スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

イスタンブール

イスタンブール

 バスを降り、荷物を持ったまま、アヤソフィア大聖堂の前の公園まで行き、ベンチに座っていた。先程、ボラポラス海峡の橋を渡り、極東から、ついにヨーロッパに入ったことを実感しようとしていた。靴磨きのおじさんが寄ってきた。「さあ、靴を磨こう」「ん?俺はこのとおり草履だよ」「いいからいいから。無料サービスだよ」「そうなの。でも、磨くところなんかないよ」「いいからいいから」「あら、そう。金は払わないよ」おじさんは、器用にゴム製の鼻緒部分だけを、ちょいちょいと磨いた。アヤソフィアの尖塔とドームに目をやった。「さあ、金を払いなさい」無視して、その歴史を実感しようとしていた。おじさんは怒り出した。今後来る日本人のために、と何か教条的になり、「最初いらないといいましたね」とだけいい、これ以上は勘弁と、公園を後にした。
 目当てのホテルはいっぱいだったので、地中海の方へ下っていく。まあ、このあたりに宿をとることにしようと思う。小学生ぐらいの女の子が部屋を案内してくれる。西に来る程、子供の労働が見当たらなくなってくるのを感じていた。禁酒の国をいくつか抜け、久々に缶ビールを飲んだ。



イランからトルコの国境の話であるが、国境は荒涼とした丘の上にあり、向こうにノアの箱舟のアララット山がそびえていて、丘の上に建物があり、その
建物の半分がイラン半分がトルコである。


イラン側にはホメニイ師の肖像画、そしてトルコ側にはケマルパシャの肖像。トルコ建国の父である。二十世紀最も優れた政治家の一人である。私はアタチュルク(トルコの父)と呼ばれるこの頑固おやじのことをよく知らなかった。

彼は、かつてのチャーチル連合軍を破り、帝政廃止を実行し、政教分離し女性にベールを止めさせ、アラビア語からローマ字に書き言葉を替えて識字率を上げた。国の力は何といっても教育だと知っていたのである。彼は、今でも人気抜群の英雄である。


トルコ東部の街エルズルム信号のない横断歩道で車が通り過ぎるのを待っていたら車が止まった。
運転手がどうぞどうぞといっている。
アジアを陸路で来た限り、それは初めての体験であった。
アジアでは歩行者より車のほうが偉い。
感激のあまり日記につけたくらいだ。
ヨーロッパの香りがするって。


イスタンブールのひつこい絨毯屋で聞いた。
「アラジンのような空飛ぶ絨毯は売ってないのかい?」
主はいいましたよ「ある」って。
そして小さな絨毯を放り投げた。
「ほらな」
私はこの街が気に入った。


突然ハゲの美学のことを考えていた。西洋人は、弁護士や議会、それからモーツアルト等をみれば分かるが音楽家、カツラをかぶっていた。
考えれば、ああいう名誉職の方々にはハゲが多かったのかも知れない。
日本は、ザン切り頭をたたいてみれば文明開化の音がするなんていって明治維新にばっさばっさとチョンマゲを切っていった。(切られていったのか)
あのマゲっちゅうの、てっぺんを剃ってツルツルにするわけですな、ほっとったら浪人ですな、きっちりそってピカピカが侍ですな。そして、剃らなくてもいい人々もいっぱいいたはずだ。それはハゲの人々。
もしかしたら日本はハゲに寛容なだけでなく飽くなき誇りを持ってきた歴史があったのかも知れない。
それを西洋文明にパラダイムシフトさせられたっちゅう訳なのかも知れない。
そうか、きっとそうだ。もし間違っていても、専門家でないのできっと許してもらえるだろう。

イスタンブールのバスターミナルでホゲホゲしていた。近くに城壁があった。そこの前にハゲが通りがかった。
「ハゲと城」と私の頭の中にキャッチフレーズが思い浮かび、急いで一眼レフを取り出し、気づかれない様に先回りし、シャッターに収めた。
そして帰国後整理したアルバムの中でこの写真の横にちゃんと「ハゲと城」と説明書きを入れてある。めでたし。




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