スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

スペイン

1995年年末 序章
  
 パスポート申請していたものを受取りに行く。前回は迷彩服とゲバラ髭の顔写真で、常にイミグレーションある所、親切にも徹底尋問というイニシエーションを受けていったが、今回はネクタイに笑顔の写真。これで各国の心証は六百パーセントアップである。
 パスポートを受取った足で旅行代理店に行く。
「あさってから行ける航空券、空港受取りでどこか席空いてないですか」
検索してもらった結果、ソウルなら数席とシンガポールとヨーロッパなら1席空いてるということが
分かった。
「じゃあ、バルセロナに行きます」

 以前、アジア踏査を終え、ギリシアのアテネで資金が切れたので旅行代理店に行き、日本行きのチケットを求めた。
「キミ、5時間後にアエロフロートが1席あるぞ、ラッキーだ」といい「じゃあそれ」とお願いしたことがある。しかし、電話を掛けてもらったが一足先に埋まってしまった。3日後のパキスタン航空で帰ることにした。ヤバイヤバイと思いながら、カラチ、バンコク、マニラのストップオーバーをリクエストしてしまう。ヤバイヤバイと思いながら、金を捻出し、帰国はそれから3週間後。それも東京、ヤバイヤバイと思いながら信越方面へ。
 そんなこともあったなあ、と思いながら発券作業を待つ。

「ヨーロッパ歴史探索の旅」は老人になってからでいいよ、ケッと思いながらも飛行機内では屈伸運動をしている3日後であった。

 バルセロナ
 私は、ガウディサグラダファミリア大聖堂を見学しなかった唯一の日本人観光客という立場を目指していた。が、安いバルだけでなく、この骸骨のような建築途上の建物を見ながらビールやワインを飲んだ。バルセロナ、飲みまくっただけであった。

 数日後、アルハンブラ宮殿のあるグラナダ行きの列車に乗る。
列車は進む。高校生のとき、きっと日本で唯一の地平線が見えるという北海道の平原に立てば大いに人生観が変ると漠然と信じていた。今、車窓には180度分の地平線がある。人間を寄せ付けぬ怒涛の如く立ちはだかる自然に対し、人間関係が入り混じって病んでいる都会。その対照が愉快で魅力的だ。しかし単体としての地平線に感動はあったか。例えば高原。チベット高原、デカン高原、イラン高原を目のあたりにして、「ああこういうものなんだな」と思う。感動はない、その時は。
 360度地平線は、ゆっくりと圧倒されるものである。その単調さは思考内容を緩慢にさせ、思考速度を弛緩させる。感動よりも退屈さを助長させる。想像できる許容範囲を超えたものに対し、無反応になり、言葉を失うのである。
 無理に感動を表現すれば陳腐になり、数字に直したところで、身体感覚以上に想像できない(東京ドーム何個分とか積み上げると何メートルとか)
 列車の窓から単調さを眺めながら、パキスタンで出会った昔スペインに暮らしていたとう男の言葉を思い出していた。「あの国はいろんな景色があるんですよ。砂漠も森も平原も海も。だからよく映画撮影に使われるんです」と。

 グラナダ
 グラナダには列車で到着した。3時間列車遅れ。
 ヨーロッパは高校生の時に知識が止まったままの知識のオンパレードである。私の知識にはレコンキスタとアルハンブウラ宮殿しかない。アルハンブラ宮殿では日本人団体観光客の後についていった。現地に住む男は、毎回同じコースを案内していささか飽きている感じが表情ににじみ出ている。
 そして、アルハンブラから対岸の丘、白い家が並ぶアルバイシンへ。
アルバイシンからアルハンブラ宮殿を何時間も眺めている
実は30時間、飯を食っていない。10時間水分を採っていない。バルでチョリソーにビールを流し込む。適度な断食は体に良いようだ。頭にも良いように思われる。そういえば風邪の時、食欲がなくなるが無理して食べる必要がないのは、体が風邪を治すことに集中するからか。消化活動は後回しにして。一時的な空腹感に耐えれば、後は楽である。

