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     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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だんじり祭&左甚五郎

2020.04.21
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10代20代の青年団の頃の写真を見ると、ねじり鉢巻きして上半身裸でだんじり祭りの大太鼓を叩いています・・・(笑)。

何故か・・・?

それは当時世界中で流行っていたアメリカのロックバンド「グランド・ファンク・レイルロード」のドラマー ドン・ブリューワーの影響だったのです。

彼はいつも上半身裸でドラムを叩き、ギター&ボ-カルのマーク・ファーナーも上半身裸でギターを弾き歌っていたのです・・・(笑)。

今考えると滑稽ですが、当時は「カッコエエなぁ・・・」と思ったのです。

となると、日本の祭りのタイコ・ドラマーも裸で勝負しないと・・・てな具合で当時のロックの流行でだんじりの大太鼓を裸で叩いていたのでしょう・・・(笑)。

小太鼓も叩く事もありましたが、こちらはチャンと法被を着ていましたねェ・・・(笑)。

いつの時代も、音楽や社会現象が世相を反映するというのはこれまでの歴史が証明しています。

小学校の時に長髪のビートルズが世界中で流行り、その数年後の高校生になった時は短髪から長髪が当たり前になっていました(中学時代は校則で丸坊主)。

小学校6年の時にヘルメットを被りゲバ棒を持った全共闘の学生が東大安田講堂を占拠した事件がありましたが、中学生になるとペンキを吹き付けたヘルメットを被ってだんじりを曳いていました・・・(笑)。

中高生がヘルメットを被ってだんじりを曳くなんて、今の若い子らにとって信じられないと思います。

たぶん、貝塚市限定だったかもしれませんが・・・(笑)。

という事で、裸でドラムを叩く気持ち良さと言うか解放感は実際叩いている本人しか分かりません。

夏にTシャツからタンクトップに変えるだけで、グンと開放感が増すのと同じです。

そう言えば、ホワイトスネイクのトミー・アルドリッジやX JAPANのYOSHIKIも裸で叩く事が多いようで、その気持ち良さを知っているのか・・・(笑)。

当時の貝塚名越の鳴り物は基本的には村の伝統をベースに、私が小中高時代に習った岸和田や水間の木島会のやり方を少しアレンジし、格好はハダカでしたけど「駆け足4番」の頭の中のイメージはディープ・パープルの「BURN」や「HIGHWAYSTAR」だったのです・・・(笑)。

もうこんな時から、既成概念に囚われないクロスオーバー発想だったのです・・・(笑)。

まぁ、コロナ、コロナで世間がちょっと疲弊気味なので、たまにはこんなバカな話題でもイイのでは・・・と。









「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798  mail: info@sasatani.com

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Last updated  2020.04.21 09:28:18
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2016.10.11
今年で名越のだんじりも最後です。

来年5月に新調だんじりが出来上がってきますから。

名越のだんじりは岸和田市大工町が明治37年に新調して、その後大正8年に名越が購入しましたから、誕生して112年、名越に来てから97年経ったことになります。

祖父によりますと、名越に来てから以前からあった岸和田市魚屋町から購入していた小さいだんじりと2台一緒に、しばらく曳いていたらしいです。

私は小学校に入る前から曳いていましたので、このだんじりとの付き合いはかれこれ半世紀以上になります。

小学校1,2年の頃には既に鳴り物をやっていました。

今では考えられませんが、当時の貝塚のだんじり祭は今の様に盛んではなくて下火でした。

と言うか、廃れていましたねェ・・・

だんじりの本場は岸和田の浜手で、貝塚や岸和田山手や熊取は盆踊り後の付け足しみたいな感じだったような気がします・・・

だから、小学生でも青年団に替わって鳴り物が出来たのです。

当時は「やり回し」どころか、走る事も滅多にありませんでした。

唯一走るのは、宮入と水間から新道(水間街道)を清児に向かって下る時だけです・・・(笑)。

新道だけアスファルトの舗装された道路で、他は舗装されていないデコボコの道でしたし、もちろん今でもだんじりにはサスペンションはありませんので、走る事はあり得なかったのです・・・

昔は引き出し(祭スタート)の時間は朝の2時でした(今は6時)。

だんじり小屋から自宅まで100mしか離れていませんが、自宅の前まで辿り付くのが5時でした・・・(笑)。

3時間もかかったのが、今なら30秒で通りすぎます・・・(笑)。

真っ暗な中、曳き子はおらず青年団幹事10人くらいだけで、だんじりの周りを梃子をかましながら「ソリャ、ソリャ」と動かしていました・・・

ちょうど、だんじり小屋と自宅の中間あたりに大きなガブリがあり、そこにハマれば1時間だんじりは動きませんでした・・・

そんなデコボコ道を疾走する唯一の時は森神社への宮入の時でした。

今は山中病院あたりからしか走りませんが(名越は10年前の事故から歩きに変更)、昔は田端の散髪屋から走っていました。

それくらいから助走をつけないと、なかなか走らなかったのです・・・(笑)。

一番スピードの出る神社正面までの7,80mの直線は恐ろしかったですねェ・・・(笑)。

だんじりの中に乗って太鼓を叩いていると、震度7くらいの揺れを感じました・・・(笑)。

走り出すと「ガタガタ・・・」とデコボコ道と大屋根の重みで4本柱が揺れ出します・・・(笑)。

そして、大太鼓の上に大屋根に敷いた藁が揺れで破れてしまうのかパラパラと雪の様に降り注ぐのです・・・(笑)。

屋根の大工方には本物の大工さんが乗っていても踊るどころではありません・・・たぶん屋根の鬼板にしがみついていたのか・・・(笑)。

大正8年に購入してから昭和52年まで全く修理をしていませんでしたから、だんじり全体がガタガタで無理もありません。

昔は小太鼓は四本柱に金具で固定していませんので、小太鼓側に吊っていただけです。

吊っているだけで大きく揺れますので、叩く反対側に太鼓を支える人間が1人必要だったのです。

他所のだんじりは小屋根下の空洞に小太鼓を入れて叩いていました。

名越のだんじりは「二重見送り」のため、小屋根下には空洞が無かったのです。

それどころか、大屋根下の升合の彫物が深く、鳴り物をするだんじり内部に異常に突き出していたのです。

これがデコボコ道や担当替えの移動の時に頭にコツンコツンと当たるのです・・・

子供はそんな理由があったのも知りませんので、「だんじりはデカいのに狭いなァ・・・」とブツブツ文句を言っていたのです・・・(笑)。

名越のだんじりが二重見送りと彫物(深い&細かい)で「名だんじり」と言われる理由だったなんて、子供どころか誰も知る由もありませんでした・・・

しかし、子供の頃からだんじり祭が好きでしたねェ・・・

だんじり其の物(彫刻)を見るのも好きですが、鳴り物(大太鼓、小太鼓、鉦、篠笛)も好きでしたし、もちろん祭の雰囲気も何とも言えないくらい好きでした・・・

もうこれは遺伝と言うか、DNAに組み込まれているようです・・・

父方母方両方の祖父、父、叔父、従弟・・・殆んど好きみたいで私みたいに祭キチガイと言われている人間も少なからず・・・(笑)。

特に母方の祖父は青年団長だった昭和8年にだんじりの新調(熊取町大宮)をしたようで、記念撮影で名大工棟梁と言われた植山宗一郎の横に並んで写っています。

まだ2,3歳だった私を抱っこして大屋根の上に乗って、「宮村のだんじりデッカイやろ・・・」とか何も知らない私につぶやいていたのを昨日の事の様に覚えています・・・

確かに当時から高さも3.8mを超えており「オバケだんじり」とか言われていましたから、他町のだんじりの大屋根の高さが、大宮の大屋根と小屋根の中間あたりだったのを子供の目にも焼き付いていました。

