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     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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全8件 (8件中 1-8件目)

1

愉快なサラリーマン時代(20代)

2020.02.25
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元イギリス首相チャーチル『金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことはすべてを失う』と言った名言は有名です。

ならば、「勇気」はどこで学べばいいのか・・・?

学校で学べるだろうか・・・?

少なくとも9教科では学べないでしょう。

学べるとしたら、柔道部や空手部やラグビー部といった格闘技系の部活でしょうか。

社会人になって学べるでしょうか・・・?

難しいですねェ・・・勇気を養うのは。

私がチョットだけ勇気を養った・・・と言うのもおこがましいですが、20代のサラリーマン新人時代の「新規飛び込みセールス」が役に立ったように思います。

大学卒業後に就職したのが、建築建材金物メーカーの営業でした。

もちろん最初から「まいど~」と笑顔でセールスする人間なんていません。

忘れもしません。

1番最初に業務用のビル工事に納品施工していた長尺ピクチャーレールを短くカットして画材ルートに初めて飛び込みセールス行った時に、前の喫茶店で「いけるかなぁ・・・恥ずかしいなぁ・・・行ってきた事にしようかなぁ・・・断られたらどうしようかなぁ・・・」と2時間も悶々としていたのです・・・(笑)。

そして2時間後、「こりゃ、行くしかない!エイヤー!」と気合を入れ席を立ち喫茶店を出ました。

「お客さん、お金を払って!」と店員さんが後を追いかけてきました。

なんと、興奮しすぎて支払いを忘れていたのです・・・(笑)。

そして勇気を振り絞り、イザ売り込みへ・・・

「こんにちわ、○○という者です。これが弊社の商品です。特徴は・・・・・・・・」と心臓が張り裂けそうになりながら、一方的に喋って出てくるまでたった1分・・・(笑)。

これが営業マン人生の始まりでした。

それほど、相手の背景や属性が全く未知数の初めての人と喋るのは緊張するのです。

当たり前の事ですが。

ただ喋るだけでなく、相手が買いたくないのに無理やり買ってもらうように説き伏せるのです・・・(笑)。

それを一連の行動としてビビらずに平常心をもってするには、勇気以外ナニモノでもありません。

今の美人妻をビーチでナンパしたのと全く同じです・・・(笑)。

お見合いは勇気は要りませんが、ナンパは勇気が要りますよ・・・(笑)。

お見合い結婚は恋愛結婚と違って「短期勝負」なので、別の意味で勇気がいるかも・・・(笑)。

まァ、売り込んで「こいつ、勇気のあるヤツやなぁ・・・」と思わせればしめたものです。

しかしそれが、当時新人の私に課せられたミッション(仕事)だったのです。

慣れてくると「別に文化も言語も違う外人に英語でセールスする訳とちゃうさかい、大阪弁やから簡単や・・・」と相手を完全に飲んで喋っていましたねェ・・・(笑)。

それから営業マンとして1年間1000人、3年間で3000人と名刺交換(新規売込み)しました。

金物問屋、ホームセンター、大手量販店、百貨店、器物ルート、店装ルート(店舗設計)、ディスカウンター、工具商社、大手通販、家電チェーン、建材問屋(店)、ガラス店、木工店、建具店、家具チェーン店、黒板メーカー、カーテンレールメーカー、カメラ量販店、バラエティストア、東急ハンズ、園芸問屋(店)、画材問屋(店)・・・今思い出しただけでイロンナ業種に食い込む努力をしていたんだなぁと思います・・・(涙)。

まァ3年間3000人・・・イロンナ人との出会いがありました。

そりゃ、もう中身の濃い3年間でした。

その背景には入社1年目で結婚し、翌年に長女、そのまた翌年に次女が誕生したという事情が尻に火をつけたのでしょう・・・

真面なビジネスですから危険な目に合っていませんが、目の前で渡した名刺を捨てられたり、何回集金に行っても金をくれなかったり、鳥取と島根への出張で方言が3年経っても理解できなかったり、月曜から1週間の地方出張で売り上げが未達成で土曜朝の会議に間に合うように金曜の夜から夜中ずっと高速道路を運転したり、好業績の取引先の会社の役員にその秘密を聞きだしたり、全く関係のない有名営業マンにセールスの秘訣を聞きに行ったり、担当外のホームセンターチェーン店の返品を勝手に受けて上司に激怒されたり、違う部門の自社商品をディスカウンターに大量販売して怒られたり、イタリアから輸入して大量の不良在庫だったプランターを自分一人で売り方を変えて百貨店のギフトで完売したり、材料の仕入れ先工場で密入国の外人を雇っていた実態を見たり、当時珍しかったパソコンルートにラックの売り込みに成功したり、一部上場の社長に直談判(セールス)して取引開始になったり、プランタン難波店オープン日に遅刻したのがカリスマ創業社長に見つかって怒られたり・・・今思うと顔から火が出るほど恥ずかしい経験ばかりですが、今となってはみんな愉快な思い出に変わっています(笑)。

一番思い出深いのが、東証一部上場の工具商社「山善」が大阪で家庭機器課という新規部隊を作ったばかりの頃に売り込みに行き、当時の主任Aさんがその課を大きくしていき今やジェネリック家電で山善が日本のトップになり、Aさんも専務まで上り詰めた事に驚きました。

まだ20代だったAさんは、その頃から社内外でスゴイ人望があり、やはり出世する人は若い頃から抜きんでいると感心しました。

まァ入社したのがメーカーでしたので単に自社商品の売込みだけでなく、社長命令で一時期ウインドサーフィン用パーツの新規開発にも取り組み、特許庁へ出向いたり、樹脂メーカーやカーボンメーカーやアルミメーカーといった素材メーカーとの交渉や、知り合いのウインドサーフィンショップやミズノにも売込みにも行きました。

そしてメーカーに課せられたミッションはモノを右から左に動かす問屋や小売と違って、「新商品開発」「別注」「既存の自社商品の売り方を変える」の3つが常に念頭にあった経験が、その後のトランクルームへの転業に活かせたのかと思います。

この20代の頃の3000人に会って喋ったという経験は私の大きな財産で、誰も奪う事はできません。

これなんですねェ・・・人生で大事なのは。

今でも、まァどんな人であろうと初対面の人と喋るのにビビらないのは、この20代の頃の経験です。

トランプ大統領と英語で日米交渉せよというのはムリですが、大阪弁やったらイケルでしょう・・・(笑)。

これが、40代になって初めて・・・となると、変なプライドが邪魔をして年下の売り込み先に謙虚な気持ちで頭を下げるなんて出来ないでしょう。

20代の頃は、殆どの売り込み先が年上なので謙虚になれたのです。

ココが大事な所で、人生の各段階で「年相応」というのがあり、若い頃にやり損ねて年取ってから狂って「ケガ」をする・・・というパターンはみなコレです。

中学生の時にブラスロックのシカゴに痺れ高校オケ部でトランペットを始め、高校生の時にブルース・リーやつのだひろのドラムの音に衝撃を受け大学空手部に入りバンドでドラムを叩き、二色浜でウインドサーフィンを見てカッコイイなと翌年ウインドを始めて凝り過ぎて大学に学連加盟のウインドサーフィンクラブを創部したり・・・その時々にピンときたモノを親の反対?を押し切り(コイツは止めても無駄やと)自分に正直に行動して来たのが正解でした。

だんじり祭りも子供の頃から親もお手上げの村では有名な祭キチガイで、祭りまで待てず近所のガキらとだんじり小屋の裏口から穴を掘って勝手に入って遊んだモノです・・・(笑)。

大太鼓、小太鼓、鉦、横笛といった全ての鳴り物をマスターするのは当たり前で、特に大太鼓は大学生になってから名越で叩くだけでは飽き足らず、お隣の森や母親の実家の熊取大宮や本場の岸和田中町まで叩きに行き、他流試合で腕を磨いたものです・・・(笑)。

50年以上そこまで大太鼓を叩き込んだからこそ、60オーバーになっても一番難しく速いテンポの駆け足4番太鼓を、現役の若い青年団員に負けないくらい今でも叩ける自信があるのです。

子供は子供なりにの遊びがあり、青年期は子供時代とは違った遊びや勉強があり、中年以降はそれまでの経験の上に立った仕事や遊びがあり、それらは全て繋がっていると思います。

それが何処かでスッポリ抜けていると、後で埋め合わせしようにもムリがあるのでは。

まぁしかし、サラリーマン時代にこんな貴重な経験をさせてもらって、しかもお金も貰えたなんて、なんとラッキーだったのでしょう・・・(笑)。

そして20代の経験が、60代の今の沢山のエンドユーザーを相手にする5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室、不動産仲介)に繋がってきた事に、「人生いっぱい寄り道をしたけれど、結局最後は繋がって無駄な事は一つもなかったなぁ・・・」とジョブスのような寝言をつぶやいています・・・(笑)。

という事で、今はネットの時代で、こんな泥臭いアナログ営業戦略は時代遅れかも知れませんが、人間が勇気を養うのはネットでは出来ませんし、本を読んだだけで出来るはずもありません。

やはり実際、生身の人間と1対1で対面して徐々に養われていくのではないでしょうか・・・?

と言うか、勇気なんて言う方がダサい・・・時代遅れか(笑)。

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Last updated  2020.02.26 13:58:26
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2019.07.23
大卒後建築建材金物メーカーで営業マンを4年間やっていましたが、その約30数年前の経験が今となっては非常に役立っています。

と言うのは、配属されたのは「金物部」という主に金物業界のルート営業でしたが、その他に「建材部」「ベビー部門」「ヘルシー部門」と計4つの部門の商材も販売し、「金物」「ホームセンター」「建材(サッシ)」「工具商社」「家電」「家具」「店装」「バラエティショップ」「量販店」「百貨店」「園芸」「ベビー」「通販」「画材」の14の業界と関わってきた経験が、今の「トランクルーム」「不動産」「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」に繋がっているような気がします。

他部門の商材を販売する場合は当然既存のルートで売れませんから、自分なりにイロイロ工夫をしました。

例えばベビーカーを工具商社経由でディスカウンターや通販に販売したり、ビルディング向けの業務用の4mのピクチャーレールを1mと2mにカットしてパッケージに入れ画材店に販売したり、イタリアから輸入しても販売不振で山のようにあった長期在庫だったフラワーポットを園芸業界の重鎮に依頼して拡販したり百貨店の中元に花とのセット販売し在庫を一掃したり、ホームセンターに定番として販売していたカラーアングルをカラーを変えて家電やバラエティショップに販売したり・・・

