スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

タイ 自転車縦断

jitensya thai

チェンマイ

女が泣いている、原因を探る男。男が泣いている、その状態を観察する女。男は「何故泣いているの?」と声をかけ、女は「泣いちゃったりなんかして、もう嫌だわ」と感想を述べた。案外そうなのかも知れないなと思ったら夢だった。昼過ぎに起き、テラスでコーヒーを飲みながら、そのことを考えていた。何故か水槽があり、案外自由そうに金魚が泳いでいた。市場をうろつき、何となく自転車を探し求めた。二時間半のふらつきの末、程良くない自転車を見つけ、ついでに、地図と電池を買った。
夜はバザールをうろつき、アカ族の村の女の子の店で佇んでいた。
「ところで、明日からバンコクまで自転車で行くんだよ」と私はつぶやいてみた。
「どうしてなの。そんなのバスでいけば早いし安いんじゃないの?」と彼女は全く解せない顔をして尋ねてきた。金を払って、しんどいことして喜ぶ人種のことは想像もできないだろう。金払ってスポーツしたりダイエットしたりする人種との格差はどうしようもない。金を持つということは、自分を律する必要があると思う。成り上がりは嫌いじゃないが、金の使い方を知らないのは寂しいものだ。こんな馬鹿げた話を彼女にしたことを、少し悔いた。私は少し、少しだけ酒が飲みたくなった。街を歩いたが日曜なのか、ほとんどの店が閉まっていて、何かボーっと光るやる気のなさそうな店をやっと見つけて入った。中央に席があり、壁伝いにぐるりと安いビニールシートの席には娼婦が三十人ばかり座っていた。客は三人程で、恥ずかしい程の視線を浴びる。同席した男の話によると中国雲南からの少女達が多いらしい。彼女達は自分がいったいどこにいるのか分かっているのだろうか。それでも私達に笑顔を送ってくる女の子達。隣の男の人が解説してくれた。
「ほら、あの一人だけ笑わない女の子を見なさい。手首を何度も切っているのですよ」
結局、しこたま酔って、下を向いてばかりいた彼女のことを思いながら、家路に向かってとぼとぼ歩いて帰った。

翌日、あまり眠れず、朝の五時に起きたが、当然ゲストハウスの人は見当たらない。急遽、私は出発することにした。枕の下に三日分の宿泊料とチップを置いて、初めての荷造りを始めた。前の籠に空気枕を敷き、バンコクで買ったラジカセを入れ、スコールに備えてビニールをかぶせた。後のキャリアには体積の半分がカセットテープで占められているという荷物をゴムロープでくくりつけ、真ん中には私が勢い良く乗り、ペダル初一漕ぎ。
出発の音楽はボブディランの「チェンジン・イン・ザ・ガード」
進む。
が、自転車気侭お気楽旅行企画を怨むのに一時間を要しなかった。黒塗りの渋い豆腐屋専用おやじ自転車のペダルが元来無茶苦茶重く、仮にも多少の山岳地帯のこの辺り、少しの坂だけで、撃沈寸前。「俺はただ限界を楽しんでいるのだ。このために運動をして鍛えてきた訳でもないし、死に場所を探して生きている訳でもなくて、当然、死ぬために生きている訳ではないのだあ。せいぜい、最低限他人に迷惑をかけないように野垂れ死にするだけなのだあ」と結構やけくそ気味に叫んでみたが、当然誰も聞いていなかった。
次に、私は既に坂道を押して歩いていた。直射日光が麦わら帽子を通して、二十五パーセント程の日射病にやられ、その横を無情に通過していくトラックに意味もなく手を振る。インドの田舎道でバスに乗っている私に向かって手を振ってくれていたウンチをしている男の子のことを思い出した。アスファルトに垂れる下痢状の糞に罪悪感も羞恥心も持たず、ただひたすら無垢に手を振ってくれた男の子よ、その後元気にしているのだろうか?子供は大きな労働力だ。彼は自分が何故、生きているのか考えているのだろうか?人間以外は自由だから、そのようなことは考えない。男の子よ、どうしてる?
休む。若い女性三姉妹(と勝手に名命する)道端の簡易レストラン。酒を飲んでいる男達、その中の男の一人になびいている女一人。招待され、から揚げを食べる。コウロギの。メコンウイスキーで流し込む。少し嫌な顔して、頑張って食べると受けるということが分かっていて、そのようにしてしまう芝居屋の私。
出発する。ノー天気に行けますように。
チェンマイから十二時間走行距離百十キロ平均時速十キロ。一キロにビートルズ二曲でランパン着。ホテル探しに手間取り、ホテルもじめじめしていて、もう日はどっぷり暮れて、歴史のある街の割には侘びしい気になった。部屋に入るとボーイにひつこく女を勧められ、金もらってもいらないよ、といい、シャワーを浴びる。復活!はしなかった。尻が痛くて、尻を確認するが四つに割れていなかったので少し安心する。食欲もなく道路マップを眺める。疲れ過ぎて、精神が高ぶりすぎ、寝付けない。高校時代は激しい運動の後の、麻薬的心地よさがあったのだが、こうも急に体を酷使しるといけない。そういえば、高校時代、急に運動を止めて、体調を崩したこともあったことを思い出しながら、起きているのか寝ているのか分からない夜をやり過ごした。

