も設備投資し、生死を賭けた戦いでした。
正に、人生のターニングポイントです。
やはりビジネスで成功を狙うには、リスクが必ず伴うものです・・・
その1のエアージェット織機も、その2年前の「中古シャットル織機」の更新に失敗したのが原点でした。
4年間のサラリーマン人生に別れを告げて家業の織物業に戻ってきて初めて手掛けたのが「織機半分の入れ替え」でした。
60台あったシャットル織機の半分の30台を、これまた中古のシャットル織機に入れ替えたのです。
当時はまだ、最新のエアージェット織機でも未完成で、導入するのは時期尚早と判断して、シャットル織機の中でも「ユニフル式自動織機」という弊社にあった力織機よりも回転が速く効率の良い織機を「とりあえず」導入したのでした。
ただ、元が中古織機なので何処かを新品の部品に入れ替えて、ウマく動かないのです・・・
元遠州織機のエンジニアだった人の浜松の家で1週間籠って、朝から晩までユニフルの分解組み立て作業に没頭し必死に修理技術を覚えました。
その甲斐あって、ユニフル修理だけでなくその下のマガジンの修理も自分でデキるようになりました。
しかし、所詮中古です。
どう足掻いても、新品にはならないのです。
中古の機械をいじくりまわして、やっと気が付いたのです・・・
正に、「安物買いの銭失い」という諺を文字通り身を削って実感しました・・・
「ヤルなら、思い切って!」というのを心の底から身に染みて感じましたので、その後の織機更新でも新工場まで建設したり、自宅の新築にも至ったのでした・・・
ヒトそれぞれの考え方や人生観や感性なんて、学校で学ぶ通り一遍の勉強や読書だけで固まるのではなく、こういったひとつひとつの経験の積み重ねによって徐々に築き上げられていくのでしょうねェ・・・
まァ、中古機械と言えど、工場を多少改造し30台も買っていましたので、このまま辞めれば損です。
エアージェット織機を導入てからも2年間同時並行で稼働させ、たまたまそこそこの値段で売却先が決まりヤレヤレという感じでした・・・(冷汗)。
しかし、結局トータルで30台の中古織機導入を計算すると赤字でした。
まァ、高い授業料でしたが、織機の基本技術を覚え、次のエアージェット織機技術を覚えるベースになったのかと思うと、結果オーライです。
中古織機導入は確かに失敗でした。
しかし、それで学んだ事が次のステップに役だったのです・・・
「失敗は成功の元」という事ですかねェ・・・
この中古シャットル織機の技術を覚えるのに、たまたま偶然にも素晴らしい出会いがありました。
近くの鉄工所で隣村の「織機の神様」と言われる方と偶然出会ったのです。
それが縁で、懇切丁寧にイロイロとノウハウを教えて頂いたのが技術的に一皮むけたように思います。
「隣村」という縁だけでこのような展開になったのです。
「テルちゃん(父親)の息子か・・・」「惣助はん(祖父)の孫かいな・・・」というだけで、親しみを感じてくれたのです・・・
もちろん先祖を辿れば、隣村ですから先祖同士が親戚や友人だった事に繋がっていくでしょう・・・
私は何もしていませんが、先祖のお蔭でこのような出会いに繋がったのかと考えると、先祖に感謝以外ありません・・・(涙)。
という事で、1から4までのストーリーも、結局その前の「失敗ストーリー」という基礎があったから成り立ったストーリーだったのです。
当り前の事ですが、人生というのは、結局ずっと繋がっているんですねェ・・・
今ある自分は、結局「過去の積み重ねの結果」です・・・
学歴、血縁、地縁、運動歴、思想、病歴、恋愛歴、失恋、出会い、別れ、家出、旅行歴、音楽歴、成功、失敗、挫折、起業、廃業、結婚、離婚、未婚、出産、就職、離職、リストラ、転勤、転職、転業、倒産・・・・・・「人生の集大成」が、もう60にもなると顔に現れます。
自分でもビックリしますが、もう60年も生きてきています・・・(笑)。
もう当たり前すぎて、ついつい見落とし(忘れ)がちですが、自分がこのブログを書く事によって自戒しているのかも・・・(笑)。
この間生まれてきた孫から見れば、もう立派な「おじいちゃん」ですが、80歳の老人から見れば「まだまだ若いなァ・・・」です。
事実は1つ、考え方は2つです・・・
どう捉えるかは、自分の自由です・・・
いずれにしろ経営が安定している大企業と違って、零細企業の経営は不安定ですので、常に何かを提案しカイゼンしていかなければ経営が成り立ちません・・・
止まったら、オワリを意味します。
見方を変えれば(イイようにポジティブに考えれば)、零細企業経営は波乱万丈でエキサイティングな人生を送れるという事か・・・(笑)。
なんてことを考えながら、この1年前にスタートしたスタジオ経営に特に力を入れて頑張ってきた訳ですが、ヤッテみてイロイロ分かってきた事が多いです。
ヤリながら、スタジオ全般の動向を見ながら、修正修正の連続・・・とでも言うのでしょうか・・・
会員数350人を超え、音楽(バンド、個人)の利用が90%です。
残り10%がダンス等です。
当初からドラムの個人練習が多かったのですが、このところバンド練習が増えてきています。
やはり、スタジオ経営は客単価の高いバンド練習が入ってナンボですから、この傾向はイイですねェ・・・
この調子で会員数が1000人に増えてリピーターも多くなれば、ドラムとダンスの個人練習の予約が取りにくくなるでしょう・・・
そうなってくると、「Bスタジオ構想」が浮上してしてくるのです・・・
もうここまで来たら、決して急がず、焦らず・・・
スタジオ経営は所詮「水商売」なので不安定で、設備投資金額(防音&防振)の割に客単価が低いので決して儲かるものではありません。
スタジオに客が溢れだしてから行動に移しても遅くはないでしょう・・・
まァ、ボチボチ足元を固めながら確実に歩んでいこうと・・・
今日の最後の妄想はココまで・・・(笑)。
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