私が男の「初孫」だった事もあり、特に可愛がられていましたねェ・・・(嬉)。

しかし、鳴り物の練習はよくしました・・・

どこの子供もそうでしたが、小学校の廊下の掲示板はよく響くので一番の場所でした・・・(笑)。

よく水間の大工方を長らくやっていたY君と小太鼓役と大太鼓役を交代しながらコンビを組んでましたねェ・・・(笑)。

机を太鼓代わりにするのは当たり前でしたが、不思議と先生に叱られた記憶がないというのは祭に寛容だったのでしょう・・・

太鼓の師匠には3人いて、1人は小学生時代に宵宮の晩に岸和田から毎年来て勝手に太鼓を叩いているオッチャン(当時40代?)で、あと2人は「木島会」という地元太鼓グループを主宰していて岸和田堺町の鳴り物も担当していた水間の年上の人でした。

岸和田のオッチャンにはトコトン絞られました・・・

「手ェ、千切れるまで叩かんかい!」と怒鳴られ、こっちは泣きながら叩いたものです・・・

木島会の師匠らは、一時「村公認」で名越のだんじりに乗って鳴り物担当をやってもらいました。

それも、堺町の法被を着て・・・(笑)。

当時は町で統一の法被もなく、バラバラの法被を着ていたというのもあったと思いますが、それだけ田舎の祭りはユルユルでノンビリしていたのです・・・

まァ、走る事も殆んどなく酒を飲みながら歌を歌い、予定も何もなかったので「どこ行くか?」でよく揉めてケンカしていたものです・・・

子供はそんな荒っぽい人間味のある祭からも人生を学んでいたのです・・・

昔はそんな事もあったのです・・・今では他町の法被を着て祭に参加するなんて考えられません・・・

木島会の師匠からは、これといって具体的な指導はなく、技を盗んだといった方が正しいかも。

篠笛は町内のひとつ上の子に教えてもらいました。

これはさすがに学校では禁止でした。

廊下で吹くと反響でイイ音がしたんですがねェ・・・(笑)。

この間久しぶりに青年団に借りて吹いたのですが、私の習った曲調は今は宮入の厳粛な時しか吹いていないようです・・・

まァ、代々ちゃんと伝わっている事に驚きと安心の入り混じった気持ちでした・・・(涙)。

聞くところによると、今の名越の鳴り物チームへの入会資格が「オールマイティ」らしいです。

大太鼓、小太鼓、鉦、篠笛とすべて基準以上にこなせる事・・・結構厳しいので驚きです。

我々が青年団だった頃は逆で、どれか一つでヨカッタのです・・・逆に私みたいなオールマイティは誰もいなかったのです。

バンドで「MR.BIG」みたいな1人2~3役するのもなかなか面白いですが、先日の高校生バンドも曲によってパートを代わっていました。

もちろん何かひとつの楽器のスペシャリストというのは絶対不可欠ですが、「更にもう一つ(二つ)」という考え方もビジネスや趣味にも応用できるのではないでしょうか・・・

今年の名越の鳴り物のメンバーに「メトロノームの重要性」をアドバイスしました。

普通の音楽バンドのリズム(スピード)の要はドラムです。

同じように、だんじり鳴物の要は小太鼓です。

ドラムがしっかりリズムを刻まないと(叩かないと)、バンドの花形であるリードギターが上手く弾けなくてバンド全体がガタガタになります。

同じように鳴り物の小太鼓がその日の気分や体調でリズムが早くなったり遅くなったりしたら、花形である大太鼓のアドリブも聴かせようがありませんし、大屋根で踊っている大工方も踊りにくし、だんじりを引っ張っている青年団の掛け声も乱れそうです・・・

そうなんです・・・鳴り物の小太鼓の役割は祭全体に大きく影響するだけに、ある意味大太鼓よりも責任重大だったのです・・・

それをバンドのドラムが普段メトロノームのクリック音を聴きながら練習するのと同じように、鳴り物の小太鼓もiphoneのメトロノームアプリをイヤホンで聴きながらやったらどうや?とアドバイスしたのです。

正にバンドからの発想です・・・

最近思うのですが、「○○一筋」というのは純粋でカッコ良いようで、途中壁にぶち当たると実は脆いような気がします・・・

もちろんプロ中のプロの場合は、それこそ脇目も振らず一直線ですが、一般の人間には当てはまらないような気がします。

○○一筋ではなく、人生の途中で寄り道をしてイロンナ経験を積んだ方が多面的な発想が出来て、人生をソコソコ上手に生きる上で大事なスタイルではないでしょうか・・・?

卑近な例で言うと、私の所属している沖縄空手止揚会のメンバーの多くは、いろんな空手流派や他の武道(柔道、合気道、少林寺拳法、日本拳法、棒術など)や器械体操を渡り歩いて、「平均年齢約60歳の今」空手を趣味として楽しんでいます・・・

小中学校から空手一筋・・・なんていう人は誰もいません。

60歳で空手・・・なんて、世間一般的に全く常識外です。

まァ、イロイロやってきたからこそ、空手のオモシロさ(奥の深さ)が分かってきたという事か?

私の音楽歴も、クラシック一筋でもなければ、民謡一筋でもありません。

保育園時代は年中家でクリスマスソングと演歌を聴いていました。

家でそれしかレコードが無かったのです・・・(笑)。

小学校に入ってから60年代はテレビの音楽番組が普及しだし、歌謡曲や演歌、GSサウンズをよく聴いていました。

70年代の中学から洋楽ロックに嵌り、高校は部活でクラシック、家ではロック中心に流行のフォークソング。

70年代後半の大学時代はディスコ、ジャズ、ソウル、R&B、フュージョン、Jポップと幅が一気に広がっていきました・・・

すべてリアルタイムで聴いていましたので、音楽的に非常に恵まれた年代と言えるでしょう・・・(涙)。

ビートルズ末期も辛うじて聴けていました。

残念ながら、私の若い頃は音楽レコードは高価だったので、聴きたい曲を全て買える訳でもなく、カセットテープにダビングするしかありませんでしたし、ライブ(コンサート)なんか滅多に行けなかったのです・・・(涙)。

