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     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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人生訓

2019.04.08
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カテゴリ:人生訓
60オーバーになって、人生を振り返ることが多くなりました。

イロイロ考えると、ちょうど高校入学の1972年(昭和47年)が人生の大きな節目だったと感じます。

今現在、5つの仕事(トランクルーム、不動産仲介業、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室)の中でも、儲からないのに音楽スタジオの仕事に結構な時間と手間を割いています・・・(笑)。

たぶん、この先10年もそうかも知れません・・・

一体何故・・・?

そのカギを解く為には47年前の1972年まで遡らなければなりません。

1972年と言えば、私の中でブラスロックバンドのシカゴの「シカゴ5」とハードロックバンドのディープ・パープルの「マシンヘッド」のアルバム(当時はレコード)発表が真っ先に思い浮かびます。

「何じゃコリャ!」「カッコいい」・・・と衝撃的でした。

得にシカゴの「Saturday in the park」「Dialogue 」「All Is Well」、ディープ・パープルの「Highway Star」「 Never Before 」「Smoke on the Water 」「Lazy」「Space Truckin' 」が好きですねェ・・・

それ以外に洋楽では、レッド・ツェッペリン「Rock and Roll」、ドゥービーブラザーズの「Listen to the Music」、アメリカの「A Horse With No Name」・・・

そして1972年の日本では歌謡曲、フォークソング、ニューミュージックと色んなジャンルが入り乱れて大変な事になっていたのです・・・

私の好きな曲だけで言いますと、歌謡曲ではペドロ&カプリシャス「別れの朝」、青い三角定規『太陽がくれた季節』、 欧陽菲菲『雨の御堂筋』 、奥村チヨ『終着駅』・・・

フォークソングでは、よしだたくろう『旅の宿』、ガロ「学生街の喫茶店」、ビリーバンバンの「さよならをするために」、猫「地下鉄に乗って」、泉谷しげる「春夏秋冬」・・・

あとニューミュージック系では桑名正博が率いるファニー・カンパニー「スイートホーム大阪」や、キャロル「ルイジアナ」・・・

と、1972年は世界の音楽業界は大変な事になっていたのです・・・

その年は私は高校1年、つまり16歳の少年でした。

13歳の中学1年から洋楽の影響を受け・・・高校に入学したそんな多感な年頃に影響を受けないわ訳がありません・・・

最も好きなブラスロックバンド「シカゴ」の影響で、鳳高校入学と同時にトランペットを是非やりたいという事でオーケーストラ部に入りました。

当時は軽音楽部なんていう部活はどこの高校にもなく、吹奏楽部(ブラスバンド)かフォークソング部くらいしかなかったのです。

実はシカゴのブラスロックの影響がもちろん大きかったのですが、前年の1971年に世界中で大ヒットしたトランペット4本編成のブラスロックグループ「チェイス」の「黒い炎(GRT IT ON)」の影響も決して見逃せませんでした(全米チャート22位)・・・

入部して半年くらい経った頃、フルート担当の1年先輩が突然「これからはジャズロックや!」とオケ部を飛び出しシカゴのコピーをするために「音楽愛好同好会」を結成しました。

2年生バンドがシカゴの「Ballet for a Girl in Buchannon」という15分もある組曲をヤルという事で、フォークソング部からドラム、ホーンセクションはオケ部から、どこから集まってきたのかギタリストも?・・・という構成で練習をやりだしました。

私はもちろん参加したかったのですが、まだトランペットを始めて半年も経ってなかったので中学からキャリアのある同級生2人に声が掛かりました・・・(涙)。

同じ1年生バンドは何処からメンバーが集まったのか同時流行っていたキャロルの「ファンキーモンキーベイビー」をヤッテいました。

当時の鳳は前年まで学園紛争(学生がゲバ棒を持って暴れる・・・)で大変な事になっていたようですが、学生運動が完全に終結した1972年はその反動で学内には自由が満ちていました・・・

単車通学OK、遠足は自由な服装で各クラスが自由に決め現地集合現地解散、何故か同級生に美人も多く?、それまで丸坊主の貝塚の田舎の中学生だった私にとって、突然天国に放り込まれた感じでした・・・(笑)。

中庭でガンガンとバンドの練習をしていても、音楽の女の新任の先生は「○○君、カッコイイ!」という始末・・・(笑)。

音楽系部活だけでなく、一般の学生もフォークギターを持ってきて休憩時間や昼休みに弾いていたり、昼の放送時間も毎日誰かが持ち込んだレコードをガンガン流していましたねェ・・・

放送部に友人がいましたので、私もよくシカゴのレコードを掛けてもらいました。

学生集会でも毎回最後には、何故か?5つの赤い風船の「遠い世界に」をフォークソング部主導でみんなで歌っていました・・・

そんな音楽に満ち溢れた高校生活が多感なハイティーンだった私に影響を与えていない訳がありません。

翌年の1973年4月にシカゴのコンサートに1人で行きましたが、おそらく当時の音楽月刊誌「ミュージックライフ」や「ライトミュージック」からの情報で、1972年末あたりにチケットを買ったのだろうと思います。

大阪の地下鉄を1人で乗ったことも無かったので、チケットを買いに厚生年金まで難波駅から迷いながら1時間掛けて歩いて行きました(当時はプレイガイドも無かった)・・・(笑)。

1972年までのシカゴのメンバーの衣装はラフな格好だったのが、世界的に見てイギリスのプレグレスロックの影響か、73年の来日公演にはギンギラギンの衣装を着ていたのには驚きました。

そんなことにもファッションが影響されるのかと。

そんな音楽に浮かれていた高校時代ですが、一方で家庭内では大変な事になっていました。

当時の日本の佐藤首相と米ニクソン大統領との間で交わされた「日米繊維交渉」で家業の織物業が岐路に立っていたのです。

父親から「明日からは風呂は2日に1回やどォ・・・」とか「ジーパンは月に1回しか洗ったらアカン・・・」という具体的な節約命令が出ました。

子供心に「一体どうなったんや?・・・・お金は大丈夫やろか?学校にいけるんやろか?」と不安で不安で仕方がありませんでした。

これまでドンドン織ってアメリカに輸出するために染工場に出荷していたのが、輸出できないので倉庫に出荷先が変わったのです。

日米繊維交渉が家庭を直撃していたのです・・・(涙)。

当時の事情を読売テレビに取材され、2年前に安倍首相がトランプ大統領に会いに訪米したその日に「情報番組ten.」で放映されました。

安倍首相に「45年前の二の舞を踏んだらダメですよ・・・」というメッセージを言外に伝えたかった(国民にも)のだろう・・・というディレクターの意図だと思いますが、大手民放のディレクターは「ソコまで考えるか!」という驚きの方が大きかったですねェ・・・(笑)。

という事で、1972年というのは私にとって音楽的にも衝撃的な1年だった事もありますし、外部事情で生活が脅かされるという恐ろしい経験を高校1年生でしたことが、その後の人生観に大きく影響したことは言うまでもありません。

それが、今のリハスタ経営に繋がったのかどうかは分かりませんが、「世の中の移り変わりは早い・・・好きなコトを出来るうちにしたほうがイイ・・・よ。」てな人生観を若いうちから持ち得たのかも知れませんねェ・・・













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Last updated  2019.04.29 15:22:01
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2018.06.03
カテゴリ:人生訓
先日のカンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督の「万引き家族」が最高賞のパルムドールに輝きました。

この関連番組で是枝監督の出演者のリリー・フランキー氏に対する人物像で「彼は欲が無いのが強み・・・」と評されました。

ナルホド・・・

俗に「無欲の勝利」というヤツとピンときました。

リリー・フランキーさんの肩書きはイラストレーター、ライター、エッセイスト、小説家、絵本作家、アートディレクター、デザイナー、ミュージシャン、作詞家、作曲家、放送作家、演出家、ラジオナビゲーター、フォトグラファー、俳優・・・とマルチタレントと言われます。

私が思うに、リリーさんが俳優業で演技をする場合、「別に失敗したってイイじゃ無い・・・他の仕事でメシが食えるんだし・・・」てな事を心の中で考えて、本番に臨んでもで緊張せずリラックスして本来のパワーを出せるのかと思うのです。

この緊張せず(しない)・・・と言うところがポイントです。

コレが実際なかなか難しいのです・・・

しかしコレが出来るのは、一言で言うと「精神的余裕」だと思うのです。

毎年5月の岸和田フェスティバルで空手の演武をするのですが、それまで一生懸命稽古を重ねるのですが、必ず本番で失敗してしまいます。

一生懸命頑張らねば、間違わないようにしなければ・・・と思えば思うほど緊張し、失敗するのです。

一体どうすりゃイイのか・・・と毎回泣きたくなります。

リリー・フランキーさんのスタイルを真似れば、「別に空手でメシを食うわけでは無いし、間違ったらそれが新しい自分の技なんやと開き直ればイイやん・・・」てな具合に単なる練習で、観客はみんな幼稚園児やと思えば気も楽になりますし、相手(観客)を飲めばノビノビ堂々と演舞出来るはずです・・・(笑)。

今一生懸命Led Zeppelinの「Trampled Under Foot」をドラムレッスンで練習していますが、あるフレーズを何10時間も練習しましたので、自信満々で先生の前でイザ叩くと・・・「あれ?叩けない!どういうこっちゃ?」という事態に陥りました(涙)。

