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カテゴリ:聖剣伝説
文久2年(1862年)5月3日
会津藩松平容保(後に新選組を採用)が徳川十四代目将軍家茂からお呼びがかかる。 松平容保 将軍徳川家茂 「折々登城し幕政の相談にあずかるように 徳川家茂(いえもち) と命じられ、幕政に参政するようになる。 文久2年閏8月1日(1862年9月24日) 松平容保は京都守護職に就任した。 容保は当初は時疫にかかって病の床にあり、再三これを就任を固辞していた 松平容保 「顧みるに容保は才うすく、この空前の大任に当たる自信はない。 松平容保 「その上わが城は東北に僻在していて家臣らは都の風習にはくらく、なまじ台命(将軍家茂の命令)と藩祖(保科正之)の遺訓(前述の会津藩家訓)を重んじて浅才を忘れ大任に当たれば、万一の過失のあった場合累は(徳川)宗家におよび、すなわち国家におよび、一家一身万死を持ってしても償いがたい と断り続けたが、政治総裁職松平春嶽や幕臣たちは日夜勧誘に来て、会津藩家訓を持ち出した 松平春嶽 「土津公(正之)ならばお受けしただろう 松平春嶽 と言って詰めより、 家訓を持ち出した(引き合いに出した) 会津藩祖・保科正之(家訓) 「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在 会津藩祖・保科正之 辞する言葉もなくなった会津藩9代目松平容保はついに京都守護職を承諾した。 松平容保の家臣たちは固(もと)より反対していたので 松平容保が任を受けた時君臣たちは 家臣たち 「これで会津藩は滅びる と、肩を抱き合って慟哭したという。 250円 【中古】文庫 ≪歴史・地理≫ 会津の義 幕末の藩主松平容保 / 植松三十里【タイムセール】【中古】afb 1650円 【新品】【本】会津藩は朝敵にあらず 松平容保の明治維新 星亮一/著 関連カテゴリー 聖剣伝説 日本神話 目次 ドラゴンクエスト 目次 漫画アフィリエイト 目次 音楽スタジオ 目次 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.12.02 00:21:54
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