そういう意味で、今の若者が羨ましかったのです。

いつもの様に、話が飛び過ぎてしまいました・・・(笑)。

という事で、今年も無事大した事故もなく祭を終えました。

私は「一交通係」として細々と祭に参加するだけでしたが、もうそれだけで充分です。

16日は「昇魂式」で、本当に今のだんじりとサヨウナラです・・・(涙)。

名越に来て97年、約100年、一世紀も名越の「村人の絆」だったのです・・・(涙)。


               
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Last updated  2016.10.17 04:58:07
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2015.10.13
先週末は、地元貝塚のだんじり祭でした。

祭一色の泉州全域でだんじりが通る幹線道路網はアチコチで遮断され、仕事や生活に支障をきたす人も多かったと思います。

私の祭りでの役目は、昨年同様そういった車両の交通整理といった裏方でした。

各町のやり回しのメッカである名越ユニオン交差点から少し離れたモービル奥が私のポジションなので、だんじりが通る事も少ないですが、法被を着て「祭りに参加している」だけでも満足です・・・

また救護班(負傷者を車搬送)も兼ねていましたので、昼のだんじり曳行が終わるまで禁酒だったのが辛かったですねェ・・・

まァ、その分祭本番まで青年団の鳴り物(お囃子)らと邪魔にならない程度にチョッとだけセッションしたり、祭り当日の昼休みのだんじりが止まっている時に小中学生らとチョッとセッションしたりして楽しんでいましたが・・・(笑)。

子供らと一緒に一生懸命「一番早い4番太鼓」を叩くと、たった5分でも手にマメが出来て潰れるほどメッチャ体力を消耗しますが、本番では4番を叩く機会は少ないですが(屋根の大工方は踊りにくいので)、4番の練習をしていると3番~1番といった「遅い太鼓」は難なく叩けるのだというのを身をもって分かってくれたと思います・・・

多用する3番以下だけを練習していたら、4番は叩けません。

叩けたとしても、単にドンドンと合わせるだけでは聴衆に何の感動も与えません。

だんじり祭の鳴り物担当は、単にだんじり走行の裏方だけでなく、曳き子や聴衆も祭全体を盛り上げる「ミュージシャンの誇り」をもって叩いて(笛は吹いて)欲しいと思います。

特に大太鼓は一般的な音楽バンドで言う「リードギター」役で、100%アドリブ奏法のノリでバンド(鳴物5人)を引っ張っていくのです。

このバンドが一体化したノリが、屋根で踊っている大工方に伝わり、それが前梃子や後ろ梃子、曳き子全体に伝わり危険なやり回しに不可欠な「一体感」を生むのだと思います・・・

チームプレーに「ノリ」が必要なように、人生においてもこの何とも言葉では表現しにくい「ノリ」が大事なように思います・・・

他人から煽られるノリではなく、心の底から湧いてくるノリが一歩踏み出す勇気を後押ししてくれるものです・・・

これまでの人生を振り返ると、鳳高校オーケストラ部でトランペットを始める、浪人時代に大山倍達を信望し受験勉強を放棄して極真空手の池袋本部道場に入門しようと東京へ2週間家出?(大阪支部がまだなかった)、関西外大体育会で空手を始める、その頃中学高校時代の同級生らと2バンド組んでドラムとコンガを始める、大学空手部から地元の沖縄本部流盛道館に転向、大学に学連加盟のウインドサーフィンクラブを創る、建築建材金物メーカー入社、26歳で恋愛結婚、29歳で子供も養えない安月給のサラリーマンに見切りをつけ家業の織物業に戻る、31歳で「人生最大の決断」でバブル前の円高不況時に億単位の借金をして工場を新設して最新鋭のエアージェット織機を全面導入、34歳で両親と別居して子供3人を連れて家族で賃貸マンションへ、36歳で自宅新築、41歳で社長である父親の急死で社業を継ぐ、43歳で一社依存(40数年間、伊藤忠商事の100%委託生産)から脱却して数社の繊維専門商社に取引を分散化すると同時に多品種小ロット化の生産体制に切り替え時代の転換期を乗り切る、まだ景気がマシだったリーマンショック2年前の49歳で織物業からトランクルーム業と不動産屋への転業・・・

そして49歳から今に至る10年間も、1年半同業他社の織物工場の現場で働く(トランクルーム1本では食えなかったので、その間9ヶ月宅建の受験勉強も)、トランクルーム本館と別館の順次開業、不動産屋開業(宅建協会加盟)、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会大阪支部加盟(不動産&相続SG参加)、ジェットスキーやバイク保管の「ガレージ659」開業(その後閉鎖)、泉州全域エリアにした倉庫とガレージに特化した「ガレージ倉庫.com」WEBサイトオープン(その後閉鎖し、エリアを貝塚市内に絞って全種の物件に特化した「貝塚不動産.com」に方向転換)、火災保険や生命保険の代理店開業(その後閉店)、音楽スタジオの2,3回トライ&エラー・・・とにかく失敗も多かったですが、まァ結果オーライという事で・・・これらの「ノリのタイミング」を逃していたら、その後の人生がどうなっていたかと思うと・・・???

ノリを掴むのが如何に大事かと・・・

まァ、一番難しい4番を練習する事によって余裕が出てくるのです。

空手の蹴りでも、組手試合や実践で有効で多用する「下段回し蹴り」ばかりを稽古するのではなく、あまり試合でも使わない難しい「上段回し蹴り」をチョッと無理して稽古する事によって筋トレでは鍛えられないインナーマッスルである腸腰筋がより鍛えられ、下段が楽に蹴れるのです。

学校の勉強や仕事もそうですが、自分が楽をして「それしか、しない(やらない)!」のではなく、かと言って「ヤル気」や「根性」といった心理状態によって日々変わる「不安定要素」を当てにするのではなく、モノの考え方や練習方法の工夫や仕組み全体を考える事によって「余裕」を作りだす事が、次へのステップに繋がるのだろうと思うのです・・・

しかし、叩いたあと子供から「オッチャン、ストレス発散してるなァ・・・」にはチョッと苦笑いです・・・

という事で、宵宮の午前中に貝塚南高校前でお隣の橋本町(小中学校は学区違い)と2台だんじりが並ぶ「交流会」があり(2,3年前に復活)、今年も2日間祭で名越出身の方が経営されているステーキ「一歩」さんと、お寿司「すしん坊」さんに豪華な弁当でお世話になりました。

トテモ美味しかったです・・・

来年もヨロシク!
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Last updated  2015.10.23 08:14:15
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2015.09.10
9月19,20日は岸和田(浜手地区&春木地区)のだんじり祭で、10月10,11日は貝塚だけでなく岸和田の山手地区、熊取、泉佐野、和泉、堺のだんじり祭です(多少の日程のズレあり)。

もう夕方になると、練習をしているのかアチコチから太鼓の音が聞こえます。

先日、祭の献灯提灯の寄付をすると、祭の10月から始まる新しいカレンダーと新しいデザインのタオルを貰いました(名越オリジナル)。

今日の朝刊チラシに貝塚市水間の兵八さんの「だんじりグッズ」がありました。

その中で、可愛い孫のための「名越の紋入り」の赤ちゃん用のヨダレ掛け(スタイ)が目に飛び込んできました。

同じヨダレ掛けでも、決して他町の紋入りは買わないのです。

あくまでも、自分の住んでいる(或いは出身)町の商品しか買わないところに、ニッチマーケットがあるのです。

兵八さんのチラシを見ると、団扇やTシャツ、ロンパース、ヨダレ掛け(スタイ)、ストラップ、巾着、ポシェット、数珠、ステッカー「町別」の紋が入った商品がズラリです・・・

こういった商品も売られ始めたのは、10数年くらい前からでしょうか・・・?

ボチボチ流行り始め、今ではこの兵八さんをはじめ、あちこちで売られています。

こんな「だんじりグッズ」マーケットは、だんじりのある堺市以南の泉州地区一帯にあるのです。

もっと細かくマーケットを分析すれば、同じ泉州でも祭が盛んな所とそうではない所にバラつきがあり、南へ行くほど「土着度」がアップする(近隣周辺に親戚が多い)という傾向があります。

従って、町紋グッズは祭歴が浅い堺市や和泉市の新興住宅地区は周辺に限られ、最も盛んで歴史の古い岸和田の浜手地区(旧市)の商品はより広範囲に販売されているではないでしょうか・・・

こういった「町紋別」というニッチマーケットを狙った緻密な販売戦略が、業者側に取られているのだと思います。

しかしこういった商品は、こういった一般の衣料店でも買えますが、だんじりを曳く際に着る町の紋(町名)が入った「正式の法被(ハッピ)」は町内会でしか買えません。

まァ、泉州にこんなマーケットが存在するのも考えた(或いは掘り起した)人は賢いですが、東京や地方の人には理解できないでしょう・・・

泉州特産「水ナス」と同じように、大手企業が参入する心配もありませんし、地元業者が独占です。

これこそが、中小零細企業の取るべきビジネス戦略だと思います。

今の世界中を見渡し過去の世界史を紐解けば、アチコチで民族紛争が起きていますし現在も起きています・・・

という事は、人間というのは血族や民族を何より大事にする動物なのでしょう・・・

だんじり祭における「町(村)意識」というのも、どうもこの辺の人間心理からきているのでしょう・・・

ヨーロッパ移民によって原住民であるインディアンが何処かへ追いやられたアメリカのように、日本においては、もはや東京は土着で生粋の江戸っ子は超マイナーになり、代わって地方から流入した日本人が主流になり、外人も入り乱れて、本来の祭や生まれた町や故郷を意識できない1300万人超の世界の大都会TOKYOになってしまいました。

一方、地方はどうかというと、人口が減り過ぎて「限界集落」になるのも時間の問題という地区が増えているという惨憺たる状況です・・・

その点、堺市以南の泉州地域は日本第2位の都市で「世界のOSAKA(大阪市)」に近く、山も海も近く都会と田舎を上手くミックスし、しかも昔から晴れの日が多く気候が温暖で雪も殆ど降らず、災害(地震、台風、洪水被害)が少なく非常に住みやすいの場所として昔から繊維産業(織物、タオル、毛布、紡績)を中心に発展してきました。

特に第二次大戦後の昭和2,30年代は、泉州の繊維産業が日本の高度成長期の前半を引っ張ってきたと言っても過言ではないでしょう・・・

特に貝塚市は、1964年東京オリンピックで優勝した女子バレーの主力メンバーの殆どが在籍していた「ニチボー貝塚(現ユニチカ)」の工場(紡績と織物)があり、日本でも有数の織物工場地帯だったのです。

その証拠に、270軒ほどしかない小さな我「名越」の町内には、100人超の従業員を抱える工場が2つもあり、大小合わせて11もの織物工場があったのです(弊社も最盛期は40人)。

木島小学校で、織物関係の仕事をしている親と言うと、クラスの半分以上が手を上げたものです(今は小学校全体でゼロ)。

世界で活躍する日本の総合商社を代表する伊藤忠や丸紅も何百年も遡れば、泉州地区で生産された綿花や糸や織物といった「祖業」の繊維ビジネスで発展してきたのです・・・

かつて村の古老に聞くと、江戸時代から明治時代は村の各農家が米の端境期に納屋にある織機で反物を織って、それを村の産元(仲買人)が集めて牛車に積んで1日かけて大阪船場にやっと辿り着き、今の伊藤忠や丸紅や船場八社に売っていた・・・というストーリーが地元にあったのです。

泉州人は昔から出稼ぎに行かなくても、地元で充分仕事があったという非常に恵まれた環境にあったのです。

逆に恵まれすぎて、昔から偉人と言われる人間を殆ど輩出していないのが難点ですが・・・(笑)。

そういう地元の歴史がありますので、代々泉州に住んでいる土着民の割合が多く、これが保守的でムラ社会と言われる所以で、周りが血縁や地縁だらけのコミュニティですので、互いに「ワカッタ」関係に甘えてどうしても言葉が荒っぽくなってしまったのです。

ヨーロッパのように季節によって獲物(肉)を求めて移動する狩猟民族と違って、農野菜や米や魚が主食の日本人は1か所に定住する農耕民族ですので、地方によって独自の言葉や文化が発達した結果でしょう・・・

一地方なら話題にものぼらなかったでしょうけど、大阪に近いというだけで何かと話題性があり、それが変な風に伝わり「泉州はガラが悪い・・・」とか誤解されているのだと思います・・・

かつて織物時代に、主力取引先(100%委託生産)であった伊藤忠商事の船場の本社に初めて行った時に、地元の同業者の社長さんが本部長や部長や課長らを前に「オイエ~(そうなんです・・・)」「やっちょうえ~(そうしてください・・・)」「ホンマかお~(本当ですか?)」「おてから~(そして・・・)」「もうちっと、まけちょうえ~(あと少し値下げしてください・・・)」「かいだるい事言うなェ~(情けない事、言わないでください・・・)」・・・と、バリバリの泉州弁で商談(雑談)しているではありませんか・・・

世界中を相手にビジネスを展開している商社マンにとって、大阪弁とは実は「泉州弁(詳しくは泉南弁)」だったのです・・・(笑)。

人間は生まれを指名できませんから、泉州生まれの自分が相当ラッキーだったと神?に感謝する次第です・・・(笑)。

という事で、ヨダレ掛けを買ったとしても、まだ1才にも満たない2人の孫はジイジと一緒にだんじりを見に行きたいと言うのでしょうか・・・(笑)。
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Last updated  2015.09.16 15:22:53
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2014.10.13
昨日で、2日間あった地元貝塚のだんじり祭りも終わりました・・・しょんぼり