一体全体、どうなっているのか?・・・です。

そんな単なる練習でも、先生(人)の前で緊張して実力を発揮できないのです。

その裏には「先生の前で(これだけ練習してきたんだから)エエ格好をしてやろう・・・」という見栄が邪魔をして緊張を生み出し、脳から身体(手と足)に上手く伝達していないのだろう思います・・・(涙)。

ゴルフでもイップス (yips) という精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、突然自分の思い通りのプレー(動き)や意識が出来なくなる症状が有名です。

優勝が掛かった最後のパットが、手が震えて出来ないとかよく聞く話がソレです。

昔の弁護士(司法)試験会場に救急車が待機していたという話も、青春を犠牲にして長年毎日10時間以上も受験勉強している受験生が殆どで、たった年1回の試験に運命が分かれるプレッシャーに耐えられず会場で発狂するケースと同じような事だと思います。

そこで問われるのは「精神的余裕」なのです・・・

人に言えませんが、私も50歳の時に受けた宅建試験会場で、プレッシャーに押し潰されそうになり頭が真っ白になってしまい30分間全く何も書けませんでした・・・(汗)。

不幸中の幸い後半意識を取り戻し、当時合格ボーダーライン(35点)ぎりぎりの37点で何とか1発で合格できました。

ただ家でやみくもに勉強しただけで、模擬試験も何も受けずいきなり本番試験に臨み、精神的余裕が全くなかったからです・・・(涙)。

特に試験本番前の1週間は仕事を休んで1日18時間も受験勉強していたため、こんな辛い事もう2度としたくない思いで、「今回の受験限りで、不合格なら別の道を歩もう!」と心に決め、背水の陣で臨んだ事が更に緊張に輪を掛けてしまったのです・・・(笑)。

「ダメなら、また来年受けよう・・・」てな軽い気持ちで受けたら、最初からスラスラ書けたのでしょうけど。

他人から見ても自分でも相当図太い神経をしているように思っていましたが、案外根は繊細なんですね・・・(笑)。

振り返って仕事に関しても、今トランクルーム、不動産仲介、音楽スタジオ、卓球場、自習室と5つの仕事を1人でしていますが、みんな極めること無く中途半端と言えば中途半端です・・・(笑)。

トランクルーム以外、それ単独だけでメシは食えません。

しかしこれが、逆にメリットなのです。

単独でメシが食えなくても全体でオーライですから、細く長く続けられるのです。

この「細く長く」というのがメチャメチャ大事で、経費の掛かる大企業ならとっくに撤退しているようなビジネスでも、零細企業でも工夫次第で上手に「拾える」のです。

まァどれか一つに集中せずに、バランスを取りながら満遍なくボチボチ仕事をやることによって、緊張せずそして客観的になれるのです。

決してアツくならず、いつも冷静な判断を下すことが、案外ウマイ具合に?仕事が回っているのかと思うのです・・・

音楽スタジオだけがドラマーですので、どうしても楽器機材にコダワリを持ってしまう自分に、ブレーキとアクセルを調整するのに苦労しますが・・・(笑)。

まァしかしビジネスですから、精神的に乱高下しがちですが、それを上手くコントロール出来るか否かで経営者の器が問われます。

その器が「精神的な余裕」だと思うのです。

零細企業で借金が1億円もあれば、毎晩枕を高くして寝れないのが普通です・・・

資産が借金の10倍の10億円があったり、利益率が高く儲かっていれば熟睡できますが・・・(笑)。

1%の才能のあるスペシャリストは別ですが、例えば殆どのプロミュージシャンやサラリーマンにおいて「これ1本(一筋)しかない!」「会社に人生を捧げる」というのは他人が見たら確かに美しいかも知れませんが、自分や家族の「幸せ&メシが食える」とはまた別次元の問題です。

冷静に考えたら「これに失敗したら、人生終わり・・・」では無く、他にいくらでも人生の選択肢があるのに思い詰める・・・コレだと悪循環に繋がります。

まァチャンネルや選択肢を1つでも増やすべく、プロミュージシャンは著作権で稼げる(守られる)作曲や作詞の勉強をし、会社は一勝面倒を見てくれませんのでサラリーマンは年収アップの為に独立(違う道)の可能性がある副業にも勤しむ(別のスキルも磨く)べしです。

ある意味、こういった「危機分散化」が心の安定や平安を保つのです・・・

事実は1つ、考え方は2つ。

ポジティブに考えるか、ネガティブに考えるか・・・それは自分次第だと思います。




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Last updated  2018.06.03 16:39:26
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2018.02.15
カテゴリ:人生訓
今年62歳になりますが、12年前に祖父の代から約60年続いていた大阪泉州の地場産業であった織物業を廃業し、織物工場を改造コンバージョンしてトランクルーム業に転業しました。

その1年後に宅建資格を取り不動産仲介業も始めました。

そしてトランクルーム(全171室)の空室対策として、空き部屋を改造して2016年にリハーサル音楽スタジオ(スタジオ0724)、2017年に卓球場(貝塚卓球センター)と自習室(レンタル自習室0724)を始めました。

更に、毎週火曜日10:00~12:00はスタジオを無料で開放してで空手指導のボランティアをしています。

夏は風が吹けば平日でも、関空近くのマーブルビーチでウインドサーフィンを適当に楽しんでいます。

ウインド仲間の多くは(50代中心)寒い冬も白浜などでやっていますが、私は持病の高血圧症もあり、そこまで元気はありません。

しかし出来るだけ健康寿命を延ばし、80歳までボチボチ楽しもうという細く長く気の長い計画です・・・(笑)。

イロイロやっているように見えますが、実は恥ずかしい話、皆私の「青春時代の失敗談」から来ています・・・(笑)。

来ていると言うより、引き摺ってきた・・・と言うべきか?

もちろん、12年前の織物業からトランクルームへの転業も、家業を継続できず先祖に申し訳なかったの一言です。

言い換えれば「織物業の継続に失敗」と言えます。

倒産せずに上手く転業できましたが、あと2年無理して頑張っていれば2008年のリーマンショックで潰れていたでしょう・・・

今考えれば、正にキワドイところだったのです・・・

無理せず余裕を残して廃業した事がラッキーだったのです。

バブル前年の1987年の円高不況時に安く設備一新したのもラッキーでしたが、廃業で中古織機を北京オリンピック好景気に湧く中国に転売できたのもラッキーでした。

私は株の売買はあまりしませんが、株と同じように安く仕入れて高く売り抜いたのです・・・(笑)。

設備には建物を2棟壊して工場を新築しましたので何億もかかり、単なる株の売買と違って正に死活問題だったのです(汗)。

転業から2年後に始めた不動産屋(仲介業)も、従業員を1人も雇っていませんので大きな事はせずに、貝塚市に絞ったエリア限定の仲介オンリーというスタイルです。

あくまでもトランクルームがメインなので、片道15分以内の物件に限定しているのです。

片道30分なら時間のロスにもなり広範囲になってしまい、昔の細かい事は分かりません。

片道15分以内なら、50年前は「どうだったのか?」というのが大体分かるものです。

それがネイティブによる地域密着型不動産仲介の強み・・・と言えるかも。

エリア内の自社の両手仲介だけでなく、大阪市内といったエリア外の同業者からの貝塚市内の物件の共同仲介依頼にも発展するところが弊社の強みと言えるかもしれません。

案外、地元民は地元の不動産屋に相談すると中身がバレるのが恥ずかしいのか、弊社エリア外(岸和田、泉佐野、堺、大阪市)の不動産屋に相談しているケースもあり、そういう情報(オープンな)が弊社に流れてくるのも皮肉なものです・・・(笑)。

もちろん不動産屋には守秘義務があり、クローズドな個人情報を漏らすと罰せられるので安心して欲しいのですが。

まァ、無借金経営を貫き、仲介物件を一件一件積み上げていき、地元での信用を長年かけて創り上げていくというロングスパンの計画です。

音楽スタジオを始めたのも元はと言えば、中学1年の時に洋楽ロックに目覚め、ブラスロックのシカゴに憧れ鳳高校オーケストラ部でトランペットを始め、大学時代は地元中学の同級生らとバンドでドラムをやったり、高校同級生のフォークバンドでボンゴをしていたのがキッカケです。

しかし、いつもハモリ専門のサードトランペットで、憧れの旋律を吹くファーストは結局吹かせてもらえませんでした・・・(涙)。

それどころか、3年になると優秀な後輩にトランペットを譲り、適当に指揮者やスネアドラムをやらされていました・・・

勉強も低空飛行で、最初は工学部建築学科希望で理系の勉強をしていましたが、浪人になって私立文系に様変わりして、色んな科目を適当に勉強していました・・・(笑)。

まァ一言で言うと、「暗く悶々とした青春時代」と言えるでしょう。

関西外大(英語)では殆ど勉強しませんでしたが、片道2時間の通学時間を無駄にせず毎日1冊本を読むことを自分に課し、家業の織物業を朝5時から2時間手伝ってから登校し、空手やウインドサーフィン、ドラムを適当にして土曜の夜はミナミのディスコによく繰り出しました・・・

当然、英語も仕事で使えるほどペラペラにはほど遠く、海外旅行でチョット使える程度のショボい英語力だったのです・・・(涙)。

まァ空手でも同じ流派の全日本クラスの人達と一緒に稽古すると、彼らの鍛え抜かれた恐ろしいスピードと気迫に次元が違うと落胆し(こりゃ無理だと)、ウインドサーフィン全日本選手権でもトップクラスの人のテクニックとセンス(見えない風が見えるという)に圧倒され自分が情けなくなりました・・・

