年末の体験
年末のこと。妻が背中を痛がり始めた。かなりの痛さのようである。観ていると、自分が体験した痛みと似ている。これはほっといても痛みは取れないし、そう簡単には治らない。妻を説得し、私は師匠に電話した。妻が道場へ行くのは久しぶりだ。治療開始。なぜそうなったか、あるいはこのままだったらどうなったか・・・決して怖がらせず、しかし的確に師匠は伝えていた。治療効果はバッチリで、妻は久しぶりに撃沈。(笑)その翌日から私は妻に現在やっていることを指導した。仙骨を中心とした塾オリジナル?胴体力トレである。それにあわせて背中を緩めることもやってあげたし、自分でやる方法も教えた。年末年始、主婦は忙しい。妻は痛みが取れ、回復し、無事乗り切った。師匠の治療は素晴らしい。だが、そのフォローとして塾のメソッドも効果的であった。そんなことを宣伝?するために書いてるのではない。私が体験したこと、それは「自分がやっていること、向き合っている世界」を妻に理解してもらえたという体験だ。彼女の不定愁訴を通じて、その体験をすることができた。妻は師匠を再評価したし、塾で私がやっていることや向き合っている世界を高く評価した。これは言い方を変えれば、妻が私を再評価したとも言えよう。実は、この指導、息子にもやったのだ。家族に「自分のやってること」を知ってもらえたということ。師匠の治療は独特の世界なので(見た目は普通の整体っぽいがw)妻でも敷居が高いところがあったようだ。私は苦しむ妻に師匠が私におっしゃることを伝えた。何度か書いているけど「頂天さんの身体は誰にでもは治せませんよ」というもの。そして私は妻に言った。「君の身体も同じだと思う。」説得とはそういうことだった。私は毎週道場へ通い、それが5年以上続いているが、家族は私が何を学んでいるかは知らない。いちいち説明しないし、語らないからだ。家族は家族でそれを知りたがりもしない。それはそれで気楽なのだが・・・そればかりではいけないのだろう。家族の絆における相互理解の重要性その観点で言えば、今回の体験は非常に有意義であったように思う。何をどう語るより、知ってもらえたと思うし。家族は家族なりに私の5年ちょっとを知っているわけだしその時間をNGだと思えば、塾に対する感情も良くないものになろう。しかし、妻にとって師匠や道場は敷居が高いところであるのは事実だが、妻は師匠の凄さを知っているし、私が受けている影響をNGだとは思っていないだろう。息子に至っては、師匠(の治療)への信頼は絶大なものがある。だから私が師の下で学ぶことは当然のことだと思っているように感じる。よく考えれば恵まれた環境で自分の学びは行われているのである。一方で私は、塾で学んだことは自分に出来る限りいろんな人に伝えていきたいと思っている。例えば会社でも自分の与えられる影響ということは考えている。しかし、そういうこともまた家族からなのではないか?と思う体験でもあった。私の身体に触れることを私が許す2人目=E先生との出会い。これにより師匠の素晴らしさを別の観点で知った。そしてE先生の言葉。「頂天さんには役目があります。でもまず家族のことから。」いろんな意味でそうなんだと思うが、そのコトバをいただいてすぐの体験だけにまず家族から私の知ることは全て伝えよう分かち合おうということを思った。特に精神世界系では、よかれと思っておせっかいにもいろんなことをおしえたがる傾向があるように思う。ゴルフ練習場によくいる教え魔みたいに(笑)そういう風にはなりたくないけど・・・自分の場合、「言ってもわからないだろう」「どうせ興味がないだろう」と自ら壁を作って、あるいは殻にこもってそういうことをしない・・・もっといえば面倒だからと(笑)これ実は妻に指摘されてる一面でもあるんだけど。そこは超えたいと思う体験だったとも言える。大いに家族でいろんなことを分かち合えるようにしたいと思う。私が家族にばかりではなく、みんながみんなで。