精神保健福祉士新人研修会での講演
高知県精神保健福祉士協会の新人研修委員会から丁寧なお礼状を頂きました。8月26日(土)に行われた新人(経験3年未満)研修会で精神障害者から見た精神保健福祉士像について1時間くらい話をさせていただきました。 新人と聞いていたので座談会のようなものを連想していたのですが、20名近くの出席者があり驚かされました。昔は各病院に1人か2人のワーカーしかおらず、県下のワーカーを集めてもこれくらいの人数ではなかったでしょうか。 私は昭和24年金沢生まれの57歳ですが、35年前に京都大学を卒業し、原子力発電所の環境アセスメントの仕事についたこと、鬱病を発病したこと、準公務災害扱いで退職したこと、アルコール依存症になったこと、22年前に金沢から高知の断酒会発祥の地、下司病院へ入院したこと、西風の会を結成したこと、東京神学大学に進学、卒業したこと、日本キリスト教団教師任職、高知教会伝道師、妻眞知子と結婚、香美教会副牧師、瀬戸キリスト教会を開設、同副牧師(眞知子が主任牧師)に就任したこと、パキシルの服用により健康に近い状態になったこと、脳のリハビリとして読書、ブログの世界に親しんでいることを話しました。 私の人生の軌跡はエリート公務員から鬱病、アル中、離婚、離職、どん底体験、断酒、アル中より回復、牧師、結婚、教会開設、パキシルによる脳の機能の回復とU字カーブを描いて上昇し、最初より高いレベルにまで上昇しました。 私は下司病院で院内飲酒をして瞳孔が開き、血圧が0になりましたが、息を吹き返しました。その時に神との出会いを体験しましたが、断酒人の体験発表を聞いていると何らかの神秘的な体験を経験しているように私には感じられます。 下司病院の院長の息子、医大中退の下司さんがワーカーのような働きをしていました。私の入院生活、退院後の生活、神学校への進学を強力にサポートしてくれました。大学の休みの期間は下司病院で過ごせるようにしてくれました。 神学校で紹介された精神病院は閉鎖病棟のある病院で、体調を崩した私を強制的に入院させようとしました。事務長に連れられて帰高しましたが、トリプタノールの注射をし、一晩熟睡したら回復しました。 下司さんから東京の先進的な診療所を紹介してもらったので神学校を卒業することができました。一人の精神障害者が社会に復帰し、社会的な地位につくまでには下司さん以外の多くの人たちの具体的な支えと祈りがありました。 牧師になっても寝たり起きたりの生活を続けていましたが、5年前にパキシルに出会いました。パキシルは私の体質に特異的に効き、脳は30年間の休眠状態から目覚め、機能が回復し始めました。脳のリハビリとして一週間に3,4冊の本を読み、毎日ブログを書いています。 多くの精神障害者は日常生活に多くの助けを必要とします。薬がいかに効いても生活習慣が改まらなければ症状は改善しません。医師、看護師、臨床心理士などの医療側の働きは、精神保健福祉士がいて初めて有効に機能するのです。 精神障害者の日常生活を支えてくれるのは精神保健福祉士です。医療、福祉の現場での働きが社会的に認知されていない面も感じさせられますが、私たちはいつも感謝しています。ノーマライゼイション社会を支える働き手として、これからも精神障害者のために働いてください。精神障害者として生きる, 西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP