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DETECTIVE BAND

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日本史論述必勝

日本史論述必勝



これは、「せっかく、一応、頑張って1年間勉強したんやから、その記録に・・・」という、軽いノリで作成したものです・・・。

☆前書き☆ ※必読してください※                    ▼問題へ

日本史論述って知ってますか・・・?

普通、高校までの日本史の試験って、空欄補充や、一問一答形式、年代整序、そして正誤問題でしたよねぇ。

例えば、

「桓武天皇時代、征夷大将軍に任命された(  ?  )は東北遠征に成功した。」

問1;(  ?  )に入る語句を答えよ。


とか・・・。

もちろん答えは「坂上田村麻呂」ですね。中学校で習いました。


こういうのでしたら、暗記の方法に効果的なものとそうでないものがあるにせよ、気合さえあれば大体はいけるんですよ。覚えるだけですから。

じゃあこれはどうでしょう?

「7世紀半ば、対外的危機意識をテコに蝦夷支配をもくろみ、日本海側に渟足と磐舟を設置した。」

問2;上の文は○でしょうか、それとも、×でしょうか?


センター試験や、私学の入試でよく見る正誤問題です。
これも、実は、語句の暗記とちょっとの思考で解けるのではないでしょうか?
7世紀の東北(蝦夷)政策として、「渟足柵・磐舟柵の設置」はともに教科書に太字で書かれている事項ですし、これらが日本海側であったのは基本事項です。「対外的危機意識」が関係あるのかどうか悩むかもしれませんが、当時、唐が新羅と結びつき、高句麗に侵攻して勢力を拡大していたことを知っていれば、これが正しいということが分かるでしょう。答えは、「○」ですね。


空欄補充にせよ、正誤問題にせよ、モノによっては、かなり細かい知識を要求するものもあり、結構しんどかったのを覚えています。

では、こんな問題はどうでしょう!?

問3;7世紀半ば(孝徳朝)から、9世紀はじめ(桓武朝)までの東北(蝦夷)政策について述べなさい。 《200字程度》


これが、日本史論述です。しかも、基本的な問題です。

確かに、ある程度の語句は暗記してないと話になりませんが、ただ語句を覚えていても書けないと思います。よく“歴史の流れを覚える”とか言いますが、展開を意識して覚えても、ダメなんです。
「何を、どのように書くのか」ということを考えなくてはなりません。
そのかわりに、語句の暗記は、必要最低限で十分です。
(例えば、「伊治呰麻呂」は別に書けなくてもいいんです。覚えていないことは書かなければいいということです。)

簡単そうですか・・・・? 難しそうですよね・・・・?


でも、実は、簡単です!!      たぶん・・・。

練習していないから、難しく感じるだけなんですよ。私も、最初、問題を見た瞬間、「こんなん、ムリやんっ!」って思いました。

でも、問題集をいくつかやってみたり、予備校のテキストの問題を解いてみたり、志望校の過去問を分析して傾向をつかみ、出題予想を立てて、その事柄についてまとめ直したりしていくうちに、できるようになりました。模試でも、ここで差をつけることができました。本番は、目標点には届きませんでしたが、合格の一助となったことは確かです。

要するに、日本史論述を得点源にしたいわけです。そのためには早期の対策が必要です。少なくとも、夏休み前には始めた方がいいと思います。

ただ、「論述は実は簡単!」とはいいましたが、もちろん、「論述」にもいろいろ種類があって、かなり難しいのもありました。特に東京大と一橋大は、私にはムリでした。(ただ、それでも、マニアックな語句を問う私大よりは、まだ楽やと思いますけど・・・。)

幸いにも、私の志望校は、過去問を見る限り、このような基本問題ばかりでした。そして、頻出分野からの出題が多かったので、対策はしやすかったです。

以下、全12題は、私が、素人の観点からとはいえ、出題予想して作問し、その解答としてまとめたものです。

ほとんどが、問題集・テキストになかったものです。

もしかしたら、どこかの大学で同じような問題が出るかもしれません。
入試で論述が出題される人は一度見ておく価値があるかもしれません。
入試で論述の出題がなくても、実は、論述の勉強は、かなり役に立ちます。


