スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

コートダジュールの結婚式

プロローグ
 
 自分のその歳の丁度半分の時のことを思った。普段は滅多に思い起こすこともないが、突然、脈絡もなく過去の一部を切り取って読み込んでいるかのように逐一思い出すことがある。多分、知らずのうちに生き方の一端を支えているに違いない。漫然とした中で高校生という時の「なぜなにキーワード」が浮かんでくる。我ながら、意味のない言葉をよく覚えていると思う。例を列挙。
 台詞;道を開けろ/らりぱ/速攻ダーク/じゅずる/がった/ゾルゲルモル/きばっていけよ/ちょっとだけ泣いた/ノート会/ハクいナオンとぎんなんちぎってフィーバー/ボクシングゲーム/白衣の恐怖/しずかにしなさいよ/背中が泣いている/針金靴ソーティ/パンダ焼20円/水郷
 氏名;がった/ピーナツ/亀/放火魔トミー/もさわり/かす/一匹羊/の鼠/せぬっち/スイマー/つるしがき/ピロチ/釣キチ/アアアアア/坊主/心斎橋ワタル/チャイクロ
とまあ、こうやって第三者には意味のない言語の羅列を、深く共有できてしまう所に、仲間意識を生み、大きくは意識しなくとも世代意識を生むものなのだろう。これって、他者とは違うけど仲間内では同じさ、という伝統的村社会的発想じゃないすか。
 何だか、永らく「懐しさ」ということを忘れていた様な気がする。少しばかり後ろ向きの言葉の響きがあるが、考えてみれば、ひたすら前向きに生きていくことに脅迫されている社会の様な気もする。少し道草を喰う時には、各種の基礎部分を思い起こしてみて、少し考えるふりをするのも悪くはないかも知れない。葉巻をゆっくりくゆらせながら、地球儀をしなやかに回し、人さし指でピタリと止め「うーむ。エクアドル」とでもいってみるような気分で。
  そんな言葉を共有する親友の物語はじまりはじまり~。


 その日
 
 午前3時に家に帰ってみると、暗い居間の机の上にボオっと見える白い紙を発見した。それはその男の勤務する広告代理店の社内メールか何か通達を流用したとしか思えないファックス用紙が、ついでのように1個人宅へ舞い込んだもののようであった。
『5月14日に結婚式を挙行します』とワープロで記載された案内文の横に見覚えのある象形文字にまんべんなく近い文字が添えられていた。突然ですがちょっといってきます、と。それまでほろ酔い気分だった私は更に自然的酔いが加算され、酔い加減9割となった状態で「やられた」と唸った。実は唸る前に「なにぃ」と大声で青春漫画調に叫んだ。そのことは誰にもいわないで欲しい。2階で7割方眠っている嫁(現在NY在住。離婚済)を5割程起こしてしまった様だ。
 急遽、2階応接間をポジティブシンキング部屋と名称を自分で勝手に変え、今後の傾向と対策を6通り程考える。何を考えているかというと、親友に驚かされやられっぱなしという「どーでもして」状態では私はちょっとだけ我慢できなかったのである。姑息な仕返しをしなければということだけが頭の中を回らずに前頭葉辺りに頓挫しているのであった。実は初めから、仕返しには一つのことしか頭に浮かんでいなかったのである。下品に花束を投げることしか。
 結局、一晩考えて、という筋書であったが、どんなに悩んでいても眠たいときは寝てしまうという昔からの私の大原則に従って、8分後にはレム状態へと陥っていた。
 
 次の日

 仕事で大阪と京都と滋賀と東大阪に行かなければならない強行軍である。
 名神高速道路のパーキングエリアから旅行代理店に空席状況確認と価格確認の電話する。隣で電話するにいちゃんの声が大きくて下品だ。その時、「こんな国ィはヤダね」と落ち着きを無くし、一瞬にして行く決心を固めた。
月曜にならなければ航空会社が休みなので正確には分からないとのこと。家で相談するも、「行ってきな。とだけいう私はパートナーでしょ」とのこと。それだけではない。背任行為の片棒をかついで頂く必要もあった。もう13年前に亡くなった配偶者の父の父を、もう一度急遽亡くなってもらうという計画は、実質の旅行日程と虚偽の申告日程を並べて書き出し、電話は一切取らないというところから始まった。神風は私には吹かないが、隙間風に乗るのはうまい。