大した事故もなく終えた事に、ホント感謝です・・・グッド

自慢ではないですが、名越は町内が一体となって、ホンマまとまっていると思います・・・泣き笑い

これも、長年の村のだんじり関係者全員の努力の結果です・・・グッド

昨今、泉州では新興住宅地が町内をまとめるために新しくだんじり祭を始めたり、長年の休止状態から再開されているところが増えています・・・グッド

しかし、だんじり祭りの運営は一朝一夕では出来ません・・・ぷー

どうしても、長年の歴史がモノを言います・・・ウィンク

そういう意味で、村の先輩達の歴史の上に我々の努力が実ったのかと感慨深いものがあります・・・泣き笑い

私自身の役割は、49歳の時に祭を取り仕切る「年番」の年代を終えましたので、それから8年交通係といった裏方に徹しています・・・ウィンク

うちの町は他町の様に「引退」を特に決めていませんし、青年団や三十人組、若頭などの人数も減っていますので、当面ずっと?祭に関わるつもりです・・・うっしっし

しかし、保育園くらいから親に付き添ってもらう訳でもなく、ひとりで友達らとだんじりを引っ張っていましたので、かれこれ50数年もずっと毎年だんじり祭に関わっている勘定になります・・・びっくり

我ながら、驚きます・・・ぷー

まァ、町内でも1番長く祭に「現役」で関わっていると思います・・・ウィンク

この「現役」というのがポイントです・・・パンチ

引退して、祭に関わらなくなったら老化が急速に進むと思います・・・ブーイング

男は張り合いが無くなったらオワリというのは、仕事や趣味と全く一緒ですねェ・・・わからん

だから、完全引退は極力避け、少しでも関わり続けるのです・・・うっしっし

まァ町内では、私が元織屋でトランクルームや不動産屋をやっている事を知らなくても、「あの、ドコドコドンのオッチャンや・・・」で有名で、町内で私を知らない人はモグリかも・・・(笑)

なんせ、40代以下の人は私の大太鼓を子守唄に聞いていたくらいですから・・・(笑)

という事で、今年も大太鼓や小太鼓を祭前や本番の休憩時間に叩かせて頂いて、有難うございました・・・涙ぽろり

改めて感謝するとともに、来年も叩けるように健康に留意するのはもちろん、パワーとスタミナの維持にも心掛けたいと思います・・・うっしっし
 

 

 

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Last updated  2014.10.16 13:23:49
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2014.09.27
ちょうど1年前にYOU TUBEにアップした、私の「だんじり祭り」の青年団と一緒に練習していた「鳴り物(お囃子)」の様子を再度公開させて頂きます・・・ウィンク

今年は9月に入ってからも仕事もプライベートも多忙を極め、太鼓の練習もタイミング的にまだ行けてません・・・しょんぼり

明日あたり、夕方空手の稽古が終わって、夜の名越の世話人会の事務所開き前に、チョットだんじり小屋に覗きに行けそうです・・・うっしっし

夏にウインドサーフィンで痛めた右肘も治り、ジムで週2,3回筋トレで鍛えている大太鼓(水平打面)に必要な上腕三頭筋と大胸筋の衰えもなく?、今年も思いっきり太鼓を叩けそうです・・・うっしっし

これが、祭の唯一の楽しみですから・・・うっしっし

青年団の練習の邪魔をしない程度で、たったの5分程度ですので・・・オーケー

1番(ゆっくり)、2番(普通)、3番(半キザミ=駆け足)を抜かし、4番(キザミ=走り)のみ叩きますので、けっこう疲れます・・・ぷー

筋トレで言うと、最大重量に近いバーベルを10回×10セットするくらいでしょうか・・・パンチ

たった5分でも、腕と大胸筋がパンパンに張り、親指の第1関節にバンドエイドを2枚張らなければ、豆が出来て潰れてしまいます・・・ほえー

それほど、4番太鼓を5分間目一杯叩くというのは過激で、ヘロヘロに疲れるのです・・・ぷー

何で、実際の祭ではあまり叩かない(使わない)4番太鼓を叩くのか?

それは、4番太鼓は早く叩かなければならないので、タイミングとバチの強弱といったテクニック的な事が1~3番と比較にならないほど難しいのです・・・ぷー

逆に4番が出来れば、1~3番は簡単です・・・うっしっし

1~3番までしか出来なければ、4番は絶対デキません・・・ブーイング

実際の祭では殆ど1~3番で用を足せ、チョコット4番叩くときは、単に両手でドンドン合わすだけで誤魔化せるのも確かです・・・オーケー

しかし、それだけではオモシロくないでしょう・・・ブーイング

祭の太鼓の醍醐味は4番にあるのです・・・パンチ

4番太鼓のリズムこそが、曳き子も後ろ梃子も大工方(3番は踊りやすいですが)もギャラリーもエキサイティングするのです・・・目がハート

まだ1番と2番とか番号もついていなく、指示系統もなかった子供や青年団の頃に、大太鼓を叩きながらだんじりの中からだんじりを引っ張っている曳き子を覗き、その疲れ表情を観察して、鳴物全体の速さを調整(ユックリ叩くか早く叩くか?)していました・・・泣き笑い

不思議な事に、曳き疲れてだんじりのスピードが遅くなってきても、4番太鼓を叩くとみんな元気になって、だんじりのスピードが速くなったものです・・・泣き笑い

そんな若い頃の祭の経験をしてきましたので、尚更そう思うのです・・・ウィンク

そして大太鼓こそが、バンドで言うところのリードギターです(小太鼓はベース、鉦はドラム、横笛はキーボードか?)・・・ウィンク

自由にアドリブを効かせ、旋律を奏でる事がデキるのです(一部大太鼓の叩き方が決まっている町もありますが、基本的にどこの町でも大太鼓は個人のフリーな叩き方)・・・うっしっし

こんな、誰も文句が言えない、勝手にアドリブやり放題のオモロイ事はありません・・・目がハート

私はギターはしませんが、ちょっとしたリッチー・ブラックモアやジミー・ペイジの気分です・・・(笑)

空手の回し蹴りも、大太鼓でいうところの1番難しい「上段回し蹴り」の練習をメインにしなくてはならないと思います・・・ウィンク

単なる柔軟性や筋力だけでなく、腸腰筋といったインナーマッスルや体重移動のタイミングなど総動員して行う「上段」回し蹴りは永遠のテーマです・・・わからん

実践や試合であまり使えませんが、上段が蹴れることによって、中段や下段が楽に蹴れます・・・グッド

中段までしか蹴れなかったら、上段を蹴れるはずもありません・・・ブーイング

滅多に使う事もありませんが、大太鼓の4番と一緒で空手の醍醐味でもあり、稽古の「基本中の基本」だと思うのです・・・パンチ

まァ、オッサン独りでシラフで行くのも恥ずかしいので、ビールを1本飲んで行きますので、酔いが叩いている内に回ってしまうというのもありますが・・・(笑)

その分YOU TUBEでは、チョッとタイミングがずれているところもあるのでご容赦を・・・(笑)

これだけ叩けば充分なワークアウトになりますので、家に帰って直ぐにプロテインを飲むと、よく効くと思いますよ・・・(笑)

という事で、「まだ若いモンには負けへんで!」という気持ちで叩ける幸せを噛みしめたいと思います・・・泣き笑い

しかし、短時間に身体能力の100%出すって、老体には悪いでしょうねェ・・・(笑)

まァ、子供の頃から祭になると家に帰ってこないと、親が心配するほど、1日中だんじりに張り付いていました・・・(笑)

小学校3年くらいで、すでに宮入本番で大太鼓を叩いていましたから、相当だんじりキチガイだったのでしょう・・・(笑)