 コルドバ
 コルドバにはバスで到着した。
バスの着いた場所は分からない。知らない町なのに、今日は道を尋ねたくない気分。バスを降りた一番近いバルにまず入り、「セルベッソ(ビール)」といって指を1本上げるお馴染みのポーズ。親父は大きいグラスと小さいグラスを見せて、どちらだいとゼスチャアしてくれた。
 大きなグラスを数分でやっつけた私は、店を出て、暫く迷子を楽しんだ。まだ市内地図も手に入れていない。私の知っているコルドバの場所は「メスキータ」だけだ。私は停めてあったタクシーに乗り込み「メスキータ」と力強く固有名詞を叫んだ。運転手は助手席に散らかしていた書類を慌ててたたみ、「メスキータ」と呼応してくれた。
 そして数分後、運転手はメスキータのどこで停まるのかと尋ねてきたが、その長方形の建物を1周してくれと頼んだ。繰り返しコルドバはかつてすごい街だったのだ。
 メスキータ。イスラム教とキリスト教の混合建築物。「お地蔵サンよ、いつまでも色付きでいてくれよ」と私は意味不明のことを呟き、建物に触れた。コルドバは中世、ヨーロッパ最大級の都市であったこともある。
 女ジプシーがハポネ火を貸してくれと寄って来た。煙草もくれというのが普通ではないかと邪推しながらライターを渡す。土産物屋の店頭で市内地図を物色していたら奥から主が出てきたのをいいことに、「雨で少し濡れているから安くしてえ」と言ってみたが、笑顔でラべルに貼られた定価で売ってくれた。その横のバルで地図を広げた。今後の傾向と対策だ。どうも荷物がほとんどないと急ぐ感覚を鈍らせてしまう。宿の確保?そんなものは後だ!傲慢になってしまうのが後から問題を生む。しかし考えれば今日は、12月31日、今日のテーマは決まった!「正月を五つ星ホテルで一人しょぼくれて迎える!シブイ!」
計画はシブかったが、部屋は全然空いてなかった。4つ星、3つ星と落として行き、ついに1つ星で部屋を確保。はっきりいってあまりシブクない。スーパーマーケットでワインとチーズを買ってきて、しょぼくれた正月に備えた。
 22時、外へ出ていくが、人通りがほとんどない。何だか時化てるなあと思いながら、部屋に戻る。しかし、それは間違えであった。アンダルシア、シエスタのある地域。メインは夜ではなく、夜中なのである。花火があがり着飾った男女がうようよ町を徘徊するのは夜中から朝まであのであった。夏場40度を越える暑さを避けるためにシエスタ(昼休み)という制度を夏に作ったという理由は言い訳のような気がした。夜中に遊ぶラテンの血が抑えられないのだ。
 ある日本の研究者が、カディスやセビリアではまだ見世物でなく、夜の町で流しの恋歌が残っていると聞き、毎晩2時頃まで町中を探しまわったが、一度も聞くことができなかったという。間違っていたのだ、2時はまだ早すぎるということに。

ヨーロッパのキリスト教徒たちは、この2世紀、習慣にアラブ化が大きな危険をもたらした。イスラムに支配されたヨーロッパ諸国では、若者が「ムスリムの官能性に染まってしまう」のではないかと憂慮された。ヨーロッパではイスラムの習慣の放縦さを腐敗として非難した。アラブの官能主義がキリスト教徒を好色と淫乱の道へ導き、キリスト教徒の中に致命的な災厄を引き起こしたのだ。
この2世紀というのは10世紀と11世紀のことです。その頃のイスラムとは放蕩無頼の醍醐味を堪能する酒池肉林の世界であいました。その中心地はコルドバであったそうな。

コルドバって今はそんな面影さえ残してませんでした。いい雰囲気の小道に、派手なメスキータって感じだったけど、当時は、ロンドンなんて片田舎の田舎やったらしい。もっかい、スペインに行きたくなったわ。しかしまあ、1000年経つと、単語を入れ替えなければならないとはおかしなものですね。


セビージャ
 セビージャには、スペインの新幹線で到着した。
近年、スペインでは万博が催され、新駅は中心街から遠く離れたところになり、事前の旧駅の地図を見ながら歩いたので、あらぬ方向へと歩いた。私は立ち止まり、何となくそこにいた。そこにいる意味は特になく、意味を見出しもせず、漠然とした不安を抱えながら右往左往したい時があるものだ。
 セビリアの観光の中心はヒラルダの塔や世界3番目に大きいという大聖堂は観光用馬車が残した馬糞の臭いで充満していた。バルのテラスで臭いのを気にせず飲む。ここ数日は、朝からアルコール漬けで、それも酔うほどではなくダラダラ続けているので、胃腸の調子が狂ってきている。もう1杯かねと尋ねられもう結構と手を振ったつもりが、しっかりもう1杯笑顔で運ばれてくる。
冬場でもアンダルシアの太陽は眩しすぎる。

ア・プリオリ。
帰国して印象を整理するまでに1月17日がきてしまった。すべてふきとんだ。


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