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カテゴリ:教育
全国学力テストの結果の公表を教育委員会が拒んでいるようですが、速やかに公表すべきです。教育の格差が拡大している時代には学校の序列化や過度の競争も必要悪です。教職員の勤務評定にもテストの結果を反映すべきです。
日本の学力の低下は日教組の平等教育に起因します。子供の能力には違いがあるのが当然ですから、能力に応じた教育をすべきです。ゆとり教育のように最低のレベルに合わせた教育は能力のある子供を落ちこぼれさせるからです。 自治体の首長が市町村別結果の公表を教育委員会に求めていますが、教育委員会が抵抗しているようです。大分県の教育委員会汚職で明らかになったように教育委員会の顔は生徒ではなく、教職員ギルドの方を向いているからです。 トップの成績を収めた福井県、秋田県は県独自の教育システムを構築していますから、全国から見学が絶えないようです。同じ県内でも好成績を上げた市町村にはそれなりの教育法があるでしょうから、他校も取り入れるべきです。 序列化はむしろ子供たちの教育を受ける権利を擁護するのに資すると思われます。決められた公立学校にしか進学できないシステムですから、私立校への進学希望者が激増しているのです。教育の格差が広がるのも無理はありません。 教育の機会均等は能力に応じた教育を受ける権利を保障するものですから、公立校の教育レベルを上げなければ格差は拡大するばかりです。ゆとり教育時代の教科書の内容では優秀な子供から高等教育の機会を奪ってしまうからです。 子供たちの学力が二分化されているようですが、それだからこそ優秀な子に実力をつけさせるか、落ちこぼれている子供に学力をつけさせるかが議論されてしかるべきです。格差に応じた教育をする視点が欠けているのが残念です。 団塊の世代では教科書を自習するだけでも有名大学に入れました。少なくとも共通一次レベルの学力を身につけることはできました。学習塾、家庭教師などは特殊な人たちだけの世界でした。自己の才能と努力のみの世界でした。 しかし、学力テストもあったこの時代の教育水準は世界のトップレベルでした。自己努力が優先した時代は受験競争が厳しかったからこそ教育水準も上がったのでしょう。受験教育が否定されたから、教育水準も下がったのです。 グローバル化された社会は必然的に格差社会をもたらします。創造的な仕事ができる人とマニュアル化した仕事しかできない人との間では格差が生じるからです。国際競争に勝つためには創造性のある人材が必要とされるからです。 日本の未来のためには上位に区分される子供たちの能力を伸ばすことが必要なのです。いわゆる平等教育は子供たちから向上心を奪います。駆けっこで差がつかないように手をつないでゴールする国は国際競争から脱落するだけです。 教育格差は優秀な人材の補給には役立っているでしょうが、本当に優秀な田舎の天才を排除してしまいます。公立校に優秀な子供のための選抜クラスを設置することが必要です。全国から秀才を集めるシステムが国に必要だからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/09/19 08:02:29 PM
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