しかし、解答例は、先生の添削を受けたものとそうでないものがあります。
(【解答例】の横に(◎)印があるものは、一応見てもらったものです。)
また、たとえ見てもらったものであっても、100%正しいかどうかは分かりません。(その先生も、おそらく謙遜でしょうが「私もそんな時間かけて見たわけやないから間違ってるかもしれんよ・・・」とおっしゃってましたから・・・)
見てもらってないものは、なおさらです。いち受験生の書いたものです。私は大学では日本史とは縁を切りました。
おそらく、もっと良い解答例もあることでしょう。

だから、もし、解答として表現を使うときがあれば、知り合いの先生に確かめてもらうか、教科書等で調べてください!! 絶対です!!

何があっても、責任はとれません!!!!

でも、たぶん、大丈夫でしょうけどね・・・。

なお、上の例題(問3)では、解答の作成過程も示しました。

全て、オリジナル問題、オリジナル解答ですが、解答の作成にあたっては、以下の教科書・参考書等の表現を参考にしました。
【参考文献】
・山川出版社「詳説日本史」
・増進会(Z会)出版「日本史論述トレーニング」
・河合出版「“考える”日本史論述」
・中経出版「日本史Bが面白いほどとける本」(旧版)
駿台予備学校・塚原哲也先生の解答例
  (↑このページには、近現代史講義・関西主要私大出題傾向など、論述以外のデータもあるので、受験生の方は、ぜひ参照を!)
・高校の先生のノート・プリント

※字数は、200字程度と250字程度があります。本当はすべて200字で書こうとしたのですが、どうしても200字でまとめきれなかったものは、250字にしました。

※過去問演習など論述練習の際には、教科書等を参照しながら行うべきです。ない知識を絞ってもどうしようもありません。見ながらやっているうちに、見なくても書けるようになるのです。(塚原先生談)

※短期間でいいので、早いうち(夏休み位まで)に、一度、論述のプロの先生に指導を受けることをオススメします。

※このページの問題・解答例の、商用での使用はご遠慮ください。

※内容の誤り・質問等があれば、BBSでお知らせください。


では、前書きが長くなりましたが、問題へどうぞ~!



問題1 ~古代の東北遠征~

○中央政府の国家体制が実現、充実した力をもつ → 支配領域の拡大に努める

(1)7世紀 〔孝徳朝〕・・・日本海側に渟足柵と磐舟柵を設ける ← 唐の高句麗攻撃により対外的緊張が高まる
(2)     〔斉明朝〕・・・阿倍比羅夫が秋田方面に遣わされる
(3)8世紀 〔元明・聖武朝〕・・・日本海側に出羽国設置、秋田城を築く
                   太平洋側に陸奥国府となる多賀城を築く
                    →それぞれ、出羽・陸奥の政治や蝦夷対策の拠点となる
   
     《支配に耐えかねた蝦夷の反乱が相次ぐ(阿弖流夷など)》

(4)9世紀 〔桓武朝〕・・・坂上田村麻呂(征夷大将軍)の遠征が成功
                 胆沢城を築き、鎮守府を移す → 志波城を築城し、東北経営の前進拠点とする
 
 ⇒東北事業;国家財政や民衆の大きな負担 → 中断

☆予想問題☆
7世紀半ば(孝徳朝)から、9世紀はじめ(桓武朝)までの東北(蝦夷)政策について述べなさい。 《200字程度》

【解答例】
7世紀半ばの日本海側への渟足柵・磐舟柵の設置、斉明朝での阿倍比羅夫による秋田方面への遠征に続き、8世紀には日本海側に出羽国・秋田城を置き、太平洋側に陸奥国府となる多賀城を築いて、それぞれ出羽・陸奥の政治や蝦夷支配の拠点にした。その後、支配に耐えかねた蝦夷の反乱が相次ぐ中、桓武朝にて征夷大将軍・坂上田村麻呂の遠征が成功し、胆沢城・志波城を築造して東北経営の前進拠点とした。しかし、東北事業は財政や民衆の大きな負担となり、中断された。 (216字)