当時は販売方法をチョット工夫し「切り口を変える」だけで面白いように売れ、大いに自信を持ちました。

この「切り口を変える」という販売手法は、そののち織物工場をトランクルームや音楽スタジオや卓球場や自習室に改造コンバージョンした事に繋がっていったのです。

しかし「夜討ち朝駆け」で朝早くから夜遅くまで仕事をしたお陰で、久しぶりに休みの日曜に娘と会うと「誰かな?」と泣かれる始末・・・(笑)。

4年間でこれだけ一生懸命仕事をして会社に8000万円~1億円ほど「新規売り上げ」として貢献しても、当時手取り給料が15万円では誰でもヤル気を失います。

と言うか、家族4人で月15万の収入では生活できませんし、10年先輩の給料を考えると会社に対して絶望しかありませんでした・・・(涙)。

そんな時、既に斜陽産業だった家業で泉州の地場産業だった織物業が希望の星?に見えたのです。

取引商社から「跡継ぎはどうするのか?」と問われている頃で、親父も最終の返事に悩んでいたようです。

「渡りに船」とは正にこの事で、人生はタイミングだと思います。

更にサラリーマンを辞めたあと家業の「繊維業界」に入った訳ですが、これも感覚的には「単に15番目の業界」という程度の認識でしたので、気負いもせずスッと入れたのでしょう・・・(笑)。

今思えば中身の非常に濃い4年のサラリーマン時代でしたが、この14の業界に加え、当時全盛期を迎えていたウインドサーフィンのパーツ分野(ブーム、ジョイント)に新規進出というのを社長命令で私が責任者として受けていたのです。

この新しい仕事に専任だったらよかったのですが、中小企業でしたので専任は許されず従来の仕事に加えて新しい仕事で、時間的にも精神的にも重圧がのしかかりましたが1番の趣味でしたので、特許庁に出向いたり色んなコネクションを持つ総合商社や樹脂メーカーやアルミニウムメーカーやカーボンメーカーとの打ち合わせも何の苦もありませんでした。

有望マーケットに、これだけ世界中から膨大で色んな特許関連の申請があるのかと驚愕したものです・・・

現実のビジネスでは、あらゆる面で余程したたかでないと生き残れないと・・・この一件が心に刻みこまれました。

結局特許の壁に挟まれ新規事業への進出は断念しましたが、一連の動きでサラリーマンながら若くして「企画」「仕入れ」「販売」の3つの大きなビジネスの流れを掴んだ経験が、私の将来の財産となりました。

学生時代から付き合っていた家内と社会人1年目で結婚し、翌年長女が誕生しその翌年次女が誕生しましたので、20代で3人を扶養しているいうプレッシャーも営業マンとしての「勢い」に転換していったのでしょう・・・

一流大学卒なら大企業に就職できたかもしれませんが、新卒で中小企業のようにイロイロ仕事を任せられません。

三流大学卒で中小企業に就職したからこそ、新卒からイロイロと責任を持たされ新しい仕事を任されたのです・・・それが逆に転業や起業で「吉」と出たのです(笑)。

もちろん当時は、中小企業に就職しても一生サラリーマンでやっていくつもりでしたので一生懸命出世する為に働いたのですが、働けば働くほど自分の努力が給料に反映されないもどかしさや、40代の先輩社員や上司らが業績不振で責任を取らされ不本意にもドンドン左遷や解雇されるのを見て会社の将来に不安を抱いていた時に、一旦家業を継がないと宣言したにも拘らず親父から「戻ってくるか?」という救いのオファーがあり二つ返事で家業に戻ったのでした・・・(涙)。

この時に変なプライドで断ってサラリーマンを続けていたら、それから10年後の会社の倒産で家族を路頭に迷わせていたでしょう・・・(汗)。

テキトーに働いていたら、会社の将来に対する不安もなかったでしょうが(何の根拠もなく会社は安泰と妄信する)、一生懸命働いていたからこそ将来像が見えてきたのです。

人の運命というのは、正に紙一重です。

まァ、1つの業界で20年30年「これ一筋」というのは素晴らしいと思う一方、万一その仕事が周りの環境の変化や時代の流れで無くなったり激減したら途方に暮れると思います。

正に家業だった織物業がそれで、終戦後日本経済を繊維業界が牽引してきましたが、それから70年経って98%減(大阪南部織物組合680社→15社)というのがそれを物語っています。

考えれば当たり前のことで、長年同じ仕事をやっていると、心身ともその業界にしか通用しなくなりますし、それがスペシャリストというものだと思いますが・・・

残念ながら私は、子供の頃から「飽き性」でしたし、それなり集中するものの頭脳的にも身体能力的にも恵まれなかった為に、途中で諦めていた事が多い事、多い事・・・(笑)。

