日本統治時代の「百年老橋」復興の一助に 台湾地震、崩落した橋に隣接
4/8付けの産経新聞に下記の記事があったので、お借りして載せます。『台湾東部沖地震の震源に近い花蓮県沿岸部で、崩落した橋に代わり、日本統治時代の約100年前に建設された橋が6日夕、補強工事を終え開通した。崩落した橋は比較的新しく、現地でも古い橋の頑強さに驚嘆の声が上がる。台湾では統治時代の遺構が多く残っており、「百年老橋」も復興の一助となる。3日に発生した地震で崩落したのは、1971年に架けられた長さ約25メートルの「下清水橋」。花蓮県から台北へ向かう最短ルートで、開通後は隣接する統治時代の1930年に建設された長さ約10メートルの「旧蘇花第7号橋」が使われなくなった。1日3回3時間限定最大震度6強を観測した今回の地震では下清水橋が崩落し通行不能となったが、統治時代の橋は補強すればすぐに使用できることが台湾行政当局の調査で判明。造りが頑丈で、地震から3日後には補強工事が完了し6日夕、通行可能になった。当面は1日3回、3時間限定で運用する。台湾メディアは「百年老橋」などと報道。交流サイト(SNS)でも「奇跡のようだ」「歴史がわれわれを守ってくれた」「やはり古いものは大切にすべき」など称賛する声が相次いだ。1919年に完成した台湾総督府は、現在も総統府として使われている台湾では旧台湾総督府を改修した総統府をはじめ、統治時代の建造物などが多く活用されている。花蓮市内にある統治時代の日本家屋が残る観光施設「将軍府」。旧日本軍の花蓮港分屯大隊が駐屯していた跡地で当時の門柱を残した区割りのまま、建物を修復してレストランや着付け店など約10店舗が入居する。歴史を後世に残す1日に正式開業したばかりだったが、今回の地震で被災。着付け店では天井の水漏れ被害を確認したが、店主の林秋芬さん(54)は「ここは日本と縁のある場所。歴史を後世に残すためにも営業を続けていきたい」と前を向く。将軍府の開業に向けては、地元住民らが修復のために寄付を募るなどして、地元メディアによると、最終的に2・5億台湾元(約11億7500万円)でリニューアルしたという。この地域を束ねる里長の呉明崇さん(72)は「歴史とはつながりだ。良いか悪いか、二者択一ではない。それを後世に伝えることが自分たちの使命だと思っている。後は次の世代が考えればいい」と話す。将軍府から西約5キロにも統治時代に建立された寺院「慶修院」がある。地震で本堂の柱にひびが入り、仏像などが破損したが、現地の人々が再建に向けて準備を進めているという。』日本が大陸に侵攻し、欧米列強からの植民地化から解放した際、各地でいわゆる道路整備や行政機関施設等の公共事業を行っていたという。今では多くの国々がその遺産をもとに発展しているのだそうです。そういう今でいえば遺構ともいえる施設が、高い技術でできていたことにもっと日本人は誇りを持っても良いと思う。記事の後半はちょっと自分の言いたいことから離れてしまっているが、今回のこの橋の再利用は素晴らしいニュースだと思った。花蓮県の山間部で、地震により崩落した新しい橋(手前)と、隣接する日本統治時代に建設された橋(奥)。台湾当局は日本統治時代の橋を補強して片側通行を行っている