問題2 ~摂関政治~

☆予想問題☆
摂関政治の特徴を、政治的・経済的側面に留意して述べなさい。 《200字程度》

【解答例】◎
摂関政治では、天皇の外戚の地位を利用して摂政・関白に就任した藤原北家が天皇権限を補佐・代行した。藤原氏は管理任免権を使って高位高官を一門で独占するとともに、他氏を排斥し、貴族たちを隷属させ、権力を高めた。政治は、中央では儀式先例を重んじる形式的なものであり、地方は国司に委ねられて、中央・地方とも積極的な施策は見られなかった。経済面では、律令官人としての収入が大きな比重を占めるとともに、寄進地系荘園からの収入にも頼っていた。 (213字)



問題3 ~院政~

☆予想問題☆
院政の特徴を、政治的・経済的側面に留意して述べなさい。 《200字程度》

【解答例】◎
院政においては、上皇が天皇家の家父長となって専制的に実権を行使した。院宣や院庁下文が政治的効力を持つとともに、受領などから成る院近臣と呼ばれる一団を太政官に送り込むことにより、太政官を制御した。また、院政は地方に下って豪族化した武士にも支えられていた。経済面では、院に寄進が集中したことにより成立した膨大な院領荘園からの収入に加え、知行国・院分国を全国に保有して、新たな財政基盤とした。 (192字)



問題4 ~建武の新政~

☆予想問題☆
建武の新政で、後醍醐天皇が行った政策の内容とその結果について述べなさい。 《200字程度》

【解答例】◎
後醍醐天皇は「延喜・天暦の治」を天皇親政の理想として政治に取り組んだものの、武士の力も無視できず、中央では公家を中心とした記録所、幕府の引付衆を受け継ぐ雑訴決断所を設置して武士を登用し、地方では国司と守護を併置した。しかし、土地所有については安堵を綸旨によるなど、武家社会の慣習を無視し、公家優位の政策であったため、武士の不満を引き起こし、停滞や混乱を招いた。そして結局、足利尊氏らが反旗をひるがえし、新政はわずか3年で崩壊した。 (217字)



問題5 ~応仁の乱~

☆予想問題☆
応仁の乱が起こった原因と、その歴史的影響について答えなさい。 《200字程度》

【解答例】◎
単独相続が始まり家督の地位が利権化したため、一族間の対立が増加する中で、畠山・斯波の両管領家、次いで将軍家に家督争いが起こり、さらにこれに細川勝元と山名持豊が介入したことで対立が激化し、応仁の乱が始まった。その後、結局両軍の間に和議が結ばれたが、この戦いにより将軍の権威は失墜し、荘園制の解体が進むとともに、京都に滞在していた守護大名の在地性が弱まり、守護代や国人に領国を奪われるなど下剋上が進み、戦国時代突入の契機となった。(213字)



問題6 ~江戸時代初期の朝幕関係~

☆予想問題☆
江戸時代初期の幕府の朝廷統制のあり方について、「紫衣事件」・「武家伝奏」の語句を使いながら述べなさい。 《200字程度》

【解答例】◎
幕府は、朝廷を全国支配の権威づけとして利用するとともに、朝廷が権力をふるったり、他大名に利用されることのないよう、禁中並公家諸法度を制定して朝廷の行動・生活を統制した。また、公家の所領も必要最低限にとどめ、朝廷を京都所司代を通じて監視し、関白や武家伝奏を通じて操作した。そして、紫衣事件によって幕府の法が勅許に優先することを示して朝廷統制の枠組みを確立し、以降、幕末まで幕府優位のもと政策が進められていった。 (203字)



問題7 ~正徳の治~

☆予想問題☆
江戸時代中期、新井白石が展開した政策(正徳の治)の特徴と内容について述べなさい。 《200字程度》

【解答例】◎
新井白石は、儒学者としての立場から文治主義の理想に基づく幕政の刷新にあたった。将軍権威高揚のために朝廷との結びつきを強めるとともに、朝鮮通信使の待遇を簡素化し、朝鮮との外交に際してこれまでの「日本国大君」という将軍の称号を「日本国王」に改めさせた。一方、財政安定のため、貨幣の金含有率を高めた正徳小判を鋳造して物価騰貴を抑えようとし、また金銀海外流出防止のため、海舶互市新例を発し長崎貿易を制限しようとしたが、望んだ成果は得られなかった。 (219字)