私の特徴は、一旦諦めてもそれを「中途半端」にダラダラと中断する時もありますが趣味で40~50年以上も続けている事です・・・(笑)。

ウインドサーフィン、空手、ドラム、英語、だんじり大太鼓の5つで、60オーバーになった今でも「中途半端に続けている」のがある意味自慢かも・・・(笑)。

特に空手は自分では一生懸命やったつもりでも結果的に中途半端に終わったからこそ、致命的な身体の故障を負わなかったのです。

ウインドサーフィン仲間の平均年齢は50~55歳くらいで、結構みなさん年中されて私より上手な人が殆どですが、私の目標はウインド仲間が殆ど止めた80歳までウインドサーフィンをそれなりに楽しむ事です。

最後の最後まで身体を鍛えウインドをボチボチ楽しむ事で、決して私はそんな楽しいウインドを諦めないでしょう・・・

その静かにメラメラ燃える「気力」・・・ココロを大事にしたいと思います。

それは他の仕事も空手もドラムも英語もだんじり太鼓も同じで、命尽きる時がそれがゼロになっている時です。

まァ完全に辞めてしまったのはゴルフとトランペットですが、再開しようと思えばデキるかも知れませんが・・・

私の場合、家業に戻ってきた時点で「この織物業に一生を捧げる・・・」という覚悟でしたが、まさか57年続いてきた家業を私の代で廃業せざるを得なかった事態に陥るとは夢にも思いませんでした。

イロンナ業界に関わってきた経験で、新規ビジネスや起業する際の利点が他業界への進出に「抵抗が無い」「壁を感じない」のです。

平たく言えば「俺にも出来るんちゃうか?」という軽いノリです・・・(笑)。

言ってみれば、感覚が鈍くなっているアホです・・・(笑)。

真面目で賢い人ほど、考え過ぎてこんなバカな真似は決してしません。

行動に移すことが出来るのは、ある意味バカでないとダメなんです。

もちろん、バカはバカなりに一生懸命に考えての行動ですが・・・・

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Last updated  2019.07.30 06:32:58
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2015.03.01
昨日は、ミナミ難波で2週連続の飲み会でした・・・ビール

30年前に勤務していた会社の同僚との飲み会だったのです・・・泣き笑い

大卒で入社した建築金物建材メーカーの営業マンだった頃の20代の若く輝かしい?思い出が蘇ります・・・(笑)

しかし、集まった10数人のメンバーは私の所属していた金物営業部隊ではなく、工場(生産部)勤務の方達です・・・ウィンク

たまたま仲の良かった工場勤務の先輩社員が、数年前にファイナンシャルプランナーの月刊誌で私の記事を「発見」し、連絡を頂いてから久しぶりにお会いしてから付き合いが再開し、今回「飲み会にけーヘンか?」という事でお邪魔したのです・・・オーケー

人間、やはり縁やお付き合いを大事にしないといけませんねェ・・・泣き笑い

30年経って再会しても、「オーッ!」と言えるような仲に・・・ウィンク

その為には、日頃から自分勝手にイイ加減に生きるのではなく、「一期一会」の精神で人との縁を大事にして一生懸命生きたいものです・・・グッド

人間、独りでは生きていけませんし、仕事やプライベートといったイロンナ人間関係の中で「生きて活かされて」いますから・・・わからん

私はその会社に4年しか在籍していませんでしたが、その先輩以外全員30年ぶりでした(私が退職後に入社された方も若干おられましたが)・・・ショック

「懐かしい」の一言です・・・泣き笑い

30年ぶりですけど、だいたい分かりましたねェ・・・泣き笑い

全く忘れてしまっていましたが、言われてみて、会社全体の慰安旅行で和歌浦に行った時、自分が音頭をとって当時の若手社員らを引き連れて、片男波でウインドサーフィンを楽しんだのを思い出しました・・・泣き笑い

ホント、不思議ですねェ・・・わからん

先週の高校のクラス会もそうでしたが、この10代、20代の思い出を語って楽しむアナログ的な「回顧マーケット」ビジネスというのは有望とちゃいますか・・・(笑)

少なくとも、子供の頃にアナログ文化どっぷりだった40代以上の年代には有効だと思うのですが・・・ウィンク

まァ、今はしょぼくれたジジイですが、20代のサラリーマン時代は今の10倍くらいは元気があったように思います・・・泣き笑い

実は最初の2年間、朝の5時から7時まで家業の織物業の機織りをしてから、大阪市内まで出社していたのです・・・ぷー

サラリーマンと言えど、当初は家業に戻るかもしれませんし、父親が病弱でしたので心配して手伝っていたのでしょう・・・わからん

ところが結婚して直ぐに子供が出来、仕事も慣れるに従って面白くなり帰りも毎夜10時11時と超多忙になり、3年目で親父に「俺はサラリーマンで生きていくさかい、もうよう手伝わん・・・」と啖呵を切ってしまったのです・・・ぷー

