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カテゴリ:中小企業の生きる道
一体、毎日自分がやっている仕事が世の中と「どう関わっているのか?」という根本的な問題をフッと考えたのが、織物時代の働き盛りの40代前半でした。
疑問・・・とも言えますね。 しかし、極力そんな事は考えないようにしました。 何故なら織物工場は年355日24時間エンドレス稼働で日々の仕事が忙しすぎ、親父の急死て自分が経営者として会社を引っ張っていかなければならず、子供3人を育てていく義務があったからです。 立ち止まる事は許されませんでした。 当時父親から受け継いだ織物会社は当初は伊藤忠100%の下請け(委託生産)でした。 営業と言っても「何か仕事ありませんか?」という情けないセールストークでした。 サラリーマン時代のイケイケドンドンの営業マンだった私にすれば、何とも屈辱的な仕事だったのです・・・(涙)。 しかし、それでも相手が売上何十兆円もある超大手企業なので潰れる事はなく、月2回現金振り込みという非常に安心した取り引きだったのです。 ある意味、これ以上恵まれた取引はなかったのですが、これがその数年後に製造業である織物業から全く畑違いのサービス業であるトランクルームへの転業となると、一筋縄ではいかなかったのです・・・(汗)。 19年前に織物業を廃業してトランクルームへの転業半年後くらいに、織物時代の後半は取引先は繊維商社や産元や紡績に分散していましたので、久しぶりに大阪船場のそういったところに挨拶に行くと何人かに「売上せいぜい月20万くらいでしょう?」とか「どこのトランクルーム業者に頼んだの?」とか人をバカにした言葉を投げかけられ腹が立ちました。 やっぱり織屋に対して「注文してやっている」という上から目線があったのです。 しょせん賃織り(委託生産)なんて下請けで、転業したと言っても一人では何もできないでしょう(誰かに頼らないと生きていけないでしょう)・・・と言外に言いたかったのでしょう。 確かにそうかもしれませんが、「今に見てみろ」と心に決めたのは言うまでもありません。 幸い私の場合は織屋を継ぐ前に全く異業種のサラリーマンを4年を経験していましたので、この営業経験と織屋の現場で培ったカイゼンをミックスしてトランクルームという新天地に挑戦しました。 しかし最初からトランクルームの集客につまずき、1年半は同業の織屋の現場で働き、臥薪嘗胆の日々でした・・・(涙)。 そりゃ、そうです・・・全くの新しい仕事をだれにも頼らず自分ひとりでやろうとしたのですから。 「あいつはトランクルームに失敗し、結局よその織屋で機織りしているわ・・・」なんていう噂も聞きましたが、確かにその通りで反論の余地もありませんでした・・・(涙)。 確かに人間というのは人の失敗に喜び、成功を妬む・・・というモノです。 いずれにしても、織物業を廃業してトランクルームに転業したことで手持ちの資金がなく子供3人のためにも働かざるを得ませんでしたが、無借金になった事で精神的に大きな負担がなくなり、それが社長というプライドを捨て恥を忍んで12時間よその会社で機織りをして、夜中の2時に起きて3時間宅建士の受験勉強を9か月やって1発で合格を勝ち取った原動力だったのです・・・(汗)。 トランクルームが失敗しても、宅建士を取れば事務所で一人で不動産仲介でメシが食えるだろう・・・と。 4時間しか寝れずに12時間歩きっぱなしの機織りをやってからの受験勉強でしたので、とにかく眠くて眠くて・・・ブラックガムを常に嚙み、目覚ましの目薬を差し、手の甲に嶮山の針を刺し、時には頬へのグーのフックで脳ミソを揺らして眠気を吹っ飛ばして勉強に励みました(汗)。 これだけやってダメなら、他の道を探そう・・・と心に、背水の陣を敷きました。 まぁ大学受験に失敗して2年も浪人した時もそうでしたが、まぁ長い長い人生でこういった時期も必要です。 それどころか、父親の心臓の手術で完全に織屋の現場から離れることができず大学にも満足に通えず1年留年してしまいました。 もう散々な青春だった・・・のです。 まぁ落ち込んだ時期が長いければ長いほど深ければ深いほど、その後の回復のジャンプは大きいと・・・思いたいです。 まぁしかし日本の繊維業界の流通は長い分歴史も古く、商社と織屋の関係も明治時代に遡りますが、昨今のグローバル化とインターネト時代でユニクロのような中間業者を排除したSPA(製造小売り)が世界中のカジュアル衣料を制覇していますので、いくら繊維商社と言えどアパレルやそれに近い生地コンバーターには頭が上がらず、いくら流通の中で頑張っても、よりエンドユーザーに近いポジションしか儲からない構造になってしまったのです。 という事で、織物時代は賃織りという下請けでイロンナ悲哀を味わいましたが、それの反省で「エンドユーザーと直接商売しなければ・・・」という強い思いから今のトランクルームや音楽スタジオを業者を一切介在させずに直接ユーザーと契約しているのです。 過去19年間で大阪船場の繊維業界も大きく変わり果て、伊藤忠の繊維部門は川中から撤退して川下戦略にシフトし会社全体として世界的な投資会社に大きく変貌して総合商社としてトップを争っていますが、他は繊維から完全に撤退してしまった大手合繊メーカー、紡績の織物工場をすべて海外に移転したり、繊維から撤退したり分社した繊維専門商社や・・・惨憺たる状況です。 会社は何とか残っても、当時私をバカにした担当者らは殆ど引退して、今頃一体何をしているのやら・・・? 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2025.01.18 15:31:59
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