空手もウインドサーフィンも小柄私にとって不利なので、体格(体力)差をカバーするには筋肉増強でパワーを付けるしかないと、和泉大宮駅近くにあったボディビルディングジムに通い始めました。

周りはミスター大阪○位といかいう、マッチョばかりの本格的なボディビルダーばかりです。

たまたま代表の方が叔父が経営する会社の元従業員だったため、甥だった私に対して親切に指導して頂き非常に良くしてくれました。

当時は「筋肉を付けるのは25歳まで」という常識があり、焦って未だ日本でプロテインが発売されていなかったので、通販で買ったアメリカ製の不味いプロテインを牛乳で混ぜて鼻をつまんで飲んでいました・・・(笑)。

元々マッチョが目的ではありませんでしたが、それなりに一生懸命通ったお陰で筋肉が多少付いて、スポーツタカハシカップというウインドサーフィンの大阪のローカルレースで優勝した事で大いに自信を深めました。

筋肉という意味でこれも中途半端に終わりましたが、当時まだまだ未開拓なボディビルという体験と勉強によって、その後のコナミスポーツやジョイフィットの筋トレに大いに役立ちました。

まァしかし実力ミュージシャンのライブで感動するのと同じように、トップレベルの競技者と同じ土俵で戦う体験ほど目を覚まさせるショックはありません・・・

ドラムセットを中古で買って自宅の音が漏れくい土蔵で練習しましたが、我流だったため1年半で挫折してしまいました・・・(涙)。

その他、オーディオにも懲りましたが、本当のマニアのように何百万も掛かるような事はせずに、オープンデッキ、カセットデッキ、スピーカー、アンプ、チューナー、レコードプレーヤー合計で5,60万くらいのソコソコの音質グレードに押さえ、それより車など何処でも聴けるようにFMラジオのエアーチェック中心にカセットテープにせっせとノイズリダクションを掛けてダビングしていましたねェ・・・

今思えば感心しますが、毎週FMレコパルか週間FMを買って赤ペンでダビングする曲をマークしていた「芸の細かさ」が、その後の織物工場での「カイゼン」や多品種小ロット対応、171室もあるトランクルームや会員数700人を超えたスタジオの対応を一人で熟してイケているのかと思います。

まァ、この一見無駄のようなオーディオの知識と経験が、その後織物業の防音と防振対策に、音楽スタジオの設計に大いに役立つとは夢にも思いませんでした・・・

金額に換算すると、ウン千万円の節約(価値)です・・・(驚)。

普通道楽は大損をするものですが、好きな道楽がウン千万円に変わるとは、私も先見の明があったのか(笑)。

小中学生時代も図画工作が好きで成績はずっと5でしたが、これも中途半端で画家に成るほど才能はありませんでしたが、トランクルームに転業してから大いに役立ちました。

何故なら、部屋の中にロフト(棚)を作ったり、床や壁にペンキを塗ったりするのに大いに役だったのです。

まァしかし、当時自分なりに一生懸命頑張った結果、みんな中途半端に終わっていたのです・・・(涙)。

若い頃はファッションも趣味や世相に影響されやすいものですが、当時のロッカーはロン毛にパンタロン、空手は硬派な角刈り、サーファーはアメリカ西海岸ファッションという完全に見分けが付くファッションをしていましたが、私はサーファーっぽいパンチパーマというこれまた中途半端なファッションをしていたのです・・・(笑)。

まァしかし、本当に一生延命ヤリ続けたというのは家業の織物業だけ・・・という事になります。

これには優勝も何もありませんが。

一生懸命ヤッタと言うより、一生懸命しなければ学費も稼げませんし生活が掛かっていましたから。

中高時代から工場の荷作りや掃除などの雑用をチョロチョロやらされ、浪人時代から本格的に従業員のように組み込まれました。

大学時代は毎朝5時から2時間働き、長期休暇(夏、冬、春)となれば12時間働き、大学生とは名ばかりで工場従業員そのものでした・・・(笑)。

夏の織物工場は一歩中に入ると汗が直ぐに噴き出るような、騒音100デシベル、室温40℃、湿度90%の非常に過酷な現場でした。

お陰で、デートするときは身体の油臭さを取るのに苦労しました・・・(笑)。

しかしそんな環境でも、人間というのは慣れるんですねェ・・・

お陰で難聴(職業病)になりましたが・・・(笑)。

織屋を辞めるとほぼ90%治りましたが・・・ここでも人間の順応性にビックリ。

織屋の基本である「機織り」「つなぎ(タイイング)」「検反」「荷作り」「掃除」を徹底的に叩き込まれ、従業員の採用面接までしていました。

そこまで長男の私にさせるのは、長年父親は心臓病を患っていたため、早く交代させたかったのでしょう・・・

仕事だけでなく、若かった私もイヤだった村の行事や親戚の付き合いにも行かされました。

これにはホント参りました・・・

20歳ソコソコで、5,60代のオッサンとどんな世間話をすればイイんですか?

話題に困り果てましたが、当時必死にアレコレ考え喋って切り抜けたのでしょう・・・(笑)。

しかし、今思えばコレが良かったのでしょう。

人間本来は怠け者で、イヤなことは避けたいものです。

しかし、そんな事を続けていると人間として成長が無いどころかダメ人間になってしまいます。

窮地に追いやられ、切羽詰まらないと「努力」しないものです。

そんな環境に追いやられて、今では感謝しているのです(笑)。

今、男性の定年退職後に孤立するのが社会問題化しつつありますが、60歳で地域社会デビューしても手遅れなのです。

まァしかし、家業の手伝いと家の事だけシッカリやれば、後は男だから好きなようにせよ・・・と父親は何も言いませんでした。

なので、だんじり祭に狂って他所のだんじりの太鼓を叩き荒らしても、ウインドサーフィンに凝って大学に同好会を創っても、空手の練習で顔を殴られ腫らしても、何も言いませんでしたし、私も反抗期だったので報告も何もしませんでした・・・

20代のサラリーマン経験もそうでしたが、青春時代に自分のヤリタイ事を自分なりに一生懸命した結果「限界」を感じて方向転換した事がヨカッタのだと思います。

また、それを経済的時間的に許してくれた20年前に亡くなった父親に感謝しかないです・・・(涙)。

その青春時代の中途半端に終わってしまった経験があったからこそ、49歳の時に家業の織物業に「限界」を感じて、トランクルームに「方向転換」させたのだろうと思います。

1つの事だけに拘らず、イロンナ事にチャレンジし自分なりに一生懸命ヤッテ、限界を感じる・・・この経験がイイのだろうと思います。

限界を感じたら、「次はどうしよう??」と必死に自分の脳ミソを考えるのがイイのです。

還暦を過ぎて言えることは、「人生、これ(限界を感じる)の積み重ねかなァ・・・」と(笑)。


これまで周りを見ると、才能があって努力家でソコソコのところまで行っても、途中で身体を壊してしまう、或いは売れない(世間に認知されない)とか、ウインドサーフィンのようにブームが去ってしまって自分の努力ではどうしようも無いという境遇に追い込まれる・・・というシーンを多く見てきました。

所謂1つの事に青春を捧げてきても、極々一部の人を除いて殆どの人は実を結ばない(それでメシを食っていけない)・・・という厳しい現実です。

この事は、若い頃から1つの事だけをヤッテはいけない(2つ以上の事をせよ)・・・という啓示か?

拡大解釈すれば、社会人になって1つの会社に縛られず、常に他の事(他社でも通用するスキルを持った仕事術)にも関心を持てと言えるかもしれません。

昔と違って特に今の変化の激しいグローバル化した時代、定年まで3,40年ずっと同じ会社で同じ仕事というのはあり得ません。

どこかで転職、転業、リストラ、起業せざるを得ない時代と言えるでしょう。

そうなった時に、自分や家族を守る(収入を得る)スキルや経験や人脈がなければなりません。

資格なんて独占業務の国家資格以外殆ど即戦力にならないと、その時始めて知っても後の祭りでしょう・・・

という事で、もう最近年を取ったのか昔の回想ばかりです・・・(笑)。

昔の回想をして、将来の妄想をしているのか・・・(笑)。

今振り返って、空手も中途半端にやっていたお陰で身体も壊さずに今でも年齢に応じた空手の稽古に励んで(楽しんで)いますし、ウインドサーフィンもマイルドなボードに変えたお陰であと10年は楽しめそうです・・・

ドラムも月3,4回弊社音楽スタジオのレッスンに通いながら、ボチボチロックを楽しみながら叩いています。

ドラムも何とかこの年でチョット叩けるのも、若い頃に身体を壊すほど運動しなかった事も幸いしたのは勿論、祭りの大太鼓の練習や空手の基本稽古で正中線と体幹を拳立て伏せで手首を鍛えられ、身体の中心から手首への連動運動(振り)を身体で覚えたのがヨカッタのだろうと思います。

ブラスロックのトランペットをしたくてオケ部に入って、家ではロックを聴きオケ部でそれまで殆ど興味も無く聴く事も無かったクラシックと映画音楽を中途半端に体験したことによって、音楽に対する許容範囲が広がった事もスタジオ経営にプラスに働いているように思います。

ロック+クラシックが、その後ジャズ、ラテン、フュージョン・・・に広がっていったのです。

今では、日本で発売されていないようなワールドワイドな曲をYOU TUBEでドンドン聴いていますし、スタジオの若い子らが演奏している今風な曲にも拒絶反応は起きません・・・(笑)。