それから死に物狂いで働きましたが、そこは所詮サラリーマン、多くの方と同じように「サラリーマンの限界」を感じたのです・・・涙ぽろり

2人子供抱えどうしようもなく、親父に頭を下げ「家業に戻りたい・・・」と伝えたのです・・・しょんぼり

やはり他人や会社には甘えられませんし、甘えたとしても、必ずそれ相当の見返りが必要です・・・パンチ

逆に足元を見られて、むしり取られる可能性の方が高いかも・・・ほえー

結局仕事というのは自助努力しかあり得ませんし、実際、万一甘えられたとしても肉親の親だけです・・・泣き笑い

この時ほど、親の有難味を感じた事はありませんでした・・・涙ぽろり

自分が人並みに生きてこられたのも、父親のお蔭ですし、その父親も祖父のお蔭で織物業を頑張って来られたのです・・・泣き笑い

先祖に感謝というのは、正にこういう事だろうと思います・・・ぷー

まァ、無事家業に戻れて「親父に恩返しして、家族を守るために死ぬ気で働くぞ!」と心に誓ったのは言うまでもありませんでした・・・パンチ

その後、工場新設の設備投資をして20年間355日/年24時間稼働(月産20万m)で働きまくったのでした・・・パンチ

という事で、今回も飲み会スタートの4時間前に難波に到着・・・ウィンク

そして今回は遊びと違って、マル秘不動産の物件調査を西区から堺筋まで開始時間ギリギリまで・・・うっしっし

田舎と違って、都会の物件調査は新鮮味があって楽しく刺激があってヨロシイ・・・うっしっし

「時間を有効に!」がポリシーですから、公私を上手くフュージョンさす事が肝要です・・・(笑)

そして、ドラッグストアでヘパリーゼを飲み(これまではウコン)、イザ出陣・・・目がハート

このヘパリーゼ、アルコールを飲む前と後で飲むと、二日酔いによく効くのです・・・グッド

しかし、この勤務していた会社、10年チョッと前に倒産して今はないのです・・・涙ぽろり

会社が存在しないのに、未だに昔を懐かしんで集まるという事は、イロンナ意味を含んでイイ会社?だったのでしょう・・・オーケー

今回集まったメンバーも、退職、転職、倒産、独立、起業・・・紆余曲折ながらも元気にヤッテいるからこそ集結したのです・・・泣き笑い

互いの「その後」の人生を語ったり聞いたりして、私も随分勇気づけられました・・・泣き笑い

少なくとも私は在籍中上司に恵まれ、入社早々全力で仕事に取り組ませて頂き、イロンナ経験をさせて頂きましたから感謝しているのです・・・泣き笑い

金物問屋ルート担当、大手量販店担当、ホームセンター直販担当、大手家電ルート担当、新規開拓(東急ハンズ、カメラ量販店、園芸店直販、工具商社、器物ルート、店装ルート、画材店直販、家具ルート、百貨店ルート、通販ギフト)、新商品のリサーチ研究と開発、アルミ建材販売と撤退、出張(山陰、四国)、長期在庫処分、ライバル商品との仁義なき戦い(店舗での入替戦)・・・・・・思い出すと涙が出そうです・・・泣き笑い

特に、嘗て人気テレビドラマ「どてらい男」のモデルで東証1部上場企業で工具商社「山善」の創業者の故・山本猛夫氏に直接売り込んで取引に成功した事や、ダイエーの創業者である故・中内功氏とプランタン難波店オープン当日に会話した事が思い出されます・・・泣き笑い

喉から心臓が飛び出そうなくらい緊張しましたが、ウインドサーフィンで遭難して死にかけた時と同じように、人間腹が坐れば案外冷静だったのがナントも不思議です・・・わからん

戦後の日本経済界で、一代で名を成した有名創業者2人と「自力で」会話にこぎつけたという事は、私にとって大きな自信となり、零細企業の経営者として人生の中で記憶に残る大きな出来事だったのです・・・パンチ

このサラリーマンの経験がなければ、織物時代のグローバル化で繊維業界に激震が走り、新規開拓をせざるを得なかった瀬戸際の時や、織物業を廃業してトランクルームに転業時の大手商社依存の委託加工からエンドユーザー相手のビジネス(BtoC)への「発想の転換」が必要な時に、途中何処かで挫折していたかもしれません・・・ぷー

それほど頭が柔らかく身体の無理が効く20代の社会人経験が一番大事で、その後の人生をほぼ「規定」すると言ってもイイのではないでしょうか・・・パンチ

しかし考えてみれば、そもそも私がFPの資格を持っていなかったら、この場にいない訳です・・・わからん

そしてFPも、宅建資格を取っていなかったら受験勉強すら考えなかったのです・・・その宅建も、トランクルームに転業していなかったら、また当初不動産会社兼業の必要性がなかったら取っていなかったのです・・・わからん

そう考えると、人生の展開ってロングスパンで考えると、いつどうなるか分からん?という意味でマコトに不思議なモンですねェ・・・わからん

しかし振り返ってみると、社会人になって30数年間の日本経済の「激変」には、ホント驚嘆します・・・ショック

為替相場の円高による急激な日本のグローバル化とバブル崩壊、そして世界のIT化によって、絶対潰れないと思われた大手家電メーカーを筆頭に大手企業が次々に倒産、或いはM&Aされて実質企業が消滅したり、起こりえない事が起こっているのが現状です・・・ショック

一番驚いたのは、まさか自分が「このままでは織物業をやっていけない・・・」と、廃業(転業)の前年まで全く思いもよらない事を考えざるを得なかった事ですが・・・ショックショックショック
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Last updated  2015.03.07 17:06:07
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2014.04.11
これまでの人生を振り返って、29歳と49歳の2回、リスクを取って「転職」と「転業」しましたが、リスクを取って正解だったと思います・・・グッド