問題8 ~享保の改革~

☆予想問題☆
享保の改革の財政再建政策と、その結果について述べなさい。 《200字程度》

【解答例】
享保改革では財政安定のため、参勤交代の負担軽減を代償に臨時で諸大名に上げ米を命じるとともに、新田開発の促進・定免法の採用により年貢増徴を目指した。さらに米価上昇を図り、大坂・堂島米市場を公認統制する一方、発達した商品経済を把握しようと商人・職人の仲間を広く公認した。また、備荒用の甘藷栽培など新しい産業も促進した。こうして、財政面では大きな効果をあげたが、過重な年貢負荷による百姓一揆の激化など、封建支配の危機が表面化していった。 (217字)



問題9 ~田沼意次の政治~

☆予想問題☆
18世紀後半に行われた、老中・田沼意次の政策の特徴と内容について述べなさい。 《200字程度》

【解答例】
田沼意次は、運上・冥加など営業税の増収のために株仲間を大幅に公認するとともに、計数貨幣の南鐐二朱銀を鋳造し貨幣制度の統一を企図した。また、豪商の出資で印旛沼の開拓を企てるなど新田開発を促進した。一方、長崎では銅や俵物の輸出を促進して金銀の輸入をはかり、また、ロシアとの交易も模索して、最上徳内らを蝦夷地に派遣した。このように、田沼は商業資本を利用した積極的な財政政策を行ったが、賄賂政治に陥ったことで批判を招き失脚した。 (210字)



問題10 ~天保の改革~

☆予想問題☆
天保の改革での諸政策について、内政・外交の両側面に留意しつつ述べなさい。 《250字程度》

【解答例】◎
幕府は内憂外患に対処するため、老中・水野忠邦を中心に幕府権力の強化を目指した。内政面では、天保の飢饉後の農村復興を図り、人返しの法を発して百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制した。また、物価騰貴の原因は株仲間にあるとしてこれを解散させたが、流通量が減少して逆効果を招き、経済は混乱した。一方、外交面では、アヘン戦争の清敗北を受け、異国船打払令を緩和し、薪水給与令を出した。また、海防の重視と財政安定のため上知令を発し、江戸・大坂周辺を直轄地にしようとしたが、旗本・譜代大名の反対で失敗し、幕府権威は失墜した。 (261字)



問題11 ~条約改正~

☆予想問題☆
明治政府の、不平等条約〔治外法権(法権)と関税自主権(税権)〕の改正に至る歴史を、外交側の事情にも留意しながら概説しなさい。 《250字程度》

【解答例】◎
万国対峙を掲げる明治政府にとって条約改正は重要課題であったが、初期の岩倉具視・寺島宗則の交渉はいずれも失敗に終わった。続く井上馨の交渉は極端な欧化政策が世論の非難を呼び、三大事件建白運動の高揚を招いて挫折し、次の大隈重信の交渉も同様に失敗した。憲法等の整備により日本が近代国家と認められるようになると、南下政策を進めるロシアへの警戒心から英国は対日接近を図り法権撤廃に同意したが、大津事件のために青木周蔵が引責辞職したので交渉は中止された。しかし結局、陸奥宗光により法権撤廃が、小村寿太郎により税権回復がなされて条約改正が完成した。 (266字)



問題12 ~大正政変~

☆予想問題☆
いわゆる「大正政変」について、その内容と歴史的意義について述べなさい。 《200字程度》

【解答例】
第二次西園寺内閣退陣後、内大臣兼侍従長の桂太郎が勅語を仰いで第三次桂内閣を組閣した。しかし、これは宮中・府中の別を侵すものと批判され、立憲政友会・尾崎行雄と立憲国民党・犬養毅を中心とした野党勢力に広範な大衆が加わり、「閥族打破・憲政擁護」を標語として第一次護憲運動が展開された。桂は新党を準備するとともに詔勅を濫用して議会停止を図り抵抗したが、民衆運動は高揚し、結局退陣した。この大正政変は、大正デモクラシーの起点となった。 (212字)



あとは、論述問題集などを見てくださいね!

では、健闘を祈ります。




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