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     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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人生訓

2022.03.31
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カテゴリ:人生訓
ありそうでなかったシリーズ第57弾は「プライドを捨て社長から工員になった1年半」です。

もちろん、これって16年前の私の事です・・・(笑)。

16年前に織物業からトランクルームに転業(起業)した当初は、6か月間は殆ど集客できませんでした。

織物業を廃業する時に借金を全額返金して、トランクルーム改造資金も相当資金を使ったため手持ちの資金が余りありませんでした。

しかし妻と子供3人と母親の計5人を養っていかなくてはなりません。

ならば、どうするか・・・?

当たり前の話ですが、私が働いて稼ぐしかないのです。

それも個人と会社の固定資産税などを考えると、最低月に手取り30万円稼がなくては生活が成り立ちません・・・(汗)。

職安に行くと、夜警や宅配便の仕事はいくらでもありますが、深夜労働だったり拘束時間が15時間でも月15万円しかありません。

思い悩んだ末、織物業の技術(機織り、タイイング、織機修理)を活かして、同業他社の社長に頭を下げて織物工場で仕事を見つけたのです。

その時はプライドを捨てるとか全く眼中になく、ただただ明日のメシを食うために当時時給850円の12時間労働(4時間残業、月25日労働)の現場労働に飛びついたという感じです。

他人から見れば「社長が工員になりカッコ悪ぅ!」と思っていたでしょう・・・(笑)。

実際その通りですが、明日から6人飯を食って行くのにプライドもヘチマもありません。

プライドを捨てる・・・なんて実際なかなか出来ませんから、会社を倒産させたり自己破産したら、誰も知らない遠方に逃げて二度と地元に帰って来れないのはプライドが邪魔をするからです。

それほどプライドというのは捨てられないモノです・・・

私の場合は倒産も自己破産もしていませんので逃げる必要もありませんが、ジッとカッコ悪さに耐えるだけで済んだと言えるでしょう・・・(笑)。

この「なかなかプライドを捨てられない」という人間心理を利用して、「プライドをくすぐる(虚栄心を満たす)」をビジネスで高級車を買わせたり住宅(賃貸マンション)を建てたせたり高級ブランドファッション(グッズ)を買わせたり・・・と企業はアノ手この手で消費者にちょっとワンランク上のモノを買わそうと必死です。

特に車は90%は駐車場の展示品(実働10%)と言われ、保険や車検でコストが掛かり普通に考えれば「動けばイイや」で身分相応で実用的な車で良さそうなものですが、これがメーカーの巧妙なプレゼンに多くの虚栄心を満たそうとする人達がハマって、高級車に群がるというカラクリも一つの大きなマーケットとして日本経済を回しているんですねェ・・・

まぁしかし、それから1年半必死のパッチで頑張りました・・・(汗)。

途中「こんな事をいつまでもヤッテいられない・・・トランクルームの仕事に戻ったら不動産仲介業も兼業しなければ」という思いから、毎日12時間仕事をしながら、朝2時に起きて宅建の受験勉強を9か月しました。

睡眠時間5時間。

日中は眠くて眠くて、織物工場の現場で機織りをしながら何回歩きながら眠くてこけそうになった事か・・・(笑)。

常に目を覚ますために、ガムや目薬を多用して、拳骨でホホにフックをして脳ミソを横揺れさせて目を覚ませました。

やはり、人間は睡眠時間は7時間は必要だと心の底から思いました。

そんな20代のサラリーマン時代から30年ぶりに他社で働くサラリーマン(工員)を1年半送った訳です。

久しぶりに他社で平社員ペイペイの空気を吸って、オモシロかったですよ・・・イロイロあって(笑)。

もちろん身分(元社長)を隠してでの現場労働ですので、先輩の10代の女子行員から鼻であしらわれた時は一瞬カチンときましたが、そこはガマン、ガマン・・・(汗)。

久しぶりの年は取っても新人の「下から目線」は新鮮でした・・・(笑)。

まぁ65歳の今から思えば、当時49歳・・・まだ若かったんでしょうねェ。

という事で、人生どんな環境に陥っても、腐らず目の前の自分がデキる事を淡々とする事が将来に繋がる・・・と言うのを身をもって経験したのが私の強みかも知れません。

古い言い方かもしれませんが、やはり人間は経験を通じてでしかハートは強くならないと思うのです。

本を読んだりセミナーなどで人の話を聞くだけでは、自分が変わるキッカケになるかも知れませんが、残念ながらハートは強くなりません。

しかし後で考えれば、そんな事をしなくても不動産を担保に祖父の代から80年間も取引のある地元のメインバンクから金を借りたり、不動産を売ったらもっと楽だったろう・・・と思いますが、織物時代の借金の重圧から解放され無借金経営になった「清々しい気持ち」を手放すのは、絶対イヤだという気持ちが強かったんでしょうねェ~


「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798  mail: info@sasatani.com

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Last updated  2022.04.02 11:03:00
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2021.04.19
カテゴリ:人生訓
これまで65年生きてきて、ショッキングな出来事が2つありました。

1つは「CDの出現」であり、もうひとつは「エアージェット織機(織物機械)の出現」でした。

CDの前は中学生から一生懸命小遣いの範囲内でレコードをボチボチ買い貯め、大学生になってから聴く範囲の急拡大にレコード購入がついて行けなくなり(小遣い不足で)、一計を案じオープンデッキとカセットデッキの組み合わせでローコストで音楽を聴ける(FMラジオからのエアーチェック)工夫をしました。

1000本以上の膨大な数のカセットテープを作りましたが、CDの出現でその何年か後に泣く泣くカセットを全て廃棄し、CDに完全に乗り換えました。

この時の想いを何と表現したらイイのでしょうか・・・?

CDに乗り換えてから、これまた膨大な数のCDをパソコンを使ってコピー(CD-R)しました。

ウインドウズ95が発売されて直ぐですから、もう20年以上前の事です。

しかし今はCDを買ったりCD-Rコピーもする事はなく、昨年から音楽サブスクのspotifyオンリーです。

月額1000円で聴き放題です。

起きている間は、大体spotifyを聴いています。

私にとって、これほどCPが高いモノはありません・・・(涙)。

過去50年でシングルレコード → LPレコード → カセットテープ(オープンリール) → CD(MD)→ CD-R → サブスクと目まぐるしい私の音楽変遷です。

2つの目の織物機械の「エアージェット織機」ですが、その前は昔ながらの「シャットル織機」でした。

1985年にサラリーマンを辞めて家業の織物業に戻ってきたときは昭和30年代から使っていたシャットル織機でした。

子供の頃から織物工場から聞こえる「ガッチャン、ガッチャン」というシャットル音で育ち、それが戻って2年後に空気で横糸を飛ばす「エアージェット織機」にまるっきり変わったのです。

今の自動車業界でEV(電気自動車)は「100年に1度の改革」と言われていますが、30年前の織物業界でもそう言われたのです。

その証拠に、津田駒工業や豊田自動織機といったエアージェット織機メーカーの織機販売の代理店である伊藤忠と丸紅が子会社を作って、日本で最も織物業が盛んだった貝塚市内にその支店を開設したのです。

これには驚きましたねェ・・・

伊藤忠と丸紅のモーレツな売込みと当時バブル絶頂期だったため銀行はドンドン融資してくれました。

その結果、貝塚市には県外の工場も含めると約1000台のエアージェット織機が導入されました。

それも殆ど、清児から木積までの三中地区(木島&葛城小エリア)でした。

1台1000万円と考えると、恐ろしい金額です。

弊社は他社に先駆けてバブル前のプラザ合意後の円高不況だった1987年にエアージェット織機を20台導入しましたので(1986年に契約)、30%安い設備費や建築費で導入でき、当時最盛期だった羽毛布団(1セット20~30万円)の側地生産をいち早く軌道に乗せる事ができました。