朝から晩までずっとだんじりに乗って、大太鼓に飽きたら小太鼓を叩いたり、鉦を叩いたり、横笛を吹いたり、オールマイティで祭を楽しんでいました・・・うっしっし

小学校では禁止されているにも拘わらず、廊下の黒板を太鼓代わりにして叩いたり、横笛を吹いたりして、先生にこっ酷く怒られ、よく廊下に立たされたものです・・・(笑)

また、嫌いな国語の授業で本読みをしたくないため、祭で大声を出して声が出ないくらい嗄らして、本読みをわざとパスしましたねェ・・・(笑)

青年団になってからは、自町の太鼓の練習だけではオモシロくなく、お隣の森まで行って大太鼓を叩かせてもらいました・・・オーケー

また、日程の違っていた母親の実家の熊取の大宮や、岸和田の中町にもよく大太鼓を叩きに行きました・・・オーケー

熊取や岸和田に飽きたらず、終いには、だんじりの形状が違った「上ダンジリ」の高石や和泉まで遠征がエスカレートしました・・・(笑)

昔は試験引きの日や本宮の夜になると、割と自由に他町の人間でも叩かせてもらったものです・・・うっしっし

しかし下手に叩くと笑われますし、太鼓を破ったら大問題です・・・「他流試合」と言えども、真剣勝負でした・・・パンチ

浪人時代、当時世界的に有名になりかけていた佐渡の日本太鼓集団「鬼太鼓座」に、勉強から逃れたいばかりに、本当に入団しようかと思っていたほどです・・・(笑)

まァそれだけ、もう十分すぎるくらい叩きまくったにも拘らず、60近いジイサンになっても、まだ叩きたいんですねェ・・・(笑)

なんなんでしょう・・・?

ホンマに「好き」なんやなァ・・・ただ、それだけの事か・・・(笑)

しかし、憧れの名門ドラムメーカー「ラディック」の創業社長は、100歳まで毎日ドラムを叩き続けたと言いますから、それには完全に負けますが・・・びっくり





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Last updated  2014.10.21 08:50:52
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2014.09.23
岸和田の浜手地区(旧市)のだんじり祭が終わり、貝塚のだんじり祭りまで、あと3週間を切りました・・・ウィンク

夕方になると献灯提灯台に灯がともり、青年団のだんじり囃子の稽古の太鼓の音が聞こえ、集団でのランニングの掛け声も聞え、祭りの雰囲気が段々と伝わってきます・・・目がハート

今は泉州のだんじり祭りも、9月第二土日の岸和田の浜手地区とそれ以外の10月第二土日と、大きく2つの日程が別れていますが、私が子供の頃の4,50年前までは、岸和田の浜手地区は9月14,15日で、その次が熊取の9月27、28日、その次が貝塚の10月4,5日、その次が岸和田の山手地区の10月9,10日とバラバラでした・・・泣き笑い

泉州は地元民が多いため親戚も多く、だんじり祭の日程が違うと呼んだり呼ばれたり大変でした・・・ぷー

その分、他所の祭も見れるので、楽しみでもありましたが・・・うっしっし

母親の実家が熊取町大宮でしたので、よく見に行きました・・・泣き笑い

毎年宮入に、当時泉州最大と言われたデカい大宮のだんじりの大屋根に祖父と一緒に乗って、他町のだんじりの講釈を分からないなりに聞くのが楽しみでした・・・(笑)

しかし、当時の地元名越のだんじり祭りは、今と違ってノンビリしていました・・・泣き笑い

今の他町から応援を呼んででもヤル、「やり回し(全速力で走っての方向転換)」主体の「見せる&走る」だんじり祭りではなく、町内だけの老若男女だけが参加して楽しむ「村祭り」でした・・・泣き笑い

今のような舗装された道路でありません(デコボコの地道)でしたので走る事は滅多になく、人数も少なかったので「やり回し」どころではありませんでした・・・ウィンク

昔は朝の2時にだんじりを引き出し、だんじり小屋から100mしか離れていない私の実家を通過したのは5時でした(今なら1分で通過ですが)・・・ほえー

今では考えられない事ですが、朝から酒を飲み、みんなで歌いながらユックリだんじりを引っ張ったものです・・・目がハート

予定表なんかなく、行き当たりばったりで、よく右に曲がるとか左に曲がるとかで、酒の勢いもありケンカもよくありました・・・泣き笑い

だんじりの前に寝転び、「俺を轢いてから右へ行け」とか酔っ払いが泣き叫んだり、だんじりを追い越そうした車のボンネットの上に乗り「バックせんかい!」と叫んだり、女性の集団がだんじりに近づくと、青年団のニイチャン達がだんじりを放って追いかけていく・・・と、祭になると豹変するリアルな人間の生の姿を子供の頃から見慣れていました・・・わからん

それを見るのも、子供ながらオモシロいと思ったものです・・・目がハート

また歌と言っても、民謡の替え歌や「春歌」が主体です・・・ウィンク

小学校低学年から青年団と一緒にニヤニヤしながら歌っている姿を見ると、PTAも真っ青です・・・(笑)

お蔭で、大学でのコンパでは持ち歌が多いと引っ張りだこでした・・・(笑)

芸は身を助けるか・・・うっしっし

昔の祭といえば、酒、歌、ケンカがつきもんという事で、父親はいつも自分が若い時に行っていた癖に、私には行くなとよく言いました・・・ブーイング

しかし、祭好きのDNAは変えられず、祭り前に待ちきれず、近所の祭好きのガキらと一緒に、だんじり小屋の勝手口の下に穴を掘って、村に黙って小屋に潜り込んで遊んだものです・・・うっしっし

なんせ、だんじり小屋を初めて開けるのは試験引き当日で、しかも法被を着ずに普段着でだんじりを曳きました・・・泣き笑い

そんなだんじり祭の「本来(本当)の楽しみ」を子供の頃から知っているので、今でもタイコの音を聞くとジーンとくるのでしょう・・・泣き笑い

岸和田の旧市のような「やり回し」主体の走る祭もイイかもしれませんが、町内の小学校低学年の子供らの将来を考えると、もっと「村祭り」本来の楽しみを教えてやるのが我々大人の使命だと思うのです・・・泣き笑い

だんじり祭りの起源は、村の「五穀豊穣」を祈願する事です・・・ウィンク

農家は減りましたが、少なくとも町内の老若男女がだんじり祭を楽しまなければ、祭りの意味がありません・・・ぷー

スペイン旅行で、平日の夕方でも老若男女がワイワイ人生を楽しんでいるのを見て、日本人も祭りくらいは見るだけでなく、昔のように自らその輪の中に入って楽しむべきだと思います・・・泣き笑い

ウインドサーフィン界の問題点として、強風荒波での「ジャイブ(風下方向転換)」と「ウエイブ(波乗り)」にフォーカスを当てすぎた結果、愛好者が激減して問題となっていますが、だんじり祭も「やり回し」にフォーカスを当て過ぎて将来大変な事にならなければイイのですが・・・わからん