 4日目

 睡眠時間1時間で時差調整を勝手に終え、通勤ラッシュにもまれる。背広姿に紛れると、ついつい罪悪感は優越感へとすり替えられていく。「やっぱり君はサラリーマンじゃなかったのね」という居間からの見送りの言葉がひどい流血のごとく流れていく。いつもはこの人達リーマンと同じなのに一歩離れるとみんなモアイの様に見えてしまうのは何故かしら。 時に、必然として我々はドラマが必要だ。一人、家族、集団、国家とそれぞれ物語を確立しなければ存続し得ない。少し、突飛な行動は私の存在証明であり、物語であった。自作自演の物語に自分自身が束縛され、それから抜け出すつもりがまた同じ物語を量産していく。ここ1年で3回ヨーロッパに行ったけど、帯各航空会社出発時間が昼前後と似通っていて、家を出る時間まで同じ様なもので、空港では本屋に2階に空いている東京三菱銀行と飛行機待ち時間にすることも同じでちょっとだけ寂しい。
 往路は往々にして退屈きわまりない機内も隣人との話に雑誌撒き散らし読みにに熟睡が手伝ってくれて12時間を乗り切ってオランダ、スキポール空港へ。
 
 2時間30分待ちなので、空港から列車で20分のアムステルダムまで1時間ほど散歩に出かけることにする。1年前と同じ方法で繰り出せば問題ない。空港地下にある駅はちょうどいい暗さだ。不自然に明るすぎる日本の地下鉄や地下道に慣れてしまっているので、少しばかり犯罪と退廃の匂いがする感じのところがよい。実際に犯罪がおきてもらっては困るのだが、人々の顔がなし崩し的に緩んでいるどこかの国とは違う。
 そんな訳で、知ったかぶりして列車に乗り込む乗り、勝手に渋めに流れ行く景色を見ていると検札があり、悠然と切符を見せると、間違ってレジデンス(居住者)向けの切符を買っていたようで、容赦なく切符は没収。1ギルダー安く買っていたので、その追加をとればいいという甘い考えは通用しない。常に言い訳問答無用の没収。皮の鞄に私の黄色い切符がスッと収められ、2倍の料金をとられる。少し成熟社会にむっとした。あまり外国人という考えは薄く、改札はないので自分の責任で勝手に正規の切符を買って乗り込まなければならない。検札も半分もないのではないだろうか。車掌は怒る訳でもなくモラルを責める訳でもなく淡々と大型切符に文字を書き込み、プイィと私にそいつを手渡した。次が終点のアムステルダム駅なのにまだ緑が続く風景をぼんやり眺めるふりをして、早く周りの乗客の関心が他の所へ行くよう密かに願っていた。振り向くじゃねぇ。まるでバイクに乗っていて、無情にも追い越されて、振り向かれヘルメット越しに「ヘヘン」と鼻で笑われた時に感じる重苦しさと同じだ。
 
 運河も凍る零度を大幅に超えた季節に行ったのとうって変わって、人が外に溢れ、何をやってんだか分からないぞぉ、といった道端突き立ち人口割合がやたら高く思われた。パリと同様に黒人が割と多い。30分無意味に歩き回った。いっちょ何かや何やらを仕入れてフランスへのお土産にしようかとも思ったが、カモフラージュして来ているので、日焼けとトラブルと羽目はずしは控えなければ、という優等生的自制心で、密かにヒソヒソ、存在感のない空気人間にならなければいけないなあなど思い直し、そんなこと考えていると時間もなくなり空港へ戻る。
 
 この空港も世界有数の優秀空港なのはいいのだが、時間だなと思い、ゲートへ向かうのだが、これがやたらめったら遠く、2分程の迷いも含め約10分の月日が流れ、出発定刻3分後にやっと飛行機に乗ることができたという次第であった。隣のフランス人が「いい天気だね」といってワインを飲んだ。おかわりワインもした。リキュールも頼んで、氷で割って飲んだ。こちらもハイネケンビールを飲んだ。225・の細くノッポな缶で驚いた。アルプス越えはそう驚かなかった。9時頃まで明るかったのに一瞬の睡魔に襲われて5分が5秒で経過したと思われたとき、そでに外は暗くなっていた。1時間45分が経過し、海の上を飛んでいるのに気がついた。左一直線に明りが見えた。「見よ、あれがニースの灯だ」とはいわなかった。バルセロナと同じ光景だなあと思うと、そういえばまあ地中海に面して西へずうっといった所だし、ニースもバルセロナも神戸と提携都市だから、もしかしてニースとバルセロナも姉妹都市かも知れないなんて思っているうちに、海に沈むように着陸した。

