心と魂を輝かせるスピリチュアル・マガジン6月号で、土偶作家・柴谷こうじさんが生み出す「宇宙の光を受信する縄文の土偶」という記事と、柴谷こうじさんが土偶作りをレクチャー!「あなただけの土偶作りワークショップ」案内を発見して、すぐに(2番3番)申し込んで参加してきました。
「
アネモネくらしのカタログ」では、この6月号から、柴谷さんの土偶の通販も開始しましたが、時代は確実にそういうタイミングなのだと思います。
縄文人たちに土偶の作り方を教えていたという柴谷さん。
中学生のときに、本屋で偶然目にした遮光器土偶の写真にインスパイアーされて、「これが欲しい!絶対に欲しい!」と思ったそうです。
以後、あちこち探してみるものの、販売されているレプリカもなく、それなら自分で作るしかないと思い立ち、高校の修学旅行を辞退すれば4日間の休日ができると考え、実行に移しました。
そして山から粘土用の土を掘り起して、直感で導かれるままに粘土をこね、ガスコンロの上で焼いたら、「あれっ、できちゃったじゃない、俺って天才?」と自分でも感心するくらいの遮光器土偶が完成してしまったそうです。
フツー、修学旅行を辞退してまで土偶なんか作りませんよね。
このへんのところが、柴谷さんなら縄文人たちに土偶の作り方を教えていたとしても不思議ではないよなあと思えるところです。
そして、その土偶を学校へ持っていったら先生の目にとまり、売ってもらえないかと。
売る気はなかったそうですが、あまりの熱意と、その先生が苦手科目の先生だったので、成績アップの裏取引で笑談がうまく成立したそうです(笑)
それから月日は流れ、10年ほどたった1985年12月のある日、その土偶の噂がまわりまわって、宇宙考古学者の河合浩三氏のもとに伝わり、当時、実家の「夢野温泉」で家業を手伝っていた柴谷さんを訪ねてきて、「クリスマスまでに土偶が20体欲しい」と懇願され、年末の忙しい旅館に、ひとりで一部屋を占有して居座り続けられてしまったそうです。
「もう作っていません」と断る柴谷さんに、河合さんは、「いや、作れます。あなたはかつて土偶作りを縄文人に教えていた人なのだから大丈夫」と押し切られます。
「名前は河合だけどカワイクない!」と家族からは、突き上げられるし、ホトホト困り果てた柴谷さん、ついに笑諾してしまうのですが、河合さんが部屋を空けてくれたことが何より嬉しかったとか。
そのとき河合さんは、「世界の首脳に著書と土偶をセットにして渡すことが、私の最後の使命なんだ」とおっしゃっていたそうです。
(みお註:1942年生まれのの河合浩三さんは、京都大学工学部出身の科学者でありながら、日本神道や世界宗教、UFO、世界の古代文明、ヨガなどの研究の先駆け的な存在で、1960年代から世界中の研究者たちと交流をしていたことで知られている方です。1986年に刊行された著書『
大予言の謎は解けた』(大陸書房・絶版)は、世界の予言の真相と日本神話の意味を独自の視点で解明し、「ホツマツタエ」や「アワの歌」にも触れている名著です。1996年没)
そして、なんとか急ピッチで20体を作り上げて、先生に渡すことができたそうです。
河合先生に20体の土偶を渡してから2年ほど経った頃に、再び河合先生が旅館を訪ねてきて、二回りも年下の柴谷さんに深々と頭を下げられて、「自分の人生はもうすぐ終わりなので、お礼を言いに来ました。あなたのおかげで自分の人生を完結することができました。ありがとう。私が向こうに帰ったら、乗っている宇宙船をあなたに見せてあげるから、楽しみにしていてください」と言い残して帰られたそうです。
それからしばらく経ったある雪の日に、柴谷さんが奥様と一緒に車に乗っていると、坂柳という、遺跡があって土偶も出土したあたりで、急に雪がやんで明るくなり、「何でだろうね?」と奥様とふたりで空を見上げると、そこには大きな葉巻型の宇宙船が浮かんでいたそうです。
それは、本当にばかでかいもので、そのとき、「あっ、先生がお亡くなりになったんだ」と気づかれたそうです。
それから、柴谷さんは今日まで、数多くの土偶を作ってきましたが、作るそばからどんどん人の手に旅立ってしまい、自分用の土偶ひとつもずっと持てなかったそうですが、最近、ある方が、柴谷さんのために土偶を作ってくれて、「やっと、My土偶が持てました」と本当に嬉しそうにワークショップ参加者の皆さんに語っていました。
これが、その土偶です。
『人間の赤ちゃんが「親を選ぶ」と言われていますが、同じように、土偶たちも自分の行き先はすでに知っているようで、私が作った後は、勝手にどこかへ行ってしまいます(笑)。
「土偶は置物」というイメージがあるかも知れませんが、むしろ、触って話しかけられるアドバイザーだと思ってください。
土偶は、「自分の心や魂が、宇宙神と対話するためのツール」なんです。』
と、柴谷さん。
ワークショップ当日は、40名の参加者が、型を使って土偶作りに初挑戦しました。
柴谷さんは、各テーブルをせわしく廻られて、手伝ったり、アドバイスをされたりしていました。
開始前に、みお&ゆきで柴谷さんに自己紹介して、遠く群馬から来たことをお伝えしておいたので、柴谷さん、遠くから参加してくださったからということで、みお&ゆきのテーブルにも来てくださり、うまくいかなかった、ゆきの粘土の型詰め作業を柴谷さんが完全フォローしてくださり、なんとか形に仕上げることができました。
こちらが、完成した皆さんの作品です。
これから、乾燥させて、青森の工房で焼き上げて、各自のお宅まで届けてくれます。
いたれり、つくせりのアネモネです!(笑)
こちらは、開始前の記念撮影です。
右:しばたにこうじ◎土偶作家。
1956年青森県生まれ。中学生の頃より土偶に魅せられ、高校2年生の時、初めて手作り土偶を完成させる。1986年、宇宙考古学の河合浩三氏によって土偶が紹介され、2004年、中国の大連で開催された「UFO世界大会」で、日本代表の講演で自身の製作した土偶が知れ渡る。2009年に米国の「シャーマン世界大会」で土偶が大々的に取り上げられ、称賛される。同年7月青森県平川市に工房を開く。2010年2月、国立博物館「土偶展」のミュージアムショップに作品が置かれる。2011年5月公開の映画『ルパンの奇巌城』の中で作品が登場し、青森県の「道の駅」に作品が置かれる。
左:みお◎自笑ダジャレ作家。
1960年横浜生まれ。40代よりダジャレに魅せられ、52歳の時、初めて「珠玉のダジャレ替え歌全集」を完成させる。2003年12月にスタートした楽天ブログ「月が昇ってツキアップ」の『みお&ゆきツキアップ日記』も2012年、累計70万アクセスを超え、今日も、あくせく、ダジャレ書きに邁進する毎日(笑)。
柴谷さんは、同じ青森県出身で、無農薬リンゴで有名な木村秋則さんと雰囲気が似ていて、共通するのは、お二人とも生粋の縄文人だということです。
生粋の縄文人たちが、大活躍する、また、大活躍しなければいけない、まさにそんな時代になったということなのでしょうね。
もんもんとするより、まずは縄文!(笑)
それがこれからの激動の時代を楽しく生き抜くコツかもしれません。
心からの感謝とダジャレをこめて・・・・みお
最期の一厘、発動まで、あと○○日!
byみおの目ざましブログ「ニッポン!チャ、チャ、着火!」(笑)
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