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1364年


3月
義満は7歳で乗馬を始める

京都に帰還した*1義満は新しく管領となった*2斯波義将に養育され、7歳で初めて乗馬した。

*1足利義満

*2斯波義将(しば よしゆき)



5月
矢開の儀が行なわれた


6月
*1赤松則祐は屋敷で祝儀として馬・鎧・太刀・弓矢 等の贈物を受けるなど、養父である*1則祐とは 親交を続けた。

*1赤松則祐



1365年


5月
4日
赤松登子 死去

足利尊氏の妻 享年60

京都仁和寺等持院に火葬により埋葬された


1366年


8月
貞治の変が起こった

*1斯波高経・義将父子が*2失脚

*1*2斯波義将(しば よしゆき)


*2越前に*3逼塞。

*3この後、後任の管領に道誉らに*4 推薦され頼之が就任。

*4足利基氏の推薦によって

*2叔父の足利基氏の推挙により*3細川頼之が後任の管領に任命された

*3細川頼之

この頃の足利義満は祖母の*4赤橋登子の*4旧屋敷に移ったり、赤松則祐の山荘に立ち寄ったりしてい た *4足利尊氏の妻 *4 1365年 死去


12月


7日
義満 義満になる


足利義満は後光厳天皇から名字を義満と賜り、*1従五位下に叙せられた。

*1貴族以下の地位



1367年


基氏が没すると桃井直常は出家、上洛して足利義詮に帰順


1368年


足利義満 3代目将軍となる

*1足利義満


*1*2 金閣寺を建てた将軍


*2文字通り金箔が貼られて作られてる



1370年


當麻寺最大の塔頭である奥院が建設された

*浄土宗総本山知恩院(京都市東山区)の「奥之院」として応安3年建立された。

祖や高僧の墓。子院

奥院


浄土宗

門下によって建てられた

浄土宗の子院。

*3お庭は「浄土庭園」と云われる


*3極楽浄土を模して造られているという

*4知恩院12世の*4-1誓阿普観が創建


*4-1南北朝の戦乱を避けるために*3建設したとされる

*4浄土宗のの総本山

*4知恩院

*4当初は往生院と称した

*4法然を祖とする


*4法然=知恩院創設者

*51370年

*6ご本尊の當麻曼荼羅


*6「浄土変相」といって画像は地獄と浄土の様子を表している

*6*1當麻(たいま)寺とあるようにこの時代は大麻を使用して観るのが一般的だったようだ


8月
北朝 後光厳天皇が皇太子に譲位を尋ねる


北朝において*1後光厳天皇が実子緒仁親王(後円融天皇)への譲位を内々に*2諮問する *1後光厳天皇

*2尋ね求める

*2ここで、*1後光厳天皇の兄の*3崇光上皇が実子の栄仁親王が正嫡であると主張したため皇位継承 問題が*3発生した。

*4頼之は事態収拾は聖 断によるべきと深入りを避けつつも*1天皇側を支持するが、*3上皇側は足利 義満の継母渋川幸子らに運動して対抗する と、*4頼之は光厳院の*5遺勅を示して介入を封じた。

またばさらと 呼ばれる華美な社会風潮を規制する。


1372年


11月
23日
赤松則祐が 高熱で倒れ、そのまま 回復せず

29日
未刻
赤松則祐が京都の西洞院二条の邸で死去

享年59または61 肺炎

墓所は兵庫県赤穂郡上郡町河野原の宝林寺


1381年


赤松義則の子 満祐 出世

*1父の義則は、播磨、備前、美作を領する有力守護*3大名だった

*3室町幕府の侍所別当を務め、3代将軍足利義満、4代義持から深く信頼されていた

*1背丈が低く三尺入道の異名があり*2息子の満祐も同じだったようで、後に父と同様に三尺入道と 呼ばれることになる


1391年


明徳の乱 大内 義弘は山名氏を討伐する
山名氏清、満幸ら山名氏 足利義満の室町幕府に挑む


1392年


足利義満が南北朝の合一を果たした

*1当時天皇は南北に分かれていて二つ存在していた


1394年


足利義満が太政大臣となる


1399年


足利満直が安積郡へ派遣される


1399年


応永の乱、大内義弘が幕府にそむく


1400年
12月
首謀者大内義弘戦死


1401年


明(中国)との国交開始


1404年


日明勘合貿易が始まる


1415年


前身本能寺が建てられた

最初は本応寺という名で日隆によってこの年に作られた 創建されたのは油小路高辻と五条坊門の間の辺り。


1416年


弾秀滅亡
上杉弾秀の乱で、13代武田信満は女婿にあたる弾秀に味方したが、弾秀は滅亡。信満も鎌倉幕府から、討伐を受け、自害する。


1422年


尚巴志 琉球王国 建国


1428年


将軍義持が後継を定めないまま病死 一揆が起こる

将軍の切り替わりや借金苦の社会不安から農民による私徳制の正長の一揆が起こる

近江(滋賀県)坂本の馬借を中心に、近郊の土民が徳政を要求して蜂起。酒屋・土倉を襲って私徳政を実 施した。

正長の徳政一揆で私徳政を勝ち取った

ことが記されている。
現在の奈良市柳生町に存在するもの。

柳生やぎゅうの徳政碑文


奈良市柳生の山中の疱瘡地蔵に刻まれている正長の土一揆勝利が書かれている碑文の実物大の拓本 正長 元年以前の神戸四箇郷における借金は消滅した、という意味の文字が刻まれている。





