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「オワーーーッ!」
とか、よくわからい奇声が背後から聞こえた。 その剣幕に驚いて振り替えると、 どっかのスポ小の所属だろうか。 ユニフォームに身を包んだ野球小僧が ビックリ顔でバンザイしていた。 彼の視線を追うと、 俺の方に向かって帽子が転がってるところだ。 どうやら帽子が風で飛ばされたようだ。 すぐに帽子を捕まえて彼に手渡してやると 「あざぁっしたぁ!」 とペコリ。 小僧のそんな態度が何だか妙に嬉しくて ニヤニヤしつつ駅に向かう。 駅前辺りは禁煙地域なので、 やや手前で立ち止まり乗車前の一服。 ボンヤリとタバコを吹かしていたら 今度は向こうから 賑やかな笑い声が聞こえてきた。 見ると駅前にあるFUJIYAのペコちゃんの頭を 中学生とおぼしき男子3人が、グラングラン揺らして笑っている。 きっとペコちゃんの頭が揺れても可笑しい年ごろなのだろう。 「イマドキ(あるいは最近の)子は…」というまとめ方は、 俺たちの世代も言われてきたし、いつのまにか言う側にもなってる。 昔から誰もが使ってきた言葉だ。 確かに気質や傾向の変化は、時代ごとにハッキリあるし 「俺たちの時代」には見当たらなかった事件も増えたりしてる。 それでも「イマドキの子供は」というフレーズは 『世代格差』という前提であるがために 面倒で微妙な検証作業を放棄してしまえる便利さがある。 つい、深く考えもなく使ってしまいがちだ。 マーケティング・データをよく手にする俺なぞ、 データ分析の結果から「イマドキの子供」像を作り上げては仕事にしている。 「木を見て森を見ず」という格言があるが、 森ばっかり見てたら一本一本の木の違いを見失っちゃう。 ちょっとそれでは、今日見かけた彼らに失礼だなと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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