トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

2022/09/27(火)17:57

社長歴25年!(創業73年)

中小企業の生きる道(195)

私が41歳の厄年の時に、織物会社の社長だった父親が持病の心臓病で急死しました。 25年前の事です。 それから父親に代わり、ずっと会社の経営をしています。 まぁ、社長歴25年・・・という事になります。 四半世紀・・・という事です。 普通のサラリーマンでも同じ会社に25年間も勤めるのも難しいと思いますが、小さいながらもそれをずっとトップですから・・・誰も褒めてくれませんので、自分で自分を褒めてやりたいと思います(笑)。 会社自体は祖父が1949年に織物業を創業してから、中身は変わりましたが73年経ったのです。 大手企業のサラリーマン社長はせいぜい数年で社長交代しますが、オーナー企業は長いのが普通ですが、改めて振り返ると25年はホンと長かったなぁ感じます・・・(汗)。 規模は小さくても零細企業のオーナー経営者は、会社に対して全責任を負っています。 この辺がナンバー2の専務とは全く違います。 織物時代は借金があり銀行に対して個人保証をしていましたので、裏を返せば業績がダウンして一歩間違えれば、会社倒産と同時に自己破産に直結するという非常にリスキーな立場だったのです・・・(汗)。 それを25年も続けてきました。 実際には工場を新設した35年前から「病弱な親父に代わってやらねば・・・」という覚悟ができていましたので、父親の急死で何の引継ぎもありませんでしたが、その覚悟の上での実務経験が「助走」となって事業継承が割とスムーズにいったのだと思います。 要は覚悟・・・ある意味「諦め」です。 まァしかしいくら社長、社長と言われても実際はそんな甘いものではなく、バカ息子みたいに浮かれている場合ではなかったのです。 その証拠に、社長としての最初の仕事は、親父の趣味であった車の買ってまだ1年足らずのシーマを売却して運転資金に回した事です。 見栄を張りスーツを着てシーマに乗って銀行や取引商社に行っている場合ではないという自分に対する戒めで、作業服姿で軽トラに乗っていく方がよっぽど銀行に好感を持たれますし、実際ミジンと油だらけの身体をシャワーしたり着替えている時間もありませんでした。 人間というのは弱みがあると見栄を張り、自信があると自然体という心理が働くもので、こんな非常事態の時でもまだ余裕があったのか・・・(笑)。 父親が亡くなった頃は、まだ3人の子供は小中学生でしたし、仕事も家庭も支えるのに必死で振り返る余裕もなく、駆け抜けた25年でした。 社長業を始めて痛感したのは「家の代表」も加わりモロモロの用事が増え時間が足りなくなる事で、商工会議所や経済クラブを辞め、その他の付き合いを全て見直して時間を作り、好きだった祭前の寄り合いも出る事なく、1分でも多く仕事に集中できるようにしました。 その間に工場火災に見舞われて廃業しようかと一瞬迷いましたが結果的に織物業を続け、16年前についに織物業を廃業し、会社をそのままに定款を変えてトランクルームに転業したのが人生最大のイベントでした。 その2年後にリーマンショックがありましたが、早く転業して命拾いをしました。 それから宅建士試験に一発で合格して不動産仲介業も始め、音楽スタジオ、レンタル自習室、卓球場も始め・・・今に至ります。 アッという間の25年と言えるでしょう。 裏を返せば、もっともっとアッという間に今から25年経って、90歳になるのです・・・(汗)。 人生って、ホンと早いモノです。 だから1日1日無駄にせず、一期一会的に人との出会いを大事にしなくては・・・と思うのです。 という事で、父方は家系的に短命ですので気をつけなければと思いますが、どう考えても66歳と言うのは立派なオジイサンに分類されますので、100歳まで長生きする為にも自分の身分をわきまえつつ、子や孫のアドバイスにも真摯に向き合いたいと思います・・・(汗)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798  mail: info@sasatani.com にほんブログ村  にほんブログ村 にほんブログ村  大阪府 ブログランキングへ

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る