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カテゴリ:中小企業の生きる道
大手企業の新卒の初任給30万円・・・という時代が来たようです。
当たり前の話ですが、サラリーマンと違って我々零細企業経営者は会社の業績次第で年収が常にアップダウンします。 サラリーマンのように働いても働かなくても毎月の給与が同じではなく、会社の業績がモロに年収を直撃し将来的に何の保証もないのです。 まぁ100%歩合制と言ってもイイでしょう。 サラリーマンは会社から就業規則や辞令に従わないと左遷かリストラか解雇で常に営業成績を問われ、我々零細企業のオーナー経営者は自分の好きなように仕事ができるという自由を手に入れます。 どっちが良いか・・・? それは人それぞれです。 大手企業の役員や管理職クラスになって自信をつけて独立しても失敗する・・・なんて例もいくつか見てきましたが、やはり独立起業というのは想像以上に難しいのです。 まぁ自分に自信がなければサラリーマンを選び、自信があれば経営者を選ぶ・・・というのが一般的かも知れません。 他人(会社)に言いなりになってイイのか、否か・・・です。 自分の本質、人生の生き方を問われます。 扶養する家族があれば、自分だけで簡単に答えを出せません。 それが問題です。 まぁそれを実感したのは、19年前に祖父の代から続けてきた泉州の地場産業だった織物業を完全廃業した時です。 次の仕事としてトランクルーム賃貸業を選んだ訳ですが、エアージェット織機や設備一式を中国に転売交渉をしてから機械類を全て搬出し、レイアウト図面を制作したり改造工事を依頼する工務店の選定をしている時点で既に無収入です・・・(汗)。 49歳で無収入なんて・・・想像を絶する心細さです。 三女はまだ学生でしたので、生命保険などを解約して授業料だけ何とか確保できましたが、日々の生活費のメドが立ちません・・・(汗)。 その現実に背筋が凍る思いでしたが、廃業する時に銀行に借金を全額返金して身軽だったので、まだ自分が働けば何とかなるだろう・・・と楽観していました。 これが廃業して未だ借金が残っていれば・・・正に地獄で、自己破産して財産をすべて失うだけでなく、長年生まれ育った地元から出て行かなくてはなりません。 地方や外国からの流入者が多く自分の出自がバレない都会なら然したる問題もありませんが、出自がバレバレの田舎だと代々言われ続け、これほど辛い事はありません。 まぁトランクルームに転業したと言っても当初は集客に苦労して殆ど売り上げがなく、とりあえず職安に行って繋ぎの仕事を探しましたが、50歳でほとんど織物業1本で生きてきて無資格なんて・・・どこも雇ってくれるところはありません。 これが悲しいかな、残酷な現実です。 あったとしても月15万円くらいしかない軽バンでの宅急便の下請け、病院や学校の夜警、塾のスクールバスの運転手・・・ それだと家族5人と母親を養えず、織物工場の土地や建物の固定資産税も払えません。 大手賃貸マンションメーカーの二次試験まで残りましたが、最初の3カ月だけ27万円を保証してくれますが、それ以降売れなければクビだ(100%歩合制)と言われ、そんな尻に火がついた神経をすり減らすような営業職は無理だと断念しました。 一体どうしたらイイのか・・・? 散々思案した結果、自分の持っている現場の織物技術をウリに、知り合いの織物会社社長に頭を下げて現場で使ってもらう事にしました。 朝6時から夕方6時までの12時間勤務で、昼休憩も30分にしてもらい少しでも手取りを多くなるようにしてもらいました・・・(汗)。 当時は時給850円くらいで日曜のみ休みでしたので、手取りで何とか30万円を確保し、生活水準を落として贅沢品を何も買わないギリギリの生活をし、宅建に合格するために日曜は12時間以上の勉強をし、覚えるべき事をリビングとトイレの四方の壁に貼り、車に乗っても音楽を聴かずに宅建CDを聴き・・・といった背水の陣を敷いた努力によって、50歳というハンディを乗り越えて何とか一発で合格できました。 この時の長年社長としてやってきたプライドを捨てた状況を、何と表現したらイイのでしょうか・・・? 背に腹は代えられない・・・気持ちで、プライドどころではないといったところです。 ここまで自分を落としてまで生きたいのか?・・・という自問自答の世界です。 その時私は三ツ松の左甚五郎の分家筋にあたる水間の三重塔を建立し代々宮大工の家系(名越の仁左衛門)だった次男で生まれ泣く泣く養子になった曽祖父の「名を捨て実を取る」という生き様を思い出し、その会社の工場の現場で機織りとして12時間働いたのです。 逆に言えば、自分は「他社でも通じる」という自信に繋げたのです。 他の経営者で私みたいに、プライドを捨て、技術で働ける人間はいないと思います。 だいたい万事休す・・・でしょう。 それほど経営者というのはプライドが高い割に、他社で通用する具体的なスキルがないのです。 サラリーマンとて同じで、社内出世ばかり考えていても、リストラやM&Aで会社を首になったあとで、他社でも通用するスキルがなければ家族を養っていけません。 そんなトランクルーム起業当初は不安しかない船出でしたが、何とか昔取った杵柄の織物スキルで窮地を切り抜け、他社の織物工場で働いていた1年半の間に夜中の2時に起きて受験勉強をして取った宅建士資格で、その後会社の定款を変えて業者としての免許も取り不動産仲介業も始めたのです。 そんな順調に見えた宅建の受験勉強も途中で妻の乳がんが発覚し、万事休す・・・と思われましたが、娘の一人が母親の代わりにトランクルーム経営を守ってくれ、何とか窮地を脱したのです。 この時ほど家族の絆が如何に大事か・・・と(涙)。 という事で、芸は身を助くと言いますが、織物業時代に経営以外に営業、織機修繕、タイイング、縦替え、経理、荷作り、フォークリフト、機織り・・・何でもこなしてきましたので、こういった「芸(技術、経験)」が窮地を救ったのです(汗)。 医者や弁護士や研究者といった本当のスペシャリストは別として、一般人はスティーブ・ジョブズが言うように、若い頃から勉強だけでなく遊びもイロイロ経験を積み重ねることが私のような事例のように、その後の人生に役立つことが多いのです。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「貝塚名越パーキング」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2025.11.25 16:11:04
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