スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

プラハ

ご存知「プラハの春」とうのは、1967年に民主化の動きがあって、ソ連を中心としたワルシャワ機構の軍事介入により抑えつけられてしまった忌まわしい事件です。

それで、プラハなどの都市に進攻してきたチェコスロバキアの人々がとった行動は「対話による説得」でした。進攻してきた方は反革命を制圧するという命令によってやってきていました。それで、群集は戦車を止め、「どこに反革命があるの?」「友達を歓迎します」とかいった。また若い女性は、何日も着の身着のままのソ連兵に向かって一斉に鼻をつまんだ。通信網は遮断されたが、自発的に大使館などに目を盗んでスイッチを入れたり切ったりした。また竹の子の様に地下放送や地下新聞が乱立。
そして、かく乱作戦及び指導陣をかくまうために、たった一夜にして街の一切の標識という標識、表札という表札をはがしてしまった。すべての道路標識はペンキで塗られ、その上に「モスクワまで1200キロ」と書かれた。戦車は民間人に道を聞きまくった。民間人はオシになるか出鱈目を教えた。また学生指導者は、ベトナム戦争でタイ僧などが抗議した方法、焼身自殺をもって抗議したあのでした。結局、ソ連に連れ去られたドプチェクら党指導部一向は、ブレジネフの脅迫に耐え切れず自らの手で、プラハの春を終わらせたのでした。20年を経て、ソ連崩壊の波を受け、ビロード革命のときハベル大統領の下(この人も芸術家なのですね)閑職に粛清されていたドプチェクは中央政権に復活したのでありました。


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