せっかくなので開いてみた。

2017/03/13(月)19:34

6年目の3月11日、知られてすらいない被災地より。

ほとんどのマスコミに無視される被災地・茨城で、震災からの復興を祈る式典が開かれます。 詳しくは↓コチラのまち楽×茨城のブログをご覧ください。 ハッスル黄門の諸国漫遊記|東日本大震災六周年 追悼・復興祈念式典 さて。 今年、当ブログは…というか私は、ちょっとした切っ掛けから、今まで抑えてきた東日本大震災における茨城県への扱いに対する怒り・苛立ち・その他ネガティヴな感情を、遠慮なしに思いっきり吐き出すことにしました。 そこで、あらかじめ断っておきます。 以下の文章は、捉え方によっては大変に不快な内容になっているかも知れません。 こんな日にそんなネガティヴなことなど読みたくない!という方は、ここでコチラにでも脱出してくださいませ。 … …… ……… いいですね? では、書きます。 2011年3月11日。東日本大震災。地面が激しく揺れ、家も大きく揺れ動きました。 屋根瓦の多くは落ちました。しばらくの間は家の外に出る時に頭上に注意をしていました。 裏の高台を支えていたたくさんの大きな石はすべて家へと落ちてきました。幸いなことに崩れた石が石を止める形になり、建物は裏の庇や置いていたものが壊れる程度で済んだのですが、駐車していた車は破壊されました。その車は、ローンが終わったばかりでした。 ただし、この車が身を挺して大石を止めてくれなければ、駐車スペースのすぐ脇の部屋の中にいた私は、どうなっていたか判りません。少し気持ちが落ち着いてその事に考えが及んだ時には…何といえばいいのかわからない状態になりました。 家の中は割れたガラスと瀬戸物で床が埋まり、棚に並んでいた貰い物のボトルが全部落ちて割れ、普段だったら耐えられないであろうアルコールの臭いの中で、明るいうちに少しでも多く片付けようと、不安から動けない母をなだめつつ破片を拾い続け、でも結局日が落ちても片づけは終わらず、電気も止まった暗闇を、火事の不安もありつつロウソクを灯してどうにか片付けを続け、最低限眠れる場所を作りました。 水道も止まり、トイレの水は風呂の水を使ったり、飲み水は近所の工場などから水を配っていただいたり、幸い水道が生きていた兄の職場から水を持ってきたりしました。 ちなみにこの後、半年ぐらいかな?水道がまともに使えるようになるまでは相当時間がかかり、大変な不便をしました。 家の建物は歪み、土壁は数か所がひび割れて落ち、いくつかの扉は閉めても隙間が残っています。 ちなみにウチに役場の人間が被害確認にやって来たのは震災発生から数日後のこと。「知らなかったから」です。 電気が止まっていた間は、情報を得る手段がラジオしかありませんでした。古いポータブルラジオを引っ張り出し、NHK-FM水戸と茨城放送を行ったり来たりしながら、住んでいる地域の情報を求めていました。 そして日曜の夜7時過ぎ。家族が集まっていた居間が急に明るくなりました。停電が終わったのです。 見ていたテレビも点きました。地震が起きる前に見ていたのは日テレ。普段だったら「鉄腕DASH」の時間です。 しかしそのテレビに映っていたのは、水に飲まれる街。生活に必死だった中では、想像すらできなかった光景でした。 電気は戻りましたが、その後もしばらくはテレビは見ませんでした。だって、茨城の情報なんてほとんど放送されないし、ましてやこの地域の情報なんて…。結局この後もラジオと、あとインターネットが見られるようになったので、そっちに頼ることになります。 何かの切っ掛けで知ったTwitterの「ヒーロー」アカウントに救われたのもこの頃でした。 この頃に新聞の折り込みチラシでは、全国チェーンの某ドラッグストアでは一応「がんばろう東北」の他に、「がんばろう茨城」と書いてありました。付け足し感満載で。 そしてそのドラッグストアのサイトを見ると、書いてあるのはやっぱり「がんばろう東北」だけ。茨城のことなどどこにも書かれていません。茨城への心配なんて、上っ面だけの付け足しなのです。 そして、茨城発祥で本社も県内にある某スーパーなどは、ハナから県内のことなどすっ飛ばしていました。募金は最初から東北のために行われたのです。 これはショックでした。最悪私らはまだいいと。でもせめて津波被害の大きかった県北を通り過ぎてしまうのかよ!と、怒りを通り越して悲しくなっていました。茨城の会社が、茨城を助けないことを。 恐らくは、県北地域の支店では個々に対応はしていたのだと思います。でも、だとしたら余計に、それをちゃんと広く知らせるべきなのです。知らせないから共有されず、茨城が被災地であることを知られなくなります。 忘れられたのではありません。 知られていないのです。 そのくせ、茨城の産物は未だに風評被害にあってると聞きます。そのたびに私は「おめぇら茨城がどこにあるかもロクすっぽ知らねぇくせにバカたれが!」と思っています。たまったもんじゃありません。 そして某魅力度アンケートでは安定の最下位。もはや気にも留めなくなりましたが、これも被災地と知られていないからだと思います。逆に、知ってるのに最下位にしているとしたら、あまりにひどい仕打ちですよ。悪魔の所業ですよ。 …まぁもっとも、最近の避難者へのとんでもない誤解から起きている陰惨な事件報道を鑑みると、世の中みんな悪魔だらけという気もしてきます。 震災直後の美辞麗句・美談はどこへ行ったのやら。嗚呼。 以上、知られていない被災地・茨城の、中でも特に知られていない場所からの、長い長い愚痴でした。 色々と書きそびれていることもあるような気もしますが、ひとまず、震災直後からずっと抱き続けていた感情を、ある程度吐き出せたと思います。 これを読んで色々と思う方もいると思いますが、6年目でようやくこれを書けたということを慮っていただければ幸いです。 東日本大震災茨城全記録 東日本大震災検証3・11 ※3/13追記 アニアカに送ったリクエスト全文をアップしました⇒コチラ 興味があったらご覧くださいませ。 【関連リンク】 災害・地震・防災 茨城 自分 【関連日記】 3.11のNHK-FM「アニアカ」テーマは東日本大震災 取り敢えず私は生きています。 【動画】今の時に勇気づけられる曲は 【動画】一年を経て聴きたい曲 【動画】一年を経て聴きたい曲(2) 【動画】二年を経た今、聴きたい曲 【動画】三年を経た今、聴きたい曲(Myエポ連載にて) 【動画】四年を経た今、聴きたい曲 5年目の3月11日。(※聴きたい曲もあります) 空から震災前の茨城を見てみよう‥今日の通販#162 震災当初の茨城県の被災報道について 「これでいいのか茨城県」はいいのか? ↑のバナークリックで↑ブログの応援願います↑

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