FADE TO BLACK
「俺は、世界1の幸せ者だと言われるが、 努力した結果だと思う。 賢人は言った。 運は理由もなく人々に与えられる 神秘の力ではない。 自らつかむものだと!」90年代、テディライリーが送りだした、ニュージャックスイングの勢いに陰りが見え始めた頃、80年代の後半から、活動しはじめていたHIPHOPアーティスト達が、思い思いのスタイルで、これまでにない音楽スタイル、それこそが、まさにHIPHOPだけど、斬新で、クリエイティブな曲を次々に世に送りだし始めた。NYを拠点に、ラジオ、MTV(YO MTV RAPS)などでも、これらのHIPHOPが巷に流れていたが、全米中に、また、世界に届くほどの影響力などなかった。(余談)つまり、メジャーではなかったって事である。後に記すが、P.DIDDY登場の頃からメジャーになり、そこで、メジャーとアンダーグランドという言葉が、明確になってきた。この頃の音は、今ではアンダーグランドのように扱われたりするものが多いが、メジャーがなかっただけで、俺達にしてみれば、十分メジャーだったんだが。90年代の中盤に、NYのシーンがさらに活発化し、当時のスーパープロデューサー達が結集して、「NAS」を世に送りだした。またこの頃、「WU TANG CLAN」も登場。HIPHOPはNYにありきという状態、これこそが、当然の流れ、というような、時代へと突入。しかし、東のPUBLIC ENEMY,西のNWAといわれたように、80年代後半から活動していた重要HIPHOP集団のNWAにいた「Dr.DRE」が、これまでになかった「G-FUNK」を築きあげ、「SNOOP DOGGY DOG」や「WARREN G」などを世に送りはじめる。HIPHOPは、NYだという勢力地図がやや変わり始めた。70年代にジョージクリントンが造り出した「P-FUNK」の影響力を最も受けていたのは、西の人達の方であった。Pの流れを踏んだのがGと呼ばれた訳で、ここに、Gのテイストで活躍していた「DEGITAL UNDERGROUD」のメンバーであった「2PAC」がソロでやり始めた事が、さらに大きな道を作る事になる。一般的な人にも受け入れられだしたHIPHOPだったが、やはり、ROCKやPOPSなどには到底およばないレベルだった。しかし、90年代の後半に差し掛かった頃に、大きくシーンが動き出す。西で、2PAC人気が出始めた頃に、東では、満を持して、「B.I.G」がデビュー。後の「NOTORIOUS BIG」である。ショーンパフィコムズことパフダディは、QUEEN OF HIPHOP SOULと呼ばれる事になる「MARY J BLIDGE」を世に送りだし、そして、「BIGGIE」をデビューさせた。このBIGGIEの人気は、これまでに売れたアーティストとは、違い、コアな層から一般層まで巻き込んだので、一躍、彼は、デビューアルバムからスターになった。次のアルバムで、その人気は絶大なものになったのだが。一方、西では、2PACが絶大なパワーを持ち始めていた、DREと手を組み、Pのカリスマと言われるZAPPのロジャーを迎え、LA賛歌「CALIFORNIA LOVE」という超特大BIG BOBMを落とした。この曲を収録したアルバムがこれまた大HITし、世の中の人が知る有名なHIPHOPアーティストは、「BIGGIE」と「2PAC」という時代が来る。しかし、いろんな面を持つHIPHOPは、ギャングスタという暴力的な、バイオレンス的な面が際立って浮きはじめだした。関東だ、関西だ、というようなのりではじまった東西抗争、それは、HIPHOPが東のものが良いのか、西のものが良いのか、という、男ならではの争いであり、この抗争が、「2pac」と「BIGGIE」の東西のスーパースターの2人とも失うという、大事件になってしまった。これこそが、HOPHOPを大きく変えた事件だろう。BIGGIEを失った、パフダディは、自らのアーティストとしての仕事を増やして行き、これまた全米中に知れ渡るような作品を送り始めた。しかし、このパフィが行ったHIPHOPは、これまでのHIPHOPとは違った。元々、貧困な地区から発祥した音楽であり、そのパワーや、無いところから造り出すという事が、本来の源であったのだが、「お金」で音を造り出す事を始めるようになったのだ。