空手もウインドもドラムも中途半端に終わってしまったから、「いつか、もう一度・・・」という強い想いがあったのでしょう・・・

しかし、20年前の今頃はまだ暗くて寒い朝5時に出勤し、クタクタになるまで夜遅くまで仕事をし、帰ってビールを飲んでバタンキューの繰り返しでした。

血圧も高いのに、26℃の織物現場と0℃の倉庫をしょっちゅう行き来していましたので、身体に良いはずがありませんし、長年の過酷な肉体労働によって慢性腰痛(ヘルニア)になっていたのです。

そこから解き放たれて、今はホント自由奔放か・・・(笑)。

長年織物業で苦労した反動で、今は一人でトランクルームを主軸に不動産仲介業を加え、ここ2年の間に始めた「チョット遊びを取り入れた」スタジオと卓球場に力を入れていきたいと思います。

特にスタジオは決して儲かりませんが、可能性は無限大にあると信じています。

可能性というのはスタジオを始めたミッションで、「泉州に音楽を広める・・・」という事です。

何でもそうですが、「自分にしか出来ない事」に人生の意義があり、そういう意味で広い音楽スタジオのオーナーである私しか出来ない事を考えました。

その第一弾として、今年からスタジオのメインユーザーである高校生をバックアップするために、高校生バンド大会「0724ライブ」を毎年3回開催したいと思います。


そして10年後には、4人の孫娘がガールズバンドを組んでいる・・・という勝手な夢を見ているジイサンがここにいました(笑)。

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Last updated  2018.03.10 11:31:33
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2017.07.18
カテゴリ:人生訓
先日テレビの音楽番組で、歌手の加山雄三さんを見ました。

今年80歳になったそうです・・・(驚)。

若い!・・・とても、80歳には見えません・・・せいぜい70歳くらいにしか見えません。

正に、驚き意外何ものでもありません。

と同時に、彼の未だに「現役バリバリ」で好きな音楽の仕事をしている姿に感動です・・・

彼の姿に1ミリでも近づきたいですねェ・・・

しかし、彼の若々しい「元気の源」は何でしょうか?

明らかに、内面から迸る情熱をヒシヒシと感じます。

その情熱の源は、「音楽」と「海」ではないでしょうか・・・

音楽を愛し、海も愛する・・・

ビーチでノンビリ音楽を聴く・・・なんて、もうサイコーというのがそれを証明してます。

それって、チョッと・・・ボ、ボクと一緒じゃないですか・・・(笑)。

次元もレベルも違いますが・・・方向は同じかも?

まァ、いくつになっても好きな事を「現役」でヤッテいるんでしょうねェ・・・

それがストレスフリーに・・・

そして、この「現役」というのがポイントで、決して引退しないのです。

もちろん、年齢を重ねると共に仕事量を減らす事はあってもゼロには決してしないという事で、死ぬ時にやっとゼロになるんでしょう・・・

まだ「現役」でいる間は目的もありますし、毎日気を張って生活する事がイイんですねェ・・・

これなんです。

これこそが正に、生き甲斐なんです。

特に我々60歳定年を向かえた人間にとって、これがあるか否かで今後の長い余生がウンと違ってきます。

定年だから、遊びまくる・・・と言っても、いくら金があっても毎日遊びまくれるものではありません。

ただ、虚しいだけです・・・

去年サイパンに行った時、平均年齢70歳のウインドサーフィンのロングステイ軍団「サイパン少年隊」のひとりが、ポソッと「あんたみたいに、まだ現役で仕事を頑張っている内が花だよ・・・」と寂しく語ったのがとても印象的でした。

仕事を引退してサイパンにロングステイして好きなウインドサーフィンを毎日しても、やはり仕事をバリバリしながらウインドサーフィンをやっていた時の方が生き甲斐があった・・・と言いたかったのでしょう・・・

確かに・・・

私も織物業を廃業する前年は本当に仕事が無くて、それまで19年間ずっと土日も工場を止めずにいましたが、その夏に1か月だけいきなり土日操業を止めざるを得なくなりました。

週7日操業が、週5日操業に激減してしまったのです。

工場を新設して以来の「一大事」でした。

そのある土曜の朝、ウインドサーフィンに出かけましたが、心の底から楽しめないのです・・・

心の中に仕事に関する不安があれば、何をヤッテも楽しめない・・・

サイパンの仕事を完全引退した70歳ウインドサーファーでも、年金だけでは思う存分遊べないという不安・・・そして医療費高いサイパン(アメリカ)で病気になるのが心配・・・という事だったのでしょうか・・・?

いずれにしても、音楽も海も人のココロを癒してくれます・・・

私も早朝から新聞を読みながらBOSEのブルートゥースで静かなボサノバやジャズやクラシックを聴き、調子がノッテきた朝から事務所では仕事をしながらずっと好きな音楽をDENONのミニコンポで聴き、風呂とビーチはJBLの防水ブルートゥースで、軽トラではパイオニアのカーステでiphoneを聴き、ノッテきたら時にスティックでハンドルを叩いてます・・・(笑)。

もちろん、スタジオ客の少ない朝に、大音量でハードロックを聴きながらドラムを叩いてますが・・・(笑)。

リハスタ経営をしていますので、これって合法的?です・・・(笑)。

去年今年と海になかなか行けてませんが、これまで散々海でウインドサーフィンしてきましたら身体中シミだらけです・・・(笑)。

しかし、シミを遥かに超える爽快感や充実感を味わってきて充分お釣りが来ます。

イヤ、あのウインドサーフィンの海上でのプレーニング(滑走)感覚は、爽快感を遥かに超えた陶酔や恍惚を伴う「快感」で、もはや病められない健康的な麻薬?みたいなものです・・・(笑)。

もう、それに憑りつかれて39年にもなりますが・・・(笑)。

今の日本のウインドサーファー像は、平均年齢50歳オーバーのオッサン達です。

残念ながら、若者や女子は殆んどいません。

では、何故50オーバーのオッサンなのか?

それは、私の周りのウインドサーファーの多くが音楽(楽器)をヤッテいる、音楽が好きだ・・・と関連性があるのかもしれませんねェ・・・

大阪のウインドサーフィン界のレジェンド、つまり42年前に初めて大阪でウインドサーフィンを始めた私のウインドの師匠(先輩)に当たる人達は(泉南フリートの創設者)、実はミュージシャンだったのです。

※フリートというのはビーチにあるウインドサーフィンの愛好団体。

泉佐野の貝田に40数年前にかつて「シンバル」というジャズライブハウスがあり、そこのハコバンを先輩らがヤッテいたのです。

そして泉南フリートから別れた二色浜フリートの創設者Y氏が、今は岸和田駅商店街で中古ギター屋さんを営んでいるところが、やはり音楽と海は切っても切れない関係で、60半ば超えたY氏の未だ衰えないバイタリティの秘密なんだろうなァと思うのです・・・

まァ人間って言うのは、インドア(音楽)とアウトドア(海)のバランスを取って生きるのがごく自然で、一番ココロと身体に優しいなんだろうなァ・・・と思う今日この頃です。



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Last updated  2017.07.26 05:21:15
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2017.07.09
カテゴリ:人生訓
これまでの60年の人生、結構中途半端でムダな?事ばかりしてきましたが、しかしそのムダも、60歳の今となって考えると、役に立っているのか?と思う今日この頃です・・・(笑)。

社会人になってから3回転職、宅建&不動産コンサル&FPなど9つも資格だけ持っているが商売に活かせず、空手を35年ぶりに再開するも流派は3つ目、ウインドサーフィンは39年間もダラダラと、なんちゃって?ドラムを40年ぶりに再開、テキトーなオーディオ歴も50年、だんじり大太鼓は今でも毎年ダラダラ55年も、文法を無視したブロークンでテキトーな英語でも何故か現地で通じる・・・(笑)。

私が子供だった昭和30年代は日本は戦後の復興期真っ只中の高度成長期で、どこの家庭の親も働くのに忙しく、また子供も多かったので放任のところも多かったように思います。

せいぜいPTAがあるくらいで、今のような育成会とかはありませんでした。

子供は外で同級生だけでなく年上や年下らと勝手に遊んでいました・・・

今ならチョッと問題になるような悪い事でも、当時はみんな普通にヤッテいましたねェ・・・

そういう大らかな時代でした。

例えば、だんじり祭なんかは小学生の頃から朝から晩までだんじりに貼りついて、スキを見てだんじりに乗り込み、太鼓や鉦を手当たり次第叩いていました・・・(笑)。

たまに綱を引っ張る事もありましたが、これがまたPTAからクレームが出そうな事を当時堂々とやっていました。

青年団のニイチャンらと一緒に春歌を歌うのです。

高校生くらいなると、チョッと酒を回し飲みしたり・・・

たぶん、何処の村祭りもそういう雰囲気でした。

今なら警察が出てきそうです・・・(笑)。

今から思えば、顔から火が出ますねェ・・・

自分の頃もそうだったし、そんな事を知っていた親父は、私が祭りに参加するのを「行くな・・・」と反対しました。

しかし、その反対も自分も若い頃に行っていただけに、弱かったですねェ・・・(笑)。

まァ、そんな太鼓好きが高じて、青年団の最後まで「鳴物(お囃子)」をヤッテいました。

この鳴物というのは、大太鼓と小太鼓と鉦と横笛のセッションです。

呼吸がピッタリ合わないと、いい演奏がデキなのです。

この鳴物の経験で、楽器演奏で最も大事な「ノリ」を体得出来たように思います・・・

小学生から早くも「ノリ」を覚えたというのは、その後バンド活動にプラスになったのは言う間でもありません。

その後、中学1年で洋楽に目覚めました。

特にブラスロックのシカゴに心酔し、高校でトランペットをする事になりました。

当時どうしてもトランペットをしたかった為、仕方なくクラシック音楽中心のオーケストラ部に入ったのでした。

部活でクラシック、家でロックをガンガン聴いていましたので、当時親父は「とうとう、トオルも気が狂ったか・・・?」と本当に思ったそうです・・・(笑)。

しかし、小学校低学年からの民族音楽(だんじり和太鼓)や、高校時代のクラシックからロックまで幅広く聴いていたという中途半端で一見無駄のような音楽遍歴が、その後ジャズからラテン、フュージョン、R&B、ソウル・・・と広がっていったベースになったのかと思うのです。