しかしこれまで身につけてきたシャットル織機の技術を捨てて、1からエアージェット織機の技術を習得しなければなりませんでした・・・(汗)。

これが1番辛かったですね・・・

しかし何億もの投資金額で、生まれて初めて連帯保証人になりましたので、必死になったのは言うまでもありませんでした。

リスクを負うとは、こういう事なのか・・・と(汗)。

特にユニフル付の自動シャットル織機(坂本式)を改造する為に、地元で大手のN織布の「織機の神様」と全国的に呼ばれる方が地元に住んでおり、たまたま地元の鉄工所で知り合って教えを乞う事になり、弊社にあった織機全台を毎日1台づつ改造していき、稼働率が飛躍的に上がったのです・・・(涙)。

この時の経験で「織機とはこういう仕組みになって、こういう風に治すのだなァ・・・」と非常に勉強になりました。

しかし時の流れは残酷で、弊社を含めて殆どの織屋は倒産廃業し、三中地区で残ったのはたった5社です(最盛期の1960年代は150社)。

という事で、当時新しかった「CD」も「エアージェット織機」も何とか乗り越えられ、またその次の「spotify」と「トランクルームへの転業」に辿り着けたのは、その前段階の「カセットデッキ」と「シャットル織機」の経験があったからだと思います・・・(汗)。

「音楽」と「仕事」という人生における2つの大きな課題に一生懸命取り組んできて否定されるほど情けない事はありませんでしたが、まぁそうやって長年マジメに取り組んできて「変化対応力」がついたのかなぁ・・・?

まぁしかし、そんな歴史を辿ってきた音楽と仕事でしたが、何と約40年ぶりにレコードの音質とシャットル織機の風合いが見直されているではありませんか・・・(驚)。

CDはノイズが少ないですが再生周波数特性がレコードより劣り、エアージェット織機の高速回転に耐えれるように縦糸テンションを限界まで上げて織られたペーパーライクの風合いよりシャットル織機でゆっくり織られた風合いの方が良いのは当然だったのです。

しかしレコードもシャットル織機も商業ベースに乗るかと言えば、そうでもないところが微妙で、この辺がホンと商売の難しいところです。





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「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798  mail: info@sasatani.com

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Last updated  2021.04.20 06:44:05
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2021.04.17
カテゴリ:人生訓
本日から5/31まで1カ月半、弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」を臨時休業しますが、長い目でバンドスタジオ経営というのを考えると、政府の緊急事態宣言を待っている暇はなく、今正に大阪のコロナ感染状況が大変になっているこのタイミングで休業しなければならないのです。

ビジネスだけでなく人生で大事なのは、長期的展望つまりマクロ視点です。

今、グッと辛抱、ガマンすれば、未来が必ず開けるのです。

先日の読売新聞の「時代の証言者」というコーナーで連載されていた、すかいらーく創業者の横川さんの最終回に「83歳商売人 定年なし」というテーマが目に飛び込んできました。

商売人・・・しょうばいにん、あきんど。

一般的にはキーワードとして「ガメツイ」「うさん臭い」「海千山千」といった良いイメージはありませんしイロイロと見方がありますが、この言葉が好きです。

自分を指す言葉として、これがピッタリのような気がします・・・(笑)。

現在5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク&自習室、卓球場、不動産仲介業)を展開していますが、私は高校オケ部でトランペットを担当しドラムを少しカジッタ程度でプロドラマーでもありませんし、卓球アスリートでもありませんし、イケイケドンドンの売買仲介専門の不動産屋でもありませんし、宅建士と不動産コンサル資格とファイナンシャルプランナー(2級FP&AFP)資格は持っていますが国際資格の1番難しい1級とCFP資格は持っていませんし、HTML言語を勉強してWEBサイトのSEO対策くらいしか出来ないプログラマーでもないタダの商売人です。

青春を捧げたウインドサーフィンも大学に学連加盟の同好会を創ったと言っても最高位で全日本選手権で92位で、空手も二段しか取っていません。

関西外大時代も毎朝5時から家業の織物工場に入っていて、空手、ウインドサーフィン、ドラム、ディスコ、ライブハウス、読書(年間200冊くらい)・・・と超多忙な青春を送っていましたので、英語はかろうじて卒業できる程度しか勉強できませんでした・・・(汗)。

見た目もただの小太りのジイサンです・・・(笑)。

大阪に1万社も同業者がいる不動産屋は別にして、他の4つはニッチマーケットに特化して大阪府下で1位ではありませんが、堺市を除いた南大阪(泉州)エリアでは、それなりのシェアがあると思います。

ニッチマーケットでそれなりのシェア・・・というのがポイントです。

企業秘密でも何でも無いですが、この裏に実は大きなコストダウン要因が隠されていたのです・・・(笑)。

まぁイロイロやっていますが「極めていない」・・・中途半端と言えば、確かにそうですが(笑)。

自分を100%近く活かすには、現在の自分の知力、体力、これまでの経験、人脈、資産(貯金、借金、不動産、株)をすべて棚卸して、客観的に戦略を組み立てる事が大事です。

中でも一番大事なのは、もちろん目に見えない経験です。

これまでの経験によって将来が決まる訳で、現在の自分は良し悪しは別にして過去の自分の経験(歴史)の「集大成」と言えば誰もが理解できるでしょう。

まァ、無いモノを羨ましがっても仕方がありませんし、あるモノを上手に活かすしかないのです。

医者や弁護士といったスペシャリストや有名プロミュージシャンを見ると社会的地位と責任があり影響力が大きいという意味で羨ましいですが、自分には自分の道がある・・・と(涙)。

15年前まで「泉州の織屋の社長」として、ある時は繊維の営業で大阪本町を駆けずり回り、また毎朝5時から工場で繋ぎ(タイイング)や油だらけになって機械の修理をし、ある時は事務所で経理や受け渡し(糸と織物)管理でパソコンと格闘し、ある時は軽トラに重量オーバー近い糸や反物やビームを積んで走り、ある時は倉庫内をフォークリフトに乗ってパズルのように糸と反物を整理して、パートを含めたった10人の従業員で355日24時間エンドレス稼働で月産20万mの織物工場を経営していました。

50歳まで「イロンナ事を一人でやってきた」経験が、60歳以降の定年なしに繋がっているのです。

企業ならダイバーシティ的で多様な人材を確保する事が将来の社運を分けますが、弊社のような零細企業は経営者自身の多様性が問われるのです・・・(汗)。

単純で楽な仕事ばかりして、体力や知力の衰えを計算に入れて仕事のスタイルを変えなければ60歳でオワリでした。

50歳までの仕事術は、将来の自分(今の仕事をそのまましていたら右肩下がり)をイメージしながら、徐々に仕事を変えていかなくては60歳以降に繋がらないのです。

言葉を変えれば、大多数のサラリーマンが60歳定年を目標にして働いてきましたが、それを60歳は「単なる通過点」で80歳を目標にするのです。

こう考えると、仕事の質が全く違ったモノになり、これを5年、10年続けると恐ろしい差になってしまいます。

今年私は65歳になりますが、サラリーマンだった同級生の多くは60歳からの継続雇用も終わり、半数以上は無職になり年金頼りになるのが現実です。

しかし65歳で仕事を完全に止めて夫の年金だけで食べていける人はまだ幸せで、実際は夫の年金だけでは食べていけず奥さんも動員してバイトやパートの仕事に励んでいる人が多いのが実態だと思います。

