|
カテゴリ:カテゴリ未分類
僕は某コンビニエンスストアでアルバイトをしているのだが、僕自身コンビニエンスストアはどちらかというと好みではない。 資本主義の理念に沿っていかに儲けようかという考えからみれば商業理念は利にかなっている。 これについて僕は何も問題にはしない。 問題は我々がその便利さに依存しすぎていることにある。 この便利さは「めんどくさい」を解消できる手段であるし、コンビニの商業理念はそういうところから生まれ出てきたものだ。 たとえば急いでいるときなどにはこの便利さは有効なものだと思う。 問題は平素からその便利さに取り込まれてしまう人が意外にも多いことだ。 発達した現代の資本主義社会においては、お金さえあれば「めんどくさい」から解放され得る。 「めんどくさい」があればそこにお金が生まれてしまうわけだ。 技術の発達においても同様である。 今僕がこうやって字を打ってるのだって、書くのがめんどくさいうえに変換という便利な機能があるからである。
大切なのは「めんどくさい」解放主義を鵜呑みにしないということだ。 行き過ぎた便利さの裏には弊害があるということを忘れてはいけない。 普段パソコンを使っている人はいざ紙に何か書かなければいけないときに、自分がいかに漢字が書けないかということを痛感するだろう。 発達した資本主義社会のなかで我々はその思想や理念に利用されるだけではいけないのだ。 僕には便利さに慣れてしまっている現代人は明治ぐらいの日本人に比べて「人間力」(僕が勝手に作った人としての総合的な能力)が劣っているのではないかという懸念がある。 今のこの社会はある意味では昔からの人々が考えてきた理想的なものであると思う、しかし我々は無意識にそれに依存してしまっている。 その状態は考えることを必要としない。 それに気がつき、過度の依存から抜け出すためにはやはり考えるしかないのだ。 呑まれるな、考えるんだ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 29, 2005 12:37:40 AM
|