それを、本当に危惧しています・・・しょんぼり

ジャイブもやり回しも、皮肉にも共に全速力での「方向転換」ですから・・・(苦笑)
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Last updated  2014.09.24 04:01:55
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2014.03.19
先日、昭和39年(1964年)に父親が今の会社(株式会社笹谷繊維工場)を設立してから、ちょうど設立50周年になりました・・・泣き笑い

そして今年は正に、昭和24年(1949年)に祖父が伯父と父親の3人で織物製造業を始めてから、ちょうど創業65周年になるのです・・・泣き笑い

8年前に会社名をそのままに定款を追加して、織物業を完全廃業してからトランクルーム賃貸業に転業、そして5年前に不動産屋(宅地建物取引業)を始めて、内容は様変わりしていますが・・・しょんぼり

時代に合わせて、「生き残る」というのを最優先してきましたから、先祖も許してくれるでしょう・・・涙ぽろり

会社設立50周年と、創業65周年・・・感無量です・・・涙ぽろり

親父も祖父も、天国で喜んでいるでしょうか・・・ウィンク

江戸時代末期に、曾祖父が宮大工の家系であった2軒隣りの本家の川岸「仁左衛門」(戦後、役所の間違いで川岸姓から川崎姓に変わってしまった / 4,500年前に三ツ松・左甚五郎の本家「岸上」から「川岸」姓に変えて分家し、名越に移住)から、次男であったために分家しました・・・ウィンク

※日光東照宮の眠り猫で有名な貝塚市三ツ松出身の伝説の彫刻師「左甚五郎」の本名は「岸上甚五郎左義信」で、本家争いをしないように、本家の「岸上」に対して、分家には「岸」を付けて「岸本」「岸谷」「岸田」「川岸」、日光東照宮を建立した一派は江戸幕府の要請で和泉地方から移住したという事で「和泉」に姓を変更しています。

その際、養子縁組で川岸姓から今の笹谷姓に変わったのです・・・ウィンク

ひいひいひい祖父が江戸時代天保年間に水間寺の三重塔を建立した(棟梁)関係で水間村と関係が深く、その縁で曾祖父の父親(ひいひい祖父)がお夏・清十郎物語の水間のお夏の家(庄屋・楠右衛門)から名越の仁左衛門に養子に来たと言われています。

そして、楠右衛門と縁戚?であった跡継ぎのいない水間の笹谷吟蔵さんと、次男であった私の曾祖父が合法的に養子縁組をしたのです・・・ウィンク

曽祖父は生まれた時は川岸惣治郎、養子縁組後は笹谷勘松(戸籍上)、大正時代に建てたお墓には笹谷惣治郎とあります。

同じ人物でありながら、何故か?3つの名前を持っていたのです・・・

父親から聞いた話では、戦争が始まる前の昭和10年頃に水間の奥の秬谷の契約農家に薪を買いに行くときに(当時は電気が無かったので)、父親と伯父さんをリヤカーに乗せて祖父が秬谷まで引っ張っていく途中必ず、祖父の祖父(ひいひい祖父)の生家である楠右衛門に立ち寄ってお茶と饅頭を食べて休憩していたと・・・

まァしかし、貝塚市を中心に近隣の市町村で、岸上、岸本、川岸、岸田、岸谷という苗字が多いのはそういった理由で、みんな元を辿れば、左甚五郎一族なのです・・・泣き笑い

そして当初は寺社仏閣や彫刻だけだったのが、その後だんじりの本体や彫刻にも左甚五郎一族の影響が波及していったのです・・・うっしっし

日本中見渡しても、お祭りの山車(だし)や神輿、だんじりで、総欅(ケヤキ)の全体が彫刻だらけというのは、泉州のだんじりしかありません・・・びっくり

改めて考えると、こんな不思議な事があるのは、左甚五郎が「泉州の産」だった動かぬ証拠なのです・・・パンチ

伝説の彫刻師「左甚五郎」とか、お夏・清十郎物語とか、世間では架空の人物や物語と言われているかもしれませんが、実は貝塚の山手「木島谷(清児~水間)」にあった本当の話なのです・・・グッド

本家や分家である私の家があるのが、動かぬ証拠なのです・・・パンチ

町内に日本でも珍しい「塔筋(とうすじ)」さんという苗字が沢山ありますが(日本で名越が発祥の地?)、これも親戚の塔筋さんによると「名越村というのは、水間の三重への道だった・・・そこから、塔筋という苗字がついたんや・・・」という口伝が昔から伝わっているそうです・・・ウィンク

確かに非常に珍しい苗字です・・・「塔」と「筋」なんて、関連性や結びようがありませんから・・・わからん

塔筋さんご本人の説明で納得です・・・オーケー

江戸時代の水間寺の三重塔や本堂の建立に、左甚五郎一族でも名越の川岸仁左衛門一族が大きく関わったとされ(棟梁で)、何十年も名越から水間へ大勢の宮大工集団が水間街道(通称・旧道)をゾロゾロと歩いて通っていた光景が目に浮かびます・・・泣き笑い

名越にも沢山の川岸姓がありますが、岸和田城周辺の町に「川岸姓」の家が30軒ほど散らばっているようで、これも江戸時代に当時の岸和田城主岡部さんからの要請で名越から建築(宮大工)集団として移り住んだと言われています・・・ウィンク

そのうち1軒の子孫の川岸さんが2年前にうちに来られて(ネットで見られて)、御先祖の捜索に協力させて頂きました・・・泣き笑い

幸い、その方の名越にある本家が見つかりました・・・目がハート

おそらく岸和田の川岸一族も、500年前三ツ松から → 名越に岸上から川岸に苗字を変えて仁左衛門一族が分家して移住 → 100~300年前に名越から岸和田城周辺に川岸仁左衛門一族の一部が移住 というストーリーが考えられます・・・ウィンク 

曾祖父の妻(曾祖母)が名越村唯一の武士(岸和田藩足軽)の石原家から嫁に来ていることからも、当時の左甚五郎一族の影響力が覗えます・・・ぷー

宮大工家と士族のカップルは、名越史上初だったのです・・・

という事で、遠い遠い先祖の事を考えると、50年や65年なんて、短い短い・・・何の自慢にもなりません・・・ブーイング

しかし、いつも思うのですが、あの先祖が建立した背の高い「水間の三重塔」はこれまでの地震にもビクともしませんでした・・・びっくり

よくも2,300年前に設計図面もなしに建てたのだと感心します・・・びっくり

以前本家のお爺さんに聞いたところ、自分か一族しか知らない建築の「腕(技術)」を妬まれて暗殺されたそうです・・・ほえー

先祖が「藤原朝臣」という官位を貰った宮大工であったという誇りと共に、そういう悲しい歴史があったとは、子孫として非常に複雑です・・・わからん

しかし、貝塚にそういった建築や彫刻に拘わる長い歴史があったのかというと、元々今から1300年前の壬申の乱の頃に、近江から100人の建築集団が三ツ松に移り住んだのが始まりとされています・・・