もし29歳の時、リスクを取らずに家業(織物製造)に戻らずサラリーマンを続けていたら、大変な事になっていました・・・失敗

私が退職してから10数年ほどして、勤務先の会社が倒産してしまったのです・・・ほえー

私がそのまま家業を継がずにサラリーマンとして頑張っていたら、子供3人抱えて路頭に迷うところでした・・・ブーイング

自分の判断が正しかったと、胸を撫で下ろしたものです・・・泣き笑い

退職を決断するまで、サラリーマンで一生を終えるつもりで「夜討ち朝駆け」で頑張ってきましたが、自分の頑張りが報酬として反映されない給与体系など会社の体制に疑問をずっと抱いていたのです・・・わからん

次女が生まれて、この安月給では家族を養っていけないし、当時まだ織物業はマシだったので、親父に一度は「織物業を継がない」と宣言していましたので、頭を下げて「織物業を継がせてください」と頼んで家業に戻ったのでした・・・泣き笑い

決断を出来ずに、リスクを取らずダラダラとサラリーマンを続けていたら、大変なリスクを背負っていたでしょう・・・ブーイング

家業に戻って2年後に何億という設備投資(工場を新築し織物機械一新)をしてまで20年間頑張ってきた家業の織物業を、8年前の49歳の時に廃業してトランクルームに「転業」した訳ですが、これから2年後にリーマンショックがあったのです・・・ほえー

8年前に決断していなかったら、リーマンショックで会社が倒産していたかもしれなかったのです・・・ほえー

この時も自分の判断が正しかったと、胸を撫で下ろしたのでした・・・グッド

決断した時は、その判断が正しかったのか間違いだったのか分らないものです・・・わからん

後になって、分かるのです・・・ぷー

中小零細企業の経営者の判断が誤っていたら、倒産してしまい、反省どころではありません・・・ほえー

というか、反省しても全て遅かりしです・・・ブーイング

それ程、大手のサラリーマン社長と違って、我々中小の経営者の判断は、自分や家族や従業員の人生に降りかかってくるのです・・・ほえー

織物業を「やり続けるも地獄、止めるのも地獄」で、ただ私の場合は今回「吉」と出ただけで、次回は分りません・・・わからん

毎回毎回、勝負なのです・・・パンチ

という事で、大手のサラリーマン社長は金融機関に対して実印を押して「個人保証」する事はありませんが、我々中小零細企業の経営者は根本的に違って「個人保証」が必須で、それが命取りになるのです・・・ほえー

また、これまで安泰とされてきた大企業の社員や公務員といえども、これからの不透明な時代は分りません・・・・わからん

自分の所属部門が好調でも会社全体の業績が悪ければ、会社がM&Aされて自分の首が飛ぶという、自分の努力ではどうすることも出来ないような事態が起こるかもしれませんし、実際私の周辺でもそういう事が日常茶飯時の世の中になってしまいました・・・涙ぽろり

中小零細企業経営と同じで、会社や他人に頼ることなく、経験を積み重ねて勉強も続け、他人にはないオリジナルなスキルを磨く事と自分のネットワークを築く事こそが、自分が生き残り家族を守る唯一の方法だと思うのです・・・パンチ

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Last updated  2014.09.27 15:24:59
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2012.01.30
社会人になってからの30年間を振り返ると、大卒後の建築金物営業経験が非常に役に立っているというか、この経験がなければこれまでの人生の節目を乗り越えられなかったでしょう・・・・涙ぽろり

営業力というのは、言い換えると「コミュニケーション力」とでも言いましょうか、学校では学ばない(教えない)「科目」です・・・・わからん

相手は老若男女、所属会社、学歴、性格、出身地、趣味嗜好、宗教、信念信条、国籍・・・・様々です・・・そこにどうやって「切り込む」か、瞬時の判断が求められ、自分の「総合力」が試されます・・・・・・ほえー

亡くなった親父に言わせると「目と口があるやろ!」で、別に英語で相手を口説く訳ではありませんので、「日本語やから、デキルやろ!」と天国から叱られそうです・・・ウィンク

実は私、子供の頃から少し吃音で悩んでいましたが、この20代の営業経験で殆ど治りました・・・・・「数をこなす」「場数を踏む」事によって克服したと言ってイイかもしれません・・・・逆にこの今でも「ちょっとドモッタ」喋り方が、相手に「誠実」な好印象を与えたかもしれませんねェ・・・・うっしっし

一般的に営業力というものは、会社の営業部隊に入ってから、実務経験を一歩一歩積み重ね「自分で学ぶ」ものです・・・・・ぷー

たまたま入った会社の建築金物の営業ということで、既存ルートの営業を中心に、結構シンドイ既存取り扱い商品の新規ルート開拓(同業界への)や、既存商品の異業界への新規開拓、商品開発のフィードバックの4点を中心に、猛烈に営業をしました・・・・ほえー