タークという町

 六時三十分。窓から外を見ると、水滴がコンクリートに当たって跳ね返るのが見える程の雨。出発は見合わせるかどうかと思案していると、次第に小雨になってきたので、出発。
自転車に乗り込み、ビニール袋に荷物を入れ、グルグルに巻き、前にビニール袋パックになったラジカセを乗せる。キングクリムゾンをかけ、のんびりしている宿屋の主に手を振り、田舎道に入り、田を耕す老若男女に手を振り、パンクしてガソリンスタンドで直し、バーミーナム(うどん)を屋台で食べ、益々ノー天気になる。が、常夏の直射日光とコンクリートやアスファルトの照り返しに、次第に力を奪われ始めた。毎日、昼にはばて始める。
 生命の危機感という程の心配は全くない安全な状態である筈なのに、疲れはやたら惨めな気分になっていき、過去の楽しい思い出を反芻してしまう情けない状態に陥っていく。「思い出を作るために、生きているんじゃないぞ」と叫ぶ。「自転車を単調に単調な風景の中を走って、暇なだけなんだ」とも叫ぶ。「誰か、俺を見てちょうだい」という孤独感に不思議と陥ってゆく。
 雨が降っていた。ふと、西洋人の運転するバイクと擦れ違った。歯を噛み締めていた。多分レンタルバイクで数百キロのツーリングをしているのだろう。馬鹿みたいだ、と思った。馬鹿みたいのは自分だった。ギアチェンジのない自転車は六時間、七十キロ進み、カンパンペット市に入る。
 
 小さな村でも結構ホテルはあるが、それはたいてい娼館であるので、できるだけ女の人に宿を尋ねるようにしている。先日のある村でも同じであった。村で宿を聞くと、にやりと笑い、連いてこいのポーズ。高床式のお寺みたいなホテルがあった。女が出迎えてくれた。私は、分からず入ってみた。にやりと笑った男の意味が分かった。そして、村に宿泊施設はここしかない。民家にも泊めさせてもらうこともあるが、案外これは疲れる。仕方ない。交渉で女性なしで女性付と同価格で泊めさせてもらう。
 ホテル探しに市内を三十分。
部屋に入り、乾ききっていない服を再度洗った後、鏡を見る。毎日激しく動いていると、そして自分以外には無価値なことに対して動いていると、顔が引き締まってきているのが分かる。久しぶりに、昼間からビールを一本飲むことにした。少し高そうな中庭のレストランに入る。客はいない。ビールを頼むと、ビールを持ってきてくれたウェイトレスが、私の斜め後ろに立っている。グラスを開けるごとに、スッと注ぎに来てくれる。何故だ、何故なんだ、そういう店なのか。私は困ってしまい、遠くと景色を見るふりをする。
 夜、メコンウィスキーを部屋で飲んだが、飲み足りず、ロビーに出ると、昼間と変わって娼婦がうろうろしている。ロビーのテレビではイランイラク戦争終結に関するのニュースが流れていた。

