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電球ピカソ

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2018.04.10
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カテゴリ:室町
紀元前
紀元前9000年~紀元前2000年
紀元前1999年~紀元前660年
紀元前659年〜紀元前149年
紀元前148年〜紀元前1年
西暦
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1335年


2月


29日(1336年4月11日)
延元の乱が起こる
足利尊氏
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。
室町幕府の初代征夷大将軍

征夷大将軍とは蝦夷を討つために任命された朝廷の機関であったが、いつしか幕府将軍のことを征夷大将軍と時代を越えて呼ばれるようになった

後醍醐天皇




6月
後醍醐天皇暗殺計画が陰謀された


7月


23日(1335年8月12日)

中先代の乱
*1

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*1 3:43~
鎌倉幕府再興のため北条時行が残党を集め挙兵し反乱を起こした

自殺した鎌倉幕府 北条高時

のこども(時行)

*1 4:20~
後醍醐は足利尊氏

を鎌倉に派遣
し、時行を滅ぼした(旧暦8月8日参照)

護良親王(28)は殺害される(後醍醐天皇の皇子)

*2


*2 0:00~
時行は鎌倉を一時支配
北条時行が鎌倉へ乱入した際(=足利直義(足利尊氏の弟))が逃れる際)に、直義は、家臣淵辺義博(ふちべのよしひろ)に命じ幽閉されていた護良親王の殺害を命じた。

護良親王が幽閉されていた土牢


8日
一時は鎌倉を支配していた時行だったが旗色が悪くなって攻められてしまい追い詰められ自害した





8月
後醍醐天皇の命令を待たずに鎌倉奪回
*1


*1 6:17~
足利尊氏は、勅許を待たずに鎌倉に下向し、足利直義と合流して、鎌倉を奪回した。



4日
夜の東京は大雨だった。 暴風のため*1高幡不動が倒壊

*1寺

7年後、真言僧儀海が麓に移し建てた

*1「建武二年(1335)八月四日夜の大風の為、不動堂が倒れた折*2不動尊像が落ちて鼻をついた所と 伝へられている」

*2不動明王



19日
足利軍はついに鎌倉に突入した


11月


19日(1336年1月2日)
顕家は、まず足利義詮・桃井直常らの足利勢を破って鎌倉を制圧する

そのまま東海道を 進撃して、1月12日には近江愛知川に達す。

25日(1336年1月8日)
三河国矢作川の戦い


1336年


1月


24日(旧暦1335年 建武2年12月11日)
足利尊氏と新田義貞(源義貞)が激突した。足利尊氏率いる北朝側の勝利。静岡県小山町竹之下で「箱根 ・竹ノ下の戦い」と呼ばれます。 足利軍は、その勢いで京都へと攻め上りますが、天皇方の北畠顕家らの活躍によって敗走します


主な出来事
大麻の頒布が広まる 室町時代 大麻の頒布が広く行われるようになる

足利尊氏が入京する

足利尊氏十七条の憲法を手本にして、建武式目を定めた 建武 3年 足利尊氏が室町幕府の式目、施政方針を示した式目を定める 建武式目である 聖徳太子の十七条の憲法に影響されたとあり式目は2項目17個ある

後醍醐天皇(南朝の第96代)は、尊氏の離反に対し新田義貞に追討を命じた 鎌倉幕府討伐に貢献した足利尊氏も命令に従わず後醍醐天皇(南朝の第96代)は、ついに朝廷では最大の功 労者足利尊氏の討伐を下す。 後醍醐天皇(南朝の第96代)の長子、尊良親王を上将軍とし、新田義貞以下の軍勢をつけた。

足利尊氏は新田軍を撃破

後醍醐天皇(南朝の第96代) 二万余騎の勢を従えて比叡山へ、勝 利の見通しが立たないため足利尊氏の誘いで和解へ

後醍醐天皇(南朝の第96代)は足利尊氏と和睦することを思いつく 比叡山から下り、三種の神器を足利方へ 渡す 後醍醐天皇(南朝の第96代)は恒良親王に三種の神器を渡し皇位を譲った上で、足利尊氏と和解し京都に戻 った 光明天皇(北朝第2代)はこれを 偽ものである と宣言 (本物は後醍醐帝が吉野に携えていったという)

三種の神器の無い状況で光明天皇(北朝第2代) が即位する 再び 南北朝分離へ 南北朝時代と言われ2つの朝廷 2つの天皇がいた時代だった 京都に光明天皇(北朝第2代)、吉野に後醍醐天 皇(南朝の第96代)


後醍醐天皇(南朝の第96代)は敗北後、吉野で新たな朝廷、南朝を起こし、足利尊氏の作った北朝に対抗し 、南北朝時代を迎えることとなります。 この時代は三種の神器が皇位継承の絶対条件ではなかった



1338年


5月


3日
恒良親王(後醍醐天皇の子) 薨去(死去)


8月


11日(9月24日)
足利尊氏征夷大将軍に任命室町幕府が開かれる



1339年


8月


26日
*1後醍醐天皇(南朝の第96代)は奈良の吉野に逃れるものの失意のうちに吉野で崩御

*1崩御された後醍醐天皇


*1「後醍醐天皇は左手には法華経の五巻を持ち、右手には「剣」を握りしめて崩御さ れた」と記載されている。

*1天皇陵は通常南向きだが、こちらは*2北を向いています。

*2後醍醐天皇の遺言で*3京都の方角(北)を向いているそうです。

*3最後まで京都に帰れず、京の都に未練を残して*1崩御された。

*1後醍醐天皇*4空海が唐から持ち帰った法衣を着て、大日如来を示す太陽を冠に戴いた異形の天 皇で在ったとされる

*4空海

*4真言宗の祖




1351年


1月
尊氏,桃井直常と合戦し利あらず播磨に退却
2月
光明寺合戦。打出 浜の戦い,尊氏,直義軍に破れ敗走。


1354年


4月
南朝主戦派の 北畠親房没


10月
足利義詮、 直冬討伐のため出陣


1356年


大内義弘 生誕


1358年


4月
30日
足利尊氏(54) 死去 洛中(二条大路高倉)の自邸で亡くなりました ￿


1359年


足利義詮 2代目将軍となる ￿








Last updated  2018.04.30 13:31:20
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