スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

ベネチア2

ベネチアその2

 次は、地図を持って歩き出す。
 ヴァポレット(乗合水上バス)24時間乗り放題券を購入。こういうのを買わせたら、もういつまでも乗ってるよ、知らないよ、状態になる。栄華を誇った後に、100年単位をかけて緩やかな右下がりのカーブを描きながら朽ち行く街を細々と持続させているのが、良く分かる。しかし、特殊な街故に、現在を越えて、未来都市のモデルになるような気がする街でもある。カラマツやナラのような硬い木を海中の固い岩盤まで注し込み、コンクリートを流し込んでいる人工地盤沈下都市。世界温暖化で熱心な国や都市は水没してしまう場所、オランダ、モルジブ、そしてベネチア。神が創ったのではなく人間が作った街はこう脆いものなのか。

 かつて、フィリピンのミンダナオ島のスールー諸島に住むバジャウ族を訪れたことがあった。海に木の杭を打ち込んで、その上に家を作っている。家の床の隙間からは青い海が見える。私は何十人という子供達に囲まれ、ブルースリーの真似事をし、海の生活のことを村長に聞き、若者達と泳いだ。そこには大家族性があり、老人が尊敬されていた。そんなことを思い出しながら、家賃が高く若者が住めなくなっているベネチアを不憫に思う。
 雨が降り、雨風を防ぐ為かヴァポレットの船内が満員になる。地元のおばさんらしき人が、何やら文句をいい、人を押し退け、デッキに出て、雨に濡れながらも本を開いて読み出した。いつも短期間に通り過ぎていく傍若無人の観光客に不満を抱いているのであろうか。特にカーニバル期間は地元の何倍もの観光客が路地という路地を埋め尽くしている。実は、世界三大カーニバルとされているベネチアの仮面カーニバルも復活して20年そこいらである。市当局の財源確保のためである。もともとは仮面をかぶることによって身分や貧富の差を乗り越えて騒ごうというトリッキーな催しであった。

 ベネチアングラスで有名なムラーノ島に行く。店を覗くと派手で愉快、しかし、大量の物量で迫られると、購入意欲は放射線状に萎えていく。世界の財産、私の財産、なんて訳の分からないことを言いつつ、また見たくなればまた来ればいいよねと負け惜しみを言っておく。歴史上よく聞く話だが、このムラーノ島も、ベネチアングラスの技術を守る為に職人をこの島に幽閉していたという。しあわせはいったいどこにあるのだ。才能や特殊技術を他人に利用されるばかりか自由を奪われる。幸福はどこだ。信じられるのは、瞬間的快楽のみである。
 
 なかなか何でもうまいよイタリアよ、であったがベネチアだけは、感心する程美味い店にあたらなかった。サンタルチア駅の大運河反対側に見つけた席が2つしかない店に入る。一度に接客するテーブルが少ない程良い食堂である可能性が高いの法則(例外は多過ぎるが)に則り、ピザを食べた後、駅で切符を購入。イタリア語はできないので紙の切れ端(本当のレシピの語源ですな)に行先や希望を書いて並ぶと、前の西洋人も同じことをしていた。多分、他言語を習う気のないイングリッシュかと思う。

 サンマルコ広場周辺は政治の中心であったが、リアルト橋周辺は経済・金融の中心というところだろうか。歩きに歩きまくっても飽きない街である。商店街大学教会路地広場を抜けていく。ベネチアと聞いて何の映像を思い出すのだろうかと考えながら歩いていた。キャサリーンヘプバーン、ビスコンティ、カサノバ…同時に、残念ながら私は、中学校のときの頭の禿げ上がった右翼系の社会の先生を思い出してしまった。授業は脱線し、ベネチアに行った話をしていた。中学生の私には遠い遠い国での夢物語を漠然と聞いていた。現実性のなさ。しかし、先生は先生の歴史において、金、時間、労力を要した一生に一度の大イベントだったのではなかったのか、と思った。私は15歳の頃にそのことを聞き、15年後にここに本当に来て、15年たって初めてその先生の話を思い出した。潜在的な記憶とは不思議なものだなと思った。