 実はニースも1年ぶりである。実はニースではタクシーに乗りたくなかった。何か、前に結構ぼられた様な気がしたからだ。しかしバスは終わっていた。学生時代のどうしても空港からタクシーに乗らなければならない時の法則は、空港から一般道までひらすら歩き、そこで流しのタクシーを拾うことであった。マニラ、バンコク、カルカッタ、ラホールなど。そうしようかとも思ったが、再度、水中の陣?でタクシーに挑む。
 結果は前と同じ様なものだった。どうやらニースはタクシーが高いのに加えて、空港何やら料金が加算されていると、真相を突き止めたのは翌日のことであった。
 前に来た時は昼間で、まだ見ぬサンフランシスコを映画やテレビの影響から思い起こしたが、今日は夜、マニラの海岸沿いのロハス通りかボルネオ島の川沿いの街クチンを彷彿させた。
 ホテルにつくと11時前。夜も遅いので、1年前と同じホテルへ。「1年前にワイフと来たんだけど」とイタリア系のオーナーにいうと、しきりに「俺を覚えていてくれたのか。本当に俺だったか」といわれ、「そのとおり」と自信もないのに自信たっぷりの顔をもって答えると、「アッ、思い出した。元気かい」なんて嘯かれた様な気がする。まあいいけど。
また訳の分からない散歩を30分程した後、眠る。気温は変わったが照明の光は変わらない。


5日目(1997年5月14日水曜日)

 「ここはどこ」状態で目覚めること朝の6時。旅先でときどき訳の分からない夢に惑わされて、実感のない目覚めをする。そういったときは、とにもかくにもすぐに散歩をする。何故自分がこんな所にいるのか分からない状態の浮遊感を味わえる。特に変な時間帯に、つまり夕刻に眠ってしまい、8時や9時に起きた時に起こった状態は楽しい。夜の雑踏を寝ぼけながらさまよい、土地の臭いを無防備に吸い込む。そんな日のそんな状況を私は覚えている。10年前のパキスタンはアフガニスタンに程近いペシャワール、シンガポール、アテネ、イランの古都イスファーンなど。

 それにしても、こんなに早くまたニースに来るとは思わなかった。再訪した場所には知り合いがいた。だからまた行きたくなるのだった。観光はいつもどうでも良かった。反面、緊急なら24時間あれば、世界中どこへでも行けるという妙な自信が横たわっていた。1週間前の今日、「仕事が珍しく忙しく、来週休める日があるだろうか」という心配をしていたことを思いだし、勤め人だからできたことなんだなと、感謝した。独立した自由業は不自由業でもあると認識した。会社員は企業というオブラートで包んでもらっていて、企業というクッションを経て友達以外の他人と接している。よく企業なんていうのは、一人いなくなっても回るというが、その通りだと思う。有能な人が欠けると一時的に仕事が滞ったり、質の低下を及ぼしたりするだろうが、まあそのうち回るとは思う。中にはその人しかできないものや会社自体が傾く場合もあるだろうが、まあ、「私がいなければ」と思ってしまう様になれば、その私は終わりだろうな、と思う。植木等の無責任シリーズは傑作であると思うよ。
 
 6時に(既に明るい)寝ぼけたまま、海岸通り(プロムナーデデサングレ)を歩く。ジョギングする人々や犬の散歩人間たちと擦れ違う。何を隠そう私も中学高校時代は陸上部だったのだが、今や結構ジョギングなど運動に対して懐疑的気分でいる。高校を卒業して半年後、私はフィリピンの避暑地というバギオにいた。第三国で運動をしている人を見て、何やら違和感を覚えたことがあった。エリートにみえたのだ。食うことでなかなか大変な人々が多い中、体力を無駄に消耗させる運動をしている人。それ以来、何故、運動するのか分からなくなっている。体を鍛えるために運動を、そして他人と協力してするのが苦手なので陸上をしていたのだが、もしかして過度の運動は体に悪いのではないかと思うようになった。知らず知らず、当時はランナーズハイという言葉も知らないで、結構、長距離を全速で走って苦しむことをどこかで愉しんでいる自分があった。快楽主義傾向の私がいうのも何だが、気持ちいいというのは割と危険なことではないだろうか。苦しみを紛らわすために脳から麻薬性物質ドーパミンを流すのだから。スポーツや体のプロポーションの維持を仕事としている人は大変と同時に何か気持ちよさそうだ。しかし本当は、体力がなくなって言い訳を作っているだけだった。人間は何万年という飢餓の時代を超えてきて元々体は飢餓様に出来ている。だから太るのだ。世界の何割もの人々が食い物に不自由しないなんて歴史上なかった。まあ訳の分からない言い訳をしているしている。

