カテゴリ:ユニフォーム
落合監督はガンダム好きですか…(爆)。冷血なイメージの落合監督が、少し身近に思えた話でした。特に「試合に勝った日に観るガンダムは最高だ」って…(笑)。自分はガンダムは初代しか詳しくないんですが、初代のキャラのイメージだと……まあルックスとか年齢は関係なしであくまでイメージでっていうことだと、落合監督はシャアっぽいようなイメージですね(ってことは夫人はララァ?)。なんていうか、頭の回転が速くて勝負勘があって負けず嫌いで自分以外の人は下って思ってる節があって少し強がってるところとか。
まあそれはいいとしまして(笑)、西武への人的補償もそろそろ決着しそうな雰囲気ですが、とりあえずデコドラは今回も書き溜め記事の中から、ユニ遍歴をアップしておきます(笑)。 ---------------------------------------------------------------------------- ユニ遍歴#3は久慈ユニ。 もうですね、久慈ユニについては語り尽くせないくらいの思い入れと思い出があるんで、何から書けばいいのか分からないんですが。 久慈さんについての思い入れは『久慈記』を参照頂くとして、とにかく'98年にドラゴンズに移籍してきた久慈さんの華麗な守備を見て惚れた自分は、'99年の大活躍で一気に久慈ファンになったんですが、ユニに興味を持ち出した'01年は久慈さんは登録名を「テル」にしていたため、自分が初めて買ったプロモデルユニにも背ネームは「TERU」と入っていました。しかしやはり「KUJI」の方がかっこいい…と思っていたので、久慈さんが翌年登録名を本名に戻すと知った時には「うおお、念願の「KUJI」が着れる!」と大興奮したものでした。勿論、レプリカなら「KUJI」と入ったユニはいつでも作れたんですが、プロモデルでないと意味がなかったのは言うまでもありません。 青ユニが好きだったので最初に頼んだのはこの年から新しくなったビジターユニでした。届いた時には感動し、感涙しながらのたうち回ったものです。当時は観戦も数多く行っていたので、その年だけでも結構このユニは着ました。肝心の久慈さん自身は、4月末に故障で抹消されてからはずっと二軍暮らしだったので、このユニを着て久慈さんを応援することはありませんでしたが…。 初夏くらいになって、「どうも久慈が退団するらしい」という情報が入ってくるようになりました。詳しいことは言えませんが、関係者筋からの情報だったので信憑性は高く、ベテランでありながら故障でずっと二軍暮らしでは危ないかも……と覚悟はしていましたが、いざ現実的な話になってくるとやはりショックでした。しかし、退団となると当然もう久慈ユニは作れなくなるわけで、自分は慌ててホームのユニも注文したのでした。通常プロモデルの納期は1ヶ月半~2ヶ月くらいなんですが、この時は何故か1ヶ月で届いたため、久慈さんがまだドラゴンズの選手であったシーズン中に何度か観戦で着ることが出来ました。 そしてその年のオフ、予想された通り久慈さんはドラゴンズを退団。後の週べのインタビューで、久慈さんは「故障が治っても上(一軍)に呼ばれない。自分はもう必要ないんだと思って、退団を直訴」していたそうです。当時の記録を探ってみると、当時監督だった山田監督は久慈さんを「必要な戦力」と言っていたようですが、久慈さんの意思は固く、退団となったようです。この辺りの話は当時マスコミには出なかった情報ですが、久慈さん退団後にドラゴンズが同タイプの内野手である酒井をロッテから獲得しているところから見ても、この話の信憑性は高いように思われます。 もう少し詳しく書くと、球団は当初久慈さんに引退→二軍コーチの道を打診したようですが、久慈さんは現役にこだわりこれを拒否。その後球団側はトレードを模索したようですが釣り合う相手が見つからず、結局自由契約に。そして久慈さんは、恩師である島野氏の助言もあって、星野阪神に入団し、'03年の優勝をスーパーサブとしてバックアップしたのはご承知の通りです。 自分はというと、久慈さん応援したさににわか阪神ファンになり、2003年から久慈さんが引退する2005年まで、ナゴドの阪神戦ではタテジマの久慈ユニを着て阪神を応援していました。とは言え、心情的には中日ファンであるため、阪神戦以外の試合を観戦する時は相変わらず中日の久慈ユニを着て観戦していました。 自分は久慈さんがドラゴンズを退団した時に、「久慈がいなくなっても俺はこの久慈ユニを着てドラゴンズを応援しよう」と決めていました。しかし今はアレックスやら春田やら様々なユニフォームを着ています。これは別に野球選手久慈を好きだった気持ちがゆらいだわけではなく、2004年にドラゴンズのユニフォームが一新されて、だんだんと「新しいユニも欲しいな」と思うようになってきてしまったからです(笑)。 さすがに現在では久慈さん在籍時のこのユニを着ている人も少なくなってきましたし、新しいユニに見慣れたせいもあり、デザイン的な面でも時代遅れの感も否めなくなってきました。それでもだいたい年に一度は久慈ユニを着ています。着てないと、なんだか着たくなってしまうんですよね。それだけ久慈照嘉という野球選手が好きだったということでしょう。 久慈さんは2005年に引退しましたが、この年の秋に生まれたばかりの自分のジュニアに久慈ユニを作り、これを着て一緒に日本シリーズや好プレー集などをテレビ観戦したりもしてました。 あ、あと久慈さんが2005年限りで現役引退した後、2006年にタイガーズのビジユニ(レプリカ)も買ってます(笑)。 …アレックスも春田も大好きでしたし、そのユニも大のお気に入りですが、久慈ユニとはもう「好き」の次元が違うんですよね。自分にとって久慈さんは孤高の存在であり、他の選手と比べることの出来ない存在なので、当然そのユニももう別格なんです。だから、選手が退団したら着なくなるユニが多い中でも、中日時代の久慈ユニだけは、未だ現役なんです。 ……もし仮に、ですが、この先久慈さんがドラゴンズのコーチとして復帰してくれたら。…その時は迷わず60000円用意してホームとビジターのユニをオーダーするでしょう(笑)。そして、球場ではそのユニしか着なくなるんじゃないかと思います(仮に阪神のコーチでもユニは作るだろうな~)。 久慈ユニはドラゴンズ時代の物だけで上記した2着(TERUは除く)とスポーツショップで作った漢字ユニ(失敗作)がありますが、買わずに後悔しているユニが2つあります。それは2001年まで使われていたグレーのビジターユニ(背ネームはKUJIのやつ…2001年はTERUなので実質2000年まで)と、同じ2001年まであった青のトレーニングユニ(同上)を買わなかったことです。共に自分がユニフォームに興味を持つより以前の物なので、後悔というか、欲しいと思った時にはもうどうしようもなかった代物ですが、今でも共に欲しくて欲しくてたまらないユニです。 まあそんな感じですので久慈ユニはこの先も着続けますよ。その時は毎回井端の「6」のリストバンドをつけて…(笑)。 あ、2005年に、ナゴドで井端ファンの後輩と撮ったこの写真もお気に入りです。撮影してくれた巨人ファンの友人が我々の後姿を見て、「おおっ、背番号6の名ショート師弟コンビ!」と喜んでくれたのもいい思い出です(笑)。 今回載せた全ての写真も含め、このユニ遍歴で載せている写真はいずれも当時撮ったものばかりです。こうやってみると、ユニが届いた時に撮った写真や球場などで撮った写真だけでも1冊のアルバムが出来そうだなぁ…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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