 夜はフェニーチェ劇場でクラッシックコンサート。こういうシュチェーションで好きなのは、コンサートが始まる前に、立ち飲みで一杯だけひっかけていくということ。それも強いアルコールを一気飲みがシブイ。グラッパをゲロッパしようぜ。良くチケットを見ると、ある教会でのコンサートだった。急いで、人に聞きながら進んでいく。
 多分間違いであろうが、何故かヴァイオリンの音が石造りの建物にぴったり合う。バロックは宇宙音楽といわれるが、宇宙が石を通して啓示したのかも知れないなと思った。透き通った音に耳を研ぎ澄ませて聞き入っていたら、終わった。まだ十時半とおいうのに、この街の夜は寂しい。店が空いていないのが寂しいのではなく、一般の家から照明の明かりが漏れてこないというのが寂しい。車はないので、大通りといっても狭く曲がりくねっている。海に面した家の入口も長年開閉がされていない様子で水に浸蝕され腐りかけていたりする。

 ホテルの手前にて、前を歩いていたカップルが引き返してきた。そして私に向って、女性が嬉しそうに叫んだ「アックアルタ、アックアルタ~」
果たしてカッレ(路地)は高潮で運河から溢れた水で覆われている。あと数十メートルの宿に辿り着けない。今日の雨、アドリア海の温度差、アフリカからのシロッコ風が重なる程、この街は沈む。カッレを曲がった所がいきなり水没しているので多くの人が気がつかずに来てしまうのだ。面白いことに、私の泊まっている部屋の窓からその様子が見えた。
そこで時給0円で5分間だけ交通量調査をすることにした。
そのまま靴を濡らしてジャボジャボ進んだ人21人。おんぶしてもらった人2人。横の壁にはいつくばって伝って行った人5人。迂回して来た道を戻って行った人11人。靴を脱いで行った人1人。ちなみに私は壁にはいつくばりコース。ちなみに水没した前に店があり、そこの従業員は平然と水の中に入り、店のシャッターを下ろした。30分程度で水は引いて、歩けるようになったようだ。これで私も安心して眠れる。この街は、水と土地の境界線を、月の引力や様々な戯れによって曖昧にしてしまう。

 石畳は走る為ことには馴染まない。しかし、ヴァポレット24時間券はあと5分で終わるので、とりあえず、チェックされないけど走って乗り込む。石畳にハイヒールは何となく似合う。元々、ヨーロッパは汚物で埋め尽くされており、それを避ける為ハイヒールが開発されたという話を聞いたことがあるが、そういう意味ではベネチアは海にゴミや汚物を捨てていただろうから、まだ街は清潔だったのだろうかと思っていたら、目的地に着いた。折角だからと顔にペインティングをしてもらったまま、ニューヨークの姉妹店グッゲンハイム美術館も覗く。アバンギャルドか、と思いながら外に出た瞬間犬の糞を踏み、やたらイヌネコの多い街だなと呟く。車がないので安全なのは分かるが、海に落ちないのだろうか。ちなみにヴァポレットの乗船料はドッグとバッグは人間の3分の1。
 グッゲンハイムでは、思わずレストランでワインを1本開けてしまったので、宿に戻り、ベッドに寝そべりテレビ観賞する。イタリアのテレビはコマーシャルからバラエティから面白い。思わず夜中まで見てしまう。急いで、キヨスクでまたワインを買ってきて。時折窓の下の運河に小船が通り、エンジン音を残していき、街の静寂を乱す。まだ私はイタリアテレビに夢中。

 実は宿はベネチアを代表する美術館アカデミア美術館の隣であったが、いつも行列になっていたのを見ていたので入場をためらっていたのだが、朝一番に通りがかると、開店直前で並んでいるのが2人、思わず入っていく。期待せずに入ったのだが、素晴らしい美術館であった。

 祭の終わった日、列車にはコスチュームの入った大箱を車内に運び込む人々でいっぱいであった。予定していた列車に乗り遅れた私は、駅構内のバルでビールを飲んでいる。モニュメント都市よ。適当に列車に乗る。潟を超え、5分後に本土の駅に。カーニバル基間はこの駅の宿でも団体客でいっぱいになるそうだ。車掌がやってきて、切符をチェック「この列車はインターシティだから追加料金だよ」といわれて、「なんだそりゃ、どうやら特急のようなものかも知れない」と思いながら金を払うと、手元に100リラ(7円)だけが残った。ビールの追加注文しなくて良かった、ガム買わなくて良かったと安堵する。


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