スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

マニラの下町 パサイ

失われた風景~マニラの下町にて

 

 それをノスタルジーといわれても別に構わない。だが、その光景は私の幼い頃には既になかったものであった。経験していないのに懐かしい?遺伝的記憶?映画の映像や書物の描写に自己同化させているから?下町の光景。

 それは今をもってアジア各地で見ることができ、どこか懐かしいと感じずにはおれまい。経験もないのに何故か心が和むのはどうしてか、日常的なものに。

 夕刻、常夏の国の下町、グラデーションをかけるようにスローモーションのように薄暗くなっていき、セピア色になる。人々が、ボコボコになっている舗装道路の道端に出てくる。椅子を持ち出す者、蚊にかまれて腕を掻いている者、佇むだけの者、世間話をするおばちゃん連中や若い女ども、怪し気にたむろする若い男達。サンミゲルビール片手に上半身裸で取り留めのない話をする親父。まだ走り回る子供達。1本からばら売りで売っている煙草売りの兄ちゃんや駄菓子売りのあんちゃん。たむろする人数分の煙草だけを買う男、子供に買い与える駄菓子を買う女。もうエンジンがいかれちまったバイクはスピードも出ず、爆音だけを鳴らしてゆっくり進む。

 子供が裸足のまま萬屋(サリサリストア)で1本の煙草を求め、火をつけてもらって、親父の元に走る。近くで見ていた女どもが、「あんなに小さい子が煙草買って」と驚き、数十メートル離れた親父に煙草を渡すのを確認して「なーんだ」と笑みをこぼす。



 排気ガスの為、空気は暑さに混じり、モワモアで息苦しく、おまけに澱んでいる。町の壁は煤がついて黒く汚れている。混沌として危険な雰囲気を漂わせている。白い制服の女学生の服が煤で汚れていくのを見るのは忍びない。口にハンカチを。

 

 「汚れ」に基準はない。「清潔」には標準がない。

生活が見える、剥き出しの生活が。武器の不携帯を証明し、草履に下着姿が無防備を包容する。

 「汚れ」に基準は必要ない。「清潔」に標準の必要はない。

そこでは、家から1分以内にお店があり、家から1分以内に交通手段があり、家から1分以内に同級生が住んでいる。

 呆然としていようが、ぐずぐずしていようが叱られることはない。



私はそういうところで育った覚えはない。しかしながら懐かしい。懐かしいという意味は心和ませる何かという意味ならば正しい。

 人気のない整備された閑静な住宅街で育った。それが日本が発展してきた恩恵だった。そこから噴出す問題は数値化されないことばかりだったので、問題はなかったと見なされた。

 現風景はどこか。どこへ。


フィリピン、モシモシパーラーのその後。
館
学生時代の数回目のマニラのソドムとゴモラ背徳の日々は以下の通りである。フィリピンのイケナイところは、アジア唯一のラテン系(一部擬似ラテンの韓国)であり、ビールが安すぎることである。(屋台で1瓶2、30円である)
 1.夕方、起床、迷彩服という正装にバッチリ着替え、水は危ないので、ビールで歯を磨く。
 2・歩いて、20秒のレストランにて、ビールと軽い食事を胃袋に収める。
 3.そのまま、ジプニー(乗り合いタクシー)に乗り、乗り換えしながらもマビニストリート&ツーリストベルトを目差す。
4. ゴーゴーバーとディスコでビールを一本ずづ飲み、はしごする(10件ぐらい回る)
 疲れて、間の公園にある野外屋台でビールを飲み一休みする。(学生と称する娼婦が寄って来るが無視する)
 5.夜中の3時ぐらいになり、屋台で飯を食ったあと、場末のバーに行く。またビールを飲む。
 6.5時頃になり、退散する。泊まっている近所のレッドハウスという娼婦がうろうろするバーで最後のビールとする。
 7.6時になり、最後最後といいながら、最初に夕方に寄ったレストランに入り、最終ビールを飲み、もはやヘベレケというより、目が黄色くなっている。
8.飲み代の総予算は2~3000円と富豪並に飲みまくって、そのまま迷彩服を脱ぎ、扇風機に当たりながら夕方まで寝る。ビールの目方でいうと、おおよそ6リットルである。(他の国では予算は500円であるので、大盤振る舞いである。昔で言う旦那衆状態である。)
9.夕方、昨日の繰り返し。