という事で、60歳が定年とするなら、すべては50歳までの2,30年の働き方が問題だったのです・・・

一発逆転や起死回生は可能だと思いますが、それには最低でも5年は掛かると思います・・・(汗)。



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Last updated  2021.04.18 05:46:21
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2021.03.08
カテゴリ:人生訓
人生を振り返ると、「29歳」でサラリーマンから家業(織物製造業)に転職、「49歳」で家業を廃業してトランクルームに転業という大きな節目を乗り切ってきました。

そして50歳で宅建資格を取得して52歳で不動産屋も兼業する訳ですが、「59歳」で3つめの大きな節目として音楽スタジオも起業しました。

この「29歳」「49歳」「59歳」と不思議にもすべて大台(30歳、50歳、60歳)の前年です・・・(笑)。

ここには、自分的には「30歳(50歳、60歳)までにはナンとか・・・したい」という想いがあったのでしょう・・・


特に49歳での「廃業の決断」は人生最大の山場でした。

自分が起業して自分が廃業するなら、誰にも迷惑をかけませんし何も気に留める必要もありませんが、戦後間もない昭和24年に祖父と父親兄弟で苦労して創業した織物業ですから、そこにストップをかけるには私自身ココロの中で人に言えぬ相当な葛藤があったのは言うまでもありません・・・(涙)。

59歳のバンドスタジオ起業は49歳の決断に比べたらオマケみたいなものですが、「この先の残り少ない人生、仕事だけではオモロない・・・」と、40年以上前のドラムに燃えていた青春の日々をフッと思い出したのがキッカケです。

という事で、これまでの人生の3つの節目で何とか切り抜けてきた訳ですが、60オーバーとなったコレからの働き方(と言うより「生き方」)は、生き甲斐を求めるのが中心になろうかと思います。

そういう意味で、今はトランクルーム、不動産仲介、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク室と5つの仕事を15年間一人で営んできましたが、昨年から入った後継者の娘に仕事を徐々にシフトし、これからの私の仕事は3室になった「音楽スタジオ」のパーセンテージを上げていきます。

仕事というより音楽スタジオの「コト消費」で、お客さんの笑顔を見る事が「生き甲斐」になるでしょう・・・

その笑顔をもっと広げるのと、自分自身もドラムをもっと練習して上手くなりバンド加入してイロンナところでライブ活動し、会員数が今の1600人から2500人になるであろう2023年2月頃に第4スタジオ(Dスタジオ)の増設・・・と夢と希望と可能性が広がります。

不動産の売買仲介や建売り業者のように何千万円や億単位の商売をしている業界人から見ると「そんな1時間500円や1000円の儲からへん商売、ようやってんな?」と不思議がられる(笑われる)かも知れませんが、それでもイイのです・・・(笑)。

まぁしかし、まだまだコロナで気が抜けませんし暗い話題が多い中、これくらい明るい話題の一つくらいあってもイイでしょう・・・



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Last updated  2021.03.08 09:21:15
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2020.05.08
カテゴリ:人生訓
日経新聞に女優・岸恵子さんの連載コラム「私の履歴書」の中の一節に「人生は短い!好きな事をやれ!」と学生時代に先生から言われたこの言葉が思い出として残っているそうです。

私はもちろん若い時はまだまだ時間があると思っていましたが、50代半ばくらいからボチボチ「老後」を意識するようになりました。

今年64歳になろうとする今は、もう完全に平均寿命(81歳)からの「逆算」で生きています・・・(笑)。

あと17年しかない・・・と。

17年後には、もうこの世に居ないのです。

それも、だんだん弱っていってフェードアウトするのです。

そんなこと誰も考えたくないですが、これは紛れもない事実です・・・(涙)。

後半、苦しまないように亡くなっていくのだけが、せめてもの願いです。

17年後には上の孫娘は23歳、下の孫は20歳の4人の大人の美人女性?に成長し、ひょっとするとそのうち誰かが結婚して曾孫ができているかも・・・と具体的に想像すると焦ります(笑)。

もちろん100歳まで元気で生きたいのは山々ですが、今回のコロナウイルスもそうですが。これからの将来何があるか分かりませんから。

なので、4年前の59歳の時に個人的に「40年ぶりにドラムを再スタートしたい」という想いから、リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」を始めたのです。

もう10年くらい前の企画当初は家族から反対され資金も無かったので、一度は計画を断念しました。

しかし諦めきれずに、リスクを最小限に抑える為に、先ずは借金しないで長期計画でスタジオ資金を集める事にしました。

何のことはない、不動産仲介業を一生懸命してお金を稼ぐだけの事です。

そこまでして「自分の好きな事(スタジオ起業=ドラム再スタート)」を優先しました。

他社の音楽スタジオ経営の多くは、都会のビルのワンフロアを借りてスタッフを雇っていますので、今コロナで大問題になっている「家賃」と「人件費」がのしかかってきますが、弊社の場合は自社物件でスタッフを誰も雇いませんので、全く初めてのスタジオ経営に関してでも「秘かな勝算」がありました。

もちろん不動産仲介で稼ぐ事が出来なければ、一巻の終わりです。

しかしエライもので、「一念岩をも通す」如く、思ったより短期間でスタジオ資金を稼ぐ事が出来ました・・・(汗)。

この時ほど、一生懸命宅建(宅地建物取引士)の勉強して、業者としての免許も取ってヨカッタ・・・と(涙)。

弁護士や医者は秀才が必死で勉強してもなかなか合格するのは難しく、めでたく国家資格を取得しても1人前に稼げるようになるのも時間が掛かり、この仕事を継続するには精神的にも肉体的にも相当タフでないとやっていけませんが、自己完結型の不動産取引が1人で出来て割と普通の人でもチョット勉強すれば誰でも合格できる「宅建(宅地建物取引士)」のコストパフォーマンスの良さを、改めて見直したのです。

まぁ頭の中は、24時間「スタジオ、スタジオ、スタジオ・・・」の楽しみで溢れかえり、もうマーケッティングもクソも無かったのです・・・(笑)。

客観的に見て「泉大津から岬町まで、2軒しかライバル(スタジオ)がいない」「過去40年間泉州エリアで出来ては潰れの繰り返しで、結局泉州の人間は便利な南海線や阪和線に乗って堺や難波や天王寺のスタジオに行く」という2つの相反する事実だけで、ある意味一種の賭けだったのです・・・(汗)。

「最悪、スタジオをまたトランクルームに戻せばイイや・・」というのが、せめてもの救いでした。

という事で、まだコロナウイルスの収束の時期は見えませんが、今臨時休業しているスタジオも再開した時の計画をすでに練っています。

そして現在1400人の会員数ですが、2000人に達するであろう2022年頃には第3スタジオである「Cスタジオ」増設計画も短期間で再浮上させます。

やはり「人生短し!好きな事やらんと!」です。







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Last updated  2020.05.09 04:18:56
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2020.03.29
カテゴリ:人生訓
1987年に弊社は「100年に一度の繊維機械のイノベーション(技術革新)」と当時喧伝されたエアージェット織機を工場を新築して導入しました。

当時私は31歳。

体力的にもっとも無理が利いて頑張れる年齢でした。

それまでの100年間は「シャットル織機」と言って、木製のシャットル(杼=ひ)の中に巻いたヨコ糸を入れてが左右にシャットルが飛んで織物を作っていました。

そのヨコ糸を空気で飛ばすという従来と全く違った新しい方法で織物を作るのが「エアージェット織機」だったのです。

そりゃもう、その新しいエアージェット織機が搬入されたその日から頭の中を180度変えないと仕事が出来ないという状況に、実際身を置いたのです。

2週間だけ織機メーカーのサービス員が滞在して新工場の立ち上げを指導してくれたのですが、初日にサービス員から「今日から2週間滞在している間あなたに全てを教えますので、私達が去った後は従業員にあなたがすべて指導してください」と言われ、恐ろしいプレッシャーで全身が凍り付きました・・・(驚)。