砂浜を眺めると、子連れのビキニ姿の人が早朝から日向ぼっこ。「私はしたいことするの」と自己主張激しそう見えたがこんな人ならお友達になりたいなあと思って、ポケェと見ていた。少し汚れ目のマルチーズを連れたじいさんも意味もなく私の隣で足を止めて眺めていた。南欧の太陽とのコントラストはなかなかいいものだった。しかし、2月の光はもっと良かったんじゃなかったかなと思った。確か黄色っぽい光だった様な気がする。それは多分に寒い日本やオランダから急に10度以上の春っぽい暖かさを感じることができたからなのかも知れないが。往年の芸術家が光を求めてやってきたというのはあの時よく分かった。そして、今回分かったことは、凡人ではこの心地よさの誘惑に負けてしまうのではということ。「いい所だね」だけでは芸術家には困るのである。自分の心のうちとこの地に降り注ぐ光とのギャップか、光との相乗効果を爆発的に発揮しなければならないのである。精がでますねぇ、と私は思いながら、早朝から海岸で体を焼いている親子と、100mぐらい先で浜辺へ降りる階段を掃除している市職員達(か、その請負業者)を微笑みを以て眺めている。  
 9時からはお土産と称して家庭用品を急ぎ足で買う。前にも来たお気に入りの店で、今家で使用しているオリーブ柄のテーブルクロスの色違いを買って、その斜め前の店でカフェオレ用の黄色いカップをご飯用茶碗として使用するために購入。まだ、私は買物が苦手のままだ。モノを増やすことに抵抗がある。でも、ほんの時々だけど、モノは私を呼んでくれる。そういうことを少しだけ学習しだした様だ。(でも最近、海外にいっても最後の日にスーパー等でレトルトや生パスタやハーブやスパイスや茶等の食料品ばかり買っている様な気がする)

 10時。ホテルで着替え、ホテルのオーナーに「この街一番の花屋を紹介しておくれ」とブコウスキー風に頼んで、教えてもらった花屋に寄り、市庁舎の前のカフェに陣取りビールを一杯頼むこと10時25分。
花については、彼が前に蘭展を企画してもう蘭に飽き飽きしているだろうから、皮肉を込めて蘭を中心にしてブーケ調に作ってもらった。というよりフランス語と英語の適当なやり取りで、そうなってしまった訳で、店のオーナー(か店員)はもしかして私が結婚するのかと最後まで思っていたのではないかという疑惑を抱きつつ、「ちょっと待てよ、別に皮肉を込める意味なんて何もなかったではないか」と思い直し、ちょっとだけシュンとした。オーナーのおばさんらしき人が注文を取りに来た。再度、英語とフランス語で何となく意味の通じる会話を3つ程交した。花を褒めてくれたこと、今日はお日柄がいいこと、あんたところでこの椅子座って、ただ式を待っているだけなの、それとも私ところで何か注文する訳?ってこと。一つ向こうの親父はシリアスに新聞を読み、その向こうのばあさん二人組はイギリスかドイツあたりから観光に来ているようで慣れない動作で椅子に座って、密かに楽しそうにヒソヒソ話をしていた。