それが、色んなジャンルのミュージシャンが来られるリハスタ経営にプラスになっているのかと思うのです。

そしてトランペットにしても結局、花形の旋律を吹くファースト・トランぺッターになれず、いつもハモリ専門のサード・トランぺッターに甘んじていましたし、大学時代バンドでドラムをやっていましたが、我流で1年半で挫折してしまいました・・・(涙)。

自分なりに一生懸命しましたが、結果的に中途半端に終わってしまったのです。

一流プレーヤーになれなかった事が、逆に音楽を趣味として楽しむ事と他の分野(経営サイド)に目を向けさせたのかもしれません。

大学受験も失敗しました・・・(涙)。

現役時代は工学部建築学科を目指していましたが、結局浪人して私立文系に進学しました。

最初から私立文系受験のみを考えれば、無駄な数学や物理や化学を勉強する必要もなかったのですが、中途半端にイロイロ勉強して2年も回り道をしてしまいました・・・(笑)。

お蔭さまで、孤独に強くなりました・・・(笑)。

2年もの浪人時代は「孤独との戦い」でした・・・(涙)。

勉強しなければならないのに、全くヤル気が出ない・・・この繰り返しで、悶々とした日々が続きました。

同級生らが青春を謳歌しているのに、なんで俺がこんな状況に・・・

心理的に、この時期が最も苦しかったかもしれません。

しかし後で考えれば、2年も浪人が許されるなんて、経済的に恵まれていたからです。

家が貧乏であれば、高校すら進学出来ないのです。

親父に2年も迷惑を掛けた事を心から反省し、大学入学直後からサラリーマン2年間を通じて毎朝5時から家業の織物業を手伝ったのでした。

そういう意味で「経営者は孤独」・・・というベースも浪人時代に養ったのか。

大学に入ってから空手を始めましたが、これも自分なりに一生懸命練習しましたが、自分の限界を早い段階で知ることになりました・・・(涙)。

おまけに父親の入院で、学業を中断して空手部も辞めざるを得なくなり、その後落ち着いてから流派を変えて地元で空手を再開したのです。

それも3,4年で辞めて、数年前に30年ぶりに今の沖縄空手を始めたのでした。

過去40年で3つも流派が変わったのです。

空手は流派を変えると会社人生と同じで「一から白帯スタート」ですから、無駄と言えば無駄だったかもしれません・・・

ただ3つそれぞれにイイ所があり、「違う3つの事を学べた・・・」とトータルで空手人生を考えれば、納得です。

また大学時代、空手とオーバーラップしてウインドサーフィンも始めました。

どちらかと言うと、ウインドサーフィンに比重がいつの間にか移ってしまい、地元泉南樽井ビーチで始めたのが、大学にも学連加盟のクラブを自ら創ってしまいました。

これも、一生懸命頑張りましたが、「上には上がいる」という事を身に沁みました。

就職試験もヤマハ発動機やミズノといったウインドサーフィンに当時これから新規参入しようという企業を受けましたが、すべて撃沈・・・

「ウインドサーフィンをいつ発売しますか?」とか「米ウインドサーファー社のユニバーサルジョイントの特許をどう思われますか?」と他の受験生がビックリするような内部的にマズイ質問をした事が面接官の気に障ったのか・・・(笑)。

まァ、全日本選手権で入賞するくらいでないと合格できなかったのですが。

最高の戦績で全日本96位ですから・・・こりゃダメだと。

死ぬほど頑張っても目が出なかったら、めげますねェ・・・(涙)。

第一志望叶わず、第五志望くらいの建築建材メーカーに就職しましたが、そこで本業の営業の傍らウインドのパーツに参入しようとしましたが、これも特許の壁に阻まれ断念せざるを得なくなりました。

右肩上がりのニュービジネスの業界の裏側を見れた事が、その後のビジネスマンとしての経験に非常に役立ちました・・・

「美味しい・・・」と見れば、この全く新しいマーケットに原材料メーカー(合繊、カーボン、アルミ、樹脂)、有名スポーツメーカー、アウトドアメーカー、海外メーカー、輸入専門商社、総合商社、小売り、有名一流選手、強豪大学クラブ、個人の熱狂的な愛好者らがこぞって新規参入・・・それに群がる膨大な中小の海千山千の業者・・・

正に驚き以外、何ものでもありませんでした。

その4年後に家業に戻ってから、地元二色浜人工島にウインドの「艇庫」に参入しようと画策しましたが、これも途中で大手リゾート会社が参入するという事で断念。

正に、四面楚歌だったのです。

結局、断念して織物業に専念することになりました。

その後まもなく、ウインドサーフィンブームが去ってしまい、軒並みこれまでの業者が撤退、倒産、廃業というエライ事になりました・・・

業界がひっくり返るというのは、正にこの事を言うのでしょうねェ・・・

「やらなくてよかった」・・・と、ホッと胸を撫で下ろしました・・・(笑)。

途中で断念できたのも、本業の片手間でやっていたからです。

背水の陣で100%それに注力していたら、引くに引けない状況に陥って失敗していたでしょう。

ちょうど、空手の「猫足立ち」みたいなもので、軸足に80~90%体重を掛け、蹴り足で探るみたいな感じで・・・

やはり、母体(本業)を守りながら、新規で攻めるなら10~20%に留めておけというスタイルがイイのか・・・?

また、逆に一流大学に行けなかった事で、一流(大)企業に行けなかったのが幸いしました。

自虐的ですが・・・(笑)。

日本の学歴社会が、私にとって功を奏したのです・・・(笑)。

頭で勝負できなければ、行動力で勝負と開き直ったのです・・・

人材不足の二流企業で、色んな事(営業、企画)を経験させてもらった事が、その後家業の織物業でプラスに働きました。

4年のサラリーマン生活で「飛び込みセールス」を中心とした営業を経験をした事が、その後家業に戻ってバブル崩壊後の「得意先を代える(100%賃織りからの脱却)」という難局を乗り切る事が出来たのです。

いや、二流企業のサラリーマン経験が無ければ、織物業20年を乗り切れなかったでしょう。

織物機械(織機)の更新では、工場を改造でよかったのを新築までした事で、トランクルームへの用途変更(転業)を可能にしました。

織物工場を改造するだけでしたら、トランクルームに転業できなかったでしょう。

何がプラスに働くか、その時点で分るはずもありません・・・

いずれにしても、この工場新築だけが中途半端ではありませんでした。

これだけは、思い切ってヤッテよかったのです。

もし一流大に行って一流企業に就職しても、出世競争に巻き込まれ、長いサラリーマン生活の中で会社都合であちこち国内外をポンポンと転勤で飛ばされます。

サラリーマンだから仕方がないでは済まされないと思います。

家庭を犠牲にしてまで会社に尽くすという意味が外国人には理解できませんが、普通に考えれば日本のサラリーマン事情は異常だと思います・・・

相当優秀な人だけ役員になって60歳以降も年収は下がりませんが、殆ど場合は55歳の役職定年で年収が減り始め60歳定年で更に年収がた減りです。

そして、1年契約の継続雇用などで65歳まで働けても、65歳で年収ゼロというのが一般的なサラリーマン人生のシナリオです。

まァ60歳まで本体に居れたらまだラッキーな方で、多くの場合は50歳までにどこかに消えてしまいます(出向、転籍、リストラ解雇)・・・

というか、人材豊富な大手企業はホンネを言えば基本的に50歳以上の高給な社員は要らないのです。

奇跡的に社長になれても、社長在任中に何らかの手を打つかオーナーでない限り殆ど70歳でサラリーマン人生終了です。

自営業者やオーナー経営者が「70歳でも現役バリバリ」というのと大違いです。

男の人生として、この「60歳から70歳まで」の過ごし方(仕事&プライベート)が最大の課題かもしれません・・・

また、織物工場の防振と防音が20代前半に一時期凝った「オーディオ小僧」時代の経験が役立ちました。

AKAIのオープンデッキ、ビクターのカセットデッキ、ケンウッドのスピーカー、テクニクスのチューナーとプリメインアンプ、サンスイのレコードプレーヤー、TDKのカセットテープ(AD,SD、SA)・・・

凝ったと言っても、せいぜいトータル50万円程度で、マニアなら100万円くらいは当たり前でした。

しかし、よく日本橋をウロウロしました。

毎晩23時から始まる「クロスオーバーイレブン」をオープンデッキでエアチェックし(週替わりでFMレコパルと週間FMを買い)、それをセレクトしてカセットにダビングするのです。

