スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

ボルネオ島1

 シンガポールの安宿では酒盛り決起大会が挙行されるのだ。


団体旅行はつらいものがある。何せ団体で行動しなければならない。
メンバーは私、疑似隊長兼似非記録係。元水泳部員だけのためだけに選出された副隊長兼会計、K。荷物をできるだけ持たせるためだけの装備兼渉外(バナナを買ったり切符を手配したりの折衝係)、H。医療兼食料兼奴隷のY。このナントも頼りない四人は、ボルネオ島で川下りをする為、日本でミーティングと称して何度も何度も酒を飲み、飲むだけで終わる日も多く、それでもバンコクからシンガポールまで荷物と共にやってきた。

団体旅行はつらいものがある。最年少Y(19歳独身学生)の全財産が六十ドルであることが判明。これからの日程を考慮しても、彼の完全破産は明白となり、残り三人は否応無しに民法上の破産管財人となり、彼を奴隷以下で取り扱うことを前提とし、彼の残財産の管理及び大いなる慈悲による我々の自費を無利子無担保で緊急融資するはめに陥った。我々の経済はネップ型経済計画案が提案され、集団農場型他力更生型人生案を採択することとなった。
 ペレストロイカ或いはドイモイまで、まだ四十年を待たねばならないのであった。要約すれば、我々の予算は二十五%削減され、税金の無駄使いの愉快はおろか、心のユトリのための曖昧な出費や、疲労回復のための快楽でさえ禁止されたのである。かいつまんでいうと皆、平等に貧乏になったのである。だから皆多分気づかないだろう、という作戦にでたわけである。今までは年齢別身分制度を廃し、じゃんけんに寄る民主主義的荷物運搬分担制を、奥井常時三十五キロボート運搬苦力に変更しようかという提案まであったのだが、何とか三人の愛とピースフルな性格によって撤回されたのであった。

落胆の中、副隊長兼会計のKが、いつもの口癖を発した。「こうなったら、今夜は徹底的に飲みましょう」彼の連呼する「こうなったら」はいつもどうなったのかさっぱり分からないのであるが、今回だけは一応の理解を示すことにした。が、しかし、その場合益々金がなくなる、ということについては一切考慮されていなかった。が、しかし、今回、彼の口癖が初めて開花したといっても良いであろう。自虐的ペーストもたっぷりだし。

 早速、我々は奇抜な建物の密集するメーンストリート、オーチャードロードを闊歩し、デパートの食料品売場に突入し、この旅最後と予測されるアルコール注入に哀愁を抱きながら、慎重に銘柄を選ぶ。度数と値段だけを集中的に検証していったのである。
それにしても、アルコールは、シンガポールでは結構高い。何度ものけぞりそうになったが、体制を立て直すまでもなく、厭世的気分が打ち勝った。僅かしかない金を削っても、酒や煙草などの嗜好品を衣食住以上に求める人間が何と多いことなのか、と嘆きながら、我々もその一翼を担っていることに気づかず、安宿のテラスにて酔狂。
 酔って品を落とすことは基本的に恥かしいかとではあるが、この超管理都市国家に対して密かな悪ふざけをしてみたい誘惑にかられて仕方なかった。既に張本人の奴隷以下のYは一人泥酔して寝てしまっているので、テラスに捨てたまま、夜中の街をぶらついた。アラブ人街とインド人街を通り、唾を吐けば罰金と書いてある前で唾を吐き、煙草のポイ捨て罰金との警告板に煙草の灰を擦りつけ、我々は立派な不良外人となった。秦はガムポイ捨て禁止の前で、体内過剰摂取物をコンクリートの大地に返していた。私も負けじと、彼らを待たせ、公園に行き、体内不要廃棄物を地上に点滴した。「俺も結構思想犯だろ」と二人にいったが、「多分、ウンコに思想はないですよ」と冷静にいわれる。「まあ、この国で反体制的発言をしただけで何年もぶち込まれている一般人がたくさんいるからね」と理由になってもいないいい訳をし、少し肩を落とした。

 シンガポール対岸のマレーシアの町ジョホールバルよりボルネオ島クチンに飛ぶ。

 爆発的にボートは速度を増す。デッキでまっすぐ立てない。Kと私の嘔吐物は、ほぼ水面と平行に口から漏れていく。車掌が改札に来て、このボートではないことが判明。そういえば、百メートル程向こうにも何か船が停泊していた様な気がする。我々は無駄な交渉したが、やはり無駄であった。予算は少ないので、頑張って船着き場まで満員バスに乗ってきたというのに、こうなったら、髪をなびかすいい男になるしかない。海を渡りラヤン河を上り、四時間半。シブ着。