アントンという町

 毎日の、昼間の太陽熱を体に溜め込み過ぎた様で、発散できぬまま、長々強い夜を終えたが、他人に強制されない体は、疲労を溜めていようが、単なる肉体的疲れなのでムクリと起き上がり、チェックアウトし、コースを外れ、田舎の赤土の道を、フラフラとペダルを漕いでいる。
 突然、犬がよそ者の私を鋭く見つけた。吠えた。そして追いかけて来た。その一匹につられ、茂みから十数匹の犬が私を目掛けて走って来た。やばい、慟哭状態の私は、ペダルを必死に漕ぐ。しかし、三十キロ以上の荷物を搭載した豆腐屋おやじ自転車の速度は、牙剥き出しの犬が追い付く速度に比べると赤子の手を捻るようなものであった。何とか引きずり落とそうと、敵意剥き出しに噛み付こうとする。私は何とか蹴落とそうと、蛇行運転を繰り返しながらペダルを漕ぎつつ足蹴りを繰り返す。
 格闘も我慢も、限界が近付く。そこに救世主が現れた。あと一分もあれば餌食になってしまうと思われた頃、救世主は反対車線から現れた。大きなクラクションと共に。野犬が私から離れるのが早いか、私が進行車線に戻るのが早いか、それが問題であった。
 バスは私の横三十センチのところを時速約九十キロで擦りぬけていった。磨り潰しを免れた野犬大群の姿が遠方になってゆく。恨めしそうに道路に立ち尽くす姿が確認された。威勢のいい奴がまだ吠えていた。雨の降りそうな澱んだ天気であった。
 暫く進み、村に入り、小学校を通りがかった時、八時か九時の時報が流れた。校庭に並んだ生徒達は、国歌の流れる拡声器に向かって直立不動となった。走って来た車も止まった。バンコクのファランポーン中央駅五時にも見受けられる風景が村にもあった。物売りも車も一斉に不動となり、国歌が終了すると、何事もなかったように一斉に動き出す。
私も自転車を降り、不謹慎にも恥ずかしそうに、じっとする。
 市場で飯を食い、バンダナを買う。通り掛かった男が、自転車を見て、壊れているといい、工具を持ち出してくれ直してくれた。もう二度と会わないからこそ、こちらは正直になり、さらけ出すことができる。関係の中で生きてくことを避ける、楽で少し寂しい世界。皆がセラピストに思える。
 五時、夕刻、九十四キロの道程を経てアントンという町に着く。


ホアヒンという町

 下ではタイ式蹴鞠をしているようだ。
やたら迷っている。起きるかどうかさえ迷っている。
昨日、標にと私は自転車を海に沈めた。揺れていた。自転車は短い付き合いと短い人生を嘆いて泣いていた。私は、引き上げ、暫く自転車で波際を乗りまわす。車輪は水を割る。そして、宿に持って帰り、宿の主に、どこで売れるか聞いてみた。数泊の宿代と相殺してもらうことになった。何故自転車がいるのだろうか分からないまま、昼、駅前の市場を散歩した。
 宿屋の主が客待ちをしていた。彼は、念願の宿を開いたばかりで、西洋人向けコテジというのに、まだほとんど英語が話せず、資金も足りないのか昼間はリキシャの運転手をしていたのであった。自転車を引き取ってもらった意味が少し分かった。
 その後、ほんの少し泳ぎに出かける。四時間程。
 意外と早く夕方になり、コテジの二階から卵屋の行商を呼び、二つ買った。そして、メコンウイスキーをドイツ人と飲む。スコールが激しくなり、これが止めんでも急ぐことは何もなかった。ドイツ人はタイ語をひとつしか知らなかった。これが止めば、飯も食おう。狂気の処女よこんにちは。狂気の処女よこんにちは。陶酔のときよ来給え。歪んだ顔がくるくる回ってる回ってる。
 渋味のある男に出会った。若さだけが私の勝るものであった。完敗でなくて良かった。味にある人になりたい。味付けできる人になりたい。
安泰な生活ぶっ壊してえ。
不必要に清潔なのは許容できない。危険だ。そのときが来れば、一番にくたばってしまう。臆病は長生きの素で、引き下がらぬは早死に、頭のいい奴は生き延び、筋を通す奴は死に、狡猾な奴は生き延び、正直な奴は死に絶える。それはそれで良かった。
何もしてくれるな、おせっかいを。時代の流れが速すぎて付いていけないなら、早目に抜けたほうがいい。
不良は格好よくなければ、不良とはいえない。
少しひねくれて、少し反抗する奴には、少し優しくしてやれ。少し反抗するから、少し優しくしてくれ。
少しつけあがるから、少しおとなしくしていてくれ。
結局、優しさに嫌気がさして収拾がつかなくなったら、暫く、ほっておいてくれ。
しばらくして、ニコニコしていれば、それでイッツオーケーだ。
すまない。安全という無菌の管理下で育ったお陰で、すっかり洗脳されているものだから、ここで少し唱えるよ。利用されないように。断固、愛すべきもの以外のために死なないように。生命の危機を刺激的に、結局、安全な中で求めたがっている。退屈な天国で。
欲望が少なければ、パワーの方向を有り余らせている状態で、満足も少ないのか。
楽あれば、更に楽あり、苦あれば、更に苦あり、というのが我侭でよい。よい、というより現実か。
美の欠点は美し過ぎて一点の曇りが目立ち過ぎることか。美しくあり続けなければならないことか。差異に、落差に人は笑う。
 南へ。あと、四日ある。地図を広げて、マレー半島を見る。百キロ先にプラチュアプキリカーンという海沿いの街がある。明日はここに行くことにする。今は頑張らなくてもいい。夜になった。海と空の境界線を今から見に行く。


アントン→アユタヤ

アユタヤ→バンコク


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