雑音低減システム(ドルビー:ビクターはANRS)を掛けるのは家用、掛けないのは車用と、同じ曲でも2つもカセットを作った凝りようです・・・(笑)。

当時360CCの軽トラックにもカセットデッキを積んで、ガンガンロックを聴いていたのは私くらいのものでしょう・・・(笑)。

今よりひと回りも車体が小さかったのでスピーカーをドアマウントではなく、天井と下のヒーター吹き出し口付近に無理やり取り付けました・・・(笑)。

まァレコードは高価だったので、こうすれば沢山の曲を安く聴けるという発想だったのです。

何より、コスパ・・・です。

本当に凝ったのは、たったの3,4年ですが、その後30年間音楽CD、パソコンによるCD-Rコピーとずっと音楽を聴き続けてきました。

これも、中途半端に凝ってヨカッタのです。

レコードの針でも高価なもので10万円もしましたから、本当に凝っていればタイヘンな事になってしまいます。

当時親父はクラウンでモノラルの8トラ(カセットの前世代)で演歌を聴いていましたが、ちょうどパイオニアが日本初のカーオーディオ(ステレオカセット)を発売し始めた頃でした。

本格的なオーディオマニアでも、狭い自宅でボリュームを10分の1以下で聴いているのが現状でした。

どちらも全くパフォーマンスを活かせていない事に、非常に勿体いなさとアンバランスさを強く感じたものです。

この時の経験で何事も「コスパ」というのを更に意識したのでした・・・

まァ単なるオーディオの経験で、防音&防振、コスパ意識、音楽性の拡大といった事を体得し、それが織物業の24時間操業、経営感覚、スタジオ経営の礎となったと言えるかもしれません。

余談ですが、日本橋の裏通りも知っていた為、織機の細かい電子部品調達で随分と得をしました。

何も知らなければメーカーにコンプリートで注文しなければなりませんが、知っていれば100分の1以下の値段で修理できます(買えます)。

違法でも何でもありませんが、知っているか否かの差だけです。

たぶん、こんな事が出来たのも日本で私ひとりだけだと思います・・・

という事は、8ビットコンピューターが搭載された1987年以降のエアージェット織機を扱った工員さんで、1970年代に大阪の日本橋や東京の秋葉原をウロウロしていたのは、日本で私ひとりだったのです・・・(笑)。

ニッチ過ぎますねェ・・・(笑)。

まァ、同じモノだけど、業界が変わればその価値が100分の1になる。

という事は、100倍にもなる。

大事なのは、モノを見る視点を柔軟に変えるという事でしょうねェ・・・

ある時は斜めから、同じ斜めでも東西南北イロンナ角度からモノが見えます。

すると、考えてモノゴトを分析したくなります・・・

「ナルホド、こういう事やったんか?」と。

いつも同じ方向ばかりから見ると、モノの考え方が固まってしまい人生の選択肢が狭まります。

また、去年から40年ぶりにドラムを再開しましたが、これも当時自宅納屋で我流でドコドコ一生懸命練習していましたが、1年半で挫折してしまったのです。

「俺は何をヤッテもアカンなァ・・・」と自信喪失していたのですが、頭の中に「いずれ遊びで再開でもしたいなァ・・・」とボヤッと考えていたのが、スタジオ経営に結びついたのです。

これが、本腰を入れてそこそこのミュージシャンになっていれば、損益分岐点を考えずに高価な楽器機材に拘ってしまい、リハスタ経営は難しかったでしょう・・・

適当なドラマーで終わりましたから、楽器の経験も知識も余りありませんでしたので、当たり前ですが経営をポイントに置いたのが逆にヨカッタのでしょう・・・(笑)。

大阪のウインドサーフィンショップで、プロやセミプロに近い技術を持ったウインドサーファーが経営していたショップは殆ど潰れてしまいましたが、未だに30年以上経営している某ショップ経営者はウインドサーフィンの素人です。

この辺が、商売の難しいところです・・・

また、ヒップホップダンスも少しカジッていました・・・(笑)。

元々我々の世代はサタデーナイトフィーバー世代で、若い頃はミナミのディスコに時々通っていたものです・・・

その「影響」で20年くらい前に、前ジャスコ貝塚店のスポーツクラブ「スペース」でヒップホップのスタジオプログラムを2年受けました。

自分のセンスの無さに気落ちしながらも、楽しかったので週1回必ず受けていたのです。

その後、コナミスポーツ、ジョイフィットとジムに通いましたが、ボディコンバットを中心にヒップホップも受講した事が、リハスタ経営で「広くしてダンスもOKにしよう」という発想が浮かんだのだろうと思います。

ダンスに関わった事が無かったら、こういう発想も出来なかったでしょう・・・

中学体育授業でダンスが必須化された事が、これからの追い風になるでしょう。

という事で、60年の人生を振り返ると、この工場新築が人生最大のターニングポイントだったと思います。

残念ながら人に自慢するほど「何かに一流だった」という立派な人生を歩んできませんでしたが、凡人が試行錯誤をしながらイロイロ中途半端な経験を積んできても(実績は残せませんでしたが)、それなりにオモロイ人生だったと人に言えるかもしれません・・・

一流選手だった人が年取ってから結構身体があちこちガタガタというのは、1つのスポーツだけを突き詰めてヤルと、バランスを欠いた状態で同じ筋肉ばかりを酷使するので、それが身体にとって良くないのだろうと思うのです・・・

一般人なら、適当に複数のスポーツをバランスよくイロイロやる事が身体に良く、それが応用力に繋がっていくのかと思うのです。

点と点が、30年経ってやっと線になった・・・とスティーブジョブスが同じような意味の事を言いましたが、超一流を目指す人間は別にして、一般人が社会生活をする上で、それなりにイロイロ経験を積み重ねる事が大事だと思います。

ただ、「点」と言っても3日坊主では全く意味は無く(むしろ逆効果で自信喪失に繋がる)、少なくとも自分の限界点が見えてくるまで1年くらい努力をする必要があるでしょうねェ・・・

これからも全く新しい事は出来ませんが、自分の過去の経験を紐解いて「新しい組合せ」ならデキるかもしれません・・・

よくビルボードライブへ往年のミュージシャン(外タレ)を見に行きますが、彼らは60代70代ですが、未だに現役バリバリです。

何故か?

若い頃に培った「基本」がしっかりしているので、年とってもブレナイ(今でも上手)のだと思うのです。

もちろん、20代の頃のようにはいきませんが、マーケットに充分受け入れられる実力は未だ充分備わっているのだと思います。

それと同じように、未だに空手やウインドやドラムを「それなりに」ヤレたり、英語を多少喋れてるというのは、若い頃に応用を効かすまでには至りませんでしたが(一流になれず)、基本をまだシッカリやっていたからだと思いますし、もうかれこれ30年続けている早朝の「15分ストレッチ」が今頃ジワジワ効いているのかかな?・・・

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Last updated  2017.07.16 05:13:44
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2014.07.14
カテゴリ:人生訓
昨日ロックミュージシャンの元「BOφWY」のボーカリストの氷室京介が、ライブ活動からの引退宣言をしたようです・・・ショック

理由は年齢による体力の衰えだそうです・・・わからん

まだ、53歳のようです・・・ぷー

残念ですねェ・・・涙ぽろり

しかし、同じ日本のミュージシャンの長渕剛が私と同じ58歳ですが、まだまだ現役でライブ活動を積極的に行っています・・・目がハート

何でも、40歳頃から将来を見据え、本格的に筋力トレーニングであるボディビルディングに取り組んだようで(その他、極真空手名誉三段らしい?)、見た目も実際のスタミナやパワーもトテモ58歳とは思えないような肉体改造を成し得ています・・・グッド

けっして見た目だけでなく、本当にスタミナとパワーがつけば、心の底から自信が湧いてくるのも不思議な事だと思います・・・うっしっし

これで、あと10年は現役で頑張れるでしょう・・・パンチ

長渕剛の姿が、何故か中高年のサラリーマンとダブって見えます・・・ぷー

サラリーマンで40歳と言えば、正に現役バリバリの頃ですが、同時に自分の将来も見えてきます・・・ぷー

このまま順調に出世するか、リストラ対象になるか・・・わからん

サラリーマンは誰でも「自分だけは出世する」と思いたいですが、残念ながら実際はそうではありません・・・涙ぽろり

私の周りでも、定年前の58歳で、民間で順調に出世コースに乗って、ソコソコの会社で役員あたりまでたどり着いたのは極々一部です・・・しょんぼり

殆どは入社した会社に残っていません・・・わからん

入社して30数年も経てば世の中が激変して、自分の努力とは関係なく会社が倒産や廃業、子会社や関連会社への出向、M&Aで会社名そのものが消滅したりするのはザラです・・・ショック

万一、人生や家庭を犠牲にして社長になったとしても、定年になれば、オーナーではありませんから、ただのオッサンです・・・ほえー

この辺が、サラリーマンの悲哀です・・・涙ぽろり

私も20代にサラリーマンを経験していますので、よ~くワカリます・・・ぷー

しかし、その中でも役員になってバリバリ現役で頑張っている人間に共通するのは、すでに20代から異彩を放っており、別格と言えば別格で一般的にはあまり参考になりません・・・わからん

そう言う意味で、殆どのサラリーマンにとって、40歳くらいが人生のターニングポイントになるのではないでしょうか・・・パンチ

その時に、長渕剛のように将来の為に「どう努力すればイイか?」を真摯に考えるか否かが、その後の人生の命運を分けるのでしょう・・・パンチ

これが、40歳で何も考えずにダラダラと10年過ごして、50歳になってハッと気づいても少し遅いような気がします・・・ブーイング

何故なら気力も体力もすでにピークを過ぎ、定年(60歳)まであと10年しかないと思うと、そのまま10年ズルズルとイってしまう可能性が非常に高いと思うからです・・・ブーイング