まあ、そんなところなのであるが、ある下町のパサイシティに民家に泊めさせてもらっているときに、歩いて2,3分のところに、日本人がいると聞き、冷やかしに行く。

彼は、モシモシパーラーというカット屋を経営し、休日なしで働くオカマ10人を雇って、暇そうにしていた。彼は、例に漏れず、日本のフィリピンパブで今の奥さんと結婚し、フィリピンに渡り、彼の資金を叩いて(奥さんに叩かれてだが)店をオープンしたのである。私の予想によると、1年以内にガイコクジンは持てない不動産名義はきっと奥さんになっているので、そのうちお払い箱だな、という感想はおくびにも出さず、彼の人生遍路を聞いていた。彼は数ヶ月前からフィリピンに来ているのだが、家とこの店の往復しかしたことがなく、どこにも行ったことがないという。奥さんの厳しい監視の下、若干ながら、結婚したこと、フィリピンに来たこと、お金を出して店を出したこと(流行ってない)を後悔しているように見受けられた。ボクはフィリピンに来たけど、何もみてないし、毎日暇で仕方ないし、奥さんが怖くて、ブラブラもできないんだよと、力説するので、正義感の強い私は、では、ちょっと飲みに行きましょうか、フィリピンの一部を見せてあげますよと、鼻高々ではなく、胸を張って、奥さんを説得し、ちょと飲みに行きますからねと、言った。奥さんはすんごく不機嫌な顔をしていて、まるで私が旦那に悪い遊びを教えるのではないかと疑っているようであった。(実はその通りであった)

GO,GO,GO~。タクシーなんかに乗っていかないぜ、相変わらず貧乏学生ブリを発揮し、10円のジープを乗り継ぎ、歓楽街へ。トリンクトリンク酔狂である、が、メニメニガールダンシングにモシモシパーラーオーナーは、俄然、興奮、フィリピンにこんなところあったんですねえ、来たよかったですよ、を連発、純情ブリを発揮した。純情、まるで私の為にある言葉なのにである。

それから飯を食いにいきましょうとディスコに行った。周りを見渡すと、家族ずれやカップルがいっぱいいて、スコブル健康的ではある、が、しかし、ここがフィリピンの摩訶不思議で、ステージでは、全裸の女性ストリッパーが踊っている。何故かにこやかに眺めるカップル、全く無視して飯食う家族、私も普通に飯食っていて、何かやってるねって感じだったのであるが、モシモシパーラーオーナーは、俄然、興奮、フィリピンにこんなところあったんですねえ、来たよかったですよ、を連発、純情ブリを発揮した。純情、まるで私の為にある言葉なのにである。

それから、最後に退廃的ところで、デカダンビールでも飲みましょうかといい、娼婦の館へ。前述のこのレッドハウスは、真ん中にいっぱいテーブルがあり、そこで、客がただただビールをガブガブ飲み、飯をパクパク食っている。ちょっと普通のレストランと違う所は、ここがフィリピンの摩訶不思議で、壁沿い四方に壁に引っ付いた長椅子があり、そこに、何十人という娼婦が暇そうにお喋りしたり、爪をいじっていたり、化粧をしているのである。こんな世界もあるんですよね、生活って大変なんですよね、と私はコメントし、ビールを飲んでいたのだが、モシモシパーラーオーナーは、俄然、興奮、フィリピンにこんなところあったんですねえ、来たよかったですよ、を連発、純情ブリを発揮した。純情、まるで私の為にある言葉なのにである。

満面笑顔でモシモシパーラーに戻ると、奥さんがスンゴク疑わしい目でアナタどこいってたの?と言った。オーナーはとってもおどおどしながら、ちょっと飲みにいっただけだよ、といった。それは本当だった。ちょっと飲みにいっただけだよ、でもオーナーには刺激がキツスギタみたいであった。もう、私にそんなに感謝しないでよ、と私は何度も言った。

1年後、モシモシパーラーはなくなっていた。

館



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