 シブからミリまでの違法乗合いタクシーが一台呼び込みをしているのを発見し、早速、荷物を乗せるが、その前に間違えた切符の払い戻しを受けるために、港を東奔西走し、汗びっしょりの末に発見した事務所は、休日で敢え無く休み。我々四人はにわかダフ屋及び怪しい不良外人と成り下がって、かたっぱしから「ねえ、安く切符買わない?」と、声をかけまくる。旅行者、できれば、ねぎかも日本人旅行者は、こういう時に限ってまったくいない。結局、誰も我々の相手をしてくれず。乗合いをこれ以上待たす訳にもいかず、「おい、引き上げるぜ」と惨敗宣言し、後ろ髪を引かれながらシブを後にした。

 十一時間。ボルネオの道は急速に整備されつつあるようだ。この道も数年前までは存在していなかった筈で、少し古いガイドブックには船か飛行機しか、この区間の移動手段はないと書かれてあったのに、こうやって未舗装の道を頭をぶつけながら進んできた。乱伐された木と砂埃の中、一時間に対向車と擦れ違うこと数回。パンク一回。まだ通行許可されていないのか、検問で、近くの村から来たと証言させられたこと三回。食事三回。ただでさえ暑いジャングルの中で鮨詰め状態を十一時間、新興中都市ミリ。夜十一時。

ミリはブルネイの恩恵を受けているのか、サラワクの中では物価が高く、あまり愉快な町ではなく、美容院と称した女郎屋がやたらめったら見受けられる。我々は一人荷物見張番として、三人は方々にホテル探しに散る。しかし、夜中人海戦術操作も空しく、どこも満員。やけくそで、からかうつもりで、女郎屋を指差し、奴隷Yに指令を与える。「おい、あそこ空いているか聞いてこい」すると、彼は何も知らないようで、へこへこ女郎屋に消えていった。三分後「みなさーん。部屋空いてますよー」と誠、間抜けで眠たそうな無思想の声でいった。「あたりまえじゃ」と私は即座に呆れたが、まあ、マネージャーと交渉する価値はありそうだなと思い直し、中へ入っていく。出稼ぎに来ているフィリピン女性十数人。ココナツオイルと安っぽい香水の匂いが充満している。マネージャーとの執拗で笑顔の交渉の結果、我々は赤の絨毯、蛍光色の照明、ポツンとダブルベッド、ヌードポスター、重々しく毒々しい数々の行為を営んだ後の因縁の臭い、安物特有の石鹸の臭いという部屋を与えられた。我々は天使ばりのため息をし、正直三パーセント程ぐいいっとそそられたのは事実だが、三十パーセントは私たちどうなるのというワクワク感、二十七パーセントは愉快な体験満足モード、四十パーセントは純粋に眠い気分であった。あれほど、女性は結構ですといっていたのに、夜中ドンドンと扉が壊れるのではと思う程のノック。我々はしかとを決め込むが、交渉の最後に「ちなみに、参考までにいくらなのだい」と興味本位で尋ねてみたのが悪かったのかもしれない。


朝、うかがわしいライトの中で目覚め、堕ちたなァと呟く。度重なる移動の連続と一晩連続冷房と毒々しい部屋の空気にやられてしまった様だ。
大衆銀行という銀行で両替して、優雅にもテラスのある食堂で食事をうだうだしていると、バスに乗り遅れたことを知り、ブルネイ国との国境近くにある町クアラバラムまでの三十キロをタクシーで行くことにした。そこでは信じられない光景を目にした。運転手がシートベルトをしたのである。途中運転手は自分の家に寄り、何か短い時間で用事を終え、再度出発したが、すっとまたシートベルトをした。

クアラバラム。川幅約二百メートル。泥の河バラム河。左後方には、南シナ海が広がり、泥が海にまで、広がっている。木が伐採されるまでは澄んだ河だったという。根がないので、もう地表が雨に耐え切れず、土砂を流し続けているのだ。本来の海の色は遥か彼方にあり、水平線が空の色と交じりあやふやな状況を帯びている。
高速艇は、途中川沿いの村に寄り寄り、人や郵便物を降ろし、波飛沫を二メートル程上げながら突っ走る。川沿いには大きな穴が空いて、使い物にならない大木や丸太が何万と積み上げられ放置されている。二時間半、マルディ着。
ホテル数件。食堂十五軒。よろずや十数件のこじんまりした村。車も飛行場もある。訳の分からないうちに車に乗ると百メートル程でホテル到着。蚊帳や缶詰やイバン族の子供たちへのお土産のお菓子を買い出しをしておく。
韓国人が多いのか朝鮮人と良く間違えられる。何時間もジャングルの中の河を逆上して、また村が悠然と出没するのに不思議さを感じる。オイルマネーにものをいわせた砂漠のオアシス、中国内陸部不毛地帯の後に突然百万人都市、人と水と栄華ブクブク。
私は連日じゃんけんに勝ち続け、悪い気持ちの微塵を見せ付けるように行った。「これから、更に鬱蒼としたジャングルに入っていく。我々の予算は限られてはいる。これが最後だぞ。分かったな。これが最後なんだぞ」といって酒盛りを始めた。