ニース市庁舎 ニース市庁舎

そのうち私は、本当に市庁舎で結婚式なんか挙げられるのか不安になり動揺し、市庁舎に入った。そして各フロアで「結婚式はあるのですか」と尋ねた。
「うーん私はあなたの英語が分からないわ」といわれた気もするし、「うーん、日本人がここで結婚式をするなんて聞いてないわ」といわれた気もする。しかし、本当は、何でこんな役場の事務所で結婚するとのかという不安の顔をされていたのであった。最上階に行けばそこは市長の部屋で、受付で「結婚式場はどこですか」とまだ馬鹿の一つ覚えで質問している私に秘書は、困惑していた。それっきり。
とにかく私は急いでありとあらゆる可能性を考えようとした。「もしかしたら市庁舎の式場というのが遠く離れた別館にあるのではないだろうか」「だいたいこんなところで式を挙げているのをこの1時間見ていないぞ」「今夜はニース中のめぼしいホテルの宿泊客をフロントで聞き回ったり、街中を無意味に探し回らなければならない羽目に陥ったのでは」「なぜ誰も彼等の結婚式のことを知らないのだ。やはり市庁舎の持つ教会がどこかにあるのだ」「もしかして心斎橋ワタルはアメリカのテキサスにパリがあるように、メンフィスがあるように、アメリカ合州国のニースというところにいるのではないか」「もしかしてファックス自体が裏をかいて嘘だったのかも知れない」「もしかして彼自身の存在が幻想だったのかもしれない」と思って外に出ると、すぐ横に何か英語から類推して「結婚」をイメージさせる文字が石の壁に刻まれていた。中は誰もいなくてひんやりしていた。結婚予定リストの様なものが貼っていた。名前はない。ここに違いないと確信したが、もう10時55分である。あと5分のはずである。

 ひとりのフランス人女性がこちらに向かってやってきて何やらフランス語で話しかけられた。困惑した顔をすると英語に切り替えてくれたのだが、どうやら彼女は私のキャサリーンハムネットの白い服を見て私が新郎と思った様である。私を中に招き入れ、ノートを見せて「ここにサインするのよ」といわれた。「あのぉ、ぼかぁ友達なんです」と馬鹿面さげていった。彼女は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに笑顔に戻り、「いいのよあなたもサインしたら。これ誰がサインしたってもいいの」と何やら言い訳のようなそうでもないような返事をした。「花束はこの机の上に置いたらいいわよ」といわれた。置いたちょうどそのとき何やらざわめきと共に予感が走った。「直接花は渡すよ」と彼女にいい、外に出ると、リムジンが止まり、何やら人が出てきた。事態は進展した。時は来た。
「よし出番だ」と思いながら、歩いていくと、少し私は震えていた。先程から考えていたエスプリな言葉が全部吹きとんでいた。キザで下品に花束を投げるつもりだったのだが、正直、分かった。酷い自分が。たぶん、自分が自分に酔うためにここに来たことが。少し情けなくなりながらも、大義名分を作ってニースまでやってきました。
 花でかわいらしく飾った車から高校時代の親友心斎橋ワタルが出てきた。その横では始めて見る新妻メルの花嫁姿を目撃した。はっきりいって私より緊張していた(当り前か)
「気付けよー」
と沈黙に耐えられない軽さにポワっと発声した。否応無しに彼に入ってくる莫大な情報量の中で、少し反応が遅れて日本語を拾い上げたようであった。彼は驚いたというより日常を取り戻した様で、少しほっとした感じの顔になった気がした。「こいつ遊びにきたな」と瞬時に見破られたようでもあった。ちょっとだけ彼の強ばった顔が緩んだ。
 メルは、その前から、道を遮る日本人ぽい私に気が着いていたようである。あなた気がついてあげなさいよ、と心斎橋ワタルの横腹をつついた。それが、恐らく二人の初めての共同作業であったのであろう。

 この時期、列車で2、30分というカンヌでは映画際が、モナコではサーキットが行われていて、にぎわう季節の様だ。その中間にあるニースはぽっかり空いているからなのか、私の情景なのか、この状態なのか、天気のせいなのか、台風の目の中の様に静かなのであった。それとも彼や私がクソ暑い上着を羽織っていたから、その暑苦しさが音を吸い取ったのかも知れない。静かだった。小さな中庭の小さな噴水の前で。
 本人たちとご家族とに交じって最前列に立ち尽くす。錯綜とは。決断とは。
 
 
 プロバンス色と勝手に名づけている濃く淡い黄色の市庁舎の壁に二人は並んだ。そして、中に入り儀式を行った。副市長が執り行ってくれた。宣誓に「ウイ」ってフランス語じゃなくて「アイ」っていってもよかったんだよ、と優しくいった。Hは黙字だが、彼は「はい」という言葉を知っているのだ。なんて直接的で肯定的な言葉なんだ、と思っていたら、例のおばさんが「ほら、トモダチ、あなたもノートにサインしなさい」だってさ。アイの賛歌だ。メルの両親、何故だか海外結婚式編集雑誌ライター及びカメラマン、そして電撃乱入の私とアジア人比率はまあまあ高かった。
 
