カテゴリ:ユニフォーム
そもそも、何故自分がユニにこんなにもこだわるようになったのか。それを過去を振り返りながら考えてみました。
自分が本格的に球場に行ってドラゴンズを応援するようになったのが1999~2000年。その頃はまだユニフォーマーではなく、普通に普段着で観戦していました。 ユニを着るようになったのが2001年から。正確に言うと2001年のペナント開幕に合わせてユニをオーダーしていたので、2001年2月にはもう初めてのユニを作っていました。ちなみにその時作ったユニというのが、当時来日2年目だったドラゴンズのクローザー、エディ・ギャラードのナンバージャージ。ギャラードのユニは既製品にはなかったので、いきなりオーダー品だったわけです(笑)。 2001年はその後も李鍾範のレプリカ(中日ビルドラゴンズショップ製)、4月にテル(久慈)のレプリカ、5月にテルのプロモデル、10月に正津のプロモデル…と狂ったようにユニをオーダーしており、今振り返るとユニフォーマー1年目にして既に重度の病気だったことが分かります(笑)。 今ではユニフォーマーとなっている周りの観戦仲間も、この頃はユニは着ていませんでした。では、何故自分だけこんな風になってしまったのか。それを考えて行くといつも思い出す光景があります。 それは2000年のナゴヤドームでの観戦の時のことでした。内野下段席で観戦していた時、通路を行き過ぎる人の中に、久慈のプロモデルを着ている人を見たのでした。その時の強烈なインパクトといったらそりゃあもう…。当時はユニを着ている人自体が少なく、特に内野にはほとんどと言っていい程ユニを着た人はいない状態でしたので、自分が久慈ファンだったこともあり、この「KUJI」の背文字の放つインパクトはもう言葉には言い表せないほどでした。周りの客席からも「久慈だ…」「久慈だ…」という声が囁かれていたのを覚えています。 とにかくこの時の印象が強烈で、すっかり感化された自分は、早速グッズカタログを見てみたのですが、ユニに限ってはとりあえず立浪や福留などの既製品しかなく、久慈のようなユニを着ようと思ったらプロモデルをオーダーするしかなく、「えー? たかがユニフォームなのに29000円もすんの!?」と、あっさりあきらめたのでした。この頃はまだまともな神経だったようです(笑)。 その年のオフ、ドラゴンズ公式サイトで好きな選手の名前と背番号が入れられるナンバージャージの販売が始まり、確か価格は7350円だったと思いますが、「これなら買ってもいいかな」と思い、オーダーしたのが先ほどのギャラードユニでした。久慈も候補でしたが、当時久慈は出番が減ったのを不服としてFAするかもと噂されており、古巣・阪神の監督になったノムさんが「久慈がFAしたら獲りに行く」的な発言もしていたので、危険な賭けはやめて、来季も残留が決まっていたギャラードにしたのでした。ギャラードにした理由は、名前がかっこ良かったのと、中日ファンなら誰でも知っていて、ある程度活躍が見込める選手だったからです。この点は今と比べると計算高い感じがしますね。今はそんなこと関係なしに、仮にその年限りで退団しそうな選手でも、「好きな選手なら」「かっこいいユニなら」という感じで迷わず作っちゃいますからね。 さて、初めて作ったギャラードユニは非常にカッコ良くて、鏡の前で着たり後ろ姿を写真に撮ったりしたものでした(この辺は今と一緒か)。しかし当時は先ほども書いたようにユニを着ている人自体が少なく、ましてや自分のギャラードユニみたいなオーダー品を着ている人は稀だったので、これをドームで1人で着るのは少し恥ずかしく、観戦仲間のモンテコックリ君(当時無職)に同じナンバージャージの岩瀬をプレゼントし、「来年(2001年)は2人でこれを着て観戦しよう」ということになったのでした。 そしてユニフォーマーとして初めて迎えた2001年シーズン。その開幕2戦目をモンテコックリ君と観戦したのですが、その時の写真を見ると…。 自分、背番号18のギャラードユニではなく、7番の李鍾範のユニを着てますね(笑)。 これはですね、やっぱり李鍾範が好きだったこともあって、ギャラードユニを作った後、今度は李鍾範ユニが欲しいな~と思っていたところへ、知り合いから「中日ビルのドラゴンズショップなら8800円(当時の価格)で前開きのレプリカユニが作れるよ」と教えてもらい、その勢いで作ってしまって、「やっぱりギャラードよりジョンボム着よ」となってしまったわけです。 ちなみにこの写真、モンテコックリ君は私服で、プレゼントした岩瀬ユニは着ていません。そしてこの時の会話。 斜陽「さて、ユニ着るか」 モンテ「えっ、ユニなんて持ってきてませんよ! 球場で着るんすか!?」 斜陽「ええー?球場で着なかったらどこで着るのよ!?」 …と、こんな感じでした。今では立派なユニフォーマーのモンテコックリ君ですが、当時は彼を含む多くの人が持っていたユニに対する認識というのはこんな感じのものだったんだろうなーと思います。他の観戦仲間に「今度野球観に行く時、ユニ着ない?」と聞いても「何のために着るの?」という反応ばかりでしたし。 そんでまあ、4月はその李鍾範とギャラードを交互に着て観戦していたわけですが、 月刊ドラゴンズに付いていたポスターに久慈さん(テル)が載っていて、その時着ていたトレーニング用の青ユニがかっこ良かったので、またもや中日ビルに行き、テルの青ユニのレプリカをオーダー。そして5月からはこのレプリカユニを着て観戦するようになりました。やっぱり久慈さんが当時のドラゴンズで一番好きやったしね。だったら最初から作れよ、という話ですが。 こうして開幕から1ヶ月少々でユニを3枚も作ってしまい、さすがにちょっと衝動買いし過ぎやな~と思い、今シーズンはこの3枚で終わり!と決めたんですが、自分がユニを着るようになってからは周りの人が誰のユニを着ているかが気になるようになってきて、プロモデルを着ている人を見る度に、「これがプロモデルか…やっぱかっこいいな。レプリカとは違うな」と思うようになってきて、自分もプロモデルが欲しくなってきてしまったのでした。 …なんだか長くなりそうなので、後編に続きます~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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