1434年


足利義教 比叡山一帯を包囲 民家に火をつけた

延暦寺が足利義教を呪詛しているとの噂が流る 足利義教 比叡山一帯を包囲 坂元民家に火をつけた 住民が山に避難する 延暦寺側が降伏を申し入れ 赦免要請を行ったが、義教はなかなか承諾しなかった ようやく和睦が成立したが義教の本心は許しておらず


1435年


比叡山延暦寺の総本堂が焼かれる

足利義教 山門使節を処刑 抗議して山徒が根本中総本堂に立て籠もって火をつけ焼身自殺 義教は比叡山について噂する者を斬罪に処す触れを出した 1435年 足利義教 家臣に暗殺される


1441月


9月
25日
(旧暦9月10日)
赤松満祐が切腹
足利6代将軍義教を暗殺した嘉吉の乱で知られます。


1456年


武田氏の祖 武田信長が真里谷城と庁南城を築いた

信長は、甲斐(山梨県)の守護武田氏十三代武田安芸守信満の次男である


1467年-1477年
応仁の乱 11年に渡る内乱

京都全域破滅的な被害



1484年


細川高国(ほそかわたかくに)誕生


1489年


8代将軍足利義政 銀閣寺 建設

応仁の乱 で 全焼した浄土寺のあった場所


1494年


第11代将軍 足利 義澄 就任


在位1494〜1508


1495年
9月
伊豆の「北条早雲」小田原城を奪う

明応4年(1495年)9月策略をこうじ、小田原城・大森藤頼に夜襲をかけ、城と城 付の領地を奪いました。


1507年


「半将軍」細川政元が家臣に暗殺される

首謀者の細川澄之 (細川政元の養子)は自害


1508年


義稙は1500年以来、8年間周防に留まった後、1508年大内義興と共に入京し、管領・細川高国に擁立され 、同年7月将軍再任となった。

1508年
城主池田貞正 室町幕府管領 細川高国と戦さ

一時落城

1508年
池田貞正 自害

摂津に乱が起こり、池田城主6代池田貞正は細川高国に攻められ、5月10日に城に火を放ち、一族郎党が当 山で自刃。


1516年


幕府、大内氏に遣明船を管理させる


1521年
12月
1日
武田信玄(たけだしんげん)生誕


大永元年11月3日(1521年12月1日)
15人超もいた、武田信玄の兄弟姉妹


1523年
毛利隆元 生誕

毛利元就の「三本の矢」の一人で父・元就の後継者


1524年


荒砥城(新砥城)築城
村上氏の支流、山田氏により築城

1524年
北条氏綱が志村城を落とす



小田原城の北条家の支配下になる

小田原の名を全国に高めた北条家の祖、北条早雲の像。小田原駅西口にあります。


1525年
10月


細川高国の息子が急死

4月に高国から家督を譲られるが、同年10月に急死


1528年


明智光秀 生誕


1530年


細川晴元家臣となり高国方を攻撃


1532年


沼田城が築かれた

沼田城は沼田顕泰(あきやす)が築城したといわれています。
沼田氏は後北条氏の傘下に入りますが長尾氏(上杉謙信)に攻め落とされてしまいます。


1533年


上杉朝興の娘が信玄の正室として迎えられる

扇谷上杉家武蔵国川越城主、上杉朝興の娘が信玄の正室(三条夫人は継室だった)として迎えられる


1534年


6月
23日
織田信長 生誕

織田信長は尾張(愛知県)に生まれました。 すぐとなりの美濃(岐阜)には、斉藤道三という強敵がいま した。 信長はかれの娘(濃姫)と結婚し、協力関係を築きます


4月
5日
里見義豊 軍備を整える

一色・木曽氏らの旧臣たち千余騎を従え、上総の大戸城を発した

1534年
北条氏の家臣が母の供養の為に開山

1534年
曹洞宗「天桂山玉宝寺」 建立

小田原北条氏の家臣「垪和(はが)伊予守」 によって建立

1534年
安保全隆が多宝塔(国指 定文化財)を寄進

金鑚御岳城の麓には武蔵ニノ宮
金鑚神社


1536年


信玄 信州海口城に初陣

1537年
3月
17日
木下藤吉郎(豊富秀吉) 生誕
天文6年2月6日(1537年3月17日) *1536年ともある

1537年
今川義元、武田信虎と同盟

北条氏 綱と絶交
忠良、実久と紫原に戦う


1542年


信玄 諏訪頼重を自害に追い込む

諏訪氏庶流である高遠頼継(三ツ木清隆・上杉祥三)とともに諏訪領への侵攻を開始し、諏訪頼重 を甲府に連行して自害に追い込む


1543年


種子島にポルトガル船 来航

ポルトガル人 鉄砲を伝える
火縄銃 「種子島」と名付く

1546年
足利義輝が室町幕府13代将軍に就任

1546年
黒田官兵衛(黒田 孝高) 生誕
神道大麻の売人であり、秀吉(=この時9歳)らとともに姫 路城の城主となった。日銀総裁の祖先


1548年


村上義清 上田原の戦いで武田晴信( 武田信玄)を破る


1549年
ザビエル キリスト教を伝える


1552年


ポルトガル人外科医 ルイス・デ・アルメイダ 渡来


1553年


上杉謙信 出兵開始

村上義清や北信豪族の要請を受けた上杉謙信は本格的な信濃出兵を開始し、以来善光寺平の主導権を巡る 甲越対決の発端となる(第1次川中島合戦)。


1554年


武田信玄 北条氏康と戦う

今川義元と結び北条氏康 と戦う
祁答院・入来院・蒲生ら連合して島津 氏に背く


1558年


甲斐善光寺 創建

甲斐国国主武田信玄によって山梨郡板垣郷(甲府市善光寺)に 創建 された


1559年
信長 尾張(岐阜)を統一






Last updated  2018.04.19 09:57:28
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