 その後は市中引き回しの刑である。市民も団体観光客もサッカーをする子供も通行人も犬もギャルリーラファイエットで買物をする人も店員も車を運転する人も文句なしに祝ってくれる。観光客は写真を撮る。そこに居合わせたということは、即ち、その人達もハッピーなのだ。参加者としての私も、また喜びを与えてもらったようで嬉しくなる。感情というものは溢れた分は他人に影響を及ぼす。

 そういえば、私にしたってそうだった。ニューヨークの何だっけ茶屋町アプローズが見本にした所での結婚式やアテネの教会、散歩途中で居合わせて拍手した。インドのジョードプルではホテルのバルコニーから風景を眺めていると、結婚式の行列があって、思わず「来い来い」と手招きされて行列に加わった。それどころか専属選任カメラマンを急遽命じられたりする。でも日本では、通りすがりに見かけても、ちっとも空気を共有することがない。実は、私の家の斜め3件隣りは結婚式場で休日には、よく教会の扉から出てくる姿を見かけるのだ。申し訳ないけど何故こんなダサい所で式挙げる訳なの?という疑問が先にたち、憂鬱になってしまうのだ。ごめんなとおりがかりでも拍手できずに。狭い心で申し訳ない。

 ホテル前に到着し、リムジン運転手がボンネットに貼っつけてあった花を、へばりついたガムを真顔で剥がす様に真剣に剥がし、振り向きざまに笑顔で手渡してくれた。もう二人の両手は花でいっぱいで私が代理人に急遽勝手になり、受け取った。

 さて、式と刑はお開きとし、滞在先ホテルの屋上、プールサイドのレストラン、大型アンブレラの下、飲み物を頼む。心地よい太陽と飲み物とが加算され、リラックスした状態に入る。これに時間制限がなければ、幸福の馬鹿になってしまう。気の合う仲間と南国のビーチで過ごした頃、1日中テラスに座っているのだが1日は3時間ぐらいで終わってしまった。ここでも「さて行きましょう」といってくれないと、心地よさで目が死んでしまうよ。ホントどうやって芸術なんか生み出すのだろうか。ミロ、ブラック、シャガールに聞いておくれよ。
 快楽は敵だよ。気のいい仲間に気のいい時間に気のいい気温に気のいい空間。堕ちる。

 ワインを飲んでもいい昼下がり、軽い食事のつもりが多少、重めの昼食に突入。バス時間調整のためニース一高いホテル「ネグレスコ」へ。ここで一杯するのが、今回の課題の一つでもあったので、二人を若干強引に誘惑するという形になった。ドームの塔屋が見えているが、日差しはきつく、えらく遠い様に感じられる5分少々の光景であった。擦れ違う人々は、この二人が今先程式を挙げたことに全く気付く筈はなく、そしてホテルのカフェの初老のウエイターも慣れた手つきで何事もなかったようにビールを運んで来た。このホテルはエッフェル塔を作ったエッフェルが作り、王室御用達、サガンやヘミングウエイ、コクトーらの常宿でもあったらしい。ドーム中央には1トンを超えるニコライ2世が発注したシャンデリアがかまえる(ロシア革命で発注しぱなしになった)
ネグレスコ


 バスで50分のサンポールドバンス村(鷹の巣村。シャガールが亡くなった村だ。)に向かった。
さんぽーるどばんす


ここから山に向かって10分程度の所に財団のマーグ美術館があって、雰囲気がよろしくて、「俺の好きな美術館敢えていうとベスト3に入るな」と捨て台詞を吐きたくなる様なのんびりできる美術館で、是非是非と二人にも勧めてやってきたのだが、入場制限時間を3分過ぎており、切符売り場の恰幅だけはいいおばちゃんに冷酷にも断わられた。「あしたきなさい」といわれるが、「はーい」と答えられるような時間だけはある学生旅行とは違うのだよこちらは、と言いがかりの一言でもいいたかったが、先程まで実は結構のんびりしていたので、自分たちのことを棚に挙げて要求だけするという訳にもいかないという良い子的精神が働き、柵の向こうの芝生にたたずむミロの赤いキリンみたいな創作物に見送られながら、来た道を、15度ぐらいうなだれて下って行く。ジャコメティがいる中庭で「いいでしょ」と自慢する予定も泡の彼方へ。
 http://www.maeght.com/musee/index.html
サンポールドバンス2