翌日、内陸通行許可書を警察と役場に受取りに行く。
マルディを出発、高速艇三時間。
高速艇の先頭にて。
私の真後ろは運転席。考えるに、私は邪魔だ。まあ、いい。運転手の兄ちゃんは舵を取りながら気さくに鼻歌。私はウォークマンを耳にあて、手に一眼レフを持ち、ジャングルの中、文明の利器。本来、必要のないもの。そして、あれば快楽になるもの。
燕一羽。船を先導するかのように平行して飛び、私を扇動する。兄ちゃん、口笛に切り替え。まだ、気持ちいいのか。河はぐにゃぐにゃに曲がっている。しかし、速度は一向に緩めない。細長いボートと擦れ違う時だけ、その時だけスピードを緩め、波を抑える。エンジン音が多少収まる。鳥が水面すれすれに飛ぶのが見えるのだが、そんな生き物を蹴散らしてしまうほどのエンジン爆音は他の微量多数ある音を掻き消して、でたらめに伐採された木々の間に埋もれていく。姿は見えない。鼓動は緩やかだ。俗的性的な気分は全くない。水は流れているか。国という概念、国境というイメージはない。川幅百メートル。彷彿させてくれるものはない。何故、欲しいものばかり考えて、いらないものは考えられないのか。切捨て。切符切りのおじさんがやってきて、平然と私のノートを覗き込む。少し渋い顔をしているのだが、親切そうな村のおじさんという感じだ。フフフ、秘密の暗号であろうよ、切符切り屋さん。私はピアノ音をボリューム大にして、耳に注入しているというのに、エンジン音はその合間を狙って耳に滑り込んでくる。別のおじさんも無関心そうに景色を見ている。多少の湿気がある。進み行く単調さが、純化させてくれる。雲がある。風の涼しさと太陽の暑さが混在している。極彩色の鳥が河の獲物目掛けて攻撃を仕掛け、収穫物をくわえて森に消えた。一時間半、切符切りのおじさんとの無言の連帯。川幅は五十メートルに。相変わらず民家はない。影がかなり濃厚、いや、すべてが濃厚に変化している。雲の速度が速く、濃度さは変化する。ファナティックな情熱などない。浮いている木が淀みにはまり込み同じ所を回っている。単調さを描きたい。単調さを。

マルディから三時間ロングラマ。インド的な薄い水色のコテジに泊まる。ボルネオに入ってからホテルはすべてエアコン付きである。安宿がほとんどないことが原因だが、夜は涼しいので必要ないのだが、ついつい使用してしまう。環境問題のメッカで、環境問題より貧乏性が優先してしまった。悲しいかな、と叫び、ジャングルに軽装で突っ込んでいくと、動いても離れないボルネオ蚊にボッコボコにやられてしまう。即、退散。
驚異、発見、習慣。


ロングラマを出発、高速艇四時間。
高速艇の説明。
全長十五メートル程、その三分の一はエンジン室で占められている。屋根は大きな荷物置場となっているが、嬉しがりが風を浴びるスペースとしても機能している。トイレは穴がポコンと空いていて自動水洗直放流。船室の窓はスモークシートが張られ、半地下になっているため窓からの景色は水面上五十センチ程からのものになる。エアコンが効き、なぜかポロレスのビデオが放映されている。最終的に客は我々四人となり、乗務員のほうが人数が多くなる。

終点の村ロングナア。
これより先に定期便はない。ホテルはなく雑貨屋が二軒。村民人口は二、三百人というところか。取り敢えず、我々は最大の作り笑顔をして、ぶらぶら歩く。学校の先生に宿泊のことを尋ねたら、無表情に首長の所へ行くよう指示される。長い軒先で彼を待つ。誰も、好奇心を持って話し掛けてくる人はいない。企業や役人又は環境団体の外国人には慣れきっているのだろうか。
ロングとは平屋が百メートル程度連なった首長を中心としたイバン族の生活形態である。耳にピアスとして重いリングを通し、耳たぶが十から二十センチあり、おかっぱ頭をした人々。多くの子供たちが遊ぶ声。部屋は一家族五部屋ぐらいか。蚊や蝿は多いが、ゴミの処理はしっかりされているので、清潔である。もともと首狩族だったという我々の偏見のせいか、彼らは我々を歓迎しているのか警戒しているのかというのではなく、観察されている様な気がしてならない。部外者に慣れてはいるし、親切ではある。多分、スコールが我々の気を多少滅入らせたのかも知れない。大人の人は大人しく、子供の人は相変わらず騒がしいほどに騒いでいた。土の臭いが少々暗かった。そして、「やられている人々(抑圧・搾取されている人々)」という雰囲気が流れていた。森を部外者に取られていく人々。我々の国は、その代表。日本人に対する目がそこにあった。
煙草を吸う人をほとんど見掛けない。
夜、ヘッドランプをつけて川辺に行く。昔、迷惑と信念のパラドックスがあるのを考えていたのか、こんな森の奥まで来た西洋人がいた。宣教師。教会と学校だけは、夜の九時、まだ電気が灯っていた。子供達はまだ起きていた。シャボン玉が流行っていた。

いよいよゴムボートの旅が始まる。
ボルネオ




                                とびこみ



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