|
カテゴリ:幼児・児童
「さよなら絶望先生」に、「~だけは避けてきました」と言うネタがあるが、一体、人は どこまで責任を負えるのか? 豊田有恒のエッセイ(1970年代あたりに書かれたもの)によると、 >もし医者になったら、医療事故を起こしたかもしれない。SF作家なら、読者を殺すこともない。 と言うような主旨の事が書かれていた(記憶で書いてますが...)。
例えば、「100円ショップで買った包丁で殺人事件が起こったら?」 購入者(使用者)が罰せられるのは当然として(児童、精神薄弱などを除く)、 販売した店舗は?その経営者は?レジの店員は?店長は? 製造したメーカーは?問屋は?運送会社は? ...などと思ってしまう。
さて、「小中学生の携帯所持規制 石川県議会が可決<6/29 21:36>http://www.news24.jp/138603.html」だが、 >小中学生の携帯電話の所持規制に踏み込んだ条例案が可決された。 >改正案では、「防災、防犯の目的を除き、携帯電話を持たせないよう努める」としていて、規制はあくまで努力義務にとどめている。 となっている。 これではザルだろう。「ウチでは、防犯の為、持たせています」と言えば、それまでだ。 (個人的には、持たせた方が良いと思うが、通話とメールに特化すべき。通話・メールも相手を限定) それで、もし、「携帯電話を持たせていない」小中学生が犯罪に巻き込まれたら、どうするのか? 誘拐された場合、携帯を持っていれば、 「犯人のスキをついて、110番できた」とか、「~家族に発信できた」、「GPSで追跡できた」 と言う事もあるだろう。 もし、それらの手段が採れなかった為に、誘拐された小中学生が危害を加えられたら、石川県議会(の賛成した議員)は、どう責任を取るのか?
歳のせいか、どうも、「子供にナイフを持たせるな」とか、「3ナイ運動」を思い出させる。 責任を負える部分、そして負わされる部分と言うのは、無限では無い。 あまり一元的な見方はしない方が良い。それしか出来ない人物は、政治から身を引くのが「責任」だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.07.03 00:18:44
コメント(0) | コメントを書く
[幼児・児童] カテゴリの最新記事
|