スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

新世紀をニューヨークで迎える

ニューヨークで新世紀を迎える

 ビジネスマンとしての私は、旅行中もビジネスのことが心配で心配で仕方なかったというのは、嘘で、もう空港から全く忘れていて、凧糸の切れた凧状態になった。
街を颯爽と歩いていると、これが本当の私なのだ、と、昨日までビジネスビジネスしていたのは夢か悪い冗談だったのだという錯覚に捕われる。
 四年程前、インドのカルカッタの街を歩いていた時も、雑踏の中でそんなことを考えていた。一週間前と一週間後、私は、仕事している。人生のひとこまの中で、一周間だけインドが挟まっている、不思議なものだと思った。
 たいてい、旅は暇なものだ。着いた日から何もすることがなく、スケジュール表が真っ白というのが気に入っている。いつもスケジュール表を埋める為だけに生きているのはまっぴらだ。いや癖というものは怖い、白紙、というスケジュールがここに入っているのであった。

 何でもカンでもモノに対してクン付けする変な日本語の傾向がある。カラアゲクンから積みたてクン、無人クン、勘弁してくれよ、と思っているが、実は私も十年以上前からクン付して一人ではやっているものがある。それは「乗り物クン」
 そういった訳で、今回も暇なので、一週間バス地下鉄乗り放題券を購入し、早速「地下鉄クン」になったのである。要は無意味に乗り物に乗って、どこまでも行くのさ。しかし、地下鉄に乗ってから大変重要なことに気が付いた。「風景が見えないではないか、これじゃ意味ないじゃん」と横浜弁で呟いたのである。車内には、ノースモーキングのステッカーの下に、ノーラジカセとある。
私は、マンハッタンの南端で降り、バッテリーパークに行った。そう、自由の女神が見える所だ。私はニューヨークは二回目だが、誓いを密かひそひそたてている。「死んでも自由の女神とエンパイヤーステートビルには登らないぜ、何か訳分からんけど、俺のポリシーが許さないぜ」ということである。そんな訳で、危うく、自由の女神のあるエリス島チケットを買いそうになった瞬間に、危ない危ない信念をもう少しで曲げる所であった、と思い、引き返すが、それならどうしようかと思案していると、そうだ、庶民の足、ニューヨークの対岸の島シテタン島のフェリーに乗ればいいのだ、と思い、フェリー乗り場を探す。
 フェリーは二五分の乗船で料金はタダで、自由の女神の横を通っていく。我ながらナイスなアイデアであると思ったのであるが、やはりセコイ旅行者はどこにでもいるもので、数人のみデッキに出て離れ行くマンハッタンと自由の女神を写真に収めているのであった。こんなに寒いのに馬鹿じゃないかと思いながら、私も馬鹿の一員となり写真を撮る。
 来てから数日間、私は一枚も写真を摂っていなかった。写真の気分が湧いてこなかった為だ。しかし、そうだ、折角こうやって通りを北上している訳だから、通りの標識を写真に撮って擬似アートするのだあと、思い浮かび、通りの標識ばかり写真に順番に撮っていったのである。アーチストは便利だ。自分が宣言したら、アーチストだから。

 散髪したのである。何故?時間があったから。基本的に私は服や格好に興味はそんなにないんだけど、姿格好程度で勝手に人間性を判断されても問題ない程度には身なりを整えておく必要があると、考えるようになったのである。私の理想は、すっごく似合った同じ服とシャツと靴を十着揃えることである。毎日同じ格好なのだが、実は毎日着替えているのだよってところが渋い。
 
