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カテゴリ:ショートショート、ブラックユーモア
私は鈍行に乗ると、長椅子の空いている所に座り、いつもの通りカバー付きの文庫本を広げた。蜜柑も用意してある。 「面白いですかな?」 3人分ほど離れた位置に座っている、初老の男性が声を掛けてきた。平日の昼間、他に乗客は居ない。 「ええ、まぁ」 顔も上げずに素っ気無い返事をするのは、引きの手ごたえを楽しんでいるからである。釣りは一気に引き上げては面白くない。 「白紙の文庫本など、どこで手に入れるんです?」 彼の言葉に、私は咄嗟に顔を上げていた。 「なぜ判ったんですか?」 私は素直に敗北を認めた。 「同好の志、だからですよ」 彼は、風呂敷に包んだ物を、ポン、と叩いた。 「『押絵と旅する男』、ですか?」 やはり、相手も江戸川乱歩のファンらしい。 「ええ。しかしね...こっちは事実ですよ」 彼の広げた物は、 「私の兄は、いい年して こう言うスタイルの女性が好きでして...」 嘆きながら 「信用されませんかもしれませんが、これが兄です。デジタルの知識が無い為、こんな不完全な姿で」 その男は、顔も姿も旅客にソックリだった。質の悪い冗談だろう、と思ったが、ともかく、私は頷いてみせた。 平日が休み、と言う職種では、ヒマの潰し方にも苦労するのだ。今日は、恰好の相手が見つかった訳である。逃す手は無かった。 ── 彼の話は、しかし ごく退屈な物だった。原典と ほとんど変わる点が無い。急速に冷めた私の気分を察したのか、彼は次の駅で降りた。 ...山の中だったが。 ── 数日後、私は彼の葬儀に立ち会っていた。仕事柄、そう言う役割だったのだ。彼の お棺には、例の 「老いらくの恋、か」 霊柩車を見送った後、私は小さく呟いた。 ...相手には迷惑千万な話だったが。 そして、今、私の前に、その 【追記】 「楽天ブロガー掟に挑戦!」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.09.06 04:25:10
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