 一体、我々は何のために高い金を出して遠くまでやって来ているのか。それが写真や文章でみる情報の確認作業なら、それでいい人ならそれでいいけれど、そんなことだけのために足を運んだとしたら、、、いや旅行論の話ではなかった。そんなことは考えたくもなかった。自分の生活から離れて、他人の生活を覗見する。そうでもない。旅は長引けば長引く程、生活になっていく。そして印象と感想は混泥の中に。ここに来れば、いつまでもカフェでのんびりしたい気になる。
今まで気の合う知人とはビーチで腐って白痴化していくのが好きだったが、こういう小さな村でのんびりするのもいいと思う。ところで、日本でコカコーラは滅多に飲まないのだが、海外では結構飲みたくなるときがあるのも不思議だ。

 早朝から繰り返して考えてみれば"ニースは好き"といえるのだが、こんなに早く再訪するとは思わなかった。というより、いつでも来る意思さえあれば行けると思ったからよっぽどのことがないと、もう行かないんではないかと密かに思っていた。それは会う人がいる訳でもなく、大げさな意味でなく出会いがある訳でもなかったからなのかも知れない。性格上か経験上か人的ハプニングのある地域でないと心の内なる揺さぶりが薄すぎるのかも知れない。トラベルイズトラブル、それが基本方針なのかも知れない。不安と祈りの中で、駅やバスターミナルで誰かが私を誘ってくれる受け身の連続。ホテルには帰らずに誰かの家に泊めてもらったり、気のあった旅行者のホテルや滞在先に泊まったり。知り合った人のひとことで急遽行き先を変えたり、沈没していったり。大都市では、行き先の確認もなく一番に来たバスや路面電車に乗ってみたり、タクシーやリキシャーには「君がお勧めする所まで」とか、幾許のお金を手渡し「さて、行ける所まで行っておくれ」とか。行方不明の状態を十分愉しむ。そんなことを言っていると時間もたち村の入り口に行く。
何故か最終バスはいくら待っても来ず、最終バスはなくなったことを薄々感じ、得意のポケェ状態に陥る。すぐ近くで男性が女性の運転する車をヒッチした。うーん、これなら我々でも簡単にできそうだと思い、手を上げると運転手は申し訳なさそうに左方向を指差し左折してしまった。座席が空いていそうな車が通りすぎるのを待っているとタクシーが通った。その運転手いわく予約らしくて、携帯電話でもう一台呼んでくれた。新婚当日からヒッチハイクという事態に陥るところであった。実際、そうしても、それはそれで良かったと後で思ったが、思っただけだった。
 思い出というものを若干馬鹿にしながらも、結果的に思い出は思い出として残っていく。曲がりくねった道を気分悪くなる程の高速で突き抜けて行タクシーと、通じないと分かっているのに執拗に語りかけてくるクレイジーなドライバーとの確執の中で、ヒッチして帰らなかったことを曖昧に後悔した。ニース市に入り、彼お薦めのレストランの前に止めてもらう。タクシードライバーの食う所安くてうまいところというのは、なかなか世界共通で、割と私も知らない街で食事をするのはタクシーか警察に聞く様にしているのだが、しかしこの界隈は、二人は昨日行ったらしいし、私も1年前に行ったのであった。おまけに腹の調子はというと、遅い昼食と先程のメリーゴーランド的運転のため、2時間後ということになった。新婦さんのほうは相当に疲れているようで、明日も早くに旅つので、そのままホテルで倒れ込む様な予感がした。もう1日でもあったらよかったのだけど、と私は勝手に思った。この2時間はやばいぜ、きっと起きることもないだろう、何も起こらないかも・・・そんな予感がした。
 
  ホテルに戻るとオーナーが「どうして日本人同士なのにここで挙式できるのだ。どうしてここなのだ」としつこく質問され、そういう難解な問に論理的に回答できる筈もなく曖昧に答える。また何考えてんだかわかんない日本人と思われたのではないだろうか。
 それから二時間。午後10時。私がうとうとするぐらいだったから、当然主人公の二人は曝眠中ではないか、と思い、おそるおそるホテルメリディアンに向かう。ノックをしたところで蹴り上げたところでドアの向こうは音沙汰なし。予想通り二人は出てこなかったので、フロントから電話で呼び出す。心斎橋ワタル君のみ目を擦りながらやってくる。メルは遂に立ち上がることができなかったようだ。ベッドに沈。
心斎橋ワタルは義理堅い奴だと思った。新婚当日にホテルに彼女一人というのも悪いなあ、と私も30%ぐらい思った。夜はこれからイエイエイエという訳にはいかなかった。少し古くさくなってしまったとしか思えない赤ワインを1本空けて、お開きとした。ピザかまどの近くに座ったのだが、それでも夜は半袖では肌寒かった。やっぱりメルをほったらかすのは悪いと酔っ払ったら40%ぐらい思った。