 地下鉄から上がると、そこはウォール街だった。
明日は正月、閑散とした通りを歩いてみる。思ったより小さな通りで、何か将来の関連性を感じることができるか?と思ったが、何も感じることがなく、俺って金が金を生むという最も儲かる商売に縁がないのかいな、としばし呆然とした。そこに台湾人バス団体ツアーがやってきて写真をバチバチ撮って何か説明を受けて去って行った。夢、夢の後。
 地下鉄から上がると、そこはハーレムだった。年々安全な場所になりつつある様だ。
 地下鉄から上がると、そこはチャイナタウンだった。年越しラーメンである。
 地下鉄から上がると、そこはリトルイタリーだった。前より更にチャイナタウンに侵食されている。
 地下鉄から上がると、そこはソーホーだった。地下鉄から上がると、そこはイーストビレッジだった。地下鉄から上がると、そこはトライベッカだった。地下鉄から上がると、そこはチェルシーだった。地下鉄から上がると、そこはアッパーイーストサイドだった。アッパーウエストサイドだった。まあ、どこにでも出没したってことがいいたかった訳ね。

 いよいよ、大晦日、船乗り場からジャズボートが出航。ワイン片手に、摩天楼と自由の女神を見ている。ジャズは神妙に計算されたようにテンポが速くなっていき、乗船客も盛り上がっていく。ついにカウントダウン。
そしてハッピーニューイヤー、摩天楼の夜景の上に花火がバンバン上がり出した。というのは七年前のニューヨークの正月の場合だった。
 二年前の大晦日、私はチェコのプラハに入った。ホテルはどこも満員で、駅のコインロッカーに荷物を預けた私は、夜な夜な通りで、乾杯。瓶ビール片手に震えている私の後ろではホテルのホールで演奏会をしている。
 四年前の大晦日、私はパリのシャンゼリゼ大通り。乾杯。瓶ワイン片手に震えている私の後ろのカフェでは着飾った紳士淑女がカウントダウンの為にグラス片手に、起立している。
 六年前の大晦日、私はスペインのコルドバ。ワイン片手にうろついている私の後ろのホテルではバイオリンの独奏会が進行している。
 きっと、私も、向こうの世界に行く時が来る。暖かい正月を。そう思いつつ、新世紀。
 今年は、じゃあ、じゃあ、新世紀の始まりってことで、何か大英断をするのが良い!
ホテルで乾杯なのだ。外は人だらけ。そうしてベッドが入れば、あとはテレビしかないバストイレ共用のホテルでビールを飲みながら、ベッドにへこたれ、チャンネルをカチャカチャ、これぞ、寝正月である。炬燵もみかんもないけれど、飲み物しかないけれど、数百メートル向こうのタイムズスクエアのカウントダウンをテレビで鑑賞して、無事新世紀を迎えたのであった。何かしょぼい、と脳裏をかすめたような気もするが、きっとかすめただけだろう。余計なことは考えず、寝よう。日はまた昇る。明日は明日の風が吹く。なかなか優雅である。よきにはからえ、つれずれなるままに眠ってゆく。どこにいたっていいんだ、時空を超えたゆとりを。

 人に興味を持ちなさい、其の為に自分をアピールしなさい、そうニューヨークの空気は語った。元気でない奴ははじき飛ばしてしまう街だ。世界の中心なのだ。エネルギーの中心。GEのウエルチCEOが語った言葉を思い出しながら歩く。スピードと簡素化と自信、この街に溢れている。無理してでも明るいんだもの、ここは。

 実は、ニューヨークに限らずの話であるが、この街に今日は教えられた。「胸を張って歩け」と。私はこう見えても、小学生の頃から、三十年来の猫背なのである。寒さで余計に猫背になりかけるところを、痩せても枯れても無理して胸を張って歩くのである。堂々とビルの谷間風に立ち向かうのである。少なくともニューヨーカーはそうしている。ここでは人種も旅行者の定住者も見ただけでは分からない。私も、いっちょ、ニューヨーカーやったるでぇ、ということで、気が付けば胸を張り張り歩き続けるのボレロなのであった。
そうやって、一日十時間の散歩を義務づけ、十日間で百時間マンハッタンを歩いたのであった。結果?うむ、歩いただけ。今回の旅も結局、前回のニューヨークと同様、タクシードライバーのしょぼくれたデニーロの域を脱することができなかったのである。
さて、ニューヨークで私は何をした?毎日ハッピーごっこをしただけ。
 でも、今度のニューヨークは、もっと豊かで優雅に過ごせるだろう。

