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先の週刊文春騒動は新聞を読んでも全然理解できなかった。田中真紀子の長女の私生活を扱った記事の差し止めについて、裁判所の判断が二転三転し、結局、東京高裁は、私人のプライバシーと表現の自由をてんびんにかけ、差し止め決定を取り消して決着した。新聞各社は、文春の記事がプライバシーを侵害していると判断し、記事内容を伏せたまま解説やら社説やらを展開したため、記事内容を知らない読者には全くちんぷんかんぷん。朝日新聞が社説で「メディアが表現の自由の名の下で、私人に痛みを強いて我慢せよと迫る。そんなことではとても市民の共感を得られないだろう」などと書いても、読者は共感も反発もできない。おまけに、出版前夜の差し止めという一大判断をした当の裁判官(45)がどんな人なのか、という読者が当然知るべき内容もほとんど報じられていないようだ。今回の騒動では、読者の「知る権利」はまったくカヤの外に置かれたといっていい。裁判官の件については、雑誌が詳報して補ってくれた。ある雑誌は、この裁判官は反マスコミの急先鋒でいつか差し止めてやろうと手ぐすねをひいていたところに今回の差し止め請求がやってきたと紹介。別の雑誌は、この裁判官はバランス感覚があり、ちょっと変わった裁判官が出した奇をてらった決定などと考えないほうがいい、という内容を載せていた。最近、公人のプライバシー侵害問題だけでなく、各マスコミが一斉に取材に押し掛けるメディアスクラムも問題視にされ、メディアへの風当たりが強い。メディアを管理するメディアが存在しないため、やりたい放題だ。とくに、雑誌記者の強引さは現場では有名で、新聞側としては、メディアを一括りにされてはかなわないという意識が強い。今回の騒動は、こうした業界内の対立が問題を複雑にした印象だ。
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最終更新日
April 7, 2004 10:07:50 AM
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