この40歳と50歳の「行動力の差」は、トテツもなく大きいように思います・・・ぷー

人生そのものを見つめ直すなら40歳くらい・・・ちょうど男の「厄年」です・・・パンチ

何事も、けっこう時間がかかるものです・・・しょんぼり

40歳で目覚めて行動に移しても、なかなか結果が出ないものです・・・失敗

「石の上にも3年」という諺がありますが、現実的にはそれほど甘くなく「石上10年」で、10年努力し続けてやっと結果が出るという意味で、「40歳スタート」が妥当な時期かもしれません・・・パンチ

という事で、私の場合は29歳でサラリーマンを辞めて家業の織物業に「転職」して、49歳の時に織物業からトランクルーム業に「転業」した訳ですが、ちょうど私が41歳の厄年に社長であった父親が急死して、経営の事を何も分かっていなかった私に突然バトンタッチされ、会社の将来や人生を考え直さざる(見つめ直さざる)を得なかったのとよく似ています・・・泣き笑い

そして、「仕事も頑張るが、趣味も充実させねば!」と決意して、長年の肉体労働でたたった腰のヘルニアや難聴といった持病や高血圧でボロボロになった身体を「立て直す」という意味で、その頃からプールやジムに通いだしたというのも長渕剛とよく似ています・・・泣き笑い

親父が急死してから仕事のプレッシャーが全て私にかかり、半年間の精神的肉体的な過労がたたり、支払日にとうとう腰痛で立てなくなり、会社経営もそうですが、まだ3人の子供も小中学生でしたので、「これでは、本当にダメだ・・・」と身体を起こすことも出来ず、身体を横たえたまま小切手を切ったという苦い経験が自分を奮い立たせたのかもしれません・・・泣き笑い

しかし、60歳を超えてまだまだ現役で頑張っている、私の好きなミュージシャンも国内外で多いです・・・グッド

国内では、矢沢永吉、山下達郎、高中正義、ユーミン、チャー、海外ではシカゴ、ディープパープル、フォリナー、ジャーニー、TOTO、ボストン、ビリージョエル、イーグルス、Doobie Brothers 、スティービーワンダー、ローリングストーンズ、アース、ウインド&ファイヤー、クール&ギャング、チャカカーン、インコグニート、シャカタク・・・目がハート

外国の方が、はるかに元気なミュージシャンが多いですねェ・・・びっくり

日本の音楽業界は戦後からずっと作曲作詞歌手と「3者分業体制」が長らく続き、70年代前半のフォークシンガーあたりからシンガーソングライター(全部自分でする)が徐々に増えだしましたが、外国ではシンガーソングライターはごく当たり前でそんな呼称すらありませんでした・・・ぷー

更に外国では、自ら楽器を演奏するというのが(レコーディングやライブ活動も)、音楽性に一層の磨きをかけたのだろうと思います・・・パンチ

日本の歌手は、「作曲・作詞・歌手・演奏=3者分業+1=4」の作品全体の4分の1しか担っていない訳ですから、ヒット曲が出ないとか、マネジャーに逃げられたとか、自分の努力以外の何かのキッカケで、途中で辞めざるを得なくなる場合が多いものです・・・失敗

そんな国内外の音楽の歴史的な大きな違いが、層の厚みの差に繋がっているのでしょう・・・ウィンク

フランチャイズや代理店、下請け、問屋といった他社に依存した商売は一見安全なようで実はリスクが大きく、「製造直売」という他人(他社)に依存しない自己完結型のビジネスモデルが、規模は小さいが長く続けるコツのひとつ・・・と言うのと、シンガーソングライターが何故かカブって思えるのは私だけでしょうか・・・(笑)

もしビジネス(音楽)が好きなら、他人に頼らず、1から10まで自分(自社)で手掛けた方が長続きするかもですねェ・・・うっしっし

そりゃ、30年以上も音楽をヤッテいたら、普通の仕事と一緒でイロイロとあるでしょう・・・泣き笑い

世の中の動向に左右されながらも、メンバーチェンジを繰り返しながら、自分の核とする音楽性を守る・・・相当大変だと察します・・・ぷー

一般ビジネスも全く同じです・・・パンチ

しかし、長年続けることによって、実績を積んで、「有形無形の財産」が増える事は間違いないです・・・グッド

単なる労働の切り売りと違うのはココです・・・ぷー

紆余曲折や浮沈を超えながら、自分のポリシーを貫く意味がココにあるのだと思います・・・泣き笑い

しかし毎日彼らの音楽を聴き、何時も元気を貰えます・・・俺も頑張らねばと・・・泣き笑い

 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


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Last updated  2015.04.27 08:43:14
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2014.04.24
カテゴリ:人生訓
私もそうですが、50歳代で小中高大の同窓会やクラス会が懐かしくなり、旧交を温めたくなるものです・・・泣き笑い

20代で結婚して、30代、40代と家族を養うために一生懸命働き、50代になってやっと子供も大きくなり独立すると、ふっと我に返るのか・・・ぷー

特にオッサンは、子供から煙たがられ、嫁さんは子供とベッタリとなると、家庭内で孤独感を味わうものです・・・(笑)

そうなると、「何のために人生か?」と疑問を抱くようになり、当然仕事以外に目を向けるようになるのです・・・失敗

それが、過去の自分を追い求めるようになり、学校時代の友達に会う事や過去にヤッテいた趣味に辿り着くのかもしれません・・・泣き笑い

新たな友達を作る事や新しい趣味にチャレンジするのはイイ事ですが、なかなか出来るものではありません・・・失敗

私はちょうど17年前の「厄年(41歳)」に親父の急死によって、織物会社の経営を引き継ぎました・・・ショック

その後、数年は大変でした・・・それこそ、同窓会や趣味どころではありませんでした・・・しょんぼり

継承がやっと軌道に乗り始めた数年後、身体も心もボロボロになった自分を立て直すために、近所のスポーツクラブに入会し、ウインドサーフィンを本格的に再開する為に「ショートボード」を10数年ぶりに買ったのです・・・ぷー

仕事に偏り過ぎた自分が危ないと無意識のうちに「危機」を感じ、バランスを元に戻すべく軌道修正をしたのでしょう・・・わからん

そうして今まで倒れないように、仕事とプライベートの比率とバランスを考えてウマくヤッテきたのだろうと思います・・・わからん

そして60歳まであと2,3年・・・ヤッテいる事は仕事は別にして20代の頃の空手やウインドサーフィン、音楽ばかりです・・・泣き笑い

更に、正に20歳頃に夢中になっていたドラムを再開しようと企てているのです・・・うっしっし

私だけでなく、実際ウインドサーファーの平均像は平均年齢50歳のリバイバルのオッサンサーファーだったり、我沖縄空手「止揚会」の平均像は、若い頃に空手など格闘技経験のある平均年齢60歳のジイサン軍団というのがそれを物語っているのです・・・泣き笑い

ただ私は若返ろうと思ってヤッテいるのではなく、ただ単に身体と心の奥底から「ヤリタイ!」と思っているだけなのです・・・目がハート

年取ってから新しい事にチャレンジする事は、聞こえはカッコいいし話題にもなりますが、現実は頭も身体も拒否反応を示し、ナカナカ上達しにくいモノです・・・失敗

その点、学校の勉強はスッカリ忘れてしまいましたが、若かった頃の経験(体験)というのは、不思議と身体が覚えているものです・・・びっくり

それだけ、スムーズに入れるのです・・・うっしっし

ただ炎天下でウインドをやれば、アンチエイジングどころか、逆にしわが増え余計にジイサン顔が加速します・・・それでもイイのです・・・ココロに青春が戻れば・・・オーケー

真のアンチエイジングは、外見よりもココロに青春を取り戻す事だと思うのです・・・うっしっし

織物時代は仕事の絡みで、イヤイヤながらゴルフをやったりもしましたが、とっくの昔にゴルフを止めて、今でも不動産屋にはゴルフが必須にも拘らず一切しません・・・パンチ

織物時代もそうでしたが、接待ゴルフで一時的に仕事は増えても、「本業」で勝負しないと長続きはしないと悟ったからです・・・パンチ

もうこれからは、無理に余計な事をせず、好きな事に集中しようと思うのです・・・実際、今聴いている音楽の90%は10~20代に聴いていた曲ばかりです・・・うっしっし

しかしこれから60歳から80歳までの20年間は、考えたくありませんが、確実に老化がボチボチ訪れます・・・しょんぼり

頭がボケ足腰が弱くなり、行動範囲が狭くなります・・・涙ぽろり

自分独りで行動できる「健康寿命」が70歳と言われていますから、それ以降は寝たきりになる可能性がグンと高くなるのです・・・ブーイング

車を運転する事もだんだん難しくなり、飛行機や電車に乗る事もおっくうになり遠出や旅行にも行きたくなくなり、行動範囲が家の周りだけになるでしょう・・・しょんぼり

体力の衰えと共に、気力も萎えてくるのは仕方のない事です・・・涙ぽろり

そして80歳でちょうど生まれた時と同じように、オシメをして寝たきりになり、言いたい事もロレツが回らなくなり言えず、自分独りではニッチもサッチも行かなくなって・・・人生オワリというのが平均像です・・・ほえー

