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暑い…。今、風呂上がり(気温の話じゃないのかよ)
えぇ、まぁ。 つい焚き過ぎたんだが、バカ正直に浸かるからいけない。 汗をダラダラかきながらテレビをつけたら、 浜口京子親子が出てた。 女子レスリングでアテネ出場を決めたらしい。 当たり前だ。 コイツを出さないで誰が代表になると言うのだ。 それにしても暑苦しい…。 えっと、京子でなく、父親のアニマルが。 お父ちゃんは昔から暑かった。いや、熱かった…。 思い出すねえ、田園コロシアムとか。 プロレスが好きだ。 好きだった、と言うべきか。 今でも興味はあって、週プロは毎週買ってるし、時間さえ合えば 深夜のプロレスTV観戦くらいはする。 健介ブレイクと16歳中嶋君ブレイクも知っている。 でも ハッスルは流行の兆しが見えている。 でも、ずいぶん前から総合格闘技に走ってる。 前田日明兄さんにUWFからそのままリングスに導かれ、 今ではプライドなクチだ。 プロレスに熱くなるピークと閑散期があるらしく、 これまでに3回の山を迎えている。 最初は坂口・新日時代で、どういうわけか 猪木ではなく坂口にハマっていた。 北米タッグなんてずいぶん熱を入れて追いかけてた。 アレが今でもよくわからない。 当時は地元ということもあり、 中日ドラゴンズファンでもあったのだが みんなが大島とか矢沢とか星野で盛り上がってる時に 俺だけ木俣を応援し、あろうことか 木俣のサインと23番の背番号をつけた 木俣・ドラゴンズユニフォームで草野球に挑むという 暴挙に出ていた。暴挙だとは思ってなかったが。 みんなに指をさされ腹を抱えて笑われたことは 41歳になった今でも深い傷跡になっている…。なってないです。 どうも人と違うベクトルに行きたがるらしく その後、桜田淳子に走ったのもそんな血が騒いだのかもしれない。 何の話だ。そうそう、坂口。 小学時代のアレが最初のピーク。 二度目はご多分に漏れずタイガーマスクだ。 ちょうど高校を出て東京に行った時だな。 そのままUWFに流れて、その頃が一番熱中してたかも。 仕事が忙しくなるにしたがって段々熱がひいていったっけ。 三回目は今から10年以上前かな。 深夜、仕事を終えて帰ってきた時にテレビをつけたら ちょうど新日本プロレスがやってて、 思いの外テレビにくぎ付けになってしまった。 ものすごく高揚感があって、それは今でも覚えてる。 しばらく遠ざかっていたプロレスに再び急接近していった。 何でそうなったのかは、しばらく後になってわかった。 仕事でマッキントッシュを使うようになって 当時は「サイバー」とか「バーチャル」なんて言葉も流行った。 それが昭和世代の自分にはたまらなく嫌で(笑 目に見えるモノ、手で触れるモノしか信じられない人だから 電源をオフにした途端に消えてしまうことが不安で不安で。 デザインの仕事を10以上、身体を張ってやってきた人には 「あ、フリーズ。あ~あ、データ消えちゃった」 など論外なんであります。 きっと、そういう不確かな状況に苛立っていたのだな。 そんな時にプロレスを見たんだ。 肉と肉がぶつかって、汗が飛び散る。 間接を曲がっちゃイケナイ方向にひねり上げると ワザをかけられた方が悲鳴を上げる。 わかりやすい。実にわかりやすい世界だ。 あの頃の自分にとって、あれはリアルな世界だったのだ。 ま、プロレスなんてファンタジーの極みな世界なのに それにリアルを感じてしまったんだから、 相当にクタバッテいたんだろう。 ま、そんなワケで浜口京子には頑張ってもらいたい。 (え~っ!ソレが落ちかよ) いや、だって、プロレスの話を始めると終わらないし。 スマン、スマン(誰に謝っているよ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年06月25日 10時52分41秒
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