1年間に平均約1000枚の名刺交換をし、毎日朝早くから帰宅するのが夜11時と家庭を殆ど省みることなく、仕事に没頭しました・・・・・ぷー

そのお蔭で、家業の織物業に帰ってから、バブル崩壊後の「大不況」のおり、少品種大量生産から多品種少量生産に「大転換」する時に同時に行なった、大手総合商社から専門商社や紡績、合繊メーカーに取引先の軸足を移すときに(新規開拓)、20代に培った営業力に相当助けられました・・・・涙ぽろり

もし大卒後直ぐに稼業に入ってサラリーマンの営業経験がなければ、この時点で「転換」できず、倒産していたかもしれません・・・・わからん

本を読んでコミュニケーション能力が磨かれれば世話がありませんが、空手と一緒で、道場に通わず通信教員で強くなったというのは聞いた事がありません・・・(笑)

やはり大事なのは、実際に自分が体験するという「実践」でしょうねェ・・・パンチ

2番目は、50歳以降全く新規のトランクルームや不動産の仕事をする上で、エンドユーザーさんや同業者との付き合いの中で、20代の営業経験が役に立っています・・・・・涙ぽろり

周りに若い頃に営業経験がなく、年取ってからの「転業」で非常に苦労している人を沢山見ます・・・・・しょんぼり

たとえ1年でも営業経験があれば、潰れなくて済んだであろうと思いますが・・・・わからん

それほど頭の柔軟な20代の営業経験は大事で、10年、20年後に「生きてくる」ものだと思います・・・うっしっし

これが10年遅れて、30代に初めて営業経験を積んだとしても、後の効果は半減かもしれません・・・・・失敗

会社員や会社経営に限らず、20代に如何に過ごすかが、後の人生を決めると言っても過言ではないかもしれません・・・・ほえー

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Last updated  2015.01.27 10:19:50
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2011.09.13
 先日ホームセンターの建材コーナーで、一般的な塩化ビニール製の「養生シート」ならぬ「養生布」と称して、綿(合繊)織物のBC反(ビーシー反と読み、合格品のA反に対し不合格品の呼称)が結構イイ値段で売られていましたびっくり

 織物時代にこのBC反の処理に困っていました下向き矢印

 いくらA反率が99.9%でも、年間240万メートルも生産していましたので、2,3年で結構BC反も溜まるものです。

 20年以上前まではそういった不合格品の規格外品も、正規の販売ルートに対し同じ生地でも全く用途の違う「別のルート」でソコソコの値段で売れたものでした。

 ところが格安の中国輸入品に、正規のルートだけでなくそういった分野までシェアを奪われるのもそう時間がかかりませんでしたショック

 結果タダみたいな1メートルで10円でしか売れなくなり、荷作りの梱包材料(結局捨てるという意味)として使うしかありませんでした。

 この時に発想を転換して、「布」として売るのではなく「建築資材」としてホームセンターに直接販売していれば、ちょっとした小遣い稼ぎになっていただろうと思うと残念でなりません・・・・しょんぼり

 あくまでも「繊維業界の中での販売」に自然と囚われていたのが、失敗の原因でした。

 もっと発想を柔軟にすれば良かったのですが、繊維業界にドップリで他業界の経験も3,4年でしたので、そもそも無理な話でした・・・・下向き矢印

 実はこのBC反の販売も、従来のルートでは売れにくいと早くから察知して、直接東急ハンズやトラヤ等の生地小売店に「A品の生地として」セールスに行った事があったのですうっしっし

 小売店では10メートル単位で切り売りしますので、1反(110メートル)物でBC反でも、欠点の所をカットして10メートル単位で販売すれば、堂々とA品として販売できますパンチ

 その「盲点」を発見して、100%の自信を持って営業した訳ですが、すでにBC反ルートとして「その業界」が成り立っており、正規の販売業者が新規で参入できるほど甘いものではありませんでした涙ぽろり

  サラリーマン時代の「強力なコネ」で、東急ハンズを攻略したのですが、撃沈してしまったのです下向き矢印

 しかしいくら考えたと言え、結局「狭い」繊維業界のプロに売るのですから、初めから勝負が決まっていたのですねェ下向き矢印

 やはり大胆に「セールスの切り口(窓口)を変えて」繊維の素人(業界外)に売るべきだったのです・・・・・あっかんべー

 現実の厚い壁にぶち当たった、ある意味良い経験でしたオーケー

 自ら考え、実行し、また考える、また実行・・・・・この繰り返しが人間を成長させるのか・・・・わからん

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Last updated  2014.10.21 10:00:16
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2009.11.01
 思いで次いでにもう一つ印象に残っている話を。建築金物建材メーカーの営業マンだった30年近く前は、まだホームセンターという小売業態が新しく、右肩上がりの業界だった頃、従来のルートでは「金物問屋」を通して、ホームセンターに商品を供給していました。

 会社としては総売り上げを伸ばすために、従来の金物ルート以外の販路も探れという事で、「新規開拓」に躍起なっていました。

その先鋒として何も知らない新人の私に過大なプレッシャーが掛けられていましたので、新規開拓の一つとして、金物業界とは違った上場企業の「工具商社」を選び、毎日「夜討ち朝駆け」のセールスを仕掛けていました。

 工具商社の方も、従来の工具問屋売りだけでは頭打ちで、ホームセンターという新しい小売り業態への直販を、新たに別の販売部隊を作ってまでして模索している所で、正に双方のニーズがドンピシャだった事も後に幸いしました。