今頃こんな事考えたくありませんが、ホント20年なんてスグです・・・ほえー

これまでの人生を振り返れば分ります・・・ぷー

20代から40代、40代から60代、20年単位で人生を振り返れば、ホントあっと言う間でした・・・ほえー

しかも始末の悪い事に、その「体感速度」は年々加速しています(冷汗)・・・ほえー

一生懸命努力しても、アッと言う間ですから、大した努力もせずにボーッと生きていれば、知らぬ間にジイサンになってボケて何も分らなくなる・・・イヤ、逆にこの方が幸せかも?・・・(笑)

将来の「右肩下がり」のシュミレーションを頭の中に入れておき、最終的には「体力(健康)」と「金」が老後をハッピーにするという悲しい現実を受け止めて頑張るしかないのかなァ、と思う今日この頃です・・・ぷー

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Last updated  2014.04.24 11:18:12
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2013.10.10
カテゴリ:人生訓
人間は経験を積んで、少しずつ賢くなっていくのですが、それは自らの失敗を教訓にするからだと思います・・・ぷー

しかし若くても年を取っても、経験を積まななければ、何も始まりませんが・・・ブーイング

トライあっての前進で、じっとして何もしなければ、停滞どころか後退です・・・ブーイング

サラリーマンでも経営者でも、自ら考え(PLAN)、資本を投下して実行すれば(DO)、おのずと失敗か成功か結果が出ます・・・パンチ

失敗してもサラリーマンなら降格か首で自分の財産に影響ありませんが、中小企業なら失敗して自己破産すれば、経営者の多くは銀行に個人保証していますので、財産を奪われ一文無しになるのが普通です・・・ぷー

そういった経済活動で、社会が徐々に変わっていくのだと思います・・・わからん

自らを振り返ってみて、20年間やってきた織物業からトランクルーム賃貸業に「転業」した49歳の頃が人生のターニングポイントでした・・・パンチ

祖父の代から60年も織物業をやってきましたが、私自身の20年間の経験で「転業」を決断しました(父親はすでに転業の9年前に他界)・・・パンチ

織物業をやっている時の反省点が(弊社に限って)、転業後の「教訓」になる訳ですが、列挙すると(2006年当時)、

1.グローバル化に取り残された業種=長年国内だけの「水平分業」のリスク分散型(仮需マーケット型)の繊維産業が、ユニクロの登場と共にそれが崩れ、グローバル化した「垂直連携」のリスク型(実需型)に大きく転換してしまった。

2.設備投資に金がかかりすぎる=エアージェット織機1台1000万円。

3.世界一高い日本の人件費=20年前の中国内陸部は、たった20分の1の人件費。

4.世界一高い日本の電気代=アメリカの2倍。弊社1年間の電気代が2000万円だった。今年の4月から更に約20%値上がりした。

5.エンドユーザー無視=織物業は長くて古い体質の繊維業界(流通)のちょうど真ん中の「川中」で、エンドユーザーからかけ離れていて、業界間の情報が今と違って分断化されていた。

6.円相場に左右されていた=北米やヨーロッパ、中近東への輸出割合が高かった。

7.世界一安い日本のインターネット代を利用していない=アパレルのネット販売は多少あったが、織物業=布(川中)のネット利用は皆無。

以上のように、ビジネススタイルそのものが、知らず知らずのうちに時代に「逆行」するように変化していったのです・・・ほえー

それが、日々の仕事でいくら働いても努力しても報われない・・・年間355日24時間エンドレス操業で工場を稼働しても、何にも儲からないどころか損をするのです・・・ぷー

こんなバカな事はやってられないと・・・先祖に顔向けできませんでしたが、家訓の「名を捨て、実を取る」で気を取り直し、廃業(転業)の決断をしたのです・・・涙ぽろり

という事で、織物業の経験で痛感した以上7つを、転業後は「真逆」をやろうと決意したのでした・・・パンチ

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Last updated  2015.04.27 08:42:22
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2013.08.07
カテゴリ:人生訓
先日の新聞に、ホームと電車の間に落ちた女性客を助けるために、その場に居合わせた見知らぬ者同士が力を合わせて電車を傾かせ、女性を救助したという感動的な記事が載っていました・・・ウィンク

この記事が、世界各国で称賛されたらしいです・・・びっくり

日本人なら、ごく当たり前ですが・・・わからん

海外では、知らんぷりみたいです・・・ブーイング

確かに、日本では大勢集まって(ボランティアで)祭りや盆踊り、学校の運動会や文化祭をよく開催しますが、海外ではカーニバルなど多少ありますが、人が集まるのは「デモ」しか印象がありません・・・わからん

日本人にはまだまだ他人との協調性があり、海外は個人主義が強いという事でしょうか・・・わからん

これが世界に誇れる「日本人の素晴らしさ(良さ)」ですねェ・・・グッド

大いに、自慢したいと思います・・・ウィンク

日本人は元々農耕民族で、一定の場所でずっと暮らしていましたから協調性が大事でして、他方ヨーロッパ民族などは元々狩猟民族で、獲物を追い求めて住居は季節に応じて移動していましたので、我が強くなるのは当然です・・・ぷー

貝塚市のような日本の地方都市にもマンションとかが増え、かなり希薄になったとは言え、まだまだ町内会や青年団、婦人会とかの「ムラ社会」があり、それがまだ一役買っているのか・・・グッド

しかし、もっと田舎へ行けば人口が激減している「限界集落」が増えているようで、日本の人口の約半分が3大都市圏に集中しているのが、気になるところです・・・ブーイング

殺伐とした都会で子供が育てば、本来の「日本人のよさ」が無くなってしまう・・・と危惧するのは私だけではないでしょう・・・わからん

長期的に見て、近代的な農業の振興や先端事業の拠点を田舎に創り雇用を生み出す事によって、人口が全国各地に散らばるような施策を考えるべきでしょうねェ・・・ウィンク
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Last updated  2013.08.07 07:00:31
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2013.07.26
カテゴリ:人生訓
もう57年も生きていますので、これまでに何回も「死んでいたかも?」という、今思えば冷や汗の出来事があります・・・ほえー

その中でもけっして忘れられないのが、高校生の頃登校する時に、道路を渡る時に「時間がなく(遅刻しそうになる)」横断歩道を渡らずに、何もない道(府道)を横切ろうとしました・・・ぷー

右を見て、車がまだ遠くにありこちらに来そうにないのを確認し(手前車線が、車の左車線)、左を見て、車が来ないのを確認して渡ろうと一歩踏み出そうとしたその瞬間(身体の重心が前方に移動しかけていた)、目の前20センチを、さっき右を見て確認したはず(来ないと)の車が猛スピードで走り去ったのです・・・ほえー

もう0.5秒、私の歩く動作が早かったら、確実に車とぶつかって死んでいたかもしれません・・・ほえー

あまり突然のショックで、しばらく頭の中が真っ白でした・・・ほえー

未だに、たまにこの夢を見て冷や汗をかきます・・・トラウマか・・・ぷー

原因は今思えば、当時近視なのに眼鏡を掛けていなかった事や、急いでいるにせよ、横断歩道を渡るべきだったという事です・・・しょんぼり

幸い、難を逃れましたので、冷静にこんな事を書いているのですが、最悪それで私の短い人生が終わっていたかと思うとゾッとします・・・ほえー

ホント、命拾いしました・・・泣き笑い

それ以来、歩行や自転車、車の運転に人より慎重になりました・・・わからん

頭の片隅にある「小さなトラウマ」がブレーキになっているのでしょう・・・わからん

車の運転でも安全運転です・・・制限速度を超える事はありません・・・家族は「お父ちゃんの運転、オソイ!」と文句言いますが・・・オーケー

あの時私が死んでいたら、嫁さんも子供もありません・・・ぷー

これが、お父ちゃんの生き方なのです・・・パンチ

人の人生観やポリシーは、老若男女、善悪は別にして、それまで生きてきた「軌跡(経験)の集大成」です・・・ウィンク

原因があって、結果があるのです・・・ウィンク

会社経営にしても、人からイイ意味で「堅実」だと言われます・・・ウィンク

悪く言うと、ビビり、臆病か・・・うっしっし

まァ、このスタイルは変わりませんし、変われません・・・ウィンク

ウインドサーフィンをしていても、強風荒波でスリルがあって楽しい反面、ある意味このビビりとの戦いです・・・ぷー

ビビり過ぎて、自分の能力以下のコンディションばかりですれば、技術が向上することはありません・・・ブーイング

自分の「限界能力+10%」のコンディションに挑戦して初めて技術が向上するのです・・・パンチ

この考え方って、日々の仕事にも通じると思うのですが・・・ウィンク

しかしよ~く考えれば、人生って「偶然の積み重ね」で、ラッキーにも生き延びていると言えるかもしれませんねェ・・・わからん

私の周りでも、途中で若くして病気や事故で亡くなられた方も多いです・・・涙ぽろり

亡くならないまでも、途中で「意に反して」人生の舵を大幅に変更せざるを得なかった人も多いです・・・ブーイング

家内と知り合ったのは樽井の海ですが、これもたまたま当時サンケイ新聞を家でとっていて、樽井浜のウインドサーフィンスクールの記事が泉州版に載っているのを見たからです・・・ウィンク

朝日新聞をとっていたり、ヨット(ヤマハのシーホッパー=小さいシングルハンダーのヨット)をローンで買っていたら(納期で断念した)、この記事を見逃していて、全く違う人生を送っていたでしょう・・・ぷー

人生って、そういうモンですねェ・・・まァ、幸運の女神がこっちを向いてくれるように祈る一方、頑張るしかないですねェ・・・うっしっし

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Last updated  2013.07.26 15:49:43
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