2006/02/18(土)00:02
宗教と犬のせうべん
注:せうべん=小便(詳しくはここをクリック)
10年程前、当時私が住んでいた近隣地域は
何故だか宗教活動が盛んで、近所に住む住民の殆どが
とある団体に所属していたようである。
ことに我が家の隣人である老夫婦は特に活動熱心で
朝から晩まで四六時中、外にもれる程の音量で
お経のテープをBGMに日々生活を送っていた。
また、子供を持たぬ彼らは
共に暮らす柴犬を、我が子の様に可愛がる愛犬家でもあるようだった。
当然、普及活動にも意欲的なようで
私がその地区へ他方より越して来て間もなく、その老夫婦、旦那方が
団体への勧誘のため、我が家を訪れた。
「こんにちは」
と七三分けの頭髪に地味目な服装の生真面目そうな御仁。
わたくし、これこれこういった活動を致しておりまして
日々、かような集いもありまして、皆さん楽しくやっております。
などと説明を始めるのだけれど、今一つ興味がない。
いや、その活動をどうこう言う訳ではなくて
自分の場合、気分のムラが激しく
他人と対面したくない時など、かたくなに対面したくない。
例えば、走らせている車のガソリンがきれそうで
必要に迫られながらも、スタンドにおける店員とのやり取りが
これ億劫であり“ 給油せねば ”と気にはしつつも
そのまま走り続ける。
結果、車は思いもよらぬヘンピな場所にてガス欠と相成り
散々な苦労のもと、あれ程対面したくなかった他人を
自ら呼び寄せねばならん事態に陥るのだが。
まぁ、それはさておき、この御仁が示す団体の集い。
これにしても自分に言わせれば、どうせ集うなら
気の合う仲間達とワイワイ、ガヤガヤ酒を酌み交わし
時に真面目に人生論など語らう方がよっぽど有意義であり
明日の活力にも繋がるに違いないわけで。
なにより、一、団体に席を置くことにより
なにか、こう、自分の行動やら時間やらが制限されそうで息苦しい。
そんなこんなで、ハナっからやんわり断るつもりで
話を聞いていたのであるが
構わず話を進める御仁の言葉に思わず“ぴくっ”となった。
いや、決して心がなびいた訳ではない。
神経に障ったのだ。
今の若い人は目的も無く、ただふわふわと生活している。
よって、わが団体へ招き入れ、正しい道へと導かねばならん
と、かような意味合いの言葉を吐かしたのである。
一体何様のつもりだろうか、このボケは。神様でもあるまい。
いや、自分を神の使いとでも思っているのかもしらん。
しかし、いずれにしても勘違いも甚だしい。
それに、この話の例えに挙げた“ 若い人 ”というのが
明らかに目の前にいる、この私を指しているように聞こえ
癪に障ってならない。
そもそも、限り無く初対面に近い間柄で
ろくに会話もしたこともない、このさえない昼行灯(ひるあんどん)に
私の何が解るいうのか。
非常に不愉快であり、腹も立つ。だけども、少し考えた。
もしかしたらこの御仁
“世の中をより良くしたい”という切実なる願いの中
その思いが強すぎるあまり、気持ちばかりが先走りし過ぎて
つんのめった形で、先のごとき失言に至ったのかもしれない。
そうなるとあながち頭ごなしに「勘違い甚だしい薄ら馬鹿」と
も言えぬわけで、口下手な人はいるものである。
まぁ、引っ越して来て早々
隣人といがみ合うのも避けたいといったこともあり
今回の話について自分は興味が無い旨を伝え、丁重にお断りし
お引き取り願うに至ったわけである。
ところで我が家では、2台の自家用車を所有しているのだが
いずれも軽自動車で、一台は自宅前駐車場に収め
もう一方、私が通勤で使用する車は自宅より程近い、用水路沿いの道に
駐車していた。
ところが、会社に向かうべく乗り込む車のタイヤに
毎朝、小便が振りかけられている。
と言っても人間の仕業ではなく
この通りが、近所で飼われる犬達の散歩コースとなっており
そういった姿をよく見掛けることから
その犬達のうちのいずれかが自らの縄張りを誇示する為に
立ち至った行動と推測されるが
いずれにしても犬が単身勝手にやって来てひりかけるわけではなく
飼い主に率いられ、その立ち会いのもとで行われる行為であるので分別判らぬ犬はさておき、非常識な飼い主に腹が立つのである。
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