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DINDINの日記

マイマグ感覚なし


(2005,6,18日記より)



今日は、物への執着について書いてみたい。

私は結構、物に執着しているほうだと思う。


それも特にお気に入りのものに対してうるさい。

それから、お気に入りではないものの、思い出がある品が、

すぱっと捨て切れなくて、処分に悩むことがあるが、

ここ数年、だいぶ、使わないものは手放す、という術を身につけつつある。


6年前にさかのぼってみると、その執着ぶりが、可笑しくなって来る。


ここの人には、My コップ、MY お箸 といった感覚がない、
と言っても、過言ではないと思う。

それがなかなか受け入れられなかった。

コップ、食器、フォーク等、共同?で、おのおのが勝手にとって使いまわす。
給食の食器のような感じか。 家庭内でもそうだ。


来伯数日後、驚き、カチンときたことがある。


 いきなりやってきたのが、何もない草むらの一軒家、
 はっきり知らなかったが、つわりによるめまいや体調不良、

 どうしたものかしら。。。 こんなとこに住めないぞ。。。。。
 ちょっと参っていた。


自分を慰めるようなつもりで、日本から持ってきた、
お気に入りMy マグカップ(弟からもらったロンドンみやげ)
をスーツケースから取り出し、お茶を飲んで一息つき、洗って
食器乾燥のとこへおいておいた。


そして翌朝、起きてキッチンへ向かうと、義兄が、
まるではるか昔から、自分のものであるかのように、


悠々と、そのマグカップを片手に、コーヒーを飲んでいるではないか!!


目が合うと、ご機嫌な顔で


「Bom Dia!」(おはよう)


といってきたが、内心、驚きとムカつきを隠せないでいた。


なんなのこの人は? なんの断りもなく自分のもののように、勝手に使っている!


ショックだった。 


(義兄にしてみれば、そこにあったから使っていたまでなのでしょうが、
なんだか許せませんでした。) 


そして、箸。 日本で買ってきた、手作りの木彫り、一点ものの
MY 箸を置いておくと、いつの間にか誰かに折られ、


(無残に折れた箸が、ナイフやフォークと一緒に突き立てられているのを見て、
ガ-ン!! もちろん、誰も謝ったりしない、その当時働いていた女中さんかもしれないが、どうしてそうなったのかは謎のまま)

 
更にショックだったのは、その折れた箸の片方を、義姉が、ろうそく作りの、
芯(燃えるとこ)を固定するために使っていて、

自慢げに、

「手作りろうそく作れるのよ、
素敵でしょ、ほら!」 なんて言ってる。


   そのあなたがろうそく作りにお使いになってる片方の箸、
   それは私が持参した手作り一点もののMY 箸なんですけどぉぉぉお!!!


ありえねぇー!!(激怒) 何じゃい、こいつら??


  これは誰の箸だろう?とか考えないけ?

  もしかして、嫌がらせをなんだろうか???
 

 と、納得がいかず、怒りでいっぱいになった。



まあ、物にこだわる私の心が狭いのかもしれないが、
実家で、常に茶碗や箸など、これはお父さんの、これはお母さんの、
と、各自使い分けて育ったし、私の常識では考えられないことだったのだ。


ここの普通の家庭で食器といえば、電子レンジ対応の、透明なガラス皿
(主に茶、青、透明)が多く、必ずしもそろってないし、誰のものとも決まってない。


給食の皿のように、自分でとって、好きなだけご飯をよそい、
フェイジョンやおかずを一皿の上に乗せていくので、
小皿だの、おかずごとにきれいな器に盛ることもない。

味気ないといえばそうだが、洗う人にとっては、皿の数の少なさで見れば楽だ
(そのかわり、油汚れはしつこい。。)


今になって分かるのだが、ここの人の多くには、My 何々という感覚がない。
こだわりもあまりないように思う。 


手に入れるまでは欲望の塊だったとしても、
よっぽど気に入ったもの以外、いつまでも手元においておくとは限らない。

だから、ちょっと使わなくなったようなものは、すぐ誰かにあげてしまう。

あるいは使っていても、何気なく人にあげる、ということが出来るのだ。
(この例を、明日の日記で書いてみます)


家のつくりも、文字通り押入れというような、いつかのためにとっておくものを収めるスペースはなく、大きい家でも、物が少なくがらんとしている。


使わないものはどんどんまわしていく。
使ってても、あまり執着しない。



執着がないといえば、こちらが貸したものについてもいえる。


CDなんか借りたら、きちんとお返しするのが私の感覚だが、


ここの人は、何ヶ月もそのままだったり、また貸しのまた貸しや、壊してしまったり、
果てはどこへ行ったか分からないといって、返って来ないことがよくある。


一度貸したものは、あげたものというくらいの覚悟で渡さないと、
後でがっかりさせられる。


しかし、彼らにとっては、なんともないようだ。 けろっとしている。


どうしたらあんなにけろっとしていられるんだろうか??


