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カテゴリ:教育
私は30年前の公務員時代に所属長と日本共産党員の同僚からのいじめ、パワーハラスメントに合い、鬱病を発病しました。躁鬱病の家系でしたから、躁鬱病体質(循環気質)であったのが強いストレスを受けて発症したのだと思います。
10回近くも療養休暇を取りましたが、復職、再発の繰り返しでした。結局、休職、病気退職になりました。アルコールにも溺れ、アルコール依存症にもなりました。アルコールの酔いの中でしか生きられない人間になってしまいました。 故郷の金沢から高知に島流しにされ、断酒会発祥の地である下司病院に入院しました。院内飲酒をして人事不省に陥り、瞳孔は開き、血圧が0になりましたが息を吹き返しました。その時に生ける主、イエス・キリストに出会いました。 それから、私は東京神学大学に進学、卒業し、日本キリスト教団教師になりました。現在は瀬戸キリスト教会の牧師をしています。下司病院で一度は死んだ身が奇跡的に甦らされましが、躁鬱病も新薬、パキシルで全快に近い状態です。 私は子供たち、親、教師に学校には生命を賭けて通うだけの価値がないと言いたいのです。団塊の世代にはニートは存在せず、学校を卒業したら働くのが当たり前でした。学校に通わない人間、働かない人間は異常だと見なされました。 終身雇用の時代で、公務員が中途退職をしたら不祥事を起こしたと考えられる時代でした。精神科医からサラリーマン、特に公務員は勤まらないと言われ、自由業に就くように勧められましたが、失業することに恐怖感を覚えていました。 結局、アルコールで総てを失い、生命さえも失いかけて初めて新しい世界、今まで生きてきた世界とは違う秩序が支配する世界があることに気づかされました。故郷での生活を捨て去り、教会生活の中で自分の姿を再発見したのです。 学校だけが唯一の世界ではありません。人間にはその人に相応しい世界がきっとあります。極妻であった大平弁護士は辞書の弾き方さえも知らなかったのに独学で司法試験に合格しました。宮本先生は中学校ではオール1でしたが、23歳になり定時制高校に通い始め、名古屋大学理学部物理学科に入学、卒業しました。 大学を卒業するだけが人生ではありませんが、高校に通わなくても敗者復活戦に参加することは可能です。通信制の高校、大学もありますし、独学で大検に合格し、大学入試を受ける道もあります。何かの資格試験を受ける道もあります。 学校に通えなくても別の道があります。高速道路を突っ走る人もいますし、街中を歩く人もいます。山道をゆっくり登る人もいますし、迂回路を歩む人もいます。それぞれが全然違う風景の中をそれぞれに相応しいスピードで歩むのです。 人生の中で挫折はつきものです。物心がついてからこの世の生を終えるまで順風満帆の人生を送れた人間はおそらくいないでしょう。人間は挫折を乗り越えて、初めて人生の意味を知ることができ、生きる喜びを感じることができるのです。 自殺をするほど追い込まれた状況も、視点を変えればたいした状況でない場合が多いのです。いじめを我慢して身も心も病んでしまえば、回復するのには膨大な時間とエネルギーが必要です。引きこもるのも自己防衛の手段なのでしょう。 現代の子供は親から充分に愛された経験がありませんから、他人の痛みに共感することができないのかも知れません。いじめは人の心を破壊する犯罪に等しい行為だと教え込むことが大切です。互いに愛し合う心を育むのが教育なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/11/01 06:41:29 AM
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