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きっとどこかで記憶がねじれ結果のはずで、
ホントは『寺山』と『金粉』の間に 『唐十郎』と『天井桟敷』を入れないとダメなのだろう。 念のために『寺山修司』『金粉ショー』でググったら 30件もヒットした。少なく見積もっても 世界には12~3人の俺並みのお馬鹿さんがいるのだろう。 『虚人 寺山修司伝』(田澤拓也 著)という本を読んでいる。 古本屋で見つけた一冊だ。 申し訳ないが田澤に惹かれたのでわなく虚人でもなく 寺山修司に興味があってのご購入だ。 さよならだけが 人生ならば また来る春は何だろう はるかなはるかな地の果てに 咲いてる野の百合何だろう という、有名なアレを実は10代半ばからずっと引きずってたりするので こういう本に目が止まってしまうのだ。 三つ子の魂百までというが、10代の頃につけた 引っかき傷もなかなか強敵で、 カサブタになったまま、きっと完治しないものなんだろう。 10代特有の、あの何とも言えないメラメラと沸き上がる 激情というか劣情というか、あのモヤモヤした気分を 腕力にモノ言わす方法論もあれば、 文学を隠れみのにやり過ごす方法だってある。 享楽的に異性方面にドップリ浸かる人だっているのだろう。 俺はどうだったかというと、きっと全部に手を出したクチで つまりはとてもハンパな10代だったのだと思う。 そんなハンパなアレだったとしても 42歳になった今でも、古本屋で『寺山』という字を見た途端 後先考えずに買ってしまうのだから、刷り込みとはスゲエもんだ。 ほかにも 『中原中也』とか『大宰』とか『三島』とか『谷川俊太郎』とか 『森田童子』とか『桜田淳子』とか 『うわさのチャンネル』とか『お父さんはチビ3』とか 『死刑っ!』などのキーワードにはいまだに反応してしまう。 お里が知れちゃうほどハンパで、よくあるタイプの10代なのだった。 う~む。今日はこーゆーコトが言いたかったワケではないのだが 何でかこんなオチとなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年11月18日 11時30分56秒
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