これは私が特別にそうなのかもしれないが、
ものと、、そのものをもらったりしたときの理由や、
思いが重なって、使わなくても捨てられないことがある。

以前、ブラジル人の友人が日本に出稼ぎに行くので、
要らないものを売りにBRECHO(古着屋)ごっこをやるから、
一緒にやろうと誘われた。


ちょっとした、フリマである。


彼女は使わないものはどんどん回さなきゃ!
という考えで、悩むことはない。


私はある、うちにあっても使うことのない物、
でも、ある人からもらった思い出があって、
なんとなく捨てられないものがあったので、
友人にそういうと、

「じゃ、売ったら。  使わないものおいといてもしょうがないよ」

「うん、でも、これはある人からもらったもので、どうしようか、悩むとこなの」

「だから何よ?  使わないんだったら、おいといてももしょうがないわよ。
私だって、誕生日に恋人にもらったシャツあるけど、
好みじゃないんだもの。 売るわ!」


と、まったく私の悩みどころの理由が、伝わらないのである。


結局私は、そのものを売りに出せなかった。


私は気に入ったらとことん擦り切れるまで使いまわすが、
気に入らないと、たんすの中に眠らせてしまう。

かといって、誰かにあげるのは、せっかくくれた人に
悪いような気持ちになってしまう。

たとえば、母や伯母、祖母にもらったもの、

私にとって家族の人がくれるというのは、大変意味深いことなのだが、
まったく好みじゃない柄のズボンとか、サイズが合わないものがある。


それで、このサイズが合わないものはどうしようもないので、売りに出した。
躊躇せずに売りに出す決定が出来るのはまだいい。


手作りのものや、人形系は躊躇する。
いらないならそっちで処分して、といわれたものでも、
考えてしまう。


このフリマでは、姑のうちに眠っていた物も出させてもらった。
90年ごろに、義姉の一人が日本から持ち帰っていた紺ブレ!!
(ヒョエ~ッ!!  皆さんご存知???)なるものや、

みょーにウエスト位置の高いジーンズ、
重い毛糸のセーターなど、どうしてこんなもの大事にとってるのー??
な、たまりにたまっている古着も、売りに出した。

(まあ、私には思い出のないものばかりだし、人のものは楽(笑)

私のは日本から持参の暑苦しいコート、厚底サンダル、
合わなくなったジーンズなど、使わないのに場所をとっているもの、
ちょっと後ろ髪惹かれるけど、使ってないものも、
思い切って出した。

かなりの安値で売りさばき、小さくなった娘のベビー服のほとんどは、
貧しくて困っているという人にあげ、ずいぶんすっきりした。


(あくまでもほとんどで、全てではない。 娘が初めて履いたちーっちゃい靴や、
ベビー服何着かは、捨てられない根性なのだ。)


破格の大安売りにもかかわらず、二日間で、200レアル近い売り上げになった。
(ダンボール5箱分以上あった)


ブラジル人の友人は、

(彼女は、感心するほど商売上手、交渉上手。貧乏なお客相手でも、ただではあげない。買える人に、うまいこといって買ってもらう術を知っている。 支払いチェックも欠かさず、後で払うからといって持っていったまま払わない人には、その人の家まで行って、支払いを催促する(笑))


Dindinhaはやさしすぎ、
ほとんどあげてるみたいだったじゃん!!


売り物は、はじめから安くしちゃダメだよ!


と言っていたが、私にとっては、あんな恐ろしく古いものが
売りさばけ、ダンボールが空になっていくのが爽快だった。


おまけに200レアルt近くもらったようなもんで、
一石二鳥。


これだけの古着を売りさばいても、うちの姑は典型的な、
いつかのために取っておくタイプなので、
広ーい姑宅は、ブラジルの家らしくなく、
いまだに、使っていない部屋、3つくらい、使わないもので埋まっている。

(口癖・・・もったいない) これは日本人的感覚かな??


娘である2番目の義姉は正反対。  ちょっと情け容赦ないくらい、
使わないものはとどめておかない。


私が来伯時プレゼントした二ナ・リッチの香水は、
あげてすぐ、気に入らなかったのだろう、
当時住み込んでいた、ババ(ベビーシッター)に使わせていた。


これもショックだったが、おそらく、悪気はないものと思われる。


こどもでも、持っているぬいぐるみを簡単に
うちの娘たちに、くれるのだが、
うちの娘はたくさんぬいぐるみありながら、どれひとつ人にあげない。


普段使ってなくて、収めてあっても、いざ、誰かにあげようと出してくると、
それダメ! じゃこっちのは?  それもダメ! といって、
ぬいぐるみは増えるばかりである。


はじめは、物に執着しない人々が、薄情なような気もしたが、

ものに執着せず、使わないものは、必要な人のとこへ回して、
有効に使ってもらうというのは、うちはすっきりするし、
人には喜んでもらえるし、いい事ではないか!


 と最近は思っている。


ものに執着しなければどんなに楽だろう?

かつてよりは、だいぶこだわらなくなった。


(でも、まだ捨てきれないものがあるけどね
そして、お気に入りのものは、なかなか人にはあげられない)






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