PS街はビタミン屋さんが大流行り。でも、私は、ベトナム大流行と勘違いしてた。
追記 空港にて
大雪にて飛行機が止まっているのではないかと危惧し、早目にマンハッタンを出た。
橋を渡り、クイーンズに入る。クライスラービルの尖塔の明かりがバックミラーに写っている。「ああ、俺は帰るんだな。帰る?帰る所?何処へ?何処?行く所?」トランジットな人生?どこもが中継地点?どこにいても落ち着き、常に次に行く。旅はこれからも始まる。人生はドラマだった。ドグマではなかった。


実は生牡蠣がはじめて美味しいと思ったのはNYだった。
NYにはセントラル駅にオイスターバーというとても有名な店があるが、実はそこではなくって、ブルックリン橋が見えるところにシーポートと言う所があってそこの手前あたりのシーフードの店で食った時にカキのうまさが開花した。
実は、それから日本ではそう機会もなく過ぎ去り、次にパリでカキ三昧。パリでのカキは昔、ある年に病気でカキが全滅に近くなり急遽日本のカキを輸入したらしい。
だから広島かどっかのカキの子孫がいっぱい残っているらしい。確かに半分は日本でみかけるカキであった。
それから日本に帰ってきて、テレビにそのパリでの店の番組が一時間かけてやっていた。そこのカキ剥きのおじサン物語であた。カキ剥き一筋数10年、一瞬にしてかきを開き並べる、朝から晩まで。その職人芸は凄かった、が、あまりうらやましくなかった。
だってたべるほうがいいから。

ミレニアム世紀末2001年はニューヨークで
迎えた。(世紀末は2000年でなく2001年である。0年が
ないから)
私は12月31日は朝の9時から夕方の6時までウォール
ストリートからバッテリーパークからレキシントン、アッパー
イーストまで歩きに歩いて、体の芯から冷えていた。
頭の中はガラクタをひっくり返したように混乱し、昔は馬鹿に
していたが、人間、行くべき時期というのはあるのだなあ、
今回は来る時期を間違えたのかも知れないなあと思い、棒
になった足をホテルの一室でさすっていた。
(三島由紀夫がインドには行く時期があるといったのだった。
多分、どんな場所にも行くべきタイミングのある時期がある
のかもしれない。勿論、タイミングはこちらからも合わせる
ことはできるとは思う)

私は、ブルックリンラガービールを部屋でぐびぐびやっている。
暫くしてから飲むビールは窓の外に置いてある。
ただただテレビをつけている。
ここからほんの2ブロック先7ブロック南のタイムズスクエア
の高揚がテレビから伝わってくる。確か6年前は私もあの
中にいた。世紀末は、ホテルでなんとなくみみっちくいくのが
おつなものよ、何となくいじけてるみたいだよ、そんなことを
つぶやきながら、デリでトッピングしてきた5ドル分のおつまみ
をぱくつく。
部屋の中ではTシャツ一枚。考えれば、私は日本で生まれた
訳なので、20世紀は時差分14時間多くを過ごした。
その3年前、パリで正月を迎えた時、ワインどころかビールさえ
買うのを忘れていたことを思い出し、今回はばっちりだ。
日本からもちゃんとソムリエナイフは持ってきている。
パリのギャルリーラファイエットだったかどこかで渋いいい
ソムリエナイフがあったのだけど高くて、迷った末やめたのだが
日本に帰ったらすぐ雑貨屋でクズ値ちゃうかと思われる程の
値段で同じソムリエナイフを見つけたのであった。
そんなこともあって胡坐をかいてワイン開けて26階から乾杯。
2001年。町中には2001の真ん中の00がメガネの枠に
なっている愉快なプラステックのメガネをかけた連中がうろうろ。

ミレニアム
私は書き出した。
パッションについて
ワークについて
暴力について
笑いについて
共感について
将来について
限界について
経済について

さあて、考えるぞ、何せニューヨークは明るい、景気がよい。
しかし酔った。考えるのは来年にしよう。
まだ366日ある。
きっとその頃には書き出したことも忘れている。
人類の得意技、とりあえず先延ばし。
延ばした期間だけ、遠のく。
ニューヨークはピカピカだ。




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