事前に1週間研修したものの、たった2週間で織機の技術の全てを覚えなくてはならない・・・これほど大きなプレッシャーを感じたのは、私の人生で後にも先にもこの時だけです。

何億も投資して新工場を建設したのですから、織機を使いこさなければ失敗して倒産というストーリーを想像すると夜も寝れませんでした・・・(涙)。

それまでヨコ糸の状況(杼走)をシャットルの停止位置を肉眼で毎日見ていたのが、回転数がいきなり5~6倍になったのですから肉眼では見えないのでストロボの光で見るようになりました。

これが一番オドロキました。

シャットル織機の場合は杼走の状況によって、左右にシャットルを跳ね返すオイルバッファの中のオイルを入れ替えたりオイル漏れを防ぐために定期的にオイルシールを取り換えていたのですが、エアージェット織機になって当時最新鋭の8ビットコンピューター搭載のタッチパネルでエアーを噴き出す4~5個のバルブについた数本のノズルの噴き出し角度を入力するというスタイルに激変しました。

まだ若かったんでしょうねェ・・・この大変革に何の躊躇もなく、逆に面白がって新しい機械の操作に夢中になりました。

エアージェット織機を導入してから2年間は従業員は10人いたのですが、そのうち男子従業員はゼロでしたので、月産20万mの織物工場の現場の全てを重労働中心に自分一人で切り盛りしていました。

幸い当時まだ父親が社長をしていて経理と営業をしなくて済んだので、現場に集中できました。

朝5時から夜の10時まで日曜も工場を止めずにクタクタになって働いたお陰で、働き過ぎで食欲減退になり体重が8キロも減りました。

糸から織物にするという織布業というのはメーカー(加工業)なので、基本は現場です。

特に中小企業レベルでは、経営者が現場を熟知していなければならないのは子供の頃から父親の背中を見て学びました。

徹底的に織物工場の現場経験を積み、100年に一度の織機のイノベーションを乗り越えた事が、後に大きな自信となったのは言うまでもありません。

空手も最初に基本(突き、蹴り、受け、型)を徹底的に稽古することが、組手試合は別にしてイザという時に役立つのかと思います。

という事で、今まさに我々は5G(第5世代移動通信システム)が始まろうとするイノベーションの入口にいます。

どういう世の中になるのか・・・?

不安と期待が入り混じった複雑な気持ちは、ちょうど33年前のエアージェット織機導入前と同じです。

当時のような何億円という金銭的なプレッシャー(借金)が無いのだけが救いですが・・・(笑)。



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Last updated  2020.03.29 12:03:43
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2019.04.08
カテゴリ:人生訓
60オーバーになって、人生を振り返ることが多くなりました。

イロイロ考えると、ちょうど高校入学の1972年(昭和47年)が人生の大きな節目だったと感じます。

今現在、5つの仕事(トランクルーム、不動産仲介業、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室)の中でも、儲からないのに音楽スタジオの仕事に結構な時間と手間を割いています・・・(笑)。

たぶん、この先10年もそうかも知れません・・・

一体何故・・・?

そのカギを解く為には47年前の1972年まで遡らなければなりません。

1972年と言えば、私の中でブラスロックバンドのシカゴの「シカゴ5」とハードロックバンドのディープ・パープルの「マシンヘッド」のアルバム(当時はレコード)発表が真っ先に思い浮かびます。

「何じゃコリャ!」「カッコいい」・・・と衝撃的でした。

得にシカゴの「Saturday in the park」「Dialogue 」「All Is Well」、ディープ・パープルの「Highway Star」「 Never Before 」「Smoke on the Water 」「Lazy」「Space Truckin' 」が好きですねェ・・・

それ以外に洋楽では、レッド・ツェッペリン「Rock and Roll」、ドゥービーブラザーズの「Listen to the Music」、アメリカの「A Horse With No Name」・・・

そして1972年の日本では歌謡曲、フォークソング、ニューミュージックと色んなジャンルが入り乱れて大変な事になっていたのです・・・

私の好きな曲だけで言いますと、歌謡曲ではペドロ&カプリシャス「別れの朝」、青い三角定規『太陽がくれた季節』、 欧陽菲菲『雨の御堂筋』 、奥村チヨ『終着駅』・・・

フォークソングでは、よしだたくろう『旅の宿』、ガロ「学生街の喫茶店」、ビリーバンバンの「さよならをするために」、猫「地下鉄に乗って」、泉谷しげる「春夏秋冬」・・・

あとニューミュージック系では桑名正博が率いるファニー・カンパニー「スイートホーム大阪」や、キャロル「ルイジアナ」・・・

と、1972年は世界の音楽業界は大変な事になっていたのです・・・

その年は私は高校1年、つまり16歳の少年でした。

13歳の中学1年から洋楽の影響を受け・・・高校に入学したそんな多感な年頃に影響を受けないわ訳がありません・・・

最も好きなブラスロックバンド「シカゴ」の影響で、鳳高校入学と同時にトランペットを是非やりたいという事でオーケーストラ部に入りました。

当時は軽音楽部なんていう部活はどこの高校にもなく、吹奏楽部(ブラスバンド)かフォークソング部くらいしかなかったのです。

実はシカゴのブラスロックの影響がもちろん大きかったのですが、前年の1971年に世界中で大ヒットしたトランペット4本編成のブラスロックグループ「チェイス」の「黒い炎(GRT IT ON)」の影響も決して見逃せませんでした(全米チャート22位)・・・

入部して半年くらい経った頃、フルート担当の1年先輩が突然「これからはジャズロックや!」とオケ部を飛び出しシカゴのコピーをするために「音楽愛好同好会」を結成しました。

2年生バンドがシカゴの「Ballet for a Girl in Buchannon」という15分もある組曲をヤルという事で、フォークソング部からドラム、ホーンセクションはオケ部から、どこから集まってきたのかギタリストも?・・・という構成で練習をやりだしました。

私はもちろん参加したかったのですが、まだトランペットを始めて半年も経ってなかったので中学からキャリアのある同級生2人に声が掛かりました・・・(涙)。

同じ1年生バンドは何処からメンバーが集まったのか同時流行っていたキャロルの「ファンキーモンキーベイビー」をヤッテいました。

当時の鳳は前年まで学園紛争(学生がゲバ棒を持って暴れる・・・)で大変な事になっていたようですが、学生運動が完全に終結した1972年はその反動で学内には自由が満ちていました・・・

単車通学OK、遠足は自由な服装で各クラスが自由に決め現地集合現地解散、何故か同級生に美人も多く?、それまで丸坊主の貝塚の田舎の中学生だった私にとって、突然天国に放り込まれた感じでした・・・(笑)。

中庭でガンガンとバンドの練習をしていても、音楽の女の新任の先生は「○○君、カッコイイ!」という始末・・・(笑)。

音楽系部活だけでなく、一般の学生もフォークギターを持ってきて休憩時間や昼休みに弾いていたり、昼の放送時間も毎日誰かが持ち込んだレコードをガンガン流していましたねェ・・・

放送部に友人がいましたので、私もよくシカゴのレコードを掛けてもらいました。

学生集会でも毎回最後には、何故か?5つの赤い風船の「遠い世界に」をフォークソング部主導でみんなで歌っていました・・・

そんな音楽に満ち溢れた高校生活が多感なハイティーンだった私に影響を与えていない訳がありません。

翌年の1973年4月にシカゴのコンサートに1人で行きましたが、おそらく当時の音楽月刊誌「ミュージックライフ」や「ライトミュージック」からの情報で、1972年末あたりにチケットを買ったのだろうと思います。

