スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

ベネチア1

  「ボンジヨルノ」と車掌がパスポートを持ってやってきた。これで、私の知っているイタリア語はすべてだった。
 やがて列車はラグーナ(干潟)に入り、「ウーム、アドリア海!」と唸っている間に終点ベネチア・サンタルチア駅のホームに収まった。
 過去、陸路、海路での国境越え十ヶ国程度になるが、朝、起きればそこは違う国であったというのは初めてであるかも知れない。トンネルを抜ければ通貨が変ってしまっていた状態となり午前七時では銀行も当然開いてはいない。パスポートにも当然スタンプは押されておらず、スタンプを押すということはとりもなおさず、そのオフィサーがその国に入国することに責任を持つということで、こんなに大量に行き来あるのに責任なんか取れるかよ、という免責事項なのであろう。 

 昇降口を二段降りるとプラットホーム。フランスのニースから夜行列車でコートダジュール沿いにベネチアに来たは良いが、イタリアリラがない。駅前以外は人通りはまだない。駅前は大運河。駅から出てきた人々はそのまま前の大運河の船着場でバポレット(水上バス)にどんどん乗りこんで行き、駅前だけが興奮状態にある。その興奮状態を分散させていくがごとく人々は散らばって行く。
 この街は、駅を降りて、目的地に一直線に向わなければならない、という街ではないと直感的に思う。駅前の雰囲気からして愉快。朝もやに水、水、水。教会に館。水上バスに人々の移動。悦楽の駅。
 
 この街は、本島から直接つながった駅裏のローマ広場等一部を除けば車がないという、特異な街だ。それが人間等身大を醸し出している。勿論移動手段として、水上タクシー、水上バス、水上パトロール船、水上ゴミ収集船、水上消防船、ゴンドラ、水上救急船…エンジン音はあるので、車がないから静かという訳ではないが、少なくとも、注意散漫状態で歩ける街だ。せいぜい川にはまるぐらいだ。キャサリーンヘプバーンのように。
 この街の富裕層は週末に本土にドライブに出かけるという。二十世紀が生み出した最大の快楽と発明と大衆化の一つに車があるだろう。車がないからこの街は鐘の音が一番大きな音だ、と思いながら歩き始めるが、エンジン音が一番うるさいことに気づくのに数分を要しなかった。

 昨晩買っていたサンドイッチをぱくつきながら、リラがないのでホテルまでゆっくり散歩がてら橋を渡り、路地を抜けていくことにした。直線距離にしてたった一キロ。これが甘かった。
 曲がっても曲がってもまた曲り、路地、橋、小さな広場を越え、何度も人に道を聞き、骨董品のような街を愉快に迷っている状態を続ける。それも、すこぶる保存状態の悪い骨董品だ。
 初めて訪れる街に、人がまだ歩いてない状態の早朝に到着して、朝から始められるというのは旅としては気持ちが良い。頭の中が寝不足からくる軽い眩暈のまま、肌寒い中、重い荷物を背負ったり転がしたりして、夜にカラカラに乾いた喉を潤す為にお茶屋で一服するのが気持ち良い。朝のエネルギーを感じるのが心地よい。
 歩きながらイランからトルコに入る手前の国境のことを思いだしていた。夜行バスと乗合タクシーで国境に来たときに、山から浮かんできた朝日を拝むことができた。お茶屋に入り、イラン式に角砂糖をかじり、チャイ(紅茶)を飲む。隣席に座っていた村のおじさんが、旅の記念にしてくれと自分がはめていたリングをくれた。透明で純粋な空気が辺りを覆っていた。ノアの箱舟で有名なアララット山の麓だからなのか。神聖な山が神々しく見える。朝の哲学ニーチェやなあ、と私はつぶやいた。
 そして今日の朝も澄み切っている。

 鐘の音が純粋に響き、歩く足音が気だるく路地にこだまする。一時間かかりベネチア三大橋のひとつアカデミア橋に着く。今、ベネチアでは世界三大カーニバルのひとつである仮面カーニバル中で三十というホテルをあたってやっとひとつだけ空き部屋を見つけたのであった。
 東洋のベニス、バンコク。北のベニス、アムステルダム(本当はヒートホルム)、そして本場ベニス。しかしここだけは運河を造ったのではなく陸地を造った結果運河ができてしまったというのが正しい。行き止まりは、運河ときどき壁、ときにはアドリア海。そしてここでは歩く位置と水との距離が近い。満潮では水没しいてしまう場所もある。水と人との距離が近いというのは木浴場に似ている。水に向って階段が進むというのは、聖なるにおいがする。

 ホテルを見つけ、とりあえず、お茶代程度のみホテルで両替してもらい、最寄のバルに急ぐ。立ち飲みと座って飲むのでは値段が違うのであるが、疲れているので座ることにする。大勢の人を掻き分けると、席はすべて空席であった。朝なのでアルコールはやめて、エスプレッソでもなく「アールグレイ」といってみたもののミルクに何種類もあるティーバッグをポットと共にトレイに乗せて、機関車のごとく持ってきてくれた。窓から大運河が見える。音楽がいきなり何故かティナターナーに変わる。人口七万人という死に行く街は、観光化のせいか家賃は高騰を続け若者は住むことが難しく人口流出が激しい。確かに夜歩いてみると、民家らしいところは明かりが漏れてこない。通りは祭りで派手と言うのに建物はひっそりしている。
 
 大運河には三本しか橋がかかっていない。その1本であるアカデミア橋を渡り、仮面行列に出くわし始める。地図を忘れてきたので遠慮なく楽しい迷子になる。小さな広場(カンポ)に出る度に路地がいろんな方向に暗く細くまた延びている。行き止まりは壁。行き止まりは運河。
 出鱈目に歩いて三時間。急に空が広がった。ベネチア唯一のピアッツアと呼ばれる大きな広場、サンマルコ広場に出た。そこにはひとひと人、仮面かめんかめんいの嵐。
 そこにあるサンマルコ寺院もドゥカーレ宮殿と鐘楼にすぐには気がつかない程であった。凡そ気がつくのに五秒は要した筈である。そしてヨーロッパ最初のカフェらしいカフェ「フローリアン」に入ってみる。創業二百七十年。ゴルドーニが劇作をつくり、カサノバが回想録を書き、その後、バイロン、ルソー、モンテスキュー、ゲーテが訪れ、更にトーマスマン、マーラー、プルーストが訪れたこのカフェには「ワシもスノッブになりたい」と出国以前から目をつけていたのであった。しかし空席探すだけで大変で、慌しいだけであった。

 また迷い、歩き過ぎ疲労は高まり、それに未知に対する不安も混ざり合わさった状態が、旅にはつきものだ。そんな時には最も近くで安そうで見晴らしのいい店に入り、飲み物を頼み、ただひたすら歩く人を眺め、天井の模様を眺め、従業員の働き振りを眺め、床の筋を眺める。それでも、絶対的な空腹感を感じなくなってきた。不安感と脱力感を感じなくなってきた。そうやって少し年をとった気分を感じてしまう。消え行くペシミズム。




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