トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

2021/11/24(水)08:51

松平健主演の地元ローカル「水間鉄道」ドラマ

地元情報(貝塚市)(138)

地元貝塚のローカル鉄道「水間鉄道」のドラマ(アワーホーム)に超有名俳優の松平健が主演しています。 ホンと驚きですね~ ドラマの内容は、水間鉄道を取り巻く心温まる人間ドラマ、鉄道に関わる人たちが織りなす3つの物語だそうで、本作は大阪南部貝塚市を走る水間鉄道が全面協力し、クラウドファンディングで鉄道ファンを中心に1000万円を超える資金を集め、本気のドラマを制作し、地域の魅力を全世界に発信し、騒ぎを起こすことで世界中から人を呼び込む作戦の第1弾という事らしいです。 水鉄は大正時代に水間観音への参詣鉄道として敷設されて、途中で交差しているJR阪和線より古いのでその下を走っています。 単線で私の地元の名越駅で交差して、小学生の頃は名越駅にも駅舎もあり南海本線から貨物車がありました。 祖父から聞いた話ですが、大正や昭和初期の車(トラック)の無い時代は、水間鉄道沿線は日本一織物業者のが集積している地域でしたので、明治から大正時代は大阪市は「東洋のマンチェスター」と称されるほど繊維産業が盛んでしたので、大阪市内の紡績工場で作った糸が南海本線経由で貨物車で名越まで運ばれて来て、木島や葛城地区の織物工場が牛車を引っ張って名越まで糸を取りに来ていたようです。 そんな昔から地元で愛されていたローカル線ですが、私も保育園児から一人で乗っています。 生まれて初めて水鉄に1人で乗ったのが、保育所の友達から「水間線にタダで一人で乗れるぞ」と言われ、森から名越までの1区間だけ恐々乗ったのを思い出します。 名越で降りて駅員さんに「タダ乗りやってきたどォ!」と言うと、駅員さんから「チョッと待て!」と、親に手紙を渡すように言われました。 恐らく幼児の乗車は無料ですが、保護者と一緒に限るとか書かれていたでしょう・・・(笑)。 父親から「一人で乗ったらアカンどォ!」と一言怒られて終りです。 小学生の頃はドアはまだ手動でしたので、降りるときは未だ電車が止まっていない動いている状態で、スリルを感じながら降りるのが小学生の間で流行っていました。 もちろん車掌さんにチョット注意されもしましたが。 今考えるとPTAも真っ青ですが、当時それが男の子の普通の遊びだったのです。 アホな誰かが電車が全速力で走っている時にドアを開けて田んぼに落ちてから、規制が厳しくなりました。 まぁ50数年前までは、そんな大らかな時代でした・・・(笑)。 という事で、そんな地元ローカル線に乗って「スタジオ0724」までやって来る高校軽音部の生徒さんが名越駅(スタジオまで徒歩4分)で乗り降りしてスタジオまでギターを担いでゾロゾロ歩くのが、今チョットした地元名越の風物詩になっています・・・(笑)。 しかし松平健が主演となると、ギャラを払えたのかと・・・こっちの方が気になります。 そして下のYOUTUBEに出てくる「水間の三重塔」を江戸時代にうちの本家の仁左衛門(屋号)が宮大工の棟梁として建立した関係で、曾祖父の父親が水間の庄屋・楠右衛門(「お夏清十郎物語」のお夏の生家)から名越の仁左衛門に養子に来ていたのも不思議な縁ですねェ・・・ 全国的にも珍しい塔筋(とうすじ)さんという名越村に沢山ある名字も、「江戸時代は建物が低く名越から三重塔を見れたようで、仁左衛門一族の建築集団が何年も掛け名越から水間までゾロゾロと歩いて行った様子から、<名越は三重(塔)への道(筋)>だった・・・」という事から名付けられたと、親戚の塔筋さんの先祖からの口伝があったようです。 仁左衛門の次男で生まれた曽祖父は、楠右衛門の親戚の水間の笹谷家と合法的に養子縁組をして長男になった事により日清戦争に行かずに済み、名越唯一の武士(岸和田藩足軽)の石原家の娘と結婚して祖父が生まれたのです。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798  mail: info@sasatani.com にほんブログ村  にほんブログ村 にほんブログ村  大阪府 ブログランキングへ

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