大阪の地下鉄を1人で乗ったことも無かったので、チケットを買いに厚生年金まで難波駅から迷いながら1時間掛けて歩いて行きました(当時はプレイガイドも無かった)・・・(笑)。

1972年までのシカゴのメンバーの衣装はラフな格好だったのが、世界的に見てイギリスのプレグレスロックの影響か、73年の来日公演にはギンギラギンの衣装を着ていたのには驚きました。

そんなことにもファッションが影響されるのかと。

そんな音楽に浮かれていた高校時代ですが、一方で家庭内では大変な事になっていました。

当時の日本の佐藤首相と米ニクソン大統領との間で交わされた「日米繊維交渉」で家業の織物業が岐路に立っていたのです。

父親から「明日からは風呂は2日に1回やどォ・・・」とか「ジーパンは月に1回しか洗ったらアカン・・・」という具体的な節約命令が出ました。

子供心に「一体どうなったんや?・・・・お金は大丈夫やろか?学校にいけるんやろか?」と不安で不安で仕方がありませんでした。

これまでドンドン織ってアメリカに輸出するために染工場に出荷していたのが、輸出できないので倉庫に出荷先が変わったのです。

日米繊維交渉が家庭を直撃していたのです・・・(涙)。

当時の事情を読売テレビに取材され、2年前に安倍首相がトランプ大統領に会いに訪米したその日に「情報番組ten.」で放映されました。

安倍首相に「45年前の二の舞を踏んだらダメですよ・・・」というメッセージを言外に伝えたかった(国民にも)のだろう・・・というディレクターの意図だと思いますが、大手民放のディレクターは「ソコまで考えるか!」という驚きの方が大きかったですねェ・・・(笑)。

という事で、1972年というのは私にとって音楽的にも衝撃的な1年だった事もありますし、外部事情で生活が脅かされるという恐ろしい経験を高校1年生でしたことが、その後の人生観に大きく影響したことは言うまでもありません。

それが、今のリハスタ経営に繋がったのかどうかは分かりませんが、「世の中の移り変わりは早い・・・好きなコトを出来るうちにしたほうがイイ・・・よ。」てな人生観を若いうちから持ち得たのかも知れませんねェ・・・













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Last updated  2019.04.29 15:22:01
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2018.06.03
カテゴリ:人生訓
先日のカンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督の「万引き家族」が最高賞のパルムドールに輝きました。

この関連番組で是枝監督の出演者のリリー・フランキー氏に対する人物像で「彼は欲が無いのが強み・・・」と評されました。

ナルホド・・・

俗に「無欲の勝利」というヤツとピンときました。

リリー・フランキーさんの肩書きはイラストレーター、ライター、エッセイスト、小説家、絵本作家、アートディレクター、デザイナー、ミュージシャン、作詞家、作曲家、放送作家、演出家、ラジオナビゲーター、フォトグラファー、俳優・・・とマルチタレントと言われます。

私が思うに、リリーさんが俳優業で演技をする場合、「別に失敗したってイイじゃ無い・・・他の仕事でメシが食えるんだし・・・」てな事を心の中で考えて、本番に臨んでもで緊張せずリラックスして本来のパワーを出せるのかと思うのです。

この緊張せず(しない)・・・と言うところがポイントです。

コレが実際なかなか難しいのです・・・

しかしコレが出来るのは、一言で言うと「精神的余裕」だと思うのです。

毎年5月の岸和田フェスティバルで空手の演武をするのですが、それまで一生懸命稽古を重ねるのですが、必ず本番で失敗してしまいます。

一生懸命頑張らねば、間違わないようにしなければ・・・と思えば思うほど緊張し、失敗するのです。

一体どうすりゃイイのか・・・と毎回泣きたくなります。

リリー・フランキーさんのスタイルを真似れば、「別に空手でメシを食うわけでは無いし、間違ったらそれが新しい自分の技なんやと開き直ればイイやん・・・」てな具合に単なる練習で、観客はみんな幼稚園児やと思えば気も楽になりますし、相手(観客)を飲めばノビノビ堂々と演舞出来るはずです・・・(笑)。

今一生懸命Led Zeppelinの「Trampled Under Foot」をドラムレッスンで練習していますが、あるフレーズを何10時間も練習しましたので、自信満々で先生の前でイザ叩くと・・・「あれ?叩けない!どういうこっちゃ?」という事態に陥りました(涙)。

一体全体、どうなっているのか?・・・です。

そんな単なる練習でも、先生(人)の前で緊張して実力を発揮できないのです。

その裏には「先生の前で(これだけ練習してきたんだから)エエ格好をしてやろう・・・」という見栄が邪魔をして緊張を生み出し、脳から身体(手と足)に上手く伝達していないのだろう思います・・・(涙)。

ゴルフでもイップス (yips) という精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、突然自分の思い通りのプレー(動き)や意識が出来なくなる症状が有名です。

優勝が掛かった最後のパットが、手が震えて出来ないとかよく聞く話がソレです。

昔の弁護士(司法)試験会場に救急車が待機していたという話も、青春を犠牲にして長年毎日10時間以上も受験勉強している受験生が殆どで、たった年1回の試験に運命が分かれるプレッシャーに耐えられず会場で発狂するケースと同じような事だと思います。

そこで問われるのは「精神的余裕」なのです・・・

人に言えませんが、私も50歳の時に受けた宅建試験会場で、プレッシャーに押し潰されそうになり頭が真っ白になってしまい30分間全く何も書けませんでした・・・(汗)。

不幸中の幸い後半意識を取り戻し、当時合格ボーダーライン(35点)ぎりぎりの37点で何とか1発で合格できました。

ただ家でやみくもに勉強しただけで、模擬試験も何も受けずいきなり本番試験に臨み、精神的余裕が全くなかったからです・・・(涙)。

特に試験本番前の1週間は仕事を休んで1日18時間も受験勉強していたため、こんな辛い事もう2度としたくない思いで、「今回の受験限りで、不合格なら別の道を歩もう!」と心に決め、背水の陣で臨んだ事が更に緊張に輪を掛けてしまったのです・・・(笑)。

「ダメなら、また来年受けよう・・・」てな軽い気持ちで受けたら、最初からスラスラ書けたのでしょうけど。

他人から見ても自分でも相当図太い神経をしているように思っていましたが、案外根は繊細なんですね・・・(笑)。

振り返って仕事に関しても、今トランクルーム、不動産仲介、音楽スタジオ、卓球場、自習室と5つの仕事を1人でしていますが、みんな極めること無く中途半端と言えば中途半端です・・・(笑)。

トランクルーム以外、それ単独だけでメシは食えません。

しかしこれが、逆にメリットなのです。

単独でメシが食えなくても全体でオーライですから、細く長く続けられるのです。

この「細く長く」というのがメチャメチャ大事で、経費の掛かる大企業ならとっくに撤退しているようなビジネスでも、零細企業でも工夫次第で上手に「拾える」のです。

まァどれか一つに集中せずに、バランスを取りながら満遍なくボチボチ仕事をやることによって、緊張せずそして客観的になれるのです。

決してアツくならず、いつも冷静な判断を下すことが、案外ウマイ具合に?仕事が回っているのかと思うのです・・・

音楽スタジオだけがドラマーですので、どうしても楽器機材にコダワリを持ってしまう自分に、ブレーキとアクセルを調整するのに苦労しますが・・・(笑)。

まァしかしビジネスですから、精神的に乱高下しがちですが、それを上手くコントロール出来るか否かで経営者の器が問われます。

その器が「精神的な余裕」だと思うのです。

零細企業で借金が1億円もあれば、毎晩枕を高くして寝れないのが普通です・・・

資産が借金の10倍の10億円があったり、利益率が高く儲かっていれば熟睡できますが・・・(笑)。

1%の才能のあるスペシャリストは別ですが、例えば殆どのプロミュージシャンやサラリーマンにおいて「これ1本(一筋)しかない!」「会社に人生を捧げる」というのは他人が見たら確かに美しいかも知れませんが、自分や家族の「幸せ&メシが食える」とはまた別次元の問題です。

冷静に考えたら「これに失敗したら、人生終わり・・・」では無く、他にいくらでも人生の選択肢があるのに思い詰める・・・コレだと悪循環に繋がります。

まァチャンネルや選択肢を1つでも増やすべく、プロミュージシャンは著作権で稼げる(守られる)作曲や作詞の勉強をし、会社は一勝面倒を見てくれませんのでサラリーマンは年収アップの為に独立(違う道)の可能性がある副業にも勤しむ(別のスキルも磨く)べしです。

ある意味、こういった「危機分散化」が心の安定や平安を保つのです・・・

事実は1つ、考え方は2つ。

ポジティブに考えるか、ネガティブに考えるか・・・それは自分次第だと思います。




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Last updated  2018.06.03 16:39:26
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2018.02.15
カテゴリ:人生訓
今年62歳になりますが、12年前に祖父の代から約60年続いていた大阪泉州の地場産業であった織物業を廃業し、織物工場を改造コンバージョンしてトランクルーム業に転業しました。

その1年後に宅建資格を取り不動産仲介業も始めました。

そしてトランクルーム(全171室)の空室対策として、空き部屋を改造して2016年にリハーサル音楽スタジオ(スタジオ0724)、2017年に卓球場(貝塚卓球センター)と自習室(レンタル自習室0724)を始めました。

更に、毎週火曜日10:00~12:00はスタジオを無料で開放してで空手指導のボランティアをしています。

夏は風が吹けば平日でも、関空近くのマーブルビーチでウインドサーフィンを適当に楽しんでいます。

ウインド仲間の多くは(50代中心)寒い冬も白浜などでやっていますが、私は持病の高血圧症もあり、そこまで元気はありません。

しかし出来るだけ健康寿命を延ばし、80歳までボチボチ楽しもうという細く長く気の長い計画です・・・(笑)。

イロイロやっているように見えますが、実は恥ずかしい話、皆私の「青春時代の失敗談」から来ています・・・(笑)。

来ていると言うより、引き摺ってきた・・・と言うべきか?

もちろん、12年前の織物業からトランクルームへの転業も、家業を継続できず先祖に申し訳なかったの一言です。

言い換えれば「織物業の継続に失敗」と言えます。

倒産せずに上手く転業できましたが、あと2年無理して頑張っていれば2008年のリーマンショックで潰れていたでしょう・・・

今考えれば、正にキワドイところだったのです・・・

無理せず余裕を残して廃業した事がラッキーだったのです。

バブル前年の1987年の円高不況時に安く設備一新したのもラッキーでしたが、廃業で中古織機を北京オリンピック好景気に湧く中国に転売できたのもラッキーでした。

私は株の売買はあまりしませんが、株と同じように安く仕入れて高く売り抜いたのです・・・(笑)。

設備には建物を2棟壊して工場を新築しましたので何億もかかり、単なる株の売買と違って正に死活問題だったのです(汗)。

転業から2年後に始めた不動産屋(仲介業)も、従業員を1人も雇っていませんので大きな事はせずに、貝塚市に絞ったエリア限定の仲介オンリーというスタイルです。

あくまでもトランクルームがメインなので、片道15分以内の物件に限定しているのです。

片道30分なら時間のロスにもなり広範囲になってしまい、昔の細かい事は分かりません。

片道15分以内なら、50年前は「どうだったのか?」というのが大体分かるものです。

それがネイティブによる地域密着型不動産仲介の強み・・・と言えるかも。

エリア内の自社の両手仲介だけでなく、大阪市内といったエリア外の同業者からの貝塚市内の物件の共同仲介依頼にも発展するところが弊社の強みと言えるかもしれません。

案外、地元民は地元の不動産屋に相談すると中身がバレるのが恥ずかしいのか、弊社エリア外(岸和田、泉佐野、堺、大阪市)の不動産屋に相談しているケースもあり、そういう情報(オープンな)が弊社に流れてくるのも皮肉なものです・・・(笑)。

もちろん不動産屋には守秘義務があり、クローズドな個人情報を漏らすと罰せられるので安心して欲しいのですが。

まァ、無借金経営を貫き、仲介物件を一件一件積み上げていき、地元での信用を長年かけて創り上げていくというロングスパンの計画です。

音楽スタジオを始めたのも元はと言えば、中学1年の時に洋楽ロックに目覚め、ブラスロックのシカゴに憧れ鳳高校オーケストラ部でトランペットを始め、大学時代は地元中学の同級生らとバンドでドラムをやったり、高校同級生のフォークバンドでボンゴをしていたのがキッカケです。

しかし、いつもハモリ専門のサードトランペットで、憧れの旋律を吹くファーストは結局吹かせてもらえませんでした・・・(涙)。

それどころか、3年になると優秀な後輩にトランペットを譲り、適当に指揮者やスネアドラムをやらされていました・・・

勉強も低空飛行で、最初は工学部建築学科希望で理系の勉強をしていましたが、浪人になって私立文系に様変わりして、色んな科目を適当に勉強していました・・・(笑)。

まァ一言で言うと、「暗く悶々とした青春時代」と言えるでしょう。

関西外大(英語)では殆ど勉強しませんでしたが、片道2時間の通学時間を無駄にせず毎日1冊本を読むことを自分に課し、家業の織物業を朝5時から2時間手伝ってから登校し、空手やウインドサーフィン、ドラムを適当にして土曜の夜はミナミのディスコによく繰り出しました・・・

当然、英語も仕事で使えるほどペラペラにはほど遠く、海外旅行でチョット使える程度のショボい英語力だったのです・・・(涙)。

まァ空手でも同じ流派の全日本クラスの人達と一緒に稽古すると、彼らの鍛え抜かれた恐ろしいスピードと気迫に次元が違うと落胆し(こりゃ無理だと)、ウインドサーフィン全日本選手権でもトップクラスの人のテクニックとセンス(見えない風が見えるという)に圧倒され自分が情けなくなりました・・・

空手もウインドサーフィンも小柄私にとって不利なので、体格(体力)差をカバーするには筋肉増強でパワーを付けるしかないと、和泉大宮駅近くにあったボディビルディングジムに通い始めました。

周りはミスター大阪○位といかいう、マッチョばかりの本格的なボディビルダーばかりです。

たまたま代表の方が叔父が経営する会社の元従業員だったため、甥だった私に対して親切に指導して頂き非常に良くしてくれました。

当時は「筋肉を付けるのは25歳まで」という常識があり、焦って未だ日本でプロテインが発売されていなかったので、通販で買ったアメリカ製の不味いプロテインを牛乳で混ぜて鼻をつまんで飲んでいました・・・(笑)。

元々マッチョが目的ではありませんでしたが、それなりに一生懸命通ったお陰で筋肉が多少付いて、スポーツタカハシカップというウインドサーフィンの大阪のローカルレースで優勝した事で大いに自信を深めました。

筋肉という意味でこれも中途半端に終わりましたが、当時まだまだ未開拓なボディビルという体験と勉強によって、その後のコナミスポーツやジョイフィットの筋トレに大いに役立ちました。

