スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

ショッピングパッカー イン インディア

インド40日間の旅の荷物


タイ北部チェンマイで購入した民族刺繍の施された財布。

お金(腹巻に入っている)

ネパールで購入したライター1個及びマッチ箱(中味マッチ棒3本)及びパイプ。

派手なトランクス2枚(1枚は当然、身につけている)

ネパールで購入しした小学生児童用ノート(日記帳として)及びボールペン、サインペン各1本。

歯ブラシ1本及び歯磨き粉。

石鹸とタオル1枚。(及びそれを入れるビニル袋)

インドバラナシで買ったフンドシ1枚。

ネパールで買った手紙用紙とまだ出せていない手紙6通。

日本から持ち込んでいる帰国時に必要な銀行カード1枚。(腹巻に入っている)

知合った日本人に貰ったコルゲンワーク1錠。

インドアウウランガバードで貰ったインド風邪薬19錠(副作用あるが無茶苦茶効く)

アジャンタ石窟寺院の英文ガイドブック全14ページ。(無料)

インドバラナシで拾ったカッターナイフ1個。

カルカッタで購入した腰巻(ルンギー)1枚。(身につけている)

青春18切符1枚及びテレホンカード1枚。(腹巻に入っている)

文庫本2冊。(ヘッセ「シャダルタ」阿部公房「終わりし道の標に」)

イラク航空オシボリ及び航空券。(腹巻に入っている)

パスポート。(腹巻に入っている)

腹巻(貴重品入れ。常に身につけている。)

ビニール袋(シャワー浴びるときにはビニール袋に腹巻入れてバスルームに入る)

顔写真2枚(腹巻に入っている)

草履(常に履いている)

テッシュ1袋。

Tシャツ2枚(1枚は当然、身につけている)

高校のときに購入したヨットパーカー1枚(身につけている)→最終乞食に喜捨。

飛び道具。

手提げ袋1つ。(ショッピングバッグ)

以上。
この旅では、荷物が1キロにも満たない為、大変気楽で心地よい旅であった。できるだけ郷に従いながら(トイレは左手でお尻を洗う等)お金で解決できるものはそうして(洗濯はしてもらう、タオルは乞食に喜捨しながら数日置きに交換していく等)帰国時には、ズボンを購入したり、散髪した。



インドへ
おじいちゃんが死んだ日の夕日

 そもそも、私が、インドに行ったのは、やはりそれなりに理由があって、きっかけがあったわけである。高校を卒業するまで、絶対に海外には行かないと決めていた私であるが、理由は、外国語が話せないということ以外大きな理由はなかったのである。「インドで飲めるのはフレッシュジュースだけだ」という友達の嘘の金言を信じ感動し是非行ってみたいと思った18歳であったし、金持ちと貧乏の距離が1秒というのを聞いて見てみたいと思った18歳であった。(こちらは本当であった。カルカッタの高級ホテルオベロイやボンベイの高級ホテルタージマハルホテルを1歩出ると、もはやそこには、水溜りに乞食の大群であった)
 三島由紀夫が「インドは人それぞれに行く時期がある」なんて名言を無視し、嘲笑い、早く行けば行くほど良いと思い、ひたすら、アルバイトに性を出し、旅行代金を稼ぐ18歳であった。

おじいちゃんが燃えて小さくなった翌日の夕日

 そんな中、一族郎党でインドに行ったことがある人物がいた。おじいちゃんであった。おじいちゃんは仏壇店を経営していたので、70年代ぐらいに、巡礼のインドの旅に出ているのであった。なんていえばかっこいいかもしれないが、70年代といってももう年齢は60代後半であったので、当然バスの団体旅行である。
そんでもって、おじいちゃんは、「インドにいったぞ」という以外のエピソードは何も無いのである。たった一枚とても下手糞なインド絵巻物を写した写真を引き伸ばして置いていただけだった。おじいちゃんは、とにかく町一番の新し物好きで、万年筆や一眼レフカメラや電卓など、新しいものがでると兎に角すぐに買うという癖があった。周りは農家であり、収穫期には皆忙しくしており、世間体が悪いからと、一家で外にも出ず、家ごもりをしていたようである。母は、同級生が農作業に借り出されている時に、意味もなく世界文学全集や、サルトルを家にこもって読んでいたのであった。
そんな訳で、18歳の私は、70歳代のおじいちゃんに「インドに行くよ」と報告したら、「そっか」とだけいい、ビールジョッキに日本酒を入れて飲んだだけだった。

30年後の自画像





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