 朝一番に行くために、自社の朝礼も辞し(査定がダウンしますが)、夜も裏口から入って熱心にしていたのですが、半年経っても取引に結び付きませんでした。思い悩んだ末「戦法」を変えることにして、自社の社長が書いた書物を持参し、商社の社長にこの本を自ら手渡す事を思いつき、直談判する事にしました。

 幸い案外スムーズに社長に会う事が出来、必死にセールストークした結果(上場企業の社長に営業という事で、口から心臓が飛び出しそうでしたが、、、苦笑)、その場で営業部長に指示し、直ぐに取引出来るようになり、工具ルートという新たな販路を開拓する事が出来ました。(自社の社長をダシにしたのが、功を奏した?)

 この一件で、物品販売の「売る側の見方を変える」重要性を強く感じましたし、業界が違うとここまで違うのかと思うほど、一流工具商社の営業マンの「販売力」には舌を巻きました。

 また、一流会社との取引がこれ程大変とは思いませんでしたし、親父の小さな織物工場が一流総合商社と4,50年も100%取引している事実に、驚きと改めて尊敬をしたものでした。

 また、その頃東急ハンズの江坂店が関西初出店という事で、自社商品が問屋経由で納入される一方、直接の取引口座を開設して頂き、新商品の開発を共同でする事にしました。これは売る側一辺倒の考え方だけではなく、エンドユーザー(消費者側)のニーズをメーカー側に出来るだけ早く「フィードバック」を目的としたものでした。(今で言うSPA製造小売りの考え方に近い)
 こうなると毎日の仕事が楽しくて仕方がなかったのを思い出します。毎晩帰宅が10時、11時でしたし、早朝5時には起きて家業の織物業の手伝いをしてから出勤していましたが、何の苦も感じませんでした(家に殆ど居ませんでしたので、唯一子供が全くなつかなかったのが辛かったですが)。まだ20代だったからできたのでしょうね、今はトテモトテモ出来ません(笑)。


 
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Last updated  2015.02.10 17:43:49
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2009.10.29
 先日サラリーマン時代の懐かしの先輩から、30年ぶりくらいに連絡(メール)がありました。

 FPジャーナルの私の記事を知り合いのFPから紹介されて、見て驚いてメールを下さったようです。

 サラリーマンの4年間は、今の「社会人の基礎」を築かせていただいたという事で非常に感謝しています。

 上司に非常に恵まれ、新人の私を完全に信頼していただき、イケイケドンドンの滅茶苦茶な営業を陰で支えていただき、今でも感謝しております。

 あれは、山陰地方の建材ルートの営業をしていた時でした。

 同じエリアですが、「担当外(別ルート)」だったホームセンターに自社の商品がありましたので、いつもの様に挨拶を兼ねて状況視察とヒアリングしていた時です。

 たまたまそこに本部(当時日本有数のチェーン店)の商品部長がおられましたので挨拶をすると、「○○さん、丁度いいところに来てくれた。あんたとこの商品、売れないから、全店すべて引き揚げてくれ」と。

 これには正直、「責任」とこの場で「即断」しなければならないというプレッシャーに全身の血が逆流しました
(笑)。

たまたま気楽な気持ちで立ち寄っただけなのに、なんでこんな大事な決断を下さねばならない立場に追い込まれるのかと、一瞬後悔しました。

 しかし店の現状を見ると、確かに売れ行きが悪いですが、分析すると売れ行きがアイテムによりバラツキがありましたし、今この部長の前で責任回避の返事をすると「男としてバカにされる」という変な意識があったものですから、2,3秒置いて「わかりました。私の責任において全店引き揚げます。ただ売れ筋アイテムを残し、返品分(死に筋)を売れ筋アイテムと交換してください。」と、自社スペースを死守する条件を提示すると、何とかこの条件で部長も承諾してくれ、最後に私は「部長と私の約束です。必ず守ってください。」と帰社してからの「紛争」を想像しながら部長の眼を「凝視」しながら念を押したのを思い出します(笑)。

 案の定帰社してから、先輩の営業担当や担当問屋から非難轟々の嵐でした。(上司は、人前で私を叱り飛ばし、裏では褒めてくれましたが)特に担当の問屋の社長への謝罪にも、部長命令で行かされました。

しかし、その問屋のある重役に「ようやってくれた。お前はオモロイやっちゃ。」と褒められ、逆に仲良くなってしまいました(笑)。

 結果、瞬間的に赤字も出しましたが(社内的には始末書を書かされ個人査定がマイナス)、ロングスパンでプラス(会社が)となりましたので、メデタシメデタシかな。

 何よりこの経験で、「待ったなしの決断」の重要性を感じました。

 誰でも唐突に決断(もちろん責任を伴う)を迫られる事があり、日々の「小さい決断」の積み重ねこそが、大きな決断を誤らせないと思うのです。

そんな思い出の一杯詰まったサラリーマン時代でしたが、今その先輩に「同窓会」企画を頼んでいます。

 これも楽しみにしています。ネット時代になると、このような思いもよらない「再会」が可能になるんですね。面白い世の中になりました。


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Last updated  2015.02.10 17:47:20
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