まァしかし実力ミュージシャンのライブで感動するのと同じように、トップレベルの競技者と同じ土俵で戦う体験ほど目を覚まさせるショックはありません・・・

ドラムセットを中古で買って自宅の音が漏れくい土蔵で練習しましたが、我流だったため1年半で挫折してしまいました・・・(涙)。

その他、オーディオにも懲りましたが、本当のマニアのように何百万も掛かるような事はせずに、オープンデッキ、カセットデッキ、スピーカー、アンプ、チューナー、レコードプレーヤー合計で5,60万くらいのソコソコの音質グレードに押さえ、それより車など何処でも聴けるようにFMラジオのエアーチェック中心にカセットテープにせっせとノイズリダクションを掛けてダビングしていましたねェ・・・

今思えば感心しますが、毎週FMレコパルか週間FMを買って赤ペンでダビングする曲をマークしていた「芸の細かさ」が、その後の織物工場での「カイゼン」や多品種小ロット対応、171室もあるトランクルームや会員数700人を超えたスタジオの対応を一人で熟してイケているのかと思います。

まァ、この一見無駄のようなオーディオの知識と経験が、その後織物業の防音と防振対策に、音楽スタジオの設計に大いに役立つとは夢にも思いませんでした・・・

金額に換算すると、ウン千万円の節約(価値)です・・・(驚)。

普通道楽は大損をするものですが、好きな道楽がウン千万円に変わるとは、私も先見の明があったのか(笑)。

小中学生時代も図画工作が好きで成績はずっと5でしたが、これも中途半端で画家に成るほど才能はありませんでしたが、トランクルームに転業してから大いに役立ちました。

何故なら、部屋の中にロフト(棚)を作ったり、床や壁にペンキを塗ったりするのに大いに役だったのです。

まァしかし、当時自分なりに一生懸命頑張った結果、みんな中途半端に終わっていたのです・・・(涙)。

若い頃はファッションも趣味や世相に影響されやすいものですが、当時のロッカーはロン毛にパンタロン、空手は硬派な角刈り、サーファーはアメリカ西海岸ファッションという完全に見分けが付くファッションをしていましたが、私はサーファーっぽいパンチパーマというこれまた中途半端なファッションをしていたのです・・・(笑)。

まァしかし、本当に一生延命ヤリ続けたというのは家業の織物業だけ・・・という事になります。

これには優勝も何もありませんが。

一生懸命ヤッタと言うより、一生懸命しなければ学費も稼げませんし生活が掛かっていましたから。

中高時代から工場の荷作りや掃除などの雑用をチョロチョロやらされ、浪人時代から本格的に従業員のように組み込まれました。

大学時代は毎朝5時から2時間働き、長期休暇(夏、冬、春)となれば12時間働き、大学生とは名ばかりで工場従業員そのものでした・・・(笑)。

夏の織物工場は一歩中に入ると汗が直ぐに噴き出るような、騒音100デシベル、室温40℃、湿度90%の非常に過酷な現場でした。

お陰で、デートするときは身体の油臭さを取るのに苦労しました・・・(笑)。

しかしそんな環境でも、人間というのは慣れるんですねェ・・・

お陰で難聴(職業病)になりましたが・・・(笑)。

織屋を辞めるとほぼ90%治りましたが・・・ここでも人間の順応性にビックリ。

織屋の基本である「機織り」「つなぎ(タイイング)」「検反」「荷作り」「掃除」を徹底的に叩き込まれ、従業員の採用面接までしていました。

そこまで長男の私にさせるのは、長年父親は心臓病を患っていたため、早く交代させたかったのでしょう・・・

仕事だけでなく、若かった私もイヤだった村の行事や親戚の付き合いにも行かされました。

これにはホント参りました・・・

20歳ソコソコで、5,60代のオッサンとどんな世間話をすればイイんですか?

話題に困り果てましたが、当時必死にアレコレ考え喋って切り抜けたのでしょう・・・(笑)。

しかし、今思えばコレが良かったのでしょう。

人間本来は怠け者で、イヤなことは避けたいものです。

しかし、そんな事を続けていると人間として成長が無いどころかダメ人間になってしまいます。

窮地に追いやられ、切羽詰まらないと「努力」しないものです。

そんな環境に追いやられて、今では感謝しているのです(笑)。

今、男性の定年退職後に孤立するのが社会問題化しつつありますが、60歳で地域社会デビューしても手遅れなのです。

まァしかし、家業の手伝いと家の事だけシッカリやれば、後は男だから好きなようにせよ・・・と父親は何も言いませんでした。

なので、だんじり祭に狂って他所のだんじりの太鼓を叩き荒らしても、ウインドサーフィンに凝って大学に同好会を創っても、空手の練習で顔を殴られ腫らしても、何も言いませんでしたし、私も反抗期だったので報告も何もしませんでした・・・

20代のサラリーマン経験もそうでしたが、青春時代に自分のヤリタイ事を自分なりに一生懸命した結果「限界」を感じて方向転換した事がヨカッタのだと思います。

また、それを経済的時間的に許してくれた20年前に亡くなった父親に感謝しかないです・・・(涙)。

その青春時代の中途半端に終わってしまった経験があったからこそ、49歳の時に家業の織物業に「限界」を感じて、トランクルームに「方向転換」させたのだろうと思います。

1つの事だけに拘らず、イロンナ事にチャレンジし自分なりに一生懸命ヤッテ、限界を感じる・・・この経験がイイのだろうと思います。

限界を感じたら、「次はどうしよう??」と必死に自分の脳ミソを考えるのがイイのです。

還暦を過ぎて言えることは、「人生、これ(限界を感じる)の積み重ねかなァ・・・」と(笑)。


これまで周りを見ると、才能があって努力家でソコソコのところまで行っても、途中で身体を壊してしまう、或いは売れない(世間に認知されない)とか、ウインドサーフィンのようにブームが去ってしまって自分の努力ではどうしようも無いという境遇に追い込まれる・・・というシーンを多く見てきました。

所謂1つの事に青春を捧げてきても、極々一部の人を除いて殆どの人は実を結ばない(それでメシを食っていけない)・・・という厳しい現実です。

この事は、若い頃から1つの事だけをヤッテはいけない(2つ以上の事をせよ)・・・という啓示か?

拡大解釈すれば、社会人になって1つの会社に縛られず、常に他の事(他社でも通用するスキルを持った仕事術)にも関心を持てと言えるかもしれません。

昔と違って特に今の変化の激しいグローバル化した時代、定年まで3,40年ずっと同じ会社で同じ仕事というのはあり得ません。

どこかで転職、転業、リストラ、起業せざるを得ない時代と言えるでしょう。

そうなった時に、自分や家族を守る(収入を得る)スキルや経験や人脈がなければなりません。

資格なんて独占業務の国家資格以外殆ど即戦力にならないと、その時始めて知っても後の祭りでしょう・・・

という事で、もう最近年を取ったのか昔の回想ばかりです・・・(笑)。

昔の回想をして、将来の妄想をしているのか・・・(笑)。

今振り返って、空手も中途半端にやっていたお陰で身体も壊さずに今でも年齢に応じた空手の稽古に励んで(楽しんで)いますし、ウインドサーフィンもマイルドなボードに変えたお陰であと10年は楽しめそうです・・・

ドラムも月3,4回弊社音楽スタジオのレッスンに通いながら、ボチボチロックを楽しみながら叩いています。

ドラムも何とかこの年でチョット叩けるのも、若い頃に身体を壊すほど運動しなかった事も幸いしたのは勿論、祭りの大太鼓の練習や空手の基本稽古で正中線と体幹を拳立て伏せで手首を鍛えられ、身体の中心から手首への連動運動(振り)を身体で覚えたのがヨカッタのだろうと思います。