6日目

 目覚ましが鳴り、わざわざ5分先に再セットして眠り、また目覚ましがなり、を何回も繰り返す。まるで会社に行くごく日常的な光景ではないか。夜の旧市街を密かに散歩する予定も眠気に勝てず、朝のふらつきに決めていたのだが、やはり眠気には勝てず。彼等は早朝の便でギリシャはサントリーニ島の方へ行ってしまった様だ。私も最初は早朝便だったのだが、眠たいことを予期して4時間後の便に変更したのだった。彼等はタフだなあ、さすが元陸上部の人達なんて思うのであった。あっ、私も陸上部だった。何となく二人を見て、(パートナーのメルは初めて)自分のことを思い出して、何故くそしんどいだけと思われる陸上部にわざわざ入部したか確信した。皆と力を合わせるのが苦手か好まないのだ。勿論、当時はそうと考えていなかったかも知れないが、自分の結果は自分の責任でしかないということは分かっていた。心斎橋とは高校の陸上部の同輩だ。そういえば、昨年に結婚したこれまた高校陸上部の友人スイマー水郷の結婚式場でも大学時代に行ったニースの写真を見たことを思いだし、何か関係あるのだろうかとしばし夢に自問させられたが、出発の時間も迫ってきたようで、仕方なく起き出し、荷物をまとめて「いつもパッキングする日がいつかはやってくるんですね」と遺言をつぶやきながら、チェックアウトしてバス停に行く。20分に1本の様だ。遺言と私が勝手に決めているだけで、それはチベットの話なのだけど、私の友は南アフリカの隣の国(南アの中に囲まれた国)レソトで交通事故に遭って死んでしまった。急に、私は海岸通りに備えられた椅子に座って、昨日が愛でたいイベントであったのに、彼のことを考えていた。私は彼の事故現場まで半分ぐらいの所に来ている。外に出ると、どこかで、私はセンチメンタルを感じずにはおれない体質なのかも知れない。
 呆然と空港行のバスを待っていると、自称チェコ人のパンを買う金をせびられた。理由を長々と話したが、その理由はやたら個人的で顔が情けなかった。

 空港。私は思い出す。かつて私のパートナーはニューヨークで勉強をしていて、マックで宿題をしていると、幼い黒人の子供が一人でマクドナルドに入ってきて、黙って彼女の横に座り、「ねえ、おねえちゃん、僕のした宿題、先生に間違っているっていわれたんだけど、どこがおかしいの?」と尋ねられ、一緒に辞書を見た、という話を脈絡もなく思い出し、感動的な光景であると思うと同時に、何でこんなことで感激してしまうのかと思ってしまう。考えれば、お世話するよりお世話になっているほうが圧倒的に多いものでうから。そういえばアメリカ文化に抵抗するフランスといっても、ニースにだってマクドナルドはある。1年前、フランスのマクドナルドの味はどうなっておるのか、と銘打って入ってみた。結果は忘れたが、そのマクドナルドの入っているメリヂアンホテルに泊まっていたのが何を隠そう新婦新郎とその新婦の両親なのであった。二人はメリヂアンホテルはいまいちだと思っていたようだ。きっとサントリーニではいい思いをしているだろう。
飛行機は、またアルプスを超えて行った。

7日目

 アムステルダムをフラフラ歩いていると、通りでたむろしている人が結構多い。人種も多彩だ。1日ロッテルダムかデンハーグに行こうかと考えていたが、おおよそ目的のない散歩を楽しむことにしたら、これが止まらない。歩いている間にも考え事以外に実に瞬間的に多様なことを考えている。次の角でどうするのか、ショーウインドを見る為にどう止まるのか。まあ、せっかくだからゆっくりさせてもらうよ。
 まあ、今回のアムステルダムは、チンピラ出身風の宿屋の若旦那とチェックアウト時に握手して終わった。それにしても、世界有数の自由な国だ。


 家に帰り、一通り今回の行動を報告すると、「結局、キミは邪魔しに行っただけなのね」といわれた。「勿論、そうに決まってるよ」と私はいった。
それより、明日会社に行くのが少し怖かった。




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