★10月22日(Gate♯220)
【新たな冷静な視点を設ける日】
自分の思考のパターンに対して、新たに冷静な視座を設定できる日。
本当にそれで大丈夫か?
欠けている部分はないか?
四隅に柱を設置して神殿を建てるように、慎重な眼でチェックしてみよう。
(以上転載)
1985年8月12日の日航機123便墜落事故で、次男(15歳)、長女(12歳)と
親戚3名を亡くされた「日本空の安全を願う会」主宰、小田周二氏の著書
『日航機墜落事故 真実と真相』を読みました。
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先日訪れた「慰霊の園」の展示棟の事務室の前に展示されていた本です。
『
★日航機123便とジェット戦闘機2機の目標は!?★』
本には「御巣鷹の悲劇から30年 正義を探し訪ねた遺族の軌跡」という
副題がついていましたが、まさに正義なしには語れない内容でした。
真実と真相から一番かけはなれた航空機事故調査委員会の「圧力隔壁破壊説」
という「仮説A」と、真実と真相に一番近いと思われる小田周二氏の「仮説X」が、
客観的事実の整理だけからも簡潔に明らかになります。
事故から15年後、情報公開法が施行される直前の1999年には、日航機事故の
資料を大量廃棄するという暴挙に出たことにも捏造疑惑が如実に表れています。
国は利害が一致するときしか国民を守らないということがよくわかります。
事態の隠蔽のために「乗客乗員全員死亡」を図るために行われた驚愕の事実。
1.横田基地への緊急着陸の阻止行為
2.御巣鷹山上空でミサイルによる撃墜行為
1985年8月12日18:00頃、自衛隊は未納入護衛艦「まつゆき」で演習中、
標的機の実験演習を行っていたが、何らかの原因で無人標的機が暴走して
相模湾上空で日航機123便の垂直尾翼の後部と方向舵が破壊され落下。
胴体後部に終結していた油圧パイプ4本すべてが破断されたため、
自動操縦ができなくなったものの、左右のエンジンを巧みに出力調整
する高度な手動操縦により、着陸のための最低限の安定飛行と機体
コントロールを奇跡的に回復維持することができました。
速度を落とすと失速の危険があるため、大月上空で、旋回降下を試行し、
手動操縦でも十分着陸可能な状況で、横田基地を目指しました。
18時30分頃、2機の自衛隊戦闘機F-4EJファントムが発進しており、
事態を自衛隊要撃管制官に報告している。ほとんどボイスレコーダーの
交信記録は削除されているが、次の交信内容は戦闘機F-4EJの存在を
証明している。
18:46:16 機長「このままでお願いします」
18:46:21 機長「このままでお願いします」
高濱機長は副操縦士、機関士には、短い命令調の言葉、管制官には、
交信の言葉を使っており、かかる上位の人、権力者への懇願の言葉は
CVR(コックピット・ボイスレコーダー)には記録されていない。
この言葉は不自然、かつ理解できない。したがって、これは追尾監視
する自衛隊戦闘機パイロットへの懇願(横田基地への着陸許可)の
言葉としか解釈出来ないのである。
しかし、自衛隊側は高濱機長の要請を認めず、拒否したことは疑いなく、
18:46:33に機長は「これはダメかも分からんね」と落胆の言葉を残して
いるが、これは大惨事を想定しての言葉に違いない。
そして「圧力隔壁破壊説」という捏造説をみごとに打ち砕いたのが、
自己保身勢力にとっては悪夢となる4名の生存でした。
それを可能にしたのが、第4エンジンをミサイルで破壊されながらも、
垂直降下から奇跡的に機体を水平飛行に持ち直すことができた高濱機長
らの超ミラクルな操縦術でした。
機体傾斜50度で右主翼先端が地面に接触してできた「U字溝」が右端に
あの状態なら普通、垂直落下で全員死亡間違いなしでしたが、それを回避
できたことで、切断された機体後部の乗客が大勢助かることができたのです。
でもその後、生存者はたった4名になってしまいましたが・・・
軍隊でも自衛隊でも、時として理不尽な命令が繰り返されてきたようです。
『
NNNドキュメント '15 シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言』
ただし、南京大虐殺の実態は30万人ではなく3万3千人だったようですが・・・
過ちを繰り返さないためには、事実を明らかにし認めることも必要です。
そのためにも、ひとりでも多くの方にこの本を読んでいただきたいです。
お亡くなりになった520名の方の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
JJJじゃなくってDDDな癒し宿!(笑)
デトックス&ダイエット&ドームの不思議な癒し宿!
ドーム・パラダイス
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