それが元となって、その後左甚五郎が生まれたり四天王寺も葛城山の木を使って建てたと言われています。

葛城山麓で木を伐採し、近木川伝いに木を運び、大阪湾伝いに四天王寺のある大阪市内まで運んだと言われています・・・

当時に思いを馳せると、想像を遥かに超えた壮大な建築計画が目に浮かびます・・・

そう言えば、葛城山の麓の村の名前が「木積(こつみ)」ですし、同級生に「伐栗(きりくり)」君というのがいましたから、この口伝も満更嘘でもなさそうです・・・

             右から2番目が父親(昭和6年頃)
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Last updated  2018.08.16 09:26:12
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2013.11.19
今年の町内のだんじり祭りのDVDが出来ました・・・ウィンク

今年も親戚のウエブデザイナーがプロデュースしました・・・グッド

毎年質が上がってきて、ナカナカの出来です・・・目がハート

しかしこの名越のだんじりも、平成29年に新調だんじりを曳きますから、あと3年しか曳けません・・・しょんぼり

明治30年代のだんじりですから、もう100才を遥かに超えています・・・泣き笑い

明治30年代に岸和田の大工町が新調して、大正時代に名越が購入しました・・・泣き笑い

祖父がちょうど青年団の頃(大正時代)にこのだんじりを買ってきて、以前からあった小さいだんじり(岸和田魚屋町の先代だんじり)と一時期2台曳いていたそうです・・・びっくり

もちろん中古だんじりだったのですが、当時新調だんじり以上の6000円もしましたから、相当価値のある素晴らしいだんじりだったのでしょう・・・ウィンク

当時の名越はよっぽど、祭が盛んだったのですねェ・・・ウィンク

祭好きだった祖父でしたから、親父、私と・・・祭好きなのは当たり前の話です・・・(笑)

母方の祖父も相当祭り好きだったようで、だんじり新調時(昭和8年)に青年団長をやっていて、歴史的に最も有名なだんじり大工「植山宗一郎」の隣に記念撮影でキッチリ写っています(熊取町大宮)・・・びっくり

※大宮のだんじりは昭和を代表する「名だんじり」で有名ですが、何故?あの当時巨大(平成だんじりと同寸法)で素晴らしい彫り物を掘っていたのか、その本当の理由を祖父から聞きたかったものです・・・泣き笑い

小学校低学年の頃に、親戚の駄菓子屋で木製のミカン箱を貰ってきて、「子供だんじり」をノコギリとかなづちで独りで一生懸命作りました・・・泣き笑い

その時「コマ(車輪)は、機(ハタ)のギアを使え」とアドバスしてくれたのが、確か祖父だったような気がします・・・ウィンク

手先が器用な人で、鎌やゴミ箱、塵取り、簡単な家の修繕など何でも自分でやっていました・・・泣き笑い

それを毎日、私が見ていて、見よう見真似していたのです・・・ウィンク

両親が仕事で忙しかったので、とにかく何時もお爺さんと一緒だったのです・・・泣き笑い

親父の兄弟が多く、しょっちゅう叔母さんや小さな従弟たちが来ていましたので、ある時弟妹が欲しかった(当時はまだ1人っ子)ので「おじいちゃん、10円やるさかい、赤ちゃん生んじょう(生んでください)・・・」と毎日祖父にせがんで困らせたそうです・・・(笑)

しかし、村祭りは郷愁を誘います・・・ウィンク

2,3年前に祭りの安全委員で警備をしていると、知らない女性から話しかけられて、「お父さんの代で名越から出て行って、大阪市内で住んでいるのですが、私の本籍は名越なのです・・・」と免許証を見せられて、意味深な話を涙ながらに聞かされた事があります・・・涙ぽろり

都会に住んでも、自分のルーツは気になるものですし、そのルーツが「まだあれば」すごく幸せになり、元気を与えてくれるものだと感じるのですねェ・・・泣き笑い

名越も村が出来てから5,600年にはなると思いますので、日本中で名越にルーツを持つ人が相当数いると思います・・・オーケー

そういった故郷の祭を、陰からこっそり涙を流しながら見られている人が沢山いるのかもしれません・・・涙ぽろり

岸和田だんじり祭に、犯罪者がよく捕まると言われます・・・ぷー

岸和田出身の逃亡中の犯罪者が、祭りに地元にこっそり帰ってくるそうです・・・それ程祭りというのは、故郷を持った人の心を掴んで離さない何かがあるのです・・・涙ぽろり

日本の祭というのは、その時の当事者がただ騒いでオワリというのではなく、脈々と地元に何百年も受け継がれた精神的なモノが底流にあるのです・・・泣き笑い

という事で、そういう文化も大切にしながらも、今後益々の名越のだんじり祭りの発展を陰ながら祈りたいと思います・・・ウィンク
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Last updated  2014.09.03 08:38:34
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2013.10.14
12,13日の地元貝塚のだんじり祭りが終わりました・・・泣き笑い

事故もなく、楽しく無事に終えた事を何より嬉しく思います・・・グッド

一方、小中学校の同級生が祭から徐々に遠ざかって行くのが寂しく思います・・・涙ぽろり

町によって祭の「定年」があり、その年になると一切の「役」が無くなるのです・・・ブーイング

今のところ、我が村には定年がありませんので、祭に出て来れるうちは来たいと思います・・・ウィンク

この祭に「出て来る」というのが、大事だと思うのです・・・パンチ

そりゃ、もう立派な大人ですからイロイロ事情が大なり小なりあると思いますが、それを乗り越えて祭りに参加する事に意義があるのです・・・ぷー

参加すれば、懐かしの顔ぶれに会って、イロイロと喋る事によって、明日への活力を生むのです・・・泣き笑い

60近くなって、何の拘りやプライドがあるでしょう・・・ウィンク

祭で「何、やってんなォ?」「久っしのォ?」と、久しぶりの同級生や後輩先輩と語らうのです・・・泣き笑い

同じ町内でもなかなか会う事も少なく、他町であれば尚更です・・・ウィンク

今回、実に40年ぶりに小中学校の同級生に会いました・・・びっくり

本当に久しぶりです・・・涙ぽろり

彼は長い間故郷を離れていて、私と同じく「祭りキチガイ」だったのです・・・ウィンク

ずっと、来たくて来たくて仕方がなかったのでしょう・・・ウィンク

お互い一目で分かり、懐かしの昔話に花が咲きました・・・泣き笑い

そして話が、小学校5,6年のクラス会を先生が生きている内にやろうという事にまで発展しました・・・ウィンク

実現すれば、実に45年ぶりです・・・泣き笑い

まァ、イロイロあるでしょうけど、「やるとなったら、2,3人でもやるでェ」と堅い約束をしました・・・オーケー

それが、人生の楽しみでしょう・・・泣き笑い

今年も、夜にチョコット、太鼓を叩きましたし、悔いはありません・・・うっしっし

まだまだジイサンも頑張ってるでェ・・・という事で、子供や青年団の子らに少しでも刺激を与えられたらと思います・・・ウィンク

イヤ、ただ自分が叩きたいだけか・・・(笑)


 
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Last updated  2013.10.15 10:01:25
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