ブラスロックのトランペットをしたくてオケ部に入って、家ではロックを聴きオケ部でそれまで殆ど興味も無く聴く事も無かったクラシックと映画音楽を中途半端に体験したことによって、音楽に対する許容範囲が広がった事もスタジオ経営にプラスに働いているように思います。

ロック+クラシックが、その後ジャズ、ラテン、フュージョン・・・に広がっていったのです。

今では、日本で発売されていないようなワールドワイドな曲をYOU TUBEでドンドン聴いていますし、スタジオの若い子らが演奏している今風な曲にも拒絶反応は起きません・・・(笑)。

空手もウインドもドラムも中途半端に終わってしまったから、「いつか、もう一度・・・」という強い想いがあったのでしょう・・・

しかし、20年前の今頃はまだ暗くて寒い朝5時に出勤し、クタクタになるまで夜遅くまで仕事をし、帰ってビールを飲んでバタンキューの繰り返しでした。

血圧も高いのに、26℃の織物現場と0℃の倉庫をしょっちゅう行き来していましたので、身体に良いはずがありませんし、長年の過酷な肉体労働によって慢性腰痛(ヘルニア)になっていたのです。

そこから解き放たれて、今はホント自由奔放か・・・(笑)。

長年織物業で苦労した反動で、今は一人でトランクルームを主軸に不動産仲介業を加え、ここ2年の間に始めた「チョット遊びを取り入れた」スタジオと卓球場に力を入れていきたいと思います。

特にスタジオは決して儲かりませんが、可能性は無限大にあると信じています。

可能性というのはスタジオを始めたミッションで、「泉州に音楽を広める・・・」という事です。

何でもそうですが、「自分にしか出来ない事」に人生の意義があり、そういう意味で広い音楽スタジオのオーナーである私しか出来ない事を考えました。

その第一弾として、今年からスタジオのメインユーザーである高校生をバックアップするために、高校生バンド大会「0724ライブ」を毎年3回開催したいと思います。


そして10年後には、4人の孫娘がガールズバンドを組んでいる・・・という勝手な夢を見ているジイサンがここにいました(笑)。

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Last updated  2018.03.10 11:31:33
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2017.07.18
カテゴリ:人生訓
先日テレビの音楽番組で、歌手の加山雄三さんを見ました。

今年80歳になったそうです・・・(驚)。

若い!・・・とても、80歳には見えません・・・せいぜい70歳くらいにしか見えません。

正に、驚き意外何ものでもありません。

と同時に、彼の未だに「現役バリバリ」で好きな音楽の仕事をしている姿に感動です・・・

彼の姿に1ミリでも近づきたいですねェ・・・

しかし、彼の若々しい「元気の源」は何でしょうか?

明らかに、内面から迸る情熱をヒシヒシと感じます。

その情熱の源は、「音楽」と「海」ではないでしょうか・・・

音楽を愛し、海も愛する・・・

ビーチでノンビリ音楽を聴く・・・なんて、もうサイコーというのがそれを証明してます。

それって、チョッと・・・ボ、ボクと一緒じゃないですか・・・(笑)。

次元もレベルも違いますが・・・方向は同じかも?

まァ、いくつになっても好きな事を「現役」でヤッテいるんでしょうねェ・・・

それがストレスフリーに・・・

そして、この「現役」というのがポイントで、決して引退しないのです。

もちろん、年齢を重ねると共に仕事量を減らす事はあってもゼロには決してしないという事で、死ぬ時にやっとゼロになるんでしょう・・・

まだ「現役」でいる間は目的もありますし、毎日気を張って生活する事がイイんですねェ・・・

これなんです。

これこそが正に、生き甲斐なんです。

特に我々60歳定年を向かえた人間にとって、これがあるか否かで今後の長い余生がウンと違ってきます。

定年だから、遊びまくる・・・と言っても、いくら金があっても毎日遊びまくれるものではありません。

ただ、虚しいだけです・・・

去年サイパンに行った時、平均年齢70歳のウインドサーフィンのロングステイ軍団「サイパン少年隊」のひとりが、ポソッと「あんたみたいに、まだ現役で仕事を頑張っている内が花だよ・・・」と寂しく語ったのがとても印象的でした。

仕事を引退してサイパンにロングステイして好きなウインドサーフィンを毎日しても、やはり仕事をバリバリしながらウインドサーフィンをやっていた時の方が生き甲斐があった・・・と言いたかったのでしょう・・・

確かに・・・

私も織物業を廃業する前年は本当に仕事が無くて、それまで19年間ずっと土日も工場を止めずにいましたが、その夏に1か月だけいきなり土日操業を止めざるを得なくなりました。

週7日操業が、週5日操業に激減してしまったのです。

工場を新設して以来の「一大事」でした。

そのある土曜の朝、ウインドサーフィンに出かけましたが、心の底から楽しめないのです・・・

心の中に仕事に関する不安があれば、何をヤッテも楽しめない・・・

サイパンの仕事を完全引退した70歳ウインドサーファーでも、年金だけでは思う存分遊べないという不安・・・そして医療費高いサイパン(アメリカ)で病気になるのが心配・・・という事だったのでしょうか・・・?

いずれにしても、音楽も海も人のココロを癒してくれます・・・

私も早朝から新聞を読みながらBOSEのブルートゥースで静かなボサノバやジャズやクラシックを聴き、調子がノッテきた朝から事務所では仕事をしながらずっと好きな音楽をDENONのミニコンポで聴き、風呂とビーチはJBLの防水ブルートゥースで、軽トラではパイオニアのカーステでiphoneを聴き、ノッテきたら時にスティックでハンドルを叩いてます・・・(笑)。

もちろん、スタジオ客の少ない朝に、大音量でハードロックを聴きながらドラムを叩いてますが・・・(笑)。

リハスタ経営をしていますので、これって合法的?です・・・(笑)。

去年今年と海になかなか行けてませんが、これまで散々海でウインドサーフィンしてきましたら身体中シミだらけです・・・(笑)。

しかし、シミを遥かに超える爽快感や充実感を味わってきて充分お釣りが来ます。

イヤ、あのウインドサーフィンの海上でのプレーニング(滑走)感覚は、爽快感を遥かに超えた陶酔や恍惚を伴う「快感」で、もはや病められない健康的な麻薬?みたいなものです・・・(笑)。

もう、それに憑りつかれて39年にもなりますが・・・(笑)。

今の日本のウインドサーファー像は、平均年齢50歳オーバーのオッサン達です。

残念ながら、若者や女子は殆んどいません。

では、何故50オーバーのオッサンなのか?

それは、私の周りのウインドサーファーの多くが音楽(楽器)をヤッテいる、音楽が好きだ・・・と関連性があるのかもしれませんねェ・・・

大阪のウインドサーフィン界のレジェンド、つまり42年前に初めて大阪でウインドサーフィンを始めた私のウインドの師匠(先輩)に当たる人達は(泉南フリートの創設者)、実はミュージシャンだったのです。

※フリートというのはビーチにあるウインドサーフィンの愛好団体。

泉佐野の貝田に40数年前にかつて「シンバル」というジャズライブハウスがあり、そこのハコバンを先輩らがヤッテいたのです。

そして泉南フリートから別れた二色浜フリートの創設者Y氏が、今は岸和田駅商店街で中古ギター屋さんを営んでいるところが、やはり音楽と海は切っても切れない関係で、60半ば超えたY氏の未だ衰えないバイタリティの秘密なんだろうなァと思うのです・・・

まァ人間って言うのは、インドア(音楽)とアウトドア(海)のバランスを取って生きるのがごく自然で、一番ココロと身体に優しいなんだろうなァ・・・と思う今日この頃です。



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Last updated  2017.07.26 05:21:15
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