HIPHOPとは、元の素材があり、それをアイデアを出し、加工する、というような音楽である。その際に、「著作権」という問題があり、これは、「お金」があればクリア出来る問題なのである。元々、お金などないんで、誰も知らないようなSOUL,JAZZなどをうまく使って造ってきたのがHIPHOPであったので、お金を使い、誰もが知ってるHITした曲を使用する事により、一般層までヒットさせ、HIPHOPを巨大なマーケットへと大きくする第1人者へとなったのである。90年代の後半からHIPHOPが大きくなった背景には、やはりBIGGIEの流れから凄いスピードで、頂点に上った「パフダディ」の力が有る事は間違いないと思う。この流れにより、90年代に活躍していたHIPHOPアーティスト達は、HIPHOPのスタイルを変えざるを得なくなってきた。当然、このあたりから、活動出来なくなったりするアーティストも多くいたと思う。しかし、この流れに上手に乗り、今尚、シーンで活躍するアーティスト達例えば、FAT JOEBUSTA RHYMES,LL COOL J.....。LL COOL Jは、HIPHOPでは、老舗のレーベルで、最も有名なレーベル「DEF JAM」の第1号のアーティストである。そんなDEF JAMを現在動かしているのが、今から紹介する男である。彼は、90年代の中盤、NYのシーンが活発だった頃、「GANG STARR」のDJ PREMIERが多く作品を残した「PAY DAY」というレーベルから、「IN MY LIFETIME」という曲をリリースした。当時、PREMIERが自身の人気ラジオ番組でヘヴィ-ローテーションしていた曲だった。しかし、この後出した、ファーストアルバムが大HITし、ここから、彼の快進撃がはじまる。BIGGIEなき、NYのシーンを引っ張て行くほどの存在になるとは、誰が予想しただろうか?BIGGIEと2PACの2人の存在を知り、その2人の魂をも受け継いだのがこの男、 JAY-Z90年代の後半からロッカフェラレコードを手掛け、遂にはDEF JAMまでを手にした男。2000年代になり、HIPHOPを振り返って最も重要なHIPHOPアーティストである事は間違いない。一時期同じNYの、「NAS」とバトルになり、後に、衝撃の和解をしたのだが、NYの中だけでなく、全米で、世界で知られるHIPHOPアーティストとしては、間違いなくNO.1である。しかし、そんな絶頂の中、2003年に「引退」宣言。その最後の引退コンサートの模様が収録されたDVDが、「FADE TO BLACK」である。(ちなみに1500円くらいで、購入。HMVが安い!)約2時間の濃い内容でこの金額が安い!で、このコンサート、HIPHOPアーティストでこの会場でコンサートを行うのは初という「マジソンスクエアガーデン」(プロレスではお馴染みですが)チケットは4分でSOLD OUTだったらしい。で、LIVEには、多くのゲストが登場!まず、当然、出てくるBEYONCE!(ちょっとチュってするとこがくそー)これがまた凄いステージング!なんと3曲も披露!ここで、ゲストで「GHOSTFACE KILLAH」が登場!バックステージで、「SLICK LICK」にゴールドチェーンをもらってたりする!その他、「MARY J BLIDGE」「FOXY BROWN」「MISSY ELLIOTT」「R.KELLY」「PHARELL」も登場。また、DJとバンドでやってるのだが、ドラムは、ROOTSのクエストラブ!(MTVのアンプラグドでの共演からはまってるコンビ)最後のアルバム「BLACK ALBUM」の製作過程も収録。KAYNE WEST、P.DIDDYなども登場。とにかく、JAY-Zのアーティストとしての集大成、これまでのシーンを築き上げた歴史などがここに詰まってます。COMMONは、「こんなに興奮したコンサートはマイケルジャクソンのコンサート以来だ!」とにやにやしながら話していた。冒頭、この日記の最初に書いた文が流れてから始まります。絶対、チェックの作品です!では、また。※ここに書いてある文章はあくまでも個人的な推測や